邂逅輪廻



「ほら、私って名前、小波でしょ?」
「はい?」
 ある日の放課後、いつものように生物室でだべっていた中で、小波先輩は、いきなりそんなことを口にした。
「こんなウェーブヘアーの私の名前として、合ってるととるか、親の的確すぎる先見性というか、遺伝力を褒め称えるべきか、たまに考えちゃうのよね」
「……」
 たしかに、小波先輩はウェーブがかった黒髪を短めに切り揃えているから、名前と掛かっているといえば、掛かってる。だけど、真正面から本人に言われても、割と本気で反応に困るんだけど。
「おっかしーなぁ。この小粋な、こなみんジョーク、今まで外したことないんだけど」
「栄えある第一号として、嬉しく思います」
 すごく適当なことを言っているという自覚くらいはあるよ。
「ま、それは、それとして」
 自分で、無かったことにする方向で決着したみたい。
「体育会系って、先輩の命令に絶対服従じゃない?」
「学校や、部活によりますけど、大体は」
「あれって、軍隊式の名残だとか、会社員になった時に使い勝手がいいようにとか色々言われてるけどさ。私はもっと単純に、人間が猿だった頃の名残だと思うのよね。ほら、ボス猿って、凄い偉ぶってるじゃない」
「……」
 相変わらず、とんでもないことを言い出す人だなぁ。
「もっとも、ボス猿はボス猿として、トップとしての責任、ノブリス・オブリージュを果たしてるんだけどね。縄張り守ったり、規律を正したり。体育会系は、本当、上から押し付けるだけだし」
「メチャクチャ言ってるようで、完全に無いとは言い切れない元水泳部です」
 なんだろう、中学時代を思い出して、嫌な汗とか出てきたよ。
「とは言っても、よその国は知らないけど、日本に限っては、大昔から上意下達が基本だった訳よね。中世以前の封建時代はもとより、明治以降の富国強兵策、戦後の高度経済成長時代の国家体制然り。個人の自由や人権なんかがこんなにもうるさく扱われるようになったのは、本当にここ数十年の話で。そんな短い期間しか育まれてない価値観が幅を利かせてるっていうのは、新時代の始まりなのか、あるいは、只の新興宗教に過ぎないのか、ってね」
「体育会系の話じゃなかったですっけ」
「そうだっけ?」
 割と本気で憶えてなさそうなのが、この人の怖いところだ。
「生物部は文化部の中でも、更にゆるゆるだからね〜」
「というか、名前にふさわしい活動をしているのを見たことがないんですけど」
「だって、予算ほとんど無いし、部員も大体が名前だけだし」
 言って、先輩は机を枕にするようにして、突っ伏した。というか、完全に胸を枕にしてるんだけど、痛くないのかしら。
「昆虫の標本を作るとか、その気になればいくらでも」
「虫とか、気持ち悪くて触れないー。カエルの解剖とかも、女の子らしくキャーキャー言って投げ出したし」
 何でこの人、生物部の部長なんてやってるんだろう。
「でも、生命の神秘って、凄まじいと思うのよ。二酸化炭素や水しか無いような状態からアミノ酸が生まれるだけでも相当の難題なのに、そこから自己の遺伝情報を後世に伝える機構を確立させるって、考えても、壮大過ぎて、訳分かんないよね」
「虫とかカエルを触れない人が言っても、何の説得力も無いんですけど」
「よく、誰それが言っても説得力無いって言うじゃない。だけどそれって、言葉に対して、純粋に向き合ってないだけだと思うんだよね。世紀の大文豪と近所のおっちゃんが似たようなこと言ったとしても扱いが変わるって、変な話でしょ。三つ星級の料理人と、料理自慢の主婦のごはんを食べ比べて、『やはり一流は違いますなぁ』って言っちゃった後に、『すいません、出す順番を間違えました。あなたが褒めた方が奥様のものです』みたいな権威主義って感じ?」
 この人に、口で勝つのは不可能なのではなかろうかと思ってしまう。
「そういえば、権威主義っていうか、価値観で思い出したんだけど、クジャクっているじゃない、あの、羽が派手なやつ。あれって、オスがメスを誘惑するために見目麗しくなったっていうけど、生物的に考えて、どういうアピールなの。『私はこれだけ立派な羽を作れるくらい心身ともに健康です』ってこと?」
「それ言ったら、歌声なんかも、どうなんですかって話になるんですけど」
 よくよく考えてみると、動物の求愛行動って謎が多いなぁ。って、あれ、珍しく生物部らしい会話になってたりする?
「肉食動物が、獲物を差し出して結婚して下さいって言う方が、直接的で説得力あると思うんだけど」
「それ、人間に応用すると、収入証明書でも持ってくるんですか」
 既に集団お見合い現場は似たようなものだと聞いたことがある気もするけど。
「下手な駆け引きがなくなって、分かりやすくなるかもよ」
「僕個人と致しましては、その無駄が楽しいのではないのかと」
「恋愛は、果てしなく難しいよね」
「難しいのは、小波先輩の考え方じゃないですか」
「それを言っちゃ、おしまいだよね」
「たしかに、そういう説もあります」
 なんだろう、この微妙な空気感。何がどうなってこうなったのかすら、今一つ分からない。
「ま、いつもこんなものと言えばこんなものか」
「ん?」
 こうして先輩に怪訝な顔をされるのも、昔からのことに思えてくる訳で。人の記憶なんてあてにならないななんて思いつつ、僕は何とはなしに、窓の外を見遣った。


「んー?」
 放課後の学食でのこと。僕は無料で飲める麦茶でティータイムを気取りながら、小首を傾げていた。
「これは、どういうことなんだろう」
 引っ掛かったのは、中学時代の友人、佐々木卯月(ささきうづき)から送られてきたメールだ。カタカナで、『キヲツケロ。アマエキハイッタ』と書いてある。昔、電話すらあんま普及してなかった時代、急報を告げるために電報が使われてたんだけど、文字数で値段が決まるから、極力削った文章にしてたのを、何かで読んだのを思い出した。
「キヲツケロは、気を付けろでいいとして」
 アマエキは言った、かな。そういえば、中学時代、天の城って書いて、アマキって奴は居たっけ。打ち間違いだとしたら、一応、文章としては通る。
「だけど、天城君って、別にそんなに仲良くなかったはずなんだけど」
 卯月のやつ、高校に入ってから親交を深めたんだろうか。それにしても、話がいきなりすぎて、傾げる首が一回転しそうだ。
「――くん〜」
「ん?」
 何か、声を聞いたような。
「ゆう〜〜く〜〜〜ん〜〜」
「んな!?」
 僅かにドップラー効果を残して迫り寄ってくる声に当たりを付けて振り向いてみると、巨大な何かが、勢いをつけて飛び込んできた。それが女の子だと理解するのに一拍必要としたせいで、逃げることは叶わず――と言うか、避けたら女の子が机にぶつかるから受け止めたんだよ。僕の運動神経が残念な訳じゃないからね!
「ゆうくん〜」
「まお姉ぇ、いきなり何なのさ」
 僕の胸元に抱きつく格好で猫なで声を出しているのは、佐々木真桜(ささきまお)、この学院の三年生だ。さっきのメールを送ってきた卯月の姉で、まお姉ぇ、ゆうくんと呼び合う程度の付き合いではある。中学時代からの知り合いを幼なじみと呼んでいいのかは微妙だけど、一言で関係を表現するなら、一番的確だと思う。
「ゆうくんの身体、あったか〜い」
「人間は恒温動物だからね。内燃器官を搭載した哺乳類、鳥類と、基本冷血な爬虫類と魚類、どちらも多種多様な種族を残している以上、機能としては一長一短――」
「あにゃ?」
 いかん、小波先輩の思考回路が、脳内を侵しつつある。
「それはそれとして、まお姉ぇ。いつも言ってるけど、日本では、ある程度の年頃になったら、いきなり人に抱きついたりしないものなんだよ」
 海外滞在経験がある訳でもないのに、この一般常識を諭さないといけない理由が未だに分からない。
「え〜、でも、うーちゃん、別の学校だし、甘えられる男の子、ゆうくんくらいしか居ないんだもん」
 ちなみに、うーちゃんってのは、卯月の愛称だ。
「あ」
 まお姉ぇが、甘えるという言葉を使ったことで、ようやく、さっきのメールが意図するところを理解できた。『気を付けろ。甘え期、入った』、ね。
「それにしてもゆうくんの身体は、こう、完成された芸術のようだよね〜。一見するとひょろっこくてゴツゴツと骨の感触ばかりがありそうなもんなんだけど、水泳で鍛えた適度な筋肉の弾力がこの奇跡の抱き心地を生んでるのかと思うと、やっぱりいいものだよ〜」
「軽い辱めっていうか、セクハラだからね」
 僕の方からすると、まお姉ぇの尋常ならざる身体の柔らかさにドギマギしたいところなんだけど、衆人環視のこの状況だと、そうも言ってられない理性が腹立たしい。
「とりあえず、一回、離れて」
「え〜」
 両肩を掴んで、ひっぺがすようにして距離をとった。常々、惜しいとは思っているんだけど、まお姉ぇの純粋さに対して不実なのはいけないと、僕なりの倫理観が働いてしまう。
 小波先輩的視点で見れば、『その制御能力が生物種としての人類の雌雄関係を曖昧にしてる』とか言い出しそうなんだけどさ。いや、あの人なら、『人間だけが据え膳を踏みとどまるのは、若気の至りで後悔した、御先祖様達の怨念が遺伝子に刻まれてる』くらいまで言うかも知れない。
「で、何飲む?」
 現状を総合するに、まお姉ぇは、単に人恋しくなって甘えたくなっただけっぽいから、適当に話相手になってあげるべきだろう。長々しくなるのは目に見えてるから、ここは一つ、腰を据える覚悟でいかないとね。
「あのね〜、私、誕生日、五月五日のこどもの日で、こないだだったんだけど〜。ちょうど立夏と重なってたんだよね」
「はいはい」
 ちなみにこの話題、毎年のように聞いてたりする。
「でも、節分の豆まきで有名な立春と比べると、立夏って凄い地味でしょ? 私、納得がいかないんだよ」
「立秋は、八月頭の暑い盛りで、暦の上で秋になりましたって言うのが、もう風物詩ではあるよね」
 いや、二十四節気の一つなんだから、年に一度の定例行事であることに違いはないんだけどさ。
「立冬も、風が冷たくなる秋の終わりで、それなりに存在感あるし、立夏だけ冷遇がすぎるよね?」
「春うららか、もしくは初夏の風情すら感じるこの五月に冷遇とはこれいかに」
 あんまし、うまいこと言えてない気がしないでもない。
「まあ、一般的な日本の夏は梅雨明けからだから、ちょっと他と比べて感覚的にズレすぎてるのはあるんじゃないかな。大型連休とモロにかぶっちゃってるし」
「こどもの日は男の子の為のものだから、弟も一緒に祝われてるし、お得感が少ないんだよ」
「あれ、でも、卯月の誕生日って、たしか」
「三月三日のひな祭りだよ?」
 ネタでやってるんだろうか、この姉弟。そもそも、五月生まれに真桜だとか、三月生まれに旧歴の四月を意味する卯月だとか、この一家の命名はどこかしらおかしい。
「ゆうくんは、八月二日だっけ? イメージ無いよね〜」
「誕生日の話題になる度にそう言われるんだけど、そこまでかな?」
「だって、あっつ〜いってイメージでもないし、獅子座のライオンって感じでもないじゃない」
「生まれた季節と性格は関係あるの?」
 それを言ったら、血液型性格診断なんかも根拠ゼロなんだけど、無粋すぎるから黙っておこう。
「まお姉ぇは、牡牛座か」
「うん?」
「……」
「?」
 胸元を見るに、牡牛っていうより、乳牛種じゃないかと思ったけど、ぎりぎり踏みとどまった僕は、ゆず先輩より常識的だよね。
「それにしても十二星座って不思議だよね〜。牡羊、牡牛、双子、蟹、獅子、乙女、天秤、蠍、射手、山羊、水瓶、魚って、共通点ありそうでないもん」
「並べてみると、天秤や、水瓶なんて、無生物までさらっと入ってるし。というか、魚って何さ。哺乳類は細かいくせに、対象範囲広すぎでしょうが」
 元が大昔の人の妄想だけあって、責任の所在が曖昧なのが難点だ。
「双子もどうなのかなって、感じあるよね。二人セットは、セーフなの?」
「ううむ。世の中っていうのは、謎が多すぎるね」
 まお姉ぇの発想は、小波先輩とは別の意味で未来に生きてるというか。この二人に付き合うのは、頭の体操という意味でいい刺激になるんじゃないかとか、すごく適当なことを思ってみたりもしたよ。

 後編へ続く


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