邂逅輪廻



 今日も遠くの国でお仕事を一生懸命頑張っているはずの父さん、母さん、お元気にしているでしょうか。高校入学直前にこの海外赴任が決まり、全身の穴という穴から嫌な体液が吹き出したのが、遥か過去の出来事のようです。幸いにして俺自身は社宅に残ることを許されましたが、いきなりの一人暮らしと高校生活という新しすぎる環境に、てんやわんやしておりました。
 何よりも難儀したのは、政情不安というやつでしょうか。仕送りが、キチンと振り込まれない月があったということです。十五歳の子供に、前もってまとまったお金を預けることに一抹の心配が残るという気持ちは分かります。ですが、若輩で御両名の庇護下にある俺にも、生活というやつがあるのです。小麦粉を塩と水で練ってフライパンで焼いたものを食らい続け、二週間余りでぶっ倒れたあの日、俺はアルバイトを始めることを決意しました。と言うより、お隣さんが世話を焼いてくれなければ、その体力と気力さえ養えなかったのでありますが。現代日本で、命の恩人と呼べる人がこうも簡単に現れるとは、中学時代は思いもしませんでした。高校生活って、凄いんですね。
 話は逸れましたが、この秋から、新たなバイトを始めることになりました。数ヶ月とはいえ、夏休みの間は働き詰めだった職場を離れるのは、寂しいものがあります。ものぐさな俺がここまで働けたのは、バイト代がどうこうより、賄い目的だった気もしますが。
 それで、新しいアルバイトの内容なのですが――異世界の、救世主なんです。


「……」
「……」
「……」
 暗く、冷たい石造りの部屋の中で、尻もちと両の手のひらをついた格好のまま、俺は女の子と見つめ合っていた。
 年の頃で言うと、俺と同じ十代半ばだろうか。淡い栗色の髪を短めに切りそろえていて、くりくりとしたどんぐり眼が、快活な印象を与えてくれた。
「あー」
 小さく声を漏らしてみたものの、現状が、分からない。今日、俺は、いつも通りに学校を終えて、ファミレスでバイトを……うん、その証拠に、支給されたホール用の制服を着ている。可能性としては、また栄養失調で倒れて白昼夢を見ているというのもある。だけど、身体を壊しては働くことも出来ないと、ここんところ健康状態には気を遣ってきただけに、考えにくい。
 なら、記憶が錯誤しているだけで、俺は、単に夢を見ているんだろうか。うーん、にしちゃ、薄暗いながらも明確な色彩や、下半身に伝わる石畳の冷たさと固さ、それに目の前にいる女の子の現実感が、あまりにもありすぎる。昔から夢だと気付いた瞬間に目が醒めるタチだし、脳内で構築された線は、外していいはずだ。
 だけどそうすると、今、目の前にあるのは紛れもない現実だということになる訳で。完全に混乱したまま、俺はこちらを覗き込む女の子から視線を外すこともできず、身体を硬直させていた。
「きゅ――」
 睨み合いにも似た均衡を破るように、女の子が声を発した。
「救世主さま!」
 たしかに、その一言は均衡を破ってくれた。ギリギリのところで保っていた俺の精神を、谷底に落とす形でな。


「ふむふむ。つまり、君の王国が危機に瀕している為、状況を打破すべく、異世界人の俺を召喚した、と」
 その後、かろうじて意識を回復した俺は、女の子からの説明を、独りごちる様に要約した。
「は、話の通りがいいですね。状況の説明に、もっと手間取るものと思ってました」
「小説やゲームじゃ、もう万じゃ済まないくらい使い古された設定だからな」
 って言うか、こないだ図書室でそんなの読んだばっかりだ。
「小説は分かるんですが、ゲームってなんですか? 遊び?」
「テレビゲームと言ってだな。こう、プログラムされた擬似世界に感情移入して色々と楽しむ遊戯が――」
 そこまで言ったところで、あまりにも基本的な疑問にぶちあたった。
「何で、言葉が通じてるんだ?」
 日本語ってのは、島国という特性も手伝って、かなり独自の進化を遂げてきた言語のはずだ。ここがどんな環境の国かは知らないが、言葉が通じるほどに近いものになる確率は、宇宙に投げ捨てた人工衛星と正面衝突するくらい低いだろう。
「あ、それはこの、換言石(かんげんせき)の力ですね」
 言って女の子は、胸元の宝石を埋め込んだブローチをこちらに見せてきた。
「これを身に付けていると、他言語であろうと、その持ち主の思考言語に意訳してくれるんです。こちらが発した言葉も、同様です。唯、文化的、概念的に理解が難しい物に関しては通じないのが欠点なんですけど」
「何だ、その超便利アイテム」
 一つ寄越せ。日本語話せない外国のお客さんへの対応って、面倒なんだよ。
「これは、救世主さまにお預けします。女の子用のデザインですから、身に付けるのが恥ずかしかったら、服のどこかにでも入れておいてください。国宝級の貴重品ですから、絶対になくさないでくださいよ」
「これはこれは結構なものを……じゃなくてだな!」
「はい?」
「それを受け取るってことは、救世主を拝命するってことじゃねーか!」
「え?」
 何だ、その、猫がみかんの汁を食らったみたいなビックリ顔は。
「どうして断るっていう選択肢があるんですか! 亡国の瀬戸際なんですよ! 大変なことになるんですよ!」
「それはそっちの理屈だろ。何で全く知らない国のピンチに、無関係の俺が出てかないといけないんだ」
「なんてことを言うんですか、この冷血漢! 甲斐性なし! 男やもめ!」
 この翻訳アイテム、微妙に変換がおかしくないか。
「じゃあ、聞くけどな。俺の国では、今、とんでもない額の借金を抱えてて、放っておいたらえらいことになるらしいんだが、君をこっちに召喚して何とかしてくれって頼んだら、何とかしてくれんのか?」
「そんなの、一介の侍女である私に、どうこうできる訳ないじゃないですか」
「ちょっと待てや、コラ」
 あれ、ひょっとして俺、この子を殴っても倫理的に許されるんじゃないか?
「あのなぁ。どういった手順で選んだのかは知らねーけど、俺はバイト量が多いってだけで、そこらの高校生なの。せめて軍務経験者とか、学者とか、もうちょい使えそうな大人を選んでくれ」
 どういった経歴の人間が一番の戦力になるかまでは、俺の知ったこっちゃないけど。
「ああ、そういう話だったら、問題はありません。私達が欲しているのは、異世界から来た人間という肩書だけですから」
「……」
 状況を整理するために、頭脳を回転中――。
「何か!? 偶像というか、旗印が欲しいってだけの話か!?」
「本当に、話の通りがいいですね」
 つまるところ、こういうことだ。劣勢の国が、ある。当然、戦況は悪い訳だから、士気は下がる一方だ。しかしそこに現れたのは、神的な何かが遣わした、異世界の存在、つまりは俺だ。大義は我が国にあるぞ、ものども、オォォォォ、的な。
「人間ってやつは、いつの時代も、どの地域も大差ねーなと思ってたが、まさか異世界でもそうだったとは」
 中学時代、ちょっと歴史にハマってたもんだから、この手法が大昔から使われていたのは知っている。
「で、何で本当に俺を召喚する必要があるんだ。こっちの国の適当な奴を、そう仕立てればいいだけだろ」
「……」
「……」
 おい、何で視線を逸らせる。
「こんな国運を賭けるほどの大仰なことしておいて、誰もそれに気付かなかったのかよ!」
 後の世で、客観的に見るとありえない行動をとっている歴史的人物は多いけど、負けが込むと平静さを失うのは、ここでも一緒なのか。
「ま、まあ、いいじゃないですか。嘘がバレると面倒ですし、もう召喚しちゃった訳ですし」
 相変わらず、俺の都合は全く考えてくれてねぇ。
「という訳で、対案は出した訳だから、帰してくれ。うちのバイト先、時給悪くない代わりに、遅刻とかに厳しいんだから、このままバックレたらクビになりかねん」
 ここで戻っても、説教は確定してる訳だから、気は重いんだがな。
「ふっふっふ。何でそんな強気になれるんですかね」
「はぁ?」
「ここは、あなたにとって右も左も分からない異世界! 元の世界へ帰す手段を知っているのは私達だけ! この状況で、拗ねて駄々をこねるほど判断力も低くないみたいですし、おのずとすべきことは見えてくるかと」
「最低の人種か、てめーら」
「国家のためなら、いかなる汚名をも被る覚悟があるのか、正しい王国民というものです」
 それも、戦争末期にありがちな、妄執的国家信仰なんだがな。
「ん、んー」
 深く考えるまでもなく、状況は、悪い。帰る手段が無いという最悪の事態ではないものの、その為には、救世主なんぞという珍妙な仕事を受けないといけない。やる振りをして、帰ってからしらばっくれるというのも考えてみたが、もう一度強制召喚されるだけだろう。
 ちくしょう、俺は学校とバイトで忙しいんだよ。こんなこと呑気にやってるヒマは――。
「いくつか、確認したいことがある」
「どうぞ」
「その召喚術ってのは、割と簡単なのか? 例えば、一日に二度三度行ったり来たりとかは?」
「できますよ。前例はありませんが、お望みでしたら、十往復でも可能なはずです」
「俺の身体に、掛かる負担は?」
「これも前例が乏しいのですが、大したことは無いはずです。実際に今、体力が落ちているとか、どこか痛いということは無いですよね」
 無痛で蓄積していく方が遥かに怖いんだが、難しく考えても答は出ないし、今は置いておこう。
「俺に要求する仕事は、救世主という役柄を演じる、ってだけで、難しいことは何もしなくていいんだな?」
「そうですね。あまり顔を出さずに神秘性を演出することになるっていう話ですから、堂々とすることさえできれば大抵の人には務まるはずです」
 やっぱり、俺である必然性があんまし無いよなぁ。
「あ、仮に情勢悪く、国がなくなるようなことがあったとしても、その時はあなただけでも送り返しますので安心して下さい。私は、命運を共にしますけど」
 さらっと重いこと言うない。
「こっちの条件を飲んでくれるなら、やってやらんでもない」
「もちろん、それはこちらも検討しています。権力欲がおありでしたら大臣の椅子を用意しますし、若者らしく酒池肉林のハーレムなども可能です。太く長い安定的なものとしては、魔法石の販売権というものもありだそうです。これは利権が美味しいんですよ」
 この子、本当に只の侍女なんだろうな。
「んな、大仰なものは要らねぇ。絶対持て余すって分かってるし」
「では、一体、何を?」
「時給、九百二十円で手を打ってやる」
「はい?」
「だから、救世主やろうと思ったら、俺はバイトを辞めないといけないんだ。今の時給が八百七十円だから、それに五十円上乗せで九百二十円。折角慣れたとこなんだから、この条件は譲れないな」
「えー、そこら辺のところは、上の方と相談してみませんと……」
 いや、正直、ちょっと給料もらってるそこらのオジさんが払える額だよ。国庫レベルの提案から見れば、本当、慎ましいものだからね。
「あと、就業時間は、平日は放課後の午後四時から、どんなに遅くなっても、午後十時まで。土日祝日も、最大で一日六時間。これなら、辛うじて学校と両立できる」
「た、多分ですけど、それくらいでしたら調整で何とかなると思います。どうしても必要な時は影武者立てるとか、そんな方向で」
 だから、最初からその影武者使えよと、もうツッコむ気にもならなかった。 
「ああ、それとうちの店は賄い付きだったから、飯も食わせろ。じゃないと、五十円上乗せした分が吹っ飛ぶ」
「くぅぅ、分かりました。ごはんに関しましては、この私が、腕によりを掛けて作ってあげます」
「いや、あなた、侍女でしょ。何でそんなに、断腸の思いみたいに言ってんの」
 めちゃくちゃ本業じゃないですか。別にコックさんが居るのかもし知れないけどさ。
「では、正式な契約は後ほどすると致しまして、これから宜しくお願いします、救世主さま」
 言って差し出された右手を、俺は微妙に渋い表情のまま握り返した。
「そうそう。言う機会を逸していましたが、私は救世主さまのお世話役、ファニルです」
「俺は三宮一志(さんのみやかずし)。カズシでも、カズでも、好きなように呼んでくれ」
「はい、カズシさん」
 言葉と共に、ファニルはニッコリと微笑んだ。この子、腹黒なんだか純真なんだか分からねぇ。ま、それなりに長い付き合いになりそうだし、ゆっくり見極めればいいか。春先の激変に比べれば、バイト先が変わるってだけで、そこまで生活に変化は無さそうだしな。

 ――無いよな?

 こうして、前代未聞であろう、時給制の救世主が誕生した。彼の前に立ちふさがるのは、いかなる苦難か。そもそも、王国に襲いかかる脅威とはなんなのか。そこを聞かずに引き受けてよかったのか。諸々の問題は、次号を待て。

 中編へ続く


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