「やいこら、てめぇら! ちょっと出てきやがれ!」 一通りのことを済ませて宿に帰って来た直後、最早、逐一反応する気も起きない声を耳にした。 「何ですか、あなた方は。まだ夜って程の時間じゃないですけど、他のお客様の迷惑になるので、暴挙は慎んで下さい」 いつもの様に階下に湧いていたのは、件のチンピラ二人組だった。応対する義理は無いけど、放っておくと宿のおばちゃんとケンカを始めるだろうし、仕方がない。 「こちらとしては正直、もうあなた達とは一点として接点を持つ必要性が無いのですよ。理由については、説明が面倒くさいので割愛させて貰いますが」 スピル陣営としては、僕達がクワットさんと連絡を取ったという情報をもう得ているかも知れないけど、わざわざ教えてあげることも無い。 「何、いつものふざけた調子で言ってやがる! 俺達はな! てめぇらに散々やられたせいで、クビになっちまったんだよ!」 「それはあなた方の任務遂行能力に問題があったからで、ワタクシ共のせいにされても困るのですが」 慇懃無礼な物言いって、何かツボに嵌ると楽しいよね。傍目には、メチャクチャ嫌な奴に映るんだろうけど。 「つー訳で、責任を取って、俺らの次の仕事を用意しやがれ!」 「……」 あれ、何だろう。兄さんの、勇者としての責任論を考えた後のせいか、同じ責任って言葉なのに、全く認識することが出来ないんだけど。 「良くは分からないんですが、下男とか向いてるんじゃないですかね。上の命令だけ聞いてれば良い訳ですし、自立思考能力に欠けるあなた方にはピッタリなのでは」 「ふざけんな!」 「俺らみたいなビッグなコンビを捕まえて、何を言いやがる! 今はくすぶっててもな。将来は、この街を裏から牛耳る幹部になってんだよ!」 夢を持つのは自由だけど、現実を余りに考慮しないのは如何なものなのだろうか。そして、目標が即物的で、しかもトップではない幹部というのも、どうなんだろう。人間って、上を見ても考えさせられることが多いけど、下を見ても考えさせられるから、中々に面白いと思う。 「あー、じゃ、あたしの使いっぱやってくれない? 月、十ゴールドずつ出すから、飲み物とか欲しい時に買ってくる役目。寝るところと食べるものは自分で何とかして貰うってことで」 「少しは真面目に答えやがれ!」 いやぁ、シス、それって今時、子供でもやってくれない仕事だとは思うよ。ってか、そもそも、まともに相手する義理が全く無いんだよね。 「何だ、何だ。またあんた達かい。よっぽどやることが無いんだね」 おっと、宿のオバちゃん。中々鋭い。彼らはちょうど失職したところらしくて、本格的にやることが無いみたいですよ。 「折角だし、ここの宿で雇ってあげたらどーかな。犬よりは役に立つ気がするよ」 「犬を馬鹿にするんじゃないよ。あいつらは下手な人間より遥かに忠義深いし、有能なんだ。こんなゴミクズみたいな奴らを一緒にしちゃ、失礼ってもんだよ」 しかし、追い打ちを掛けろって意味で、『陸に上がった痺れクラゲは火で炙れ』なんて格言があるけど、今はまさにそういう状況だなぁ。 「泣くぞ、おい」 「つーか、俺は既に泣いた」 「見苦しいねぇ。美人の嬢ちゃんならいざ知らず、あんたらみたいな男二人の涙なんざぁ、何の価値も無いんだよ」 さりげなく、このおばちゃん、かなり良い性格してるよね。内心では、ほぼ同意してるんだけどさ。 「まあ、就職の斡旋は勇者の仕事じゃないよね」 その気になれば、アクアさんのお爺さんとか、クワットさん辺りに頼んで、何らかの仕事を回してあげられるかも知れないけど、この人達の為に動く気にはなれない。 「ゆ、勇者、だと?」 はいはい。もう、その類の反応は見飽きましたから。どうせ威厳や風格っていった、勇者らしいものは何一つ持ってませんですよーだ。 「すげー、俺、勇者なんて生まれて初めて見たぜ」 「あ、握手とかして貰っていいか?」 「……」 何だろう。この人達、職が無くなって落ち込んでたんじゃ。これだけ前向きというか、何も考えてないなら、何だかんだで生きていけそうだよね。 「ゆーしゃって、それだけで凄いもんだったっけ?」 「いや、僕みたいに世襲で肩書きが先行する人も多いし、何をやったかが大事だと思うよ」 王族みたいに、生まれた時からその地位がそれなりに確定してても、悪名ばっかり残すどうしようも無い人がたくさん居た歴史を鑑みれば、そういう結論になるよね。 「ですけどまあ、握手をするだけで帰ってくれるなら、やることもやぶさかではありませんが」 勇者という職業について考えることは多いけど、プライドとかはあんまし無いから、この程度の安売りは気にしないよ。 「おおぉ、わ、悪ぃな」 しかしこういう時、手が汚れてるんじゃないかってズボンでゴシゴシとする人って居るけどさ。衣服の中に入れておいたハンカチの類ならともかく、外の埃に塗れてるズボンじゃ大して意味無いよね。 「それじゃ、これから大変でしょうけど頑張って」 「う、うむ。色々と済まなかったな」 「俺達も仕事だったんだ、分かってくれ」 しかし勇者の肩書きを出しただけでこの豹変振りって。父さんや兄さんを含めた先人達の功績のお陰と考えるべきなのか。又しても、勇者って何なのか考えさせられたよ。 「ゆーしゃ?」 あれ、ジュリ、いつからここに居たのさ。 「ゆーしゃって、何?」 う、子供の純粋な眼差しで見詰めながらそういう質問しないでよ。僕自身がその答を見付ける為に旅をしてる部分があるんだからさ。 「勇者というのは、世界を救う力と意志を持った、不世出の英雄のことですわ」 そしてアクアさん、何、ハードルを上げる真似をしてるんですか。軽く僕を牽制してませんか。 「ゆーしゃ……すごい」 だーかーらー。こう、純真無垢な子に、変な固定観念を植え付けて、誰が得をするって言うんですか。夢があるのは良いことだけど、希望こそが絶望を生み出すって、どっかの偉い人が言ってたでしょうが。 「そ、それじゃ、お勤め頑張って下さい」 「陰ながら、応援させて頂きやす」 まあ、あの大人達が今後、どう絶望しようと、僕の知ったこっちゃない訳なんだけど。 「ゆーしゃ、ばんざーい」 そして、それは確実に方向性が違うから。そんな間違った持ち上げられ方しても、実力以上のものは出せないし。 名乗ってみて初めて考えさせられる勇者という職業の重さ。ん? 勇者って、職業なのかな? 色々と難しすぎて、僕には良く分からないや。 「野郎共! 次の目的地はポルトガだ! 久方振りに故郷に帰れるぞ!」 「俺、今度陸に上がったら、幼馴染みのあの子と結婚するんだ……」 「父ちゃんや母ちゃんに散々苦労掛けてきたからなぁ。帰ったら、少しは親孝行しねぇとなぁ」 「こんな長いこと家を空けるなんざ、カミさんと子供にとっちゃ、悪い父親だぜ。だが、亭主元気で留守が良いとも言うしな」 うわぁ。何だか知りませんけど、この船員達、微妙に不吉極まりませんよ。 「それにしても――」 波に揉まれて、幾らか揺れるハン・バークを見て、ふと思う。僕はこの街で、何かを残せただろうか。唯、何の覚悟もなく歩き回って振り回されただけだった気がしてならない。 「で、それはそれとして」 他にも、個人的にどうしても言いたいことがある。 「何であなた達が船に乗ってるんですか」 「おぅ?」 「ん?」 僕の言葉に反応して、こちらに向き直ったモロゾフさんとジュリ。もう何て言うか、状況を把握するのも面倒になってきた。 「いやいや、さっき、船長と話していたのを君も聞いていただろう。俺達はあちらの大陸に渡りたかったのが、何しろこの御時勢だ。船も殆ど出ていないこの状況では、まさに渡りに船といったところでな」 うまいこと言っている様で、余りにそのまんますぎて、返答に困るなぁ。 「たしかに、航海上の全権限は船長にありますし、それに見合う謝礼は支払ってたみたいですから、僕がどうこう言える立場じゃないですけど」 何だか、凄く釈然としない。彼らにしてみれば極めて合理的な行動を取ってるはずなのに、わざわざ僕達を狙い撃ちにしてついてきているような、そんな不合理さを感じてしょうがない。 「まあ、短い間とはいえ、旅を共にするんだ。そんなカリカリするのはやめようじゃないか」 「うん……楽しいのが、一番」 「……」 はぁ。女の子に弱いのは、僕の宿命なのかなぁ。同時に、それなりに齢を重ねた大人に対して、あんま優しく無いのも事実だけど。 「ま、これ以上、否定を続けても何の生産性も無さそうなんで、適当にやってきます」 もう、この人達と関わるのには疲れたよ。こちらとしては、最大のカードであるアクアさんを切って、精神の消耗戦をして貰おうかなとも思う訳で。 ややもすると灰掛かっている蒼天を見上げ、僕は投げやり気味に、その場で大の字になった。 Next |