邂逅輪廻



「海にいきたーい」
 小波先輩は、今日も平常運転だ。
「藪から棒になんですか。まだ五月なんですけど」
 時たま夏なんじゃないかって暑い日もあるけど、南の島ならいざしらず、近所に海開きされてるところなんてない。
「泳ぎたいんなら、プールでも行けばいいじゃないですか。僕が行ってるところ、一般開放もしてますし」
「別に泳ぎたい訳じゃないのよ。こう、プカーっと浮いてボケーッと太陽と青い空を眺めたいだけで」
 中々、難しい欲求をお持ちのようだ。
「そういうのは、夏じゃないとやっぱり難しいですよ。屋外プールも、今はシーズンオフですし」
「夏に、海や屋外プールに行くなんて、逆に面白みがなくない?」
「食べ物は、旬が一番美味しいですよね」
「うぐ」
 どうやら、一本とれたみたい。
「ん?」
 ふと、思い当たったことがあった。
「まさかとは思いますけど、小波がさざ波に揺られるとか、言いたかった訳じゃないですよね」
「新しい水着、買おうかな」
「全力で目を逸らして、至極普通のことを言わないで下さい。処理に困るんで」
 ちなみに、小波と書いてさざなみと読むこともできるのは、一生の内で使うことは無いだろう豆知識だ。
「話は変わるけど、人に自分が嫌がることをしちゃいけないって言うじゃない」
「たまに聞きますね」
「でも、されて嫌なことなんて、人によってそれぞれでしょ。世の中には、異性に口汚く罵られて見下されるのが大好きって人種もいるみたいだし」
「もっといい例えは無かったんですか」
 どこから何が飛び出すか分からないから油断が出来ない。
「いいこと、悪いことの基準、つまり倫理っていうのは、結局のところ、社会を維持するために設定されてる訳で、人を殺しちゃいけない理由は、そんな殺伐としていたら安定した生活を営めない以上に説得力のある説明はないし」
「まあ、そうなんですけど」
「善悪なんてものは、人が暮らす社会という枠があって成り立つものであって、個人の価値観で決めていいものではない。それなのに、何でこんな言葉が当たり前の様に使われているのか」
「んー?」
 小、中学校と、それどころじゃないやかましさの中で過ごしてきたので、考えたことすら無かった。
「私が思うに、そんなことすら考えたことがないバ――程度の低い子向けに、分かりやすくしたものなのよね」
「今、バカって言いかけましたよね。しかも、マイルドにしてるようで、大して変わってませんし」
 と言うか、考えたことのない僕はその範疇に入ってしまうのか。
「唯、この論法には弱点があってね。他人が嫌がることをしてはいけない論拠を提示していないから、やられることを覚悟すれば、いくらでもやっていいことになっちゃうのよ」
「すごく不毛なんですけど、それ」
「人生の大半は、無意味な争いで消耗するものだからしょうがないよね」
「いきなり、達観した真理が飛び出しました」
 どうしよう、若すぎる僕には反論の術がない。先輩より二つ下なだけだけど。
「んー、甘いもの食べたい」
 言って小波先輩は、気だるそうに立ち上がると、ふらふらとした足取りで出口へと向かった。
「購買かコンビニで何か買おうと思うけど、君はどうする?」
「それより先輩、運動と栄養、足りてないんじゃないですか。しゃきっと動いてるところ、見たことないんですが」
 それこそ、海で遠泳でもした方がいいんじゃないかって話だ。
「自分が言われて嫌なことは、口にしちゃダメなんだよ」
「ん?」
 今、滔々と語った持論を、一瞬で否定する発言があったような。ま、小波先輩だし、大したことじゃないか。僕はそう結論づけると、お供をする為、椅子から立ち上がった。


「この、レアチーズケーキにブルーベリーを粒のまま入れて、クッキーの土台で作り上げた人は天才だと思うのよ。飽きのこない味のコンビネーションに加えて、食感も最高だなんて、奇跡の逸品としか言いようがないわ」
「なんでしょう。凄く普通の女の子っぽいことを言っていることに、一回りして違和感を覚えます」
「君ってば、割と失礼だよね」
「元運動部だからって、無条件で先輩を崇め奉ると思ったら大間違いです」
 小波先輩のこと、人間的には興味あるけど、尊敬の対象かと言われると、割と本気で考えさせて欲しい。
「お、少年。昼下がりに先輩とお茶してるだなんて、隅に置けないねぇ」
「ゆず先輩」
 放課後、学食の脇は、オープンカフェの様なスペースとして開放される。そこに姿を現したのは、今日は制服姿の鳳柚葉先輩だった。
「部活はどうしたんです?」
「今まで補習受けてたから、これから。で、その前にちょっと小腹を満たしておこうかなって。おばちゃーん、いつものよろしくー」
 こんな青春ドラマみたいな台詞を本当に言う人がこの世界に居るとは知らなかった。
「それで出てくるのがカツカレー大盛りっていうのも、どうなんですか」
 昼御飯は食べてるだろうに、これから運動しようって人がおやつ代わりに食べるものだとは到底思えない。
「お腹いっぱい食べておかないと、エネルギッシュに動けないじゃない」
「健啖家よねぇ。一級のアスリートになるには、まず丈夫な内蔵って言うけど、私は到底無理そうね」
「小波先輩の場合、まず、まっとうな食生活と体調管理を考えて、健やかに育とうという意志をですね」
 そのくせ、体型だけは、下手なグラビアアイドル顔負けなんだから、よく分からない人だ。
「あ〜、ゆうくん、何か楽しそうなことしてる〜」
 いや、ここは別に、僕の親しい先輩が集う社交場じゃないはずなんですけど。
「まお姉ぇも、ティータイム的な感じ?」
 午後四時を過ぎたこの時間に、一人は幸せそうにケーキを頬張り、もう一人はガツガツとカツカレーを口にしている。これをティータイムと断じたくなくて、つい、的という言葉をつけてしまった。
「晩御飯もあるし、太るからお茶だけかな」
「まお姉ぇは、食べたもの全部つくものね」
 小波先輩に比べれば、まだ歩いたりして運動してる方なんだろうけど、代謝効率が良すぎる人って居るんだよね。生物としては、飢餓に対応できる、強い遺伝子の気もするけど。
「じ〜〜〜」
「どしたの、ゆず先輩。そんな睨むようにまお姉ぇと小波先輩のこと見て」
「え、何。育つとか、つくとか、胸の話?」
「ダイレクトなセクハラですね」
 割と本気で、扱いに困るのですが。
「まあ、私は二年で、お二人は三年だけどさ。噂くらいは聞いてるよ。三年生の二大巨頭、いや、膨らみは四つだから四大巨頭扱いになるのかな?」
「最低だな、この人」
「これ以上の褒め言葉はないね」
 誰かこの先輩の取扱説明書を下さい。まお姉ぇはキョトンとした顔してるし、小波先輩は興味深そうに見てるだけだし、え、何、僕が制御しないといけないの。
「うう、お二方から見れば、まな板にも等しい私のひがみってものですよ。えーえー。しょせん、弓兵には無用の長物。胸当てが不発達な地方で女が弓を取り扱う時、片方を切り落とさなくてはいけないことに比べれば、現代日本はなんと素晴らしい世界かと」
「……」
 一応言っておくけど、ゆず先輩のそれは、たしかにまお姉ぇ、小波先輩両名から見れば小さい部類だ。だけど一般的な高校生からすると、中の上か、上の下には分類される。世が世なら、闇討ちされることを覚悟しないと出来ない発言と言っていいだろう。
「いやー、ゆずってば、相変わらず面白い子だよねー」
 小波先輩は、物陰から獲物を狙う猫のように極めて低い体勢でテーブルに前のめりになったまま、ゆず先輩を見遣っていた。
「面白いといえば面白いですけど、いいんですか、これ、野放しにして」
「後輩に、これ扱いされちゃった、てへ」
 絶対反省してないな、これ。
「本来、人間なんて生殖能力が完備される十五歳くらいには大人ってことで、発言も人生も、自己責任ってことでいいんじゃない」
「要約すると、私に被害がないならどうでもいい、と」
「そうとも言うかもね。別に私、身体的特徴をどう言われても気にしないし」
「そりゃまあ、小波先輩の外見に文句つけても、負け惜しみにしか聞こえませんしね」
「ひょっとして、最大級の賛辞を受けてる?」
 自覚が無いのか、からかわれてるのか知らないけど、そんじょそこらの人じゃ、小波先輩の見た目に勝てないのは事実だと思う。中身が伴ってるかについては、敢えて触れないけど。
「よく羨ましがられるけど、大きいのって、動きにくいし、筋肉張るし、困ったことも多いよ?」
「概ね、同感ね」
「くぅぅ。朽ち果てるまでに、一度は言ってみたい台詞を、こうもあっさりと。あと、概ねと大胸を掛けるとは、何たるさりげなさ」
「朽ち果てる前だったら、むしろ大分しなびてると思うんだけど」
 詳しくは無いけど、ガールズトークって、こんなものだったかなぁ。絶対に違うと思うんだけど。
「いやさぁ。私もこう見えて水橋先輩のことは、一目置いてるんだよ。穏やかな物腰から溢れ出る無限のインテリジェンス。そして女性的魅力に満ちた風貌。この二つを持ち合わせるなんて、天賦の才って言っていい領域だから」
「まあ、それはたしかに思いますけど」
「つまり、知的で痴的ってことよ!」
「そんなオチだとは……」
 一瞬、同意しかけた自分を殴りたい。
「ほー」
「小波先輩も、うまいこと言ってるなぁって目で見ないで下さい。図に乗りますから」
「ねーねー、今の結局、どういう意味〜?」
「まお姉ぇは理解しなくていいの」
「んー、つまり頭が良いって意味の知的と、エロいって意味の痴的を――」
「ゆず先輩も、よその子に余計なこと吹き込まない! 天然記念物的天然さんなんだから!」
「おー、君もうまいこと言うね」
「うむうむ。こんな若者が育っているとは、吾輩も安心して隠居できるようじゃ」
「この空気、何なのさ」
 その内、周囲の生徒から、おひねり投げられるんじゃないかって思えてきたよ。
「でも、ゆうくん、高校入ってから楽しそうだよね〜」
「まあ、楽しいって言えば楽しいけど」
 こんなにもツッコミに腐心する日々を送ることになるとは、想像もしてなかったよ。
「お、少年の過去とか、ちょっと興味あるね。男子中学生といえば、そりゃもう、色々とアレでしょ?」
「男子中学生に対して、どんなイメージを持ってるんですか」
 実際問題、その想像通りでそんなに間違ってないのが難点ではあるんだけど。
「ゆうくんは中学入った頃は引っ込み思案でね〜。私の弟のうーちゃんと仲良くなるまで、あまり友達居なかったんだよね〜」
「さらりと、人の過去を暴露するのはどうなのでしょうか」
 まお姉ぇの場合、悪意が全く無いというのが、判断をややこしくしてくれてると思う。
「聞きましたか、アネさん。あの子、ちょっと昔の彼を知ってるからっていい気になってますよ」
「まったく、どうしようもない話ね」
「え〜」
 ゆず先輩の悪乗りはともかく、小波先輩に関してはアネさんという呼称が気に入っただけだろうから、深く考えたら負けに違いない。
「でも、そうなってくると、ステンレス鋼の様な硬度を誇った少年の心の扉を開いた、うーちゃんってのにも興味が湧いてくるね」
「そこまでじゃないですよ。ちょっと人見知りだったってだけで」
 何か、変なドラマとか妄想してそうだ。
「うーちゃんはね〜、すっごく大きくて力持ちなの〜」
「具体的に言うと、百八十半ばの身長で、筋肉付きまくってます。町で会ったら、意識せず道を譲る程度には威圧感ありますね」
 言って、携帯を取り出して、卯月の画像を見せた。これで僕と同じ十五歳ってんだから、不平等な話だと思う。別にこうなりたいって訳ではないけど。
「何か、マッチョメンな自分に酔ってそう」
 小波先輩の偏見は、華麗に流すとして。
「ちょっと待って。この姉の、弟の話だよね?」
「姉か兄が居ないと、弟は成立しませんからね」
 何だ、この安定感に欠ける会話。
「並んで歩いたら、犯罪臭がしない?」
「ゆず先輩は、本当に失礼だな」
 敬語を使うのを忘れちゃうくらい素で応対しちゃうってものさ。
「私はね〜、うーちゃんが大好きだから、休みの日は一緒に買物とか行ってもらうの〜」
「考えようによっては、お嬢様を護衛するセキュリティーサービスに見えなくもないか」
 そろそろ、鳳家に、このお嬢さんの教育方針を問いただしたくなってきた。
「まあ、弟とか妹って可愛いもんなのかもねぇ。うちのバカ兄貴も、微妙に妹離れしきれてない感じだし」
「古武術継ぐっていうお兄さんですか?」
「うん、名前は揚羽(あげは)って言って、こっちのも、身長百八十くらいで大きいよ。体重は百キロ以上、体脂肪率三十パーセント超」
 こっちはこっちで、特徴的な身体してるなぁ。
「これで二十歳にして、うちの秘伝、かなり修めてるってんだから、世の中分からないよね」
「でも、その脂肪の厚さなら打撃系には強そうだし、組み技が得意っていうなら、格闘家辺り目指せるんじゃない。よく知らないけど」
 よく知らないことを口にする小波先輩のメンタルに乾杯。
「あー、無理無理。あれは怠け者で、全然スタミナないから、一ラウンド三分戦ったら、それだけでマットに沈むね。本気で逃げまくったら、私でも勝ち目あるくらい」
「いびつな後継者ですなぁ」
 今からでも、ゆず先輩が習得始めたらどうだろうか。
「何は、ともあれ」
 今日も、玉藻学院には穏やかな空気が流れていた。うん、やっぱり、この雰囲気は嫌いじゃない。この三人を御するのはもう諦めたけど、それはまあ、御愛嬌ってことで。
 そんなことを思いながら、みんなの飲み物のお代わりを持ってくる為、席を立ち上がった。


 了

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