「うがあぁぁ! 意味分かんねぇ!」 結果として、丙に見逃して貰った俺は、何とか家まで辿り着いた。だけど、シーベルである可能性を否定出来ない故の行動は、俺の感性では消化しきれず、行き場のない感情は叫び声となって口から漏れた。 「まあまあ、生きてて良かった」 だから、藍君。俺の命を狙ってる奴がその台詞を言うな。 「で、でしたら〜、丙さんにレアリテートだと確定されて、殺されちゃった方が良かったんですか?」 「いや……そーゆー訳でも無いんだが」 な、何か、俺が物凄く我が侭なだけの空気になってないか。こ、この疑問、変じゃないよな? 「そしてこの状況で、母さんは不在って、どういうことなんだ!?」 海菜と弥生姉が帰宅した時点で、家に残されていたのは、『旅に出ます。探さないでね♪ 母より』という、実に簡素な書き置きだけだった。何か、カラーペンを複数使って、随分と凝った装飾文字になってたりもするんだが、今は突っ込む気力さえ湧かない。 「お袋はうちで一番、如月の血が濃いからな。私でも手に負えんのだから、祐哉にどうこう出来る訳無かろう」 うーん。何という絶妙な説得力だ。頭の中の冷静な部分が目を覚ましてしまったぜ。 「こうなったら、父さんに電話を――」 「相当に無駄なことが好きな様だな。親父は、如月家の婿だぞ。何も知らない公算が強く、仮に何かを掴んでいようと、口にする勇気があると思うのか?」 神様。俺、絶対に婿養子にだけはならないってここに誓うよ。 「とりあえず、御飯にするにゃ」 「お姉さん。何で、そんなに冷静なんですか」 この、ダメ猫め。この状況で飯の話だと。食材のまま口に放り込んでくれようか。 「うーん。やっぱり、夕方のニュース番組は、演出の参考になるよね〜」 「海菜! お前はお前で、いつも通りの生活を送るな!」 かくして、俺の周囲は、良くも悪くも普段と同じ日常であったのだった。 『ホゥホゥ』 何の役にも立たない知識だが、俺の家の近くには、フクロウが住んでいる。あいつら、愛嬌のある顔をしているが、れっきとした肉食で小型の爬虫類や鳥類を捕食するハンターだ。笹を食って人気者だけど、結局は熊であるパンダより格上と言えるだろう。俺ルール準拠だけど。 俺も、そんなフクロウの如く、食うか食われるかの一大抗争に巻き込まれてしまった訳だ。ここは、冷静になって対策を練らないといけない。はっきり言って、うちの女共は、何の役にも立たないので、頼れるのは己のみということだ。 とりあえず、家中を歩き回り、電波が一番弱いところを確認する。うむ、どうやら父さんの書斎が絶望的な環境の様だ。線の一本も立ちやしない。家族だけじゃなく、電波にまでないがしろにされてるなんて、大したものだぜ。 「父さん、俺、今日、書斎で寝るからな」 「んあ?」 快く同意を頂いたところで、布団を持ち込んだ。配置的に、この部屋の向かいでバカ猫三姉妹が屯しているから、異変があれば幾らなんでも気付くだろう。問題は、窓から強引に入ってこられることだけど、ここは二階だし――。 「……丙さん。あなた、何処から入ってきたのですか?」 背後から首筋に薙刀をあてがわれ、戦々恐々としたまま問い掛けた。電波を利用して、この部屋へ直接出現することは不可能だ。となると、二つの窓か、或いは扉から入ってこないといけないのだけれど、窓の方は雨戸まで閉めてガッチリガードしている。考えられるとすれば、堂々と正面から入ってきた可能性だが――。 「三食娘達なら、満腹で熟睡中だ」 使えねぇ。奴ら、何処までも、使えねぇ。 「んで、俺の素性は分かったのか?」 首を獲る気なら、こんな警告をせず、すぐさまやれば良い。警告してきたということは、何らかの接触を必要としているということだ。 「当局に問い合わせてみたが、さっぱり分からん。貴様、本当にこの世に存在しているのか?」 酷い物言いだ。戸籍が無ければ人ではないと言われた気分だぜ。 「ついでだから、俺に対しての抹殺指令も問い合わせて欲しかったな。どうせ、他の誰かと勘違いって話だろ」 「生憎、貴様の抹消レベルが特級である現実は覆らん。大抵の資料は、最終的に貴様へと結び付く」 何という無茶な話だ。俺、本当に何かしたっけか。 「一つ聞いて良いか?」 「何だ」 「お前ら、何で、俺達レアリテートを狩るんだ?」 以前、あの三バカに聞いたことがあるが、要領を得ないものだった。バカの程度は同じにしても、知っている可能性はある。 「上からの命令だ」 「……」 何だか、幼少の頃、教師が決めたルールを守らせようとしたら、『お前、先生が言うなら死ぬのかよ』って言われたのを思い出すなぁ。 「オーケー、オーケー。少し、話題を変えよう。個人的な見解で良いんだが、何の為に狩っているかを聞かせて貰いたい」 「さぁな。資源保護の為の調整か、或いは利権組織が存在するか。どっちにしろ、私は興味が無い」 段々と、自分が害獣か家畜なんじゃないかと思えてくるぜ。 「貴様と、下らない話を延々とするつもりはない。ついて来て貰うぞ」 「は、はい? 何処にですか?」 「私達の世界にだ。連行許可を取り付けてきた」 「げげ」 これは、正直なところ、かなりヤバい状況ではなかろうか。 「ちなみに、断るとどうなる?」 「そうだな。死なない程度に痛め付け、動かなくなったところを引き摺っていくとするか」 尚、俺には何だか良く分からない防御機構が働いているので、殺すつもりで掛かってきても簡単には死なない。だからこそ、こんなややこしい状況になってる訳だけど。 「どちらにせよ結論は一緒なのだから、素直に連行されろ。私は余計な体力を使わずに済み、お前も痛い目を見ない。二者一両得という奴だ」 そんな言葉、あっただろうか。微妙な話で、どうにもピンと来ない。 「つっても、俺が次にどうするかは分かってるだろ」 「ああ、残念なことに、な」 その言葉を聞くと同時に、俺は身を捻って屈めると、丙の足元を通り過ぎて扉へと駆け込んだ。瞬間、薙刀の斬撃が後頭部を直撃する。充分な体勢を作れていない為、深い一撃とは言い難いけれども、それでも痛いものは痛い。だけど、これだけ騒げば誰か駆けつけてくれるはずだ。他力本願は癪だけど、一人でどうこうできる状態ではない。 カチャリ。扉を開ける音がした。 ほうら見ろ。こういう時、援軍は遅れてやってくるものなのさ。 「……?」 そこに居たのは、寝巻きの浴衣を着こなす、中年とも青年とも言い難い男性――つまりは俺の親父だった。状況を判断しているのか、床に這いつくばったままの俺を見詰めたまま、数秒が流れた。 「おふぅ」 おふぅ、じゃねぇよ、父さん。 「――はっ!?」 今度は、丙の方を見遣ると、何やら奇声を上げた。な、何だ? まあ、見ず知らずの薙刀を持った女の子が、いきなり自分の家に湧いた訳だから、驚くのは分からんでも無い。だけど、あの三姉妹を平然と居候させる人間が、今更、この程度で動揺したりするだろうか。 「母さん!」 「だあぁぁ! 訳分からないボケを噛ますんじゃない!」 思わず、立ち上がって、素でツッコミを入れてしまった。 「母さんじゃないのか?」 この年でボケられると非常に困る訳だが、幸か不幸か、これが素なのだ。 「良く見ろ。明らかに俺と同世代だぞ。幾ら母さんが若作りと言っても、隔世の感は否めまい」 本人が旅に出ていると思って、俺も言いたい放題だぜ。 「祐哉。全て聞かせて貰ったぞ」 「弥生姉、居たのかよ!?」 それにしても、一応は年頃の姉貴が、ダボダボのシャツを着て銜えタバコをする様は、何というか、恥ずかしい。 「海外留学を決めたそうだな。姉として応援させて貰うことにする」 「父娘揃って、どういう脳神経してるんだ!」 もういやだ。普通の人生を送りたい。 「おい。その男、貴様の父親か?」 「すいません。恥ずかしい親父でして」 何で丙に対してまで低姿勢になってしまうのか、俺にも今一つ分からない。 「何故、シーベルがここに居る?」 「はぁ?」 こいつは一体、何を言っているんだ。バカだ、バカだと思っていたが、脳までヤラれていたとは、悲しい話だ。 「答えろ! シーベルがお前の父親とは、どういうことだ!」 ど、怒鳴らなくても良いだろ。つうか、これだけ騒いで、駆けつける気配が無い野良猫三匹は、一体、どうなってるんだ。 「で、父さんがシーベルだって?」 たしかに、変わり者の度合いで言えば、シーベル並だろう。弥生姉も大差無いけど。 「ふふふ。うちのお父さんが近所でも評判の変人だっていうのは、奥様方の定説よ!」 すいません。海菜もカウントしておいて下さい。 「……」 そんなバカな家族漫才を黙殺し、丙は舐める様に俺達を見定めしていた。な、何だ。そんな珍しい造形をしてるつもりは無いぞ。 「気が変わった。お前を連れて行くのは、次にする」 「ど、どういった風の吹き回しですか」 「また、調べなくてはいけないことが増えたからな」 そう言い残すと、カーテンを開け、窓を開け、雨戸を開けて飛び降りた。どうでも良いけど、いそいそと三つも障害を取り除く様は、微妙に愛らしいぞ。 「お友達は、お帰りか」 父さん、何処の世界に窓から帰る友人が居るんだ。脊髄だけでものを喋らず、もう少し、頭を使ってくれ。 「俺が若い頃は、降りる高さを競い合ったもんだぞ?」 「どんな時代だよ! それは落ちるって言うんだよ! って言うか、死にかねないだろ!」 ボケしか居ないこの一家で、俺の様なツッコミ要員は、非常に重宝される存在なのだ。嬉しいかは別にして。 「若者は良いな。何事にも縛られず、自由を気取ってる感が表れている」 「弥生姉は、成人しようが、自由そのものの人生だろうが!」 将来、俺は確実に高血圧になると思う。いや、もう手遅れかも知れないな。 「お前達、うるさいにゃ」 いや、むしろ、これだけ騒いでようやく目を覚ますお前の方が驚愕だ。 「夜食なら、要らない」 藍君。居候の身で、良くもそこまで図々しくなれますね。 「ふ、ふわ〜。早起きは、気持ち良いです〜」 蒼君。早起きなんてものじゃないでしょ。まだ、夜明けまで八時間はありますよ。 「頭、痛ぇ……」 「大根の絞り汁を、鼻の中に塗ると良いらしいですよ〜」 こいつ、微妙にマイナーな民間療法を知ってやがるな。 「丙の奴は父さんをシーベルとか言い出すし、もう、何が何やら分からん。不貞寝する」 「今更、何を言ってるのにゃ」 「……」 今、さりげなく理解し難い発言があった気がする。 「え〜っと、俺の耳がおかしくなったかな? 今、このショボクレ親父が、シーベルであると聞こえたんだが」 本人を目の前にして言えるとは、俺も随分、図太くなったものだ。 「別に、わざわざ言うことじゃないと思ったから」 「いや、それはわざわざ言うべきことだろ。むしろ、最優先レベルで」 や、ヤバい。頭痛が、頭痛が酷い。 日々、加速する訳の分からない現状に、俺の頭は、いつもの様にキャパシティをオーバーするのであった。 続く
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