「緊急事態よ」 数えるほどの人しか居ない、閑散とした放課後の音楽室。私は入り口のドアを開けるなり、三人に向けてそんな言葉を放った。 「どうしたんだい、ベイベー。まさか、この総合音楽部が廃部になるっていうんじゃないだろうな」 「どこで聞いたの?」 「マジだったんかーい」 適当に言っただけだったのね。 「冗談のつもりで言ったことが当たった場合って、その後の空気の処理に困りますよね」 本当、私も何を言っていいのか分からない。 「えー、あー、まあ、そういうことだから」 「もう少し詳しくお願い、部長」 そう言われても、話の組み立てを再構築しなくてはいけないから、何から話したものやら一瞬ではまとまらない。 「とりあえず、この玉藻学院では、部活動として認められる最低人数は七人らしいの」 「ひーふー……なんてことだ。ここに居る四人で全員じゃないか」 分かりきったことを一々口にするこの後輩が、たまにどうしようもなくウザったくも感じる。貴重な頭数だから我慢してるけど。 「ですが人数が足りないのは、去年の秋、三年生が引退した時からですよね。何で半年以上も経った今になって問題になるんですか」 「この間、生徒会長選があったでしょ」 「あぁ」 「納得しました」 女性二名の話の通りの良さは、ありがたくもあった。 「一体全体、どういうことだい?」 一方で、黒一点と言うべきか、ともあれ唯一の男性は、解釈するという能力が足りなさすぎる。 「アレ……新生徒会長の駒月(こまづき)は、私ととても仲が悪くてね。平たく言えば、腹いせの一環ね」 実際問題、かつては七人居たけど、色々あって割り込んだ部活はうちだけじゃない。予算削減程度ならまだしも、廃部勧告まで出るのは私怨というほかない。 「つまり、部長の責任ってことか」 「幼稚園の頃、駒月が好きだった男と遊んだってだけで責任持たされちゃ、何もできなくなるわよ」 高校生になってまで恨みを持ち越してるんだから、身体ばっかり大きくなって、何一つ成長していない。 「と言っても、生徒会長だからって無茶な強権は発動できないからね。部員を三人増やせば存続できるって言質はとってきたわ。ただ、名前だけの幽霊部員だとつつかれると思うから、少しでも音楽に興味がある子が居ないか、友達なんかを当たってみて」 そもそも、ここに居るメンバー自体、楽器を使えるという以外、大した共通点なんてありやしないのだけれど。 「俺、友達なんて居ないぜ?」 「私の知り合いは、友達としては好きだけど、総合音楽部だけは勘弁してくれっていう方ばかりで」 「惰弱な根性の輩など、敢えて排してしまうべきではなかろうか」 使えないなぁ、この子達。 「そういう部長は、心当たりないの?」 「あったら、とっくの昔に誘ってると思わない?」 「使えない部長だな、おい」 意外と、似た者が寄り集まったという指摘もあるけれど、私は認めていない。 「というか、部活動にこだわるなんて、ロックじゃねぇよな。ギター一つあれば、どこでだってロックはできるぜ」 「総合音楽部がなくなって同好会化すれば、部費は会費になって極端に減るし、音楽室も使えないし、講堂の使用許可もほとんどおりないのよ」 「やっぱり、体制側とも折り合っていくのが、二十一世紀のロックってもんだよな」 少なくても私の知ってるロックとは違うけど、追い詰めても生産的じゃないし、放置してこうと思う。 「何にしても、期限は九月が終わるまでだから、あと四ヶ月位。こんな二年の半ばなんて中途半端な時期に部活やめるのなんて嫌だし、何が何でも存続させるからね」 「いっそのこと、一年の私は他の部活に入ってしまうのも手やも知れぬ」 「あんた、ねぇ!」 私の、怒声混じりの言葉は音楽室の防音に吸われて消えてしまった訳で。 早めの梅雨入り宣言がなされた六月頭のある日、私達総合音楽部は、窮地に立たされることとなった。 それなりの歴史があるとされる総合音楽部だけど、その成り立ちは曖昧だ。建前として、音楽に国境、宗教、文化、人種の壁なんて小さいものはなく、交流を重ねることで人としての昇華を狙う目的がある、というのはある。ただ、対象範囲があまりに広すぎて、烏合の衆になってしまう現実から見るに、数合わせをこじつけた可能性は低くない。 実際、現状のメンバーを見てもらえば、言いたいことを分かってもらえると思う。 「ドュルッフォー。今日も相棒は絶好調だぜ」 井上龍平(いのうえりゅうへい)、一年生。既に触れた通り、友達が居ないという意味での、孤高のギタリストだ。一応、リュウという愛称でロックシンガーを自称してはいるっぽいんだけど、歌の内容は若者に迎合した反社会的なものから、女性や世間に媚びたものまで多岐に渡り、主義主張が一貫していないのが難点だと思う。考えようによっては、あの若さでこれだけ幅のある楽曲をこなしてるんだから、将来有望なのかも知れないけど。 「部長、俺は考えてみたんだ。社会のしがらみの象徴みたいなコネで部員を集めるより、俺達のソウルフルなミュージックで惹き寄せるのが正道じゃないか、ってね」 「へー、それはすごいわねー」 身も蓋もないけど、それほどの求心力があるなら、こんな事態には陥っていないと彼もいずれ気付くんじゃないかな。 「音楽とは芸術であるのか、大衆のものであるのか。興味深い話題ではあります」 白椿瑠璃(しろつばきるり)、二年生。お嬢様の稽古事の定番として知られる琴を得意としていて、部活中は和装の出で立ちとなる。その姿は、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、の喩えの様に可憐さと艶やかさを併せ持っていて、女の私でも見惚れてしまうことがある。ただし、その中身はバリバリの武闘派だ。道ではない、剣術と薙刀術をかじっているらしく、思想的にもかなり過激な面がある。 「と言いますか、駒月会長の弱みを握るなり、もっと強力な後ろ盾を探すなりした方が建設的なのではないですか?」 「私、普通の女子高生なんだけど」 この若さでそんな裏技憶えたら、人生が確実に歪むんじゃないかな。 「交渉事の基本は、力を背景にしたものですよ。それが武力なのか、経済力なのか、政治力なのかはともかくとして、徒手で誠意などという曖昧なものを頼るよりは、よっぽど真っ当です。何故か社会の授業では教えませんけど」 「そんな社会科教師が居たら、半年くらいで謎の転任をすると思う」 現実を歪めて教えるのもまずいけど、事実を全てあけっぴろげにするっていうのもまずいんだから、人間社会は難しいよね。 「ともあれ、今年の目標である弾き語りをマスターしなくては」 星司歌恋(ほしつかさかれん)、龍平と同じく二ヶ月前に入学してきた一年生で、オカリナを使いこなすちょっと変わった子だ。 「一応言っておいてあげるけど、腹話術師は口元を動かしてないだけで、発声はしてる訳だからね」 「要は息を吹き込めばいいのだから、こう、喉に二つの気流を生み出すことができれば、理論上は可能のはず」 何だか、少年漫画の超理論を聞いてる気になってきた。全然、納得感は無いけど。 「その労力を、口を使わない楽器に注ぎ込めば効率よくうまくなれると思うけど」 「私とオカリナは不可分の存在。メガネっ子がメガネを捨て去るくらいの、アイデンティティの喪失」 意外と、大したことないんじゃないのかしら。メガネ族じゃないから分からないけど。 「本当、よくもこんな個性的な面々が揃ったものよね」 「部長に言われても、説得力が」 「そうかしら?」 私、如月更紗(きさらぎさらさ)、二年生。肩書上は、この総合音楽部の部長になる。 「そういや部長は、どうやって部長になったんだい?」 「どうやってって、普通に先輩達から受け継いだんだけど」 「現二年生は二人居る。部内投票も出来ないし、円満な着地点を模索するのは苦労したのではなかろうか」 正直、うちの部長の椅子に、奪い合うほどの価値はない。 「雑務が面倒でしたので、更紗に押し付けました」 「ま、そういうことよ」 本人の前でさらっと言える瑠璃がちょっと羨ましい。 「じゃあ、どうして総合音楽部に入ったんだい?」 「どうしてもこうしても、うちで公的にピアノ使える部活、ここしかないじゃない」 そう、私はピアニストだ。昔は家にもピアノがあったのだけど、住宅事情の問題やらで使えなくなってしまったため、学校に活路を見出した次第だ。 「そもそも、何で音楽系の部活がここしかないのだろう」 「さぁ? 声楽部みたいなのはマイナーだし、吹奏楽部は……野球部が弱いからじゃない」 「何の因果関係が」 「え、野球が弱い学校の吹奏楽部って、存在価値あるの?」 「凄い暴言を聞いた気がする」 そうかなぁ。吹奏楽の全国大会で優勝するより、夏の大会で応援した方が、聞いてくれる人多いと思うんだけどなぁ。 「私の考えですと、下手に音楽なら何でもありの総合音楽部があるから、新規に立ち上げにくいというのもあるやも知れません」 「それってつまり、うちが潰れたら、新しく幾つかできるってこと?」 「可能性はありますね」 「他の方はともかく、オカリナの私は、立ち上げるどころじゃないことに気付く」 あー、いや、まあ、うん。オカリナを差別する気は全くないけど、部活動に出来るほど人数は揃わないでしょうね、多分。 「俺も、ダチがいねーんだから、ここがなくなったら、その時点で詰みだぜ」 入学して二ヶ月で完全に諦めてるのも、それはそれでどうなんだろう。 「琴も、ちゃんとやろうと思えばそれなりにお金が掛かりますからね。同好会で一人寂しくやるのもなんですし、学校での活動はやめるやも知れません」 「私だって、駒月に嫌われてて、新会長が誕生する半年後まで認可してくれる訳ないんだから。変な人気あるから来季もやるかも知れないし」 結局のところ、寄り合い所帯とはいえ、解散したくないという思いは一緒らしい。 「まあ、今回もなるようになるでしょう。正直、更紗と二人になった時点でダメかもしれないと思っていましたから。新入生に逸材が二人も混じっていた時点で、奇跡のようなものです」 「どういうことだか、あんまし褒められた気がしないぜ」 「多分、褒められてない」 確定しない辺り、二人共微妙に現実から目を背けてると思う。 「焦っても仕方ありません。今日は今日でいつも通りの活動をすることにしましょう」 「私、部長の演奏聞きたい」 「お、いいな」 「あんた達って、本当、脳天ひまわりよねぇ」 とはいえ、考えすぎても進展が無さそうなのは事実だ。気分もモヤモヤしてきたし、ここは一つ、ピアノに気持ちをぶつけてみよう。 「――」 ショパン、ワルツ第六番、子犬のワルツ。可愛らしい名前の認知度はともかく、曲自体は誰もが一度は聞いたことがあるであろう、定番のピアノ曲だ。子犬が自分のしっぽを追い回している情景に着想を得て作曲されたものとされているけど、個人的には湖畔の水辺をイメージするのが不思議な話だとは思う。 「お粗末さまでした」 「わーわー、パチパチ」 「しっかし、よくそんな器用に指が動くもんだよな」 「ふっ、この神と親から授かった長くて柔軟な指は、ピアノをやるためのものなのよ」 友達にアンバランスで少しキモいって言われてヘコんだ過去はさておくとして。 「いやー、中々のもんだと思うよ。私が知る限り、五指には入るね、指の話だけに」 変な角度から、声を聞いた気がした。 「今の、誰?」 女の子のだったから龍平じゃないのは分かってるけど。 「私ではないですよ」 瑠璃は否定して、歌恋ちゃんも首を横に振ってるし、どういうことなの。 「おっと、このままじゃ人間には見えないんだっけ」 言葉と共に、譜面板の両端をまたぐ形で、私達と同世代っぽい女の子がみるみる姿を現してきた。え、何これ、一体、何がどうなってるの。 「呼ばれて登場、ピアノちゃんだよ〜」 誰も呼んじゃいないという、基本的なツッコミを忘れるほど私達は呆気にとられていた訳で。 こうして廃部のことなんかどこ吹く風といった、奇っ怪な日常が幕を開けたのだった。 中編へ続く |