「ふっふっふ。驚いているようだね、君達」 状況を解説しよう。ピアノを演奏したら、ピアノの上にピアノちゃんを自称する女の子が湧いて出た。この状況で驚かない人がいるなら、悟りを開いているか、枯れ果てているかのどっちかだと思う。 「……」 そんな中、瑠璃は一足早く平静さを取り戻したのか、スタスタと自分の荷物の方に歩き寄っていた。そして、カバンから棒状の袋を取り出して、更にその中から鞘付きの日本刀を――。 「ちょっと待ったぁ!」 瑠璃が、真剣をそれなりに扱えるのは知っている。だけど、ここは学院だよ。絶対に、あってはいけないものだよね、それって。 「おのれ、妖かしめ。この霊刀・紅紫陽花(べにあじさい)の錆にしてくれる」 キャラも微妙に変わってるし。冷静なように見えて、錯乱してらっしゃる。 「とっとぉ。そういうのは感心しないなぁ。たしかに私は、あなた達が言うところの幽霊みたいなもんだけどさ。話もしないで消すってのは、害虫益虫問わずに殲滅しちゃうのと同じことじゃないの? 独裁者が気に食わないやつを粛清しちゃうでもいいけど」 「くっ」 おぉ、瑠璃が言い負かされるとか、ちょっと面白いものが見れた気がする。 「じゃあ、私も正論を。ピアノちゃんだかなんだか知らないけど、ピアノに乗るな」 少し落ち着いてきたら、ピアニストとして腹が立ってきた。 「えー、でも私、ピアノの精だよ。ピアノそのものみたいなもんなんだから、カウント外じゃない?」 ちょっと待ってね。また少し、頭の中が混乱してきたから。 「ピアノの、精?」 「願いは、願いは叶えてくれるのですか」 「そういうのは、ランプの独占事業だからねぇ」 歌恋ちゃん、この状況で話を明後日の方向に飛ばすのは自粛しましょうね。 「ほら、長年大事に使われたものは、九十九神とかいって、霊が宿るみたいに言われてるじゃない。微妙に違うところもあるんだけど、認識としてはそんな感じで問題ないかな」 「な、なんだって。つ、つまり君は――」 龍平が、やたらと仰々しい顔で溜めを作った。 「世俗的に言う、ロリババァというやつだな。最低でも九十九歳ってことだろ」 「これ、殴っていい?」 「貴重な頭数だから、嫌気が差して退部しない程度になら」 「ふぅ、部長の素晴らしい愛情を感じてしまうぜ」 バカって、殴ったくらいで治るなら誰も苦労しないんでしょうねぇ。 「オーケー、ピアノの精という点は、納得した」 「若い子は、飲み込みが早くていいよね」 歌恋ちゃんの場合、深く考えるのを放棄してるだけだと思う。 「だがそうすると、一つ深刻な問題が」 「うん?」 「部長が演奏するということは、同時に女子の身体をまさぐり倒す、何やら扇情的な光景に」 「思春期の妄想力って、大したもんだと思うよ」 「何か、本当もう、すいません」 後輩がここまで自由だと、下手に出る以外の選択肢がないじゃない。 「分かりました、極悪人という訳でもないようですので、とりあえずは矛を収めましょう」 「刀なのに、矛ってのも変な話だよね」 変なところを混ぜっ返してきた。 「真凛も、できれば血は見たくないそうですので」 「マリン? その刀、紅紫陽花とか言ってなかった?」 「紅紫陽花は俗名。真凜は、私がつけた愛称です」 多分、伝来の刀だろうに、勝手に愛称とかつけていいものなのかしら。 「いやー、その子、中々の業物だよ。元々の素材がいい上に、長年使ってる間に霊気を溜め込んでるからね。それで斬られると、さすがの私もちょっと危なそうな感じ」 「それって、普通の刃物で斬られても、大丈夫ってこと?」 「ま、斬られたことないから、実際は分かんないんだけどね」 居丈高に、胸を張って言い切るピアノちゃん。案外、適当な人なのね。 「とりあえず、お行儀とか何とかいう以前に、首が疲れてきたので降りてもらえないだろうか」 「ああ、言われてみれば」 何で人間の首って、上を見続ける耐性が無いんだろう。空から急襲されることがほとんど無いせいかしら。 「しゃーないなー」 言ってピアノちゃんは、ひょいっとピアノから飛び降りた。うむ、ふわりとスカートが舞い上がりながらも、一線を死守する様は女子として最低限のたしなみ――。 「何で、うちの制服なの?」 あまりの急展開に、とてつもなく基本的なツッコミを忘れていた。 「だって人間の女の子って、これ着るのが普通なんでしょ? 大人は何か別の着てるけど」 「世界狭いわね」 正確な年齢は知らないけど、学院の精霊なんてこんなものなのか。 とにもかくにも、ピアノの精霊というとんでもない事実を、なし崩し的に受け入れてしまう私達なのであった。 「おばちゃーん、味噌ラーメン大盛りおねがーい。あと半チャーハンに、中華スープねー」 あの後、ピアノちゃんが何か飲みたいと言い出したのだけれど、音楽室で飲食はできないことから、私達は学食の屋外スペースに移動していた。ここは放課後、雨が降っていなければ、オープンカフェのような場所として開放される。瑠璃も着替え直したし、見ない顔とはいえピアノちゃんも制服なんだから、そんなに目立ってはいないはずだ。総合音楽部が屯してるってだけで、何やら奇異な目で見られる事実は、この際だから捨て置くことにしよう。 「しかし、中華スープはまだしも、味噌ラーメンを飲み物と主張する人は初めて見た気がする」 「普通に、運動部がガッツリ食べる時の量だな」 「と言うか、精霊ってご飯とか食べる必要あるの?」 「食べなくても死なないけど、美味しいものは心を豊かにする力があるって感じかな?」 分かるような分からないような。そもそも、食べたものはどこに行くのか。疑問は尽きない。 「んで、あなたがピアノの精霊で、名前がピアノちゃんってところまではいいんだけど」 本当はもっと深く切り込んでいくべきなのかも知れないけど、キリがないし、そういうことにしておこう。 「何で、このタイミングで姿を現したの?」 「ん? 下手すりゃ廃部になるんでしょ。そうなったら私としては困るから、手を貸そうかなって」 「困るの? 別に、なくなっても音楽の授業なんかでは使うし、売り払われたりはしないはずだけど」 「ちっちっち。私は、学校のピアノの精だよ。学生が本気で使ってくれないような環境じゃ――ああ、このチャーハン美味しいなぁ。半じゃなくて普通ので良かったかも。あと、水餃子とか酢豚なんかないかな」 「ゴメン、食べ終わるの待つことにするわ」 あと、ここは中華料理屋じゃないから、そこまでバラエティに富んだメニューはない。 「あー、美味しかった。やっぱたまには人間の料理を堪能しないと、生きてる甲斐がないよね」 「そもそも、生きていると言える存在なの?」 「お、哲学的な話かな。たしかに、人間が枠を作った自然科学って奴の定義からすれば、遺伝子は持ってないし、繁殖もしないし、細胞も持ってないから生命体とは言いがたいかも知れないけどね。だけど私には、こうして触れる肉体的なものがある、意志がある、知能がある。これこそが命の本質なのではないのかね」 「スケールが大きすぎて、軽々しく疑問を口にしたことを謝罪したい心持ちです」 生きてるって、何なのかしらねぇ。 「んで、さっきの話に戻るけどさ。私達のエネルギーってか、活動源になるのは、豊かな心な訳よ。美味しいものを食べるとか、好きなことしても多少は補給できるけど、それはおやつみたいなものなの。ちゃんとした食事は、人間から分けてもらうことでしかできないって訳」 「つまり、どういうこと?」 「更紗だっけ。例えばあなたが魂込めて楽曲を演奏するでしょ。ピアノという楽器がその力に感応して、溜まりに溜まった結果が、私って訳」 「学生じゃないと、ダメなの?」 「教師はダメだねー。ほとんどが仕事でやってるだけだから、情熱が足りない感じ。たまに悪くないのもいるけど、部活の学生が質量共に一番かな」 「なるほどね」 大まかにだけど、話が見えてきたような気はする。 「オカリナに、オカリナに精霊は宿らないのですか」 この流れで、最初に出てくる質問がそれなのはどうなのかしら。 「んー、いい感じの使われ方されてるけど、まだ若いって感じかな。大事にしてれば、いずれ実体化出来るくらいになるかも」 「分かりました、師匠!」 何か、変な関係が生まれちゃってるんだけど。 「このメンバーの身近なもので可能性があるとしたら、瑠璃だっけ。あなたのものだと思う」 「私の、琴ですか?」 「ううん。刀の方」 「……」 「……」 うわ、何だか、すごい気まずい空気になっちゃったんだけど。 「総合音楽部の部員が、武器の方を気合入れて使ってるってどうなのさ」 「真凛は、祖父がいざという時のために譲ってくれたものですから。きっと代々の力が積み重なったのでしょう」 軽く居直ってきた。少しタチが悪い。 「というか、女の子が日本刀を必要とするいざって、どんな時なのよ」 護身用にしても、殺傷能力が高すぎやしないだろうか。 「中学生の頃、真凛と共に、裏世界にまみれる邪悪な霊達を抹消する妄想はしました」 「したんだ」 思春期の少年少女の何割かは通過する道だけど、ここまで悪びれず言い切れる精神は見習うべきだろうか。 「そして、数年の時を経て、想像とは少し違うものの、こうして霊的な存在を視認するに至った訳です。ピアノさん。あなたが悪人でないのは把握しました。ですが世の中には、悪い輩も当然いるでしょう。その場所を教えて下さい。知らないなら、探しに行きましょう」 「すっごいこと言ってるなぁ」 「すいません、この子、ちょっと自分の世界が強めでして」 部長だからって、部員の人格まで責任を取らなくてはいけない道理があるのかしら。 「まったく、斬るために斬ることを求めるとは、何たる未熟者じゃ」 またしても、人の居ない方向から声を聞いた。 「あのー、これって、もしかして」 「出てきちゃっていいよ。この人達、その程度で驚いたりしないから」 いや、別に驚いてないんじゃなくて、ある意味ヤケになってるだけなんだけどね。 「ふむ、人間も少しは変わってきたということかのぉ。一昔前であらば、七不思議なんぞにされそうなものじゃったが」 その言葉と共に、瑠璃の脇に和装の少女が姿を現した。年齢でいうと、私達より少し下くらいだろうか。直毛黒髪なのは瑠璃と一緒なんだけど、かなりの釣り目で、印象は大分違う。 「さて、瑠璃よ。そなたは刀を人や霊を斬るための道具じゃと思ってりゃせんか。たしかに刀は、こと斬り裂く能力に関しては、世界でも屈指のものじゃが、武器としては間合いも限られ、汎用性に欠ける。それが何ゆえ日本人の魂となったのかをじゃな――」 「か――」 「どうしたのじゃ」 「可愛いです!」 言って瑠璃は、刀の精を抱き寄せた。 「こ、こりゃ、何をする」 「私、こんな妹が欲しかったんです」 あー、そういや、前にそんなこと言ってたような。 「な、なぜわらわが妹なのじゃ。そなたが生まれる、はるか以前に打たれたものであることは知っておろうに」 「そりゃま、見た目じゃない?」 「外見以外に、考慮の余地がない」 「ロリババァが、また増えたぜ」 「そなたたちは!」 今にも噛み付きそうな形相で食って掛かるけど、見事に羽交い締めされて一歩も動くことができないでいる。ああ、こうやって、また総合音楽部の評判が下がるのね。 「ところで、何て呼べばいいのかな。私のピアノちゃんみたいに、刀ちゃんじゃ、微妙に可愛くないし」 キッカケなかったから触れなかったけど、結構、無茶な名前だよね。サラサの私が言っていいのか知らないけど。 「色々な名前で呼ばれてきたからのぉ。瑠璃が呼びやすいのであれば、真凛でよいわ」 「可愛い可愛い、私の真凛。いっぱい、いーっぱい可愛がってあげますからね」 一方で、瑠璃はまるで憑かれたかのように真凛を抱き締めていた。ここまで妹に飢えていたとは、人は見掛けによらないと思う。 「わ、分かった、妹でよいから、とにかく離してたもれ」 すっかり忘れてる感はあるけど、私達が居るのは、学食の屋外スペースな訳で。奇異の目で見られるのはもう諦めたけど、せめて学院中の話題にならない程度にしてもらえないかしら。 ともあれ、私達はこうして、霊刀・紅紫陽花の精、真凛と出会ったのだった。 後編へ続く |