「む〜……」 自室の勉強机に座り込んで物を考えている内に、唸り声の様なものが漏れた。少しくらいは楽しいことを考えようとも思うのだけれど、結局は事件のことに終始してしまう。老若男女を無差別に狙う連続通り魔事件。死亡、重体、重傷者は出ていないものの、二ヶ月で十三人という数は警察に本腰を入れさせ、厳戒態勢とも言える緊張状態を街に生み出してくれた。だけど、今のままでは逮捕、立件までには至らないだろう。一つは、犯人が二人組であるということ。片割れが精霊である以上、その線から犯人に辿り着くことは難しい。そしてもう一つが凶器の問題。あの切断能力は男の霊的素養が具現化したものだ。自然科学全盛の現代に於いて、証拠として認めてくれる大人は殆ど居ないだろう。まあ俺としては、法的な問題はどうでも良い。この街に平穏な空気を取り戻す為に、脅しを入れてでも奴の暴走を止める。そう決めたはずなのに、何故だか落ち着かない。原因の分からないことが更に苛立ちを募り、行き所の無い遣る瀬無さを、指先を小刻みに動かすことで発散させた。 「ふんっ! フンッ!」 「あー、お茶が美味しい」 うちの精霊二人は能天気なものだ。トミーの方は筋肉マスターを目指すとかで、日々ダンベルやらゴムチューブやらで全身を鍛えている。外見を自在に変えられるんだから必要無い気もするんだが、本人がそれで満足なら放っておこう。一度、押入れで深夜になっても延々と繰り返し続けて、俺と芽依でタコ殴りにしてやったこともあるが、まあ笑い話だ。一方の芽依は、ベランダに座布団を持ち出して、正座でお茶なんか啜ってる。半分居候の身分で、縁側が無くなっていく日本の住宅事情に愚痴を溢す猛者だ。この図々しさに関しては学ぶ部分が多い。主として反面教師だけど。 俺の霊的容量では、この二人を同時に従えることは難しい。今の様に、日常生活程度ならともかく、戦闘的な状況にまでなると、かなり厳しい。ギリギリ何とかならないことも無いが、俺自身の動きも極端に制限される為、実用的じゃない。結局、臨機応変にどちらかを呼び出すというのが常になっている。 「Oh、Boss。見てくれ、この筋肉の艶を。やはりパンプアップ直後は張りが違うぜ」 差が今一つ分からない俺はド素人だ。 「雅人さんや。あなたもお茶を一つどうですかね」 そしてお前は何処の茶飲み婆さんだ。 「冗談はさておき」 笑うタイミングが恐ろしく難しい訳だが。 「今日は日も照って暖かいから、ベランダも悪くない」 「相変わらず、猫みたいな奴だな」 物心付いた時には傍に居たトミーとは違い、芽依は去年、俺がまだ中学生の時分に拾ってきた。生前は猫だったんじゃ無いかと思う程に行動が猫っぽいのだが、未だに裏が取れず立証はしていない。まあ、証明する必要性があるかについては疑問が残る訳だが。 「あ、本当に暖かいな」 布団から抜け出すのが億劫になるこの時期、昼下がりの日光は実に有り難い。この乾燥した時期にこそ切干し大根や干し柿の大量生産を――する訳が無い訳だけど。 「こういう日和には、やっぱり明太胡麻煎餅」 お茶請けが限定されすぎている気がするのは俺だけではないはずだ。 「ふう」 別段、性急に消化すべき話題も無いので、お茶を頂きつつも、小さく息を吐いた。しかし、自宅とは言え、ベランダに中高生と思しき男女が正座して茶を飲んでるというのは、絵的にどうなんだろうと思わないことも無い。 「雅人、何か難しい顔してる」 「まあ、な」 どう巡っても、考えるのはあの二人組と風花のことだ。考えるだけでは堂々巡りで、意味が無いのは分かっているつもりなのだけど。 「私は、雅人が間違ってるとは思わない。風花が間違ってるとも思わないけど」 「さいですか」 あくまで中立というか、何処を歩いているかも分からない芽依の言うことだ。話半分に聞いておかないと身がもたない。 「結局、精霊は何処まで行っても精霊で、人間になれる訳じゃない。でも、こうやって物を食べることが出来るし、感情も遜色無い。具体的に何が違うかと言われても返答に困るくらい」 姿を自在に変えられるのは、勘定には入れていないらしい。 「じゃあ、何の為に存在してるのかを考えるけど、それは割と簡単。人も精霊も、心を埋める為に生きてる。それが命に直結する欲求である人も居れば、世俗的な名声なのかも知れない。でも、どれにしても自分を満たす為の手段であって、そこに貴賤は存在しない」 「Hoo。つまり俺の筋肉王になるって望みは、事務次官になるってのと変わりは無いってことだな」 混ぜっ返すな、筋肉大魔神。 「まあ、私みたいに何の為に現世に残ったのか忘れるのも居る訳だけど」 自分で話の腰を折るとは、素人には真似出来ない荒業だ。 「詰まる所、何が言いたいかと言えば、雅人はあの二人のことを良く知らない。そして、事情を知らないままにあの子を浄化しても、雅人の心は埋まらない。そこが風花との決定的な違い」 パリッと煎餅を前歯で割りつつ、的確に現状を分析してくれる。こいつ、のほほんと生きている様でたまに鋭い。これが噂の野生本能か。 「HA。それにしても奇怪な事件もあったものだな」 「そうか?」 まあ、数はかなり多いし、日本では珍しい部類だとは思うが。 「十三の事件、全てに於いて犯人は雑木林に逃げ込んでるとは、異様と言って差し支えないぜ」 「……ナンデスト?」 慌てて地図を広げ、事件の発生地点を再確認する。たしかに、奴らの出没地点こそ町内全域に渡りバラバラだが、逃げ出す方向は一様だ。もちろんこんなことくらい警察も気付いているだろうが、この周辺に潜伏していると踏んでいる程度だろう。雑木林を含んだ県立公園そのものに着目出来るのは、ここまで追い込んだ俺らだけの視点だ。 「気付いてたんなら言えよ!?」 「HAHA。Bossともあろうものが迂闊だった様だな」 こいつの戯言に付き合ってる場合じゃない。デスクトップのパソコンを立ち上げると、この町関連の記事を検索する。更に県立公園周辺に範囲を縮小すると――。 「あった!」 それは、二年前の地方版に小さく載っただけの記事だった。 『高校生カップル、通り魔に刺され死傷。昨日午後七時頃、付近を散策中の男子学生(17)と女子学生(16)が何者かに刺された模様。女子学生は病院に運ばれるもまもなく死亡。男子学生も意識不明の重体。犯人は未だ逃走中の為、警察は充分な警戒を呼び掛けると共に――』 たしかに、この事件はあった。俺は当時中学生でこの近辺に寄らなかったから、寄り道をせず、極力集団で登下校する様に言われた程度で、そこまでの関心事では無かった。その後、この事件がどうなったかは知らないが、このカップルが通り魔になったのだとすれば辻褄は合う。彼女を失った男がその霊と共に、復讐として辺り構わず――。 「でも、どうして今なんだ……?」 二年も前、というのは部外者の感情かも知れないが、それにしてもこの空白は釈然としない。 「詰まる所、雅人は何も知らないっていうこと」 全く以ってその通りだ。俺は自分のことさえ理解していないことに呆れ、小さく溜め息を吐いた。 聞き込みで得られる情報には限界がある。警察官でも探偵でも無い俺には後ろ盾も無ければノウハウも無い。それに噂が噂を呼んで、どれが真実であるかは判然としない。確実らしいことと言えば、男子高生の名前が、 「地縛霊ってのも、当初は何らかの未練で憑いてたりするんだが、その内、場そのものに執着するようになって、成仏する機会を失ってるってのが俺の見解だ」 「Hoo、Hoo、Hoo。タメになりそうでならない豆知識だぜ」 前々から思っていたが、たった今、確信した。こいつは、バカだ。真性で、生粋で、混じりっけ無しの大バカだ。 「まあ、与太話はさておいてだな。とっとと見張りに戻りやがれ」 「HA。人使いの荒いBossは嫌われるぜ」 「そう思うんなら、仕事を速やかに片付けて残業をしない努力をしろ」 と言っても、実の所、大したことをやっている訳では無い。雑木林に、俺、トミー、芽依、三人を適当に配置して、奴らが現れたら合図をするという至極単純な作戦だ。不確実ではあるが、夕刻に集中する犯行時間とペースから考えて、数日粘れば遭遇出来る可能性は高い。 「あーあー。こちらイーグル」 「意味不明なコードネームはやめろ、時間の無駄だ」 どいつもこいつも、バカばかりか。 「件の二人組発見、どうぞ」 「――! 了解。今すぐ向かう」 精霊と精霊士の間に、念ずれば通ずなどという便利な意思疎通手段は無く、今の遣り取りはトランシーバーだ。それも子供が使う玩具に過ぎない。携帯を二つ三つも持つ経済的余裕は無いので、こういう場合は重宝する。持つべきものは、物を大事にするお袋ってことなのかも知れない。 「芽依、今、何処だ」 「いつでもあなたの後ろに」 「その言い回しは怖いわい!」 普通に喋り掛けられないのか、お前は。 「ここは、遣り過ごすぞ」 「捕まえないの」 「この俺が、全くの無策でこの場に居ると思っているのか」 「思ってる」 お約束に傷付きそうになるが、ぐっと涙を堪え、奴らの後を追う。トミーに仕込みは任せてある。あとはタイミングを見計らって――。 「Hoo! Noo!」 トミーが紐を引っ張ると同時に、地面が浮き上がった。いや、正確には道に仕掛けた網を持ち上げたのだ。奴の切断能力は限りなく日本刀的だ。つまりは、対象に触れた瞬間に引くことで切り裂くことが出来る。まともに動くことが出来ない網の中なら、恐れることは無いはずだ。 「よしっ、これで――」 途端、二人組は音も無く姿を消した。な、なんだと。一体、どういうことなんだ。 「うーん、これは摩訶不思議」 完全に他人事モードの野良猫はさておいて。 「女の子が、消えたのは分かる。あの子は精霊だ。だけど男の方までってのは……」 どういうことなのか、訳が分からなくなる。通り魔にやられたカップルの内、男の方が生き残って精霊士となった。その仮定が覆されて、頭の中が混乱した。 「二年前の通り魔事件。当初の報道で死んだのは女の子だけだとされたけど、実際は一週間の昏睡状態の後に、男子高生の方も亡くなってる」 芽依が奴らを発見した方向から、風花が現れた。成程、こいつが追い遣って湧いた訳か。 「今の話は、本当なのか?」 男も死んでいたんだとすれば、地縛霊というか、野良精霊の類になる。だけど、それだと二年のブランクが尚のこと説明出来なくなる。死んだ直後から出ていて良いはずだ。 「知り合いの看護師と刑事に聞いた話だから間違いないはずよ」 分からない。だったら、一体、誰が糸を引いていると言うんだ。 夏の盛りであれば頬を撫でる優しい風も、十二月の寒空では身に染みる。だけど今の俺には、心そのものに触れられるかのように、何処までも残酷な一薙ぎだった。 後編へ続く |