現状を、把握しておこう。俺らの町に現れた無差別連続通り魔事件の容疑者を確保する為、俺と風花はそれぞれに犯人と思しき二人組を追っている。俺はそれを、二年前に県立公園で通り魔に死傷させられたカップル、篠崎淳、飯原早苗両名だと踏んでいたのだが、二人ともが刺殺させられていたことで破綻する。理由は幾つかあるが、一つは二年間という空白。単純に世間への復讐が目的であるのであれば、事故直後に現れるのが道理だ。まあ、それは何とか説明が付くとしても、最大の障害がある。それが、精霊は精霊士になれないということだ。男の方の霊的な能力はそれなりにあると言っていい。霊場として恵まれているとは言えないこの県立公園とその周囲で力を発揮出来るというのは、精霊士に従属しているとみて間違いない。もちろん、天賦の才として高い能力を備えている奴も居るには居るが、それはあくまで燃料タンクが大きいと言うだけで、エネルギーの出所は変わらない。これだけ安定して活動している以上、その線は消して良いだろう。 「精霊士、か……」 それが分からない以上、あの二人組を幾ら追い詰めても何の意味も無い。理屈の上では、奴らからそう離れていない所にいるはずではあるが、もしも有効範囲が数百メートルにまで及ぶと、その中には学校や大きめの病院も入る。犯人の特定は、振り出しに戻ると言って良いだろう。 「せめて、何か手掛かりでもあれば――」 ボヤキが漏れた所で、ふと気付く。二年前の事件で、当事者と言える人間はもう一人居る。つまりは、犯人だ。あの記事は事件発生直後のものだったし、この近所の聞き込みでも、今一つはっきりとした話を聞いた記憶が無い。何でだ。何でそんな肝心な情報が抜け落ちてるんだ。 「俺、ちょっと図書館行ってくる」 今の時刻は、午後五時になるかならないかだ。市立図書館は六時まで開いていたはずだから、ギリギリ間に合うはずだ。 「行く必要は無いわ。新聞なら、一通り調べたから」 風花にそう言われ、足が止まった。地方紙か、地方版。それらを漁れば何かヒントを掴めるかと思ったけど、既に実行済みだったようだ。 「犯人は、どうなったんだ?」 単刀直入に、本丸へと切り込んだ。そのことは予期していたのか、風花もまた澱み無く言葉を返してくる。 「事件の半月後に捕まったけど、名前や素性については分からなかったわ」 「は?」 何を言っているのか、分からなかった。おいおい。こんな状況で下らない冗談は――。 「……待て」 容疑者が捕まって、名前が公表されないことは往々にしてある。政治的な理由で隠蔽されることも稀にあるが、最も身近なのは未成年者の犯行であった場合だ。この国には、少年法がある。二十歳に満たない者がどの様な大罪を犯そうと、実名で報道されることは無く、同時にそれだけで酌量を検討される。その制度の是非はさておき、現実問題として俺ら一般人に情報が降りてこないのは事実だ。厄介な壁ではあるが、同時に一つの情報を与えてくれる。 「二年前の犯人は、未成年だったんだな?」 「正確には十四歳の少女よ。子細についてはさっきも言った通り不明。憶測だけだったら下卑た週刊誌辺りに書いてあったけど、結局、動機についても未公開のままよ」 「少女……」 少し、思い出した。たしかにそんなことはあった。俺らと同学年か、或いは一つ上の女の子が起こした事件ということで、随分と話題になったものだ。だけど、中身については流言飛語で、信頼に足るものではなかった。結局、他校の事件ということもあって、瞬く間に沈静化して、記憶の奥底に封じ込められた訳だ。 「俺らと、年も殆ど変わらないってのに」 割合、危ない橋を渡ってきたこともあるつもりだが、人を刺し殺すということは想像が付かなかった。それも二人ということは、明確な殺意があったってことだ。そうでもなければ、年上二人を相手にするなんてことは出来ないだろう。 「それで、これからどうするの?」 風花に問い掛けられて、はっと気付く。策は、無い。二年前の刺殺犯が精霊士だというのはあくまで可能性の一つで、この近辺に居る全ての人が容疑者である現状は変わらない。せめて、もう少し狭めないとどうにもならないのだ。 「その件に関しまして、僭越ながら御意見が」 敬う気のまるで無い、わざとらしい敬語で提案された芽依の作戦は、割合、理に適ったものだった。 この季節になると、宵闇の風は冷たく鋭い。耳を切り裂かれるかの様な寒風に首をすぼめつつ、一人の女性が裏道を闊歩していた。すらりと伸びたしなやかな身体付きはそれだけで艶めかしくもあり、すれ違う人の目を惹くものだ。そんな彼女の後を追う様にして、フードを被った少女が付いていた。いや、或いは小柄な少年なのかも知れない。それ程に、明確に性差を強調する特徴は目に付かなかった。 瞬間、少女は駆け出すと、女性の右脇を走り抜けた。同時に、ザンッという布を断ち切る音が響き、女性の袖の切れ端が舞った。けれども、血は一滴として流れ出さなかった。そのことを不審に思ったのか、慌てた感じで少女は振り返り、女性を見遣った。すると見る見るうちに肌は色付き、全身が隆起を始めた。見紛うこと無く、トミーその人だった。 「Hoo。俺の筋肉を傷付けるには、踏み込みが足りないぜ」 そう。精霊は外見を自在に変えられる。考え様に依っては、囮としてこれ以上に有用なものは無い。美人のお姉様がこいつへと変貌していく映像的衝撃にさえ耐えられればの話ではあるが。 「HAHA。出来ることならこの役回りはこれっきりにして貰いたいものだぜ」 とは言え、この技は物凄く便利だ。今後も使えることがあれば使わせて貰おう。 「さて、逃げられないぜ」 この子を追い詰める為、わざわざ壁が高く、幅の狭い一本道を選んでいた。向こう側からは風花と芽依が少しずつ間合いを狭めている。空でも飛べるならいざ知らず、この状況で逃亡の手段などあろうはずは無い。 「くあぁ!」 途端、少女は奇声を上げると、風花と芽依の居る方へと足を動かした。女の子二人の方が与し易いと考えたのだろうけど、甘い。純粋な戦闘能力だけなら、あっちの方が大分上だ。 「野良猫の 芽依の一声と共に、少女はその場に蹲り、両耳を塞いで倒れ込んだ。何のことは無い。音というのは、空気の振動だ。極端なことを言えば、耳の内部を少し振るわせるだけで、本人にとっては耐え難い大音量となる。しかもそれが生理的に嫌悪感を示すものであればどうなるか。俺も怖いもの見たさの感情で聞いたことがあるんだが、ガラス戸を爪で引っ掻くのと、発泡スチロールを擦り合わせる音を何倍にもして増幅させたというか。いずれにしても二度目は御免こうむる。そんな音だ。 「あうあ……」 幾ら強く掌を押し当てようと、何の意味も無い。芽依が震わせているのは、耳鼻科的に言う外耳の最奥、鼓膜の手前付近なのだ。詰め物でもして、全ての空間を塞いでしまえば或いは可能かも知れないが、そこまで頭も回らなければ、適当な道具も無いだろう。四人でじりじりとにじり寄り、完全に拘束する為、タイミングを窺った。 「ぐがぁ!」 最後の悪足掻きか、少女は狂った様に左手を風花に突き出した。風花はそれを事も無げに揚羽の切っ先で振り払うと、そのまま肩口を――。 「――!」 小さな亀裂音がした。それに呼応するかの様に、風花は飛び退いて間合いを取った。見ると、鞘の先端にヒビが入っている。ちょっと待て。じゃあ、あの左手は――。 「掠っただけでこれじゃ、まともに攻めない方が良さそうね」 「音量を上げれば事足りる」 「発狂させると面倒だから、現状維持でお願いするわ」 「了解」 二言三言、言葉を交わすと、風花は構えを解き、揚羽の切っ先を下方に向け、正対した。いわゆる、無行の位である。攻防一体を目的としているとされるものだが、何を思ってのことかまでは理解しえない。 「きゃけぇ!」 再び、少女は左手を剣とし、風花に襲い掛かった。あの左手は、通り魔の男が持ち合わせていたのと同じものだ。まともに切り結べば、揚羽と言えど寸断されてしまう恐れがある。 「天竜一伐流秘技―― 刹那、一つの衝撃音を残して、少女は壁まで弾き飛ばされた。一瞬、何が起こったか分からなかったが、風花の胴付きで吹き飛ばしたものだと理解する。 「触れるのが嫌なら、相手より先に叩き込むだけ。至極単純なことよ」 そりゃ理屈から言えばそうだが、明らかに初動で劣る無行の位から狙うか? まあ、一見すると隙だらけにも見えるものだから、素人相手の誘いには良いのかも知れない。半歩間違えば自分がズタズタにされるリスクを考えれば、俺には到底真似出来ない戦法ではあるけどな。 「とにかく、これで一先ずは――」 「えっぐ……えっぐ……お兄ちゃん……」 嗚咽に混じって聞こえたその小さな呟きが、何故だか心に焼き付いた。 後日、取材に来たという新聞記者と知り合い、口外しない約束で情報を交換した。何でも、二年前の刺殺犯は、篠崎淳の妹、 「二年の空白は、家裁での裁判期間と、少年院に送致されていた分だそうだ。両親は離婚して家族がバラバラになって、彼女自身も一人、違う町で暮らしてる。だけど兄との思い出が詰まったこの町が忘れられず舞い戻ってくる内に、精霊士としての素質を開花させ、兄とその恋人を使役することになった。そして理解を拒む世間への復讐として通り魔になるも、それだけでは満たされず、死して尚、共にある二人を引き離す様に、兄の力を取り込んだ、か」 篠崎家の墓と掘り込まれた石に手を合わせ、両目を瞑って一礼した。近くには、飯原早苗の眠る墓もある。そっちにも花を添えないとな。 「法律がどう裁くかは分からんけど、これで一件落着だな」 「ええ。彼女が持っていた霊的素養は、全て浄化させた。今後どう生きるかは彼女自身の問題だけど、とりあえず悪さは出来ないはずよ」 墓参りに行かないかと誘った時、風花は特に考えることも無く同意した。もしかすると、事が終わったら参ろうと思っていたのは同じだったのかも知れない。俺は飯原家のそれにも花を置くと、静かに手を合わせた。 「ねえ。人って死んだら何処に行くのかな」 不意に、小さな声でそう問い掛けてきた。 「仏教思想で、生命は輪廻転生する。神道思想では、黄泉の国へ行き、二度と帰って来ない。現世に留まる精霊は、肉体の無い人間だと解釈するにしても、その後は結局、誰も知らない。私が揚羽をやたらと振るわないのは、戒めもあるけど、単純に怖いっていうのもあるの。無知は時として刃になるとは言うけれど、それは科学に限ったことじゃない。知らずに浄化するっていうのは、業を背負っていくことなのかも知れないわ」 元々は友達の敵討ちで追っていた風花だが、行き着くところは同じだったらしい。何も知らず、唯、力で道を開いても、得る物は無い。人は人を知ることでしか、生きる術を得られないのかも知れない。 「にしても、腹減ったな。何か食べてくか」 「奢ってくれるなら構わないけど」 「ラーメンくらいならな」 「Hoo。気前の良いBossを俺は愛してるぜ」 「冷麦食べたい」 「ええいっ! 呼んでも居ないのに湧いて出るな! ってか、十二月に冷麦なんか出す店があるかっ!」 探せば割とあるのだろうけど、とりあえず俺自身は食べる気になれない。 「ふふっ」 珍しく、風花が破顔した。ああ、もう何だかこれだけで良いや。ややこしい協議は精霊二人に任せることにして、俺は青空を見上げると、思いっきり息を吸い込んだ。
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