邂逅輪廻



「この度は、若干取り乱しましたことを謝罪致します」
「若干……」
 音楽室に戻ってきて和装に戻った瑠璃は、正座で手のひらを床につけて、開口一番に謝ってきた。形だけ見ればれっきとした土下座なのに、和服美人がすると礼儀正しいだけに見えるのが不思議でズルいと思う。
「まあまあ、若気の至りというのは誰にでもあるものだから。私も、オカリナの精が実体化したら、自分を保てる自信がない」
「歌恋ちゃんって、一応は先輩の私達を敬う気持ち、ほとんど無いよね」
 別に体育会系な部活じゃないんだからそれでもいいんだけど、微妙にモヤモヤはする。
「んで、このロリババァ達は、結局どうすんだ?」
「瑠璃姉ぇ、あのバカ、成敗してたもれ」
「もう、真凛ってばわがままさんですね」
「おいこら、いい笑顔で木刀抜きやがるな。つーか、あんた、どんだけ武器隠し持ってんだよ」
 ロックスターの卵が木刀を持った和装少女に追い詰められてるって、凄い絵よね。
「ああ、防音だからって、あんま派手な音たてないでね。後始末、面倒だから」
「承知しております」
「てめぇらの辞書に、慈しみや人権って言葉はねーのか!」
「そういうありきたりな発想をぶち壊してこそ、ロックってものじゃない」
「そ、そうか?」
 全員が龍平くらい一本線のバカなら、操縦も難しくないんだけど。
「何か、ダメな関係が増えてるだけって感じがしてきた」
「人生って、楽しければ内容のあるなしは問わないって考え方もあるよね」
 ピアノちゃんの、達観した意見に賛同するには、私は若すぎる訳で。
「はっ、重大なことに気付いてしまった」
「どしたの、歌恋ちゃん」
「こいつらのキャラクター性、下手をすれば私より濃い」
「割とどうでもいいなぁ」
 それよりも、もっと考えるべきことがいくらでもあるはずだ。
「それで、本筋の話に戻るけど、どうしようっての」
「どう、って?」
 ピアノちゃんは今、譜面板に腰を掛けて、ピアノ椅子に足をおろしている。マナーというか、常識から言えば酷いものなんだけど、本人みたいなものなんだし、たしなめていいものなのかが分からない。
「だから、私達も、ピアノちゃんと同じくこの部がなくなるのは困るんだけど、具体策がこれといってないのよ。何か、知恵とか貸してくれるの?」
「んー、そこまでは、特に考えてなかったなぁ」
「えー」
 これで案外、使えない子なんじゃないかしら。
「要は、あと三人、部員を集めればいいんでしょ?」
「その要は、ができるもんなら、とっくの昔にやってるってば」
 一つ上の現三年生が居ない時点で、察して欲しいものである。
「あの、思ったのですけど」
「うごごご」
 壁際で龍平と鍔迫り合いを繰り広げている瑠璃が、首だけこちらに向けて声を掛けてきた。真剣白刃取りの要領で辛うじて持ちこたえてるけど、押し切られるのは時間の問題ね、あれは。
「せっかく、幽霊みたいなピアノさんが手伝ってくれるというのですから、こう、駒月会長の夢枕に立って脅すというのはどうですかね」
「あのねぇ」
 どうして瑠璃の発想は、そう微妙にこすっからいのよ。
「ちなみに、やるとしたら何て言えばいいの?」
「そうですね。『伝統ある部活を私怨で潰すとは何事じゃ。七代祟ってくれようぞ』的な感じでしょうか」
「いくらなんでも、罪と罰のバランス、悪すぎない? ってか、百年四代として、百七十五年も付き合うの、私」
 そこは言葉の綾だと思って、流していいところだと思う。
「では罰の部分を、『甘いものと脂っこいものを我慢しても、少しずつ太っていく』に変更しましょう」
「いきなり落ちたけど、地味に嫌すぎる」
 本当にそんな呪いが掛かった日には、どれだけの女子が発狂するか分かったものじゃない。
「一応言っておくけど、私、呪いを掛けるみたいな力なんてないからね」
「それはまあ、交渉カードですから。空手形やハッタリも、手札の内です」
「瑠璃と付き合ってると、色々と倫理観が再構築されていくのが目に見えて分かるんだけど」
 善悪って、本当に何がどうなってるんだろうねぇ。
「わらわに言わせれば、世を少し知ったかぶった小僧っ子みたいなものじゃがの」
 この子の立ち位置も、まだ微妙に把握しきれてないしね。
「真凛ちゃんとしては、何か意見ないの?」
「わらわは楽器ではないからのぉ。正直、どうなろうと、さしたる興味はないわ」
「でも、うちがなくなると、瑠璃があなたに構う時間が増えると思うんだけど」
「……」
「……」
「少しばかり考えてみるのも、瑠璃姉ぇのためやも知れぬな」
 案外、扱いやすい性格してるのかも知れない。
「うるっさいのよ、あんた達! 演奏の音ならまだしも、ただの馬鹿騒ぎじゃない!」
「駒月会長、あなたの声も、充分やかましいでーす」
 音楽室へやってきた突然の乱入者に、せめてもの抵抗として小学生のようなことを言ってみた。
 駒月彩夏(こまづきあやか)、つい数週間前、私立玉藻学院の生徒会長になった二年生だ。世間によくいる、消去法的信任選挙ではなく、ちゃんと対立候補を蹴落として当選した正真正銘の生徒会長なのだが、いかんせん、私との相性が悪すぎる。こんなことなら、もっと必死に落選運動をしておくんだった。そんな影響力あるのかはさておいて。
「ってか、誰よ、その和服のチビっ子。どう見ても、うちの生徒じゃないわよね」
「私の妹です。近々受験ということで、見学をさせています」
 しれっと、それっぽい嘘を言いきれるメンタルは凄いと思う。
「妹ぉ? 白椿さん、姉しか居ないって記憶してるんだけど」
 あら、まずい。敵の諜報力を侮っていた模様。
「たしかに、私と真凛は血が繋がっていません。ですか魂を共有していると言っても過言ではない私達を、たかだか戸籍や遺伝子で区別するというのですか。駒月会長が、そんなに狭量な方だとは知りませんでした」
「うぐ」
 正直、瑠璃って女子人気が妙に高いし、口もよく回るから、生徒会長に立候補しても受かる可能性は充分にある人材なんだよね。うちの部長すら面倒くさがるんだから、やる訳がないんだけど。
「じゃあ、その子はいいとして、そっちのピアノに乗ってるあんた」
「ん?」
「ん、じゃないでしょ! どういう良識持ってたらピアノに座ったりすんのよ。更紗、あんたもピアニスト気取ってるなら何とか言ってやったらどうなの」
 その葛藤につきましては、既に考えるのを諦めたという結論に至っているので、今更といった感は拭えません。
「大体、何者なのよ。生徒でもないくせに、うちの制服着てるなんて」
「なんで生徒じゃないって分かるの?」
「生徒会長として、学籍を持った全生徒の顔と名前を一致させるくらい、常識ってもんでしょ」
 この高い能力と誠意を、まっとうに使ってくれれば私も楽が出来るんだけどねぇ。
「私は、ピアノちゃんだよ〜」
「はぁ?」
 私達が順応しすぎなだけで、これが普通の反応だと思う。
「まあ、最近はインパクトのある名前も珍しくないし、意味があるだけ案外マシかもね」
「ちゃうちゃう。ピアノの精霊だから、ピアノちゃん」
「はい?」
 あ、この顔は、完全に理解の許容量を超えてるわね。
「という、設定?」
「ではなく、ピアノという楽器に宿った人の意志の集合思念体が私」
「そんなの、ある訳ないでしょ」
「いいねぇ。こういう、常識を振りかざす思考停止の凡俗ともやりあってみたかったんだ」
 私達の場合、頭が柔軟というよりは、ちゃらんぽらんなだけだけどね。
「いやいや、科学的じゃないでしょ、そんなの」
「ほっほー、科学と申しましたか。だが貴公は、科学の何たるかを知っているのか。かつてニュートンが万有引力を提唱した時、学会は批難と疑問の声で満ちていたと言う。またアインシュタインが相対性理論を発表した際、あまりの突拍子のなさに、自ら否定する解釈を求めたと言われているのだ。つまり科学などというものは、否定出来ない仮説の積み重ねに過ぎず、現代の科学で私を肯定出来ないからといって、存在を否定するという行為こそ非科学的なのだよ」
「正直、何を言っているかすら分かりません」
 忘れがちだけど、ここ、文化系も文化系の、総合音楽部だからね。
「要は、私を理解しようなぞ、百年は早い」
「百年後には、世界中にあんたみたいなのが溢れてるってこと?」
「ありえない話じゃないでしょ。飛行機が空飛んだのは百年ちょっと前だし、携帯電話だって、ここ二、三十年のもんだよ。人間社会なんて、一つのキッカケで、どこまで変わるか分かったもんじゃないものだし」
「それはまあ、そうかも知れないけど」
 こういう精霊だか、九十九神だかが跋扈する世の中を想像してみるけど、どうにもイメージが固まらない。瑠璃が言うところの悪い輩もいるだろうし、素直に受け入れてもらえるんだろうか。
「ところで、駒月会長が完全に固まってるのはいいのだろうか」
「ほっとけばいいわよ」
 生徒会長になって、学生生活を良くしようなんて真面目人間は、突拍子もないことを受け入れる能力に欠けて困る。
「はっ」
「おはよう」
「いやー、私、働き過ぎかしら。何か変な白昼夢見てたみたい」
「ほうほう、その変な夢には、こんな顔の奴が出てきませんでしたかね」
「……」
 ピアノちゃん、からかいすぎではないですかね。いや、別に心は痛まないんだけど。
「くっ、何だか分からないけど、今日のところはこれで引き下がるわ。後日、理科系の面々に、あなたの存在を解析してもらうんだから」
「うちの理科系の部活って、化学部とか、生物部のこと?」
 はっきり言って、あそこら辺は、私らより活動らしい活動をしてやいない。
「中々、愉快な会長さんだったね」
「ピアノちゃんにとっては、そうでしょうね」
 あれだけ手玉に取れるなら、相手するのも楽しいだろう。
「さて、これからどうしようか」
 結局のところ、部員集めの問題は何も解決してないんだけど、焦ってもしょうがないのも事実だ。下校時間までまだ間はあるし、何かもう少しやっていこうかな。
「では、僭越ながら私が独奏を」
 言って歌恋ちゃんは、我らが玉藻学院の校歌を演奏しだした。
「なぜに校歌」
「ぺぽぽえぺっぽ」
 だから、口を使う楽器で、喋りながらは無理だから。
「ですが万に一つ野球部が勝った場合を考えますと、私達が演奏しないといけないのではないでしょうか」
「万て、あーた」
 一回戦くらい、二、三割の確率で勝てるんじゃないの。強いところはシードされてるだろうし、クジ運さえ良ければだけど。
「ピアノは持ち込めないから、部長は鍵盤ハーモニカで合奏だな」
「おお、息を吹き込む楽器とは、私と同じではないか。先輩と崇め奉って良いぞ」
「鍵盤ハーモニカ、琴、ギター、オカリナで校歌とか、野球部の人達はどう思うんでしょうねぇ」
「一応言うておくがの。勝利後の校歌は、録音媒体じゃぞ」
「……」
「……」
「……」
 まあ、私達の野球部知識なんて、こんなものってことで。そもそも、去年も応援する前に負けてたし。
「しっかし、校歌ねぇ。何かで演奏させられたことあったけど、たしかこんな感じ」
 楽譜が手元にない上、うろ覚えだけど、校歌だと認識できるくらいには弾くことができた。
「部長、普通にすげーよな。アホっぽい面してるくせに、空で演奏できんのか」
「ええ、私が部長と認めた方ですから、これくらいは出来て然るべきかと」
「いよっ、大統領、天下の副将軍、国連事務総長」
 何だか、典型的な褒め殺しをされてる気がしてならない。
「いやいや、凄いもんだと思うよ。さすが、私が見込んだピアニストだね」
「ところでピアノちゃん。いつになったらピアノから降りるの?」
「ここが一番落ち着くんだよねー」
 決まった場所から離れない猫を見てるみたいに思えてきた。
「では、私も一曲」
 言って瑠璃が何やらアップテンポかつ危機感を覚える楽曲を演奏しだした。
「何、これ」
「この間、姉が遊んでいたゲームの戦闘曲です」
「琴でそんなものを弾くな」
 と言いたいところだけど、ピアノで映画とかアニメの音楽を弾くと一般受けが良くて、ついつい使っちゃったりもする。
「よっしゃ、じゃあ、次は俺の番だな」
 龍平が演奏したのは、メジャーバンドの代表曲だった。
「特にオチや面白い部分が無いとか、龍平はやっぱり空気が読めない。友達が居ないのも納得」
「ギターテクニックじゃない部分をこき下ろすのはやめてくれ!」
 この場合、どっちもどっちってことで、敢えてスルーの方向で。
「うん」
 やっぱり、この総合音楽部は、何だかんだ言っても、音楽を愛する人達で構成されている。廃部になった後がどうなるかは分からないけど、少なくても、この珍妙なメンバーが揃うことはないに違いない。それが私の音楽観にどんな影響を与えるかは判断しかねるけど、寂しいことなんだとは思う。
 私は新たな決意で部活の存続を誓うと、次の楽曲を選ぶため、楽譜の束を漁った。

 了


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