「祐哉、海菜。最近のパーソナルコンピューターってのは、こんな機能が搭載されてるのか?」 一瞬、冗談かとも思える戯けた発言だが、これが弥生姉の怖いところだ。何処のメーカーが、モニターから人型の物体が飛び出してくるパソコンを開発するというんだ。何か、極一部に需要がある気もするが、余りに荒唐無稽すぎることは、冗談にはならんのだということを憶えておいて欲しいものだ。 「ふうぅ……」 バラけて、顔全体を覆う前髪を気に掛けることも無く、スチールデスクの上に立ち尽くす少女は吐息した。年齢は、俺らと同じくらいか。上背は、一般的なそれよりやや大きい程。髪の間から覗き見る双眸は大きく、我の強さを感じさせてくれた。そして、その両手には、巨大な薙刀が握られていた。はぁ。またこのパターンですか。 「おい、下郎。あの三色娘共は何処に居る」 下郎とは、私のことでしょうか。それに三色娘って……言いえて妙とは、きっとこの為にある言葉だ。 「ま、何にしてもさ。それが人に物を頼む態度かね。高い場所から武器まで持っちゃって。ちゃんと床に降りて、頭も下げるのが筋ってもんじゃないか」 俺も随分慣れてきたもので、割かし冷静な対応をすることが出来た。ははは、たまにはこっちから条件を提示しないでやってられるかってんだ。 「貴様……レアリテートの分際でその物言いはなんだ!」 「は、はい?」 れ、れありてえと? と言うか、俺、何か逆鱗に触れることなんて言ったか? 若干、高圧的な言い方だとは思うが筋は通ってるし、もしやキレる世代の子なのか。 「って、おい!?」 その一瞬で、彼女は宙を舞っていた。大上段に構えた薙刀を、何の迷いも無い太刀筋で、俺の頭へと振り下ろして来る。 「いってえぇ!?」 「ぬ?」 衝撃としては、脳をシェイカーに掛けられたんじゃないかと思える程、強烈なものだった。意識の混濁、視界の暗転、それに続く、危険な香りの気持ち良さ。だけど、俺には何者かの守護に依って、人外の防御力が備えられているらしい。本来なら今の一撃で左右の半身がお別れするところだったんだろうけど、今回も何とか生きている。この痛みは、もう、一度だって味わいたいなんて思うものなんかじゃないけど。 「ふぅ。演劇部の小道具も、随分と精巧になってきたもんだな」 弥生姉の存在は、一先ず忘れることにしておこう。 「お前、そんなナリをしていて、もしやシーベルなのか?」 し、しーべるですか。出来ましたら、どなたか脚注を加えて下さい。 「うにゃー!」 まるで野良猫の様な声を上げて保健室に飛び込んできたのは、碧だった。彼女は大鎌を握り締め、草を薙ぐかの如く軽やかに空を滑らせた。 「出てきたな、三色一号」 一方の薙刀娘も、ワイヤーか何かで吊られているんじゃないかと思える程にふわりと跳躍して斬撃を躱すと、ゆっくりとスチールデスクに着地した。 「 やっぱ、お前ら知り合いか。と言うか、普通、その質問が先に来ないだろうか。斬り掛かってから挨拶するって、どういうコミュニケーション方法なんだよ。 「やぁ、丙、お久し振り。お茶でも飲んでく?」 そして藍君。どういう風に解釈したら、そんな和やかな挨拶が出来るのかね。只者じゃ無さすぎるぞ、この姉妹。 「お、お姉様、分かりました。今すぐ淹れますね〜」 ええい、このボケボケ三姉妹がぁ! 少しは空気を読め! 「ふん。相も変わらず群れてからに。我々の仕事は単独で成すのが基本。一人で遂行出来ないとは、お粗末にも程があるというものだ」 「また、丙の嫉妬が始まったにゃ」 「誰が妬いてるかぁ!」 何だか、若干ネジが緩んでる部分はあるが、それなりに会話が成立していることに動揺を隠せなかった。やっぱ、アレな奴はイッてる奴と波長が合うんだなぁ。 「でだ。本筋に戻させて貰うが、レアリテート一人処分出来ないことに上が眉をひそめてな。私に後始末を頼み、お前らの首根っこを掴んで帰って来いということだ」 「私達は、猫じゃない」 いや、はっきり言わせて貰えば、大差は無い。 「つうか、レアリテートって何なんだよ」 文脈的に重要な言葉であることは分かるんだが、意味の方はさっぱりだ。 「わ、私達の言葉で、こちらの人間を 「ついでに言えば、私達は 成程、理解した。ほいで、こいつらが処分すべきレアリテートって……もしかしなくても、俺のことか? 「ちなみに、丙はレアリテートに酷い偏見を持ってるから気を付けるにゃ」 「既に体験済みです」 レアリテートを切り裂きまくるお前がそれを言うのは、どうかと思ったのは内緒だ。 「さて……そういう訳で件のレアリテートを出して貰おうか」 ど、どうやら、何かの手違いで俺の容姿は伝わっていないようだな。ここは、巧いこと言い包めて立ち去る手段を模索することにしよう。 「話は全て聞かせて貰ったわ」 だあぁ! 海菜、お前、黙ってる時はとことん黙ってるくせに、こういう要所ではしゃしゃり出てきやがって。この、カオスメーカーがっ! 「ギリシャ神話に於ける月と弓の女神アルテミスは、狩猟神オリオンに恋をしたわ。だけど、双子である太陽神アポロンはそれを許さず、アルテミスを罠に嵌め、その手でオリオンを射殺させたのよ。これ以来、アポロンはシスターコンプレックスの始祖として、多方面で崇められているのは世の定説よ!」 な、何か本格的に頭が痛い。だけど丙の撹乱には成功した気がする。呆けてるし、この隙にこっそりと――。 「祐哉、何処行くにゃ」 「お姉さん、融通って言葉、知ってます?」 「柚子はすっぱくて苦手にゃ」 そのまま食うな。あれは香り付けや調味料として使うことが多い――じゃなくてだな! 「お前が、如月祐哉か」 嗚呼、バレてしまった。こうなったら、強行でいけるとこまで逃げてみようか。身体能力では勝てなくても、学校の中は知り尽くしてる分、可能性はゼロじゃないだろうし。 「そいつは、シーベルでは無いのか? 私の刃を受け付けなかったぞ」 切れないけど、痛みとショックはそのままなんだ。そう軽々しく言わないでくれ。 「祐哉には、鎌も効かないにゃ」 「もしかしたら、鞭を使ってのショック死なら可能かも知れないけど、美学に反するから一先ず封印中」 藍君。今、さらりととんでもないことを仰いませんでしたでしょうか。 「ね、寝しなに濡れ雑巾を顔に被せれば殺せるかも知れませんけど、前例が無いからこちらも保留です」 どうやら、一部、思考することを放棄した方が健康に良さそうだぜ。 「ってか、俺がシーベルってなんだよ」 あんま認めたくないけど、そこに居る弥生姉に海菜とは同じ親から生まれた訳で。パソコンに出入りする能力も無いってのに、お前らと同じにされてたまるか。 「こちらの世界には、自覚しないまま紛れ込んでるシーベルも居ない訳ではない」 「……」 ナンデスト? 「お前のその尋常ならざる防御機構……もう一度試させて貰うぞ」 か、勘弁してくれ。幾ら死なない公算が強いと言ったって、これ以上殴られてアッパラパーになったらどうしてくれるんだ。 「そうはさせないにゃ」 すっと、碧は俺の前に立ち塞がると、鎌を逆手に持って腰を落とした。おぉ、姉さん。こんな奴ぁ、懲らしめてやって下さい。 「祐哉は、私達の獲物にゃ」 現実は、時代劇程、単純な二元論では無いようだ。だ、だけど何だって良い。俺は漁夫の利だって甘んじて受け入れる覚悟はあるぞ。 「まぁ、焦るな、碧」 そういや、丙が三姉妹を名前で呼ぶのって、これが最初じゃなかろうか。 「私としては、そいつを葬り去った上で、お前らが帰ってくれば何の問題も無い訳だ。共同戦線で消し去った後、手柄はそちらにくれてやるということに何の問題も無い。正直、お前らを相手にする手間は、見返りに相応しいものとは言えないからな」 あ、あの〜。その御提案には、私の意見というものが完全に抜け落ちていると思われるのですが、気のせいでは無いですよね? 「そういう話なら、答は簡単」 藍はそう言って腰のホルダーから鞭を取り外すと、床に向けて一振りして、破裂音にも似た空気の震えを撒き散らした。 「あなたとこそ、馴れ合うつもりなんてサラサラ無い」 刹那、ヒュッという小さな音だけを残して、鞭は薙刀の切っ先に絡みついた。丙は腕力でそれを振り解こうとするが、その一瞬で碧は鎌の間合いまで詰めている。おぉっし、獲ったぁ! 「ふん……」 丙は、何を小癪なとでも言いたげに顔を顰めると、両手を離し、またも飛び退いた。 「薙刀を捨てる判断は正解」 そ、そんな簡単に相手を認めて良いのか、藍君。 「だけど、姉様の狙いはそこじゃない」 次の瞬間、碧の鎌はノートパソコンから伸びるLANケーブルを寸断した。そうか。シーベルは、回線を通じて世界を行き来する。今のところ帰れない三姉妹は別として、先ずは退路を遮断した訳だ。 「おいこら。学校の備品を壊すな」 弥生姉。お願いだから、いい加減、状況を把握してくれ。 「それと、着地予想地点には、蒼が固形ワックスを厚めに塗布済みだ」 「な、何とか間に合いました〜」 その言葉通り、丙の着地地点、備え付けのベッド付近の床は、異常とも言える程にテカっていた。そして、さしものシーベルもこれ程の変化には対応しきれないのか、両足で何とか耐えようとしたものの、堪えきれず尻餅をついてしまう。ううむ、何というコンビネーションだ。一片の無駄さえない。グダグダになるだけの俺ら三人とは抜本から違うな。但し、良い子の皆。ワックスは床に光沢を出す為の物だ。冗談でも、こんな使い方を真似してはいけないぜ。 「良いザマだな、丙。お前は、地べたに這い蹲る様が良く似合う」 藍の丙に対する嫌悪感は並大抵のものでは無い。何か、過去の因縁でもあるというのだろうか。 「幼少の頃、お前に無断で菓子を食われた恨みは、何があろうと忘れやしないからな」 小さい。小さ過ぎる。そして、結果としてその小物に守って貰っている俺って、一体、何なんだろうか。 「くうぅ……今日のところはこれくらいで勘弁してやる。旧知に対し、挨拶くらいはと思っただけだからな」 あ、同じくらい小さい人が居た。 「この状況で、どうやって逃げる気にゃ」 たしかに、現状、丙は部屋の隅に追い遣られていて、碧と藍にじわじわと間合いを詰められている。武器も持ち合わせていないし、どう強行しても、これだけ息の合った姉妹から逃れられるとは思えない。 「お前らは、ロックが掛かっているから気付いていないのか。今、こちらの世界には激変が起こっているのだぞ」 ふっと、その言葉を吐いた途端、丙の姿が曖昧になった。いや、まるで肉体を電子記号化するかの様に解きほぐされ、みるみる内に削れていってるのだった。シーベルがあちらの世界へ帰る様子というのは、こういうものなのだと知った。 「しまった、無線LANか!」 この学園のネット環境は基本的に有線だが、職員室だけは電波を飛ばしている。その為、割と近い部屋ではそれを利用することも可能なのだ。 「それも半分正解だが、もう一つ、携帯電話の普及を忘れているな。確実性を取るなら有線に越したことは無いが、緊急の場合であれば、それ程の差は無い」 言い終えた頃には、足の端が消えようとしていた。恐らく、消え始めた段階で襲い掛かっても無意味なのだろう。碧と藍は、武器を握り締めたまま、苦虫を噛み潰した様に渋い顔をしていた。 「ところで、午後の授業はどうすんだ……」 この状況で、どうでも良いことが頭を掠める辺り、俺って弥生姉と大差無いんじゃなかろうか。 続く
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