邂逅輪廻



「どういった状況です?」
「うわっ、凄い汗」
「何か拭く物をお持ちしましょうか?」
 そりゃ、僕なりに全力で身体を動かしてたんだから汗くらい掻くよ。何て言うか、うちの女性二人は、何処までも緊張感が欠如してると思う。
「うーん。どういった塩梅かは分からないんだけどね。どうやらあの二つの船団が戦い始めたみたいだね」
「はぁ」
 何だろう。不明船は治安維持の為の国軍とか、義勇軍ってことかな。話を聞く限りじゃ、そんなまともな組織に遭遇出来る状況とも思えないんだけど。
「ねぇねぇ。ちょっと良い?」
「どしたのさ」
「小綺麗な方の船、さっきまで帆を上げてなかったんだけどさ。どーもこっちも海賊船みたいだよ」
「は?」
 言われて目を凝らしてみたけど、混戦となってる上に角度が悪くて帆を見極められない。
「ってことは、縄張り争いか、仲間割れってこと?」
 世界がこんな状況だっていうのに、何と言うか、人間って奴は何処までも業が深い。
「でね。あんま認めたくないとこなんだけど」
「ん?」
「あいつが、チラリと見えちゃったんだなぁ」
「あいつって――」
 言われて思い浮かぶのは、一人しか居ない。
「四隻の不明船が、例の海賊団、なの?」
「かな」
 もう一度、頑張って目を細めてみたけど、何だかアリみたいな人達がわらわらとしているだけにしか見えず、性別はおろか、大まかな人数さえ今一つ把握出来ない。
「さて、ここで我々には一つの選択が求められる」
「はい。このまま充分な間合いを取って様子を見るか、尚も全力で逃げ出すか、或いは――どちらかに加勢するか」
 もちろん、薄汚れた方の海賊団に手を貸すという選択肢は、一応、提示はしておくけど、実際に選ぶ可能性は限りなく零に近い。
「割と難しいところだね。安全度で言うと、揉めてる間に遁走するっていうのが一番で、その次はここで傍観するもの。最後の、噂の海賊団に助太刀するのは多少の危険を伴う。しょぼくれた方に味方するというのは論外として」
「ですけど、僕達の目的は彼女達ヘの接触です。そのことを鑑みれば、見えなくなるまで逃げ出すのは無しです。
 そして今後のことを考えれば、ここで一つ貸しを作るというのも、有利にことが運ぶやも知れません」
「だけど船乗りって人種は職人気質と言うか、有り体に言えば頑固だからね。下手なことをすれば機嫌を損ねる恐れもあるよ」
 う、それはたしかに。頑固と言うより、変人集団と言うのが的確な気もするけど。
「五、六年前とはいえ、一緒に暮らしてたシスとしてはどう思う?」
「んー。たしかにプライドは高いけど、明らかな邪魔になんない限り、怒りはしないと思うよ」
「だけど、シスの姉弟子なんだよねぇ」
 それだけで人格に信頼を置けない辺り、凄い影響力だとは思う。
「唯、言っても所詮は海賊だからねぇ。地元での評判はともかくとして、こっちまで襲われないという保証は何処にもない」
「あー、じゃあ、こんなのどう? 四の五の言わずに、あっちの古い方の船沈めちゃうの」
「は、はい?」
 いつものことながら、この子の言うことは突拍子がない。
「ほら。賊なんて結局、打算的なとこがけっこーあるしさ。船一隻やっちゃう力があると分かれば、そー無茶なこともしてこないでしょ」
 国軍や自警団が、国家間紛争の抑制や治安維持の為の力を持つ、抑止力的発想だ。何だろう、シスって必ずしも論理的思考は得意じゃないけど、一気に本質に斬り込んでくることがあるよね。
「今なら、ちょーど一番奥の船が出払ってるっぽいから、怪我人が出るってことはないと思うしね。中に誰か居る場合までは知らないけど」
「でも、具体的にはどうやって――」
 大砲を積んでいないこの船の装備で、沈没させるのはまず無理だろう。
 となると魔法という話になるんだけど、僕が使える攻撃呪文は、メラ、メラミ、ギラ、ベギラマ、イオ、ヒャド、ヒャダルコといったところ。アクアさんは中堅どころの僧侶だから、バギ、バギマが精々かな。
 メラ系ギラ系で船底を狙うとすれば、波しぶきが威力を減衰させてしまうだろう。ヒャド系では、凍りついて、それなりの損傷は期待出来るかも知れないけど、大破となるとかなり厳しいかな。バギ系も全力で打てば船を揺らすことくらいは出来るだろうけど、それだけって感じで。適性という観点ではイオ系が一番なんだけど、イオ程度の火力じゃ、どうにもならないだろうし。クレインみたいにイオナズンが使えれば間違いないけど、ないものねだりしてもしょうがない訳で。
 うーん。ヒャダルコで凍らせて、バギマで損傷を――あんまし現実的じゃないかな。
 近接して油壺を投げてメラミで焼却――何か、泥臭すぎて抑止にならない様な気がする。
「そんな難しく考えなくても、あれで良いじゃん」
「あれって?」
「ほら、最近、コソコソ練習してる……ら、らい……何だっけ」
「……」
 ライデイン?
「い、いや、あれはまだ練習中と言うか、実戦投入するには課題が多すぎるって言うか」
 そもそも、一応、隠れて訓練してたはずなのに、何で知ってるのさ。
「あっまーい! 練習っていうのはね、いつか起こる本番の為にこそ行われるものなんだよ。こーいうここ一番で使わないでどーすんのさ!」
 う、シスの癖に、何か妙に説得力のある発言してるとか、一体、どういうことさ。
「それにさ。やっぱ新しい魔法を見るのって、こうワクワクするじゃない」
「……」
 そうだった。シスは何処まで行ってもシスなんだった。
「じゃ、じゃあ、とりあえず少しずつ近付いて様子を見てからってことで」
 何だか、軽く口車に乗せられたような、そんな感覚に陥りつつも、距離を詰める決定を船長に下して貰うことになった。
 現在、一般に知られている直接的な攻撃呪文は、メラ系、ギラ系、イオ系、ヒャド系、バギ系、デイン系の六系統だ。この中で、デイン系が特異的な扱いを受けているのにはそれなりの理由がある。見た目が派手だというのもその一つだけど、本質的な部分じゃない。
 他の五系統は、魔法エネルギーを、火炎、閃熱、爆裂、氷塊、真空という攻撃に適したものに転化する。だから発動までのロスが少ない。だけどデイン系は、魔力で以って雨雲を呼び、雷を落とすっていう二段階が必要なんだ。激しい戦闘の最中にその二つを行うには、戦士や武闘家に比肩する戦闘感覚が必要な為、勇者にしか使いこなせないというのが一般的な解釈だ。
 あんまし関係は無いけど、魔法エネルギーを電撃に換える呪文を使う人が極稀に居るらしい。業界ではこれをデインもどきと呼んでるんだけど、使い手が極端に少なく、更に威力も微妙な人が多いので、余り重きを置かれていない。
「だけど、まあ、これくらいの距離なら、ねぇ」
 正直、僕の戦闘感覚っていうのは、色々な人が認めてる通り、駆け出し程度の実力しか無い。だから混戦の中で使う自信は全く無いけど、こう充分な間合いがあって、反撃も無い状態なら、試してみても大丈夫かな。
「シス。本当に一番奥の船には誰も乗って無いんだね?」
 弓が届かないギリギリの距離にまで寄った上で、再度、確認を取る。このくらいになると僕でも情報が得られるかな。どうやら主戦場は姉弟子さんの四隻らしくて、おんぼろ船の方は殆ど人が残っていない。その中でも、一番奥の船は見張りすら視認出来無いんだけど――。
「うん、だいじょぶ、だいじょぶ。さっきからずっと見てたけど、全然、動き無いから」
 ま、正直なところ、人に直撃でもしない限り怪我する心配さえしなくて良いだろうけどね。
「そういや、雷受けた人って髪の毛チリチリになるって言うけど、実際に見たことないなぁ」
 いや、それは寸劇というか、大道芸界のお約束であって、実際にはそうならないと思うよ、うん。
「ふぅぅ……」
 呪文を使う場合に於いて、集中力の高め方は人それぞれだ。基本的に、魔力を一点に集中させるまでの時間が短く、その密度が高ければ高い程、熟練した使い手と言える。先天的に保持してる魔力が多くても、これが下手だと初歩の呪文しか扱うことは出来ない。呪文は、才能と努力の両輪と呼ばれてる由縁かな。尤も、シスみたいに魔力が欠片も無い場合はどうしようもないんだけどさ。
 僕の場合は、何の制限もなく、只、ひたすらに魔力を集めることだけが目的だったら、情報を遮断するのが合ってる。目を瞑って視界を塞ぎ、気持ちを一点に向けることで、聴覚や、その他の感覚を麻痺させる様にして、力の全てを注ぎ込むような感じだ。
 乱戦の中では何よりも速さが求められるから、実戦でこれをやるのは難しいけど、これだけ一方的な状況なら――。
「お、曇ってきた、曇ってきた」
 シスの声が、小さく聞こえた様な気がした。だけど今の僕にそれを意味のあるものと感じる心は残ってなくて、まるで僕の身体が呪文を放つ為の道具になってしまったかの様な、そんな心持ちだった。
「――」
 刮目し、見据えるべき目標を再び視認する。魔力は、充分に蓄えることが出来た。雨雲を呼ぶことにも成功している。後は、あそこに雷を発生させて、目標へと――。
『ライ――デイン!』
 人差し指を天にかざして、言の葉と共に一気に振り下ろす。
 呪文としての手応えは、充分だ。あとは、発動まで、何の障害もなければ――。
「……」
「何も、起こりませんね」
 あ、あれ?
「何か、雨の匂いがするかも」
 そりゃまあ、呼んだものが呼んだものだけに、小雨くらいは降ると思うよ。
「失敗、かな」
 うーん。割と自信はあったんだけどなぁ。何か足りないんだろうか。
 何しろ独学だし、この道に明るい人も近くに居ないもんだから、どうにもこうにもならないよなぁ。
「?」
 不意に、頬に冷たいものを感じた。ひょっとして、呼び寄せた雨雲、割と本気で仕事するの?
「これは、危ないやも知れませんね」
「船長、どうしました?」
「風こそありませんが、豪雨の空気です。体勢を整えておいた方が良さそうですね」
 え、何だか妙ちくりんな話の流れになってませんか。
「わ、わ、わー」
 そんなことを言っている間に、文字通りバケツをひっくり返したみたいな大雨が降り注いできた。
 排水! 排水! とりあえず階下への扉を締めないと!
「およ。なーんか、あっちが面白いことになってるよ」
 ちょっと待って、シス。この雨で、どうやったらそんなもの見えるのさ。
「と、とりあえず、対処は終わり」
 居住区を含む、船内部を隔離した上で、甲板への雨を海に流す排水管を開く。もう、全身びしょ濡れで、汗とかどうでも良くなっちゃったよ。
「ふぅむ、魔法の力というのは、凄いものですね」
 いえ、船長。これは本来の使い方と全く違いまして、余り褒められた気がしないんですけど。単に嫌味なのかも知れませんが。
「今度、飲み水に窮した場合はお頼みしようかと思いましたが、思ったよりも塩辛い。どうやら、海の水を多分に巻き上げたものの様で、無理ですね」
 そしてさりげなく、勇者のシンボルを便利な雨乞いの道具にしないで下さい。まあ、干ばつ地帯だったら、救世主には違い無いんですけど。
「んで、あっちの船はどうなったの?」
 降りも大分弱まって、シスの方を気に掛ける余裕が出来てきたよ。
「一言で言っちゃうと、ボロい方の一つが沈んじゃうねー。今もどんどん下がってるし、変なアブク出ちゃってるし」
「……」
 え?
「いやいや、たしかに凄いって言えば凄い雨だったけど、こんな短時間で、ねぇ」
 いくらボロ船だからって、そんなんじゃ船としての体すら成してないじゃない。
「やはり、常日頃の整備が大切なのですか」
 うわ、船長、なんですか、その勝ち誇った表情。
『海賊などという下賎な輩が、海の男としてここに居る事自体、場違いなのですよ』
 とでも言いたげじゃないですか。
「そして完全に混乱したヒゲチームが、一気に制圧されたみたいだね」
 はぁ。まあ、何て言うか、結果として姉弟子さんの援護になったのかなぁ。当初の予定とは、完全に違っちゃってる気もするけど。
「何にしても、これで話し合いの場に立てるのかな?」
 下手をすれば恨みを買ってる恐れもあるけれど、オーブの為には踏み込んでいかないといけない。僕は意を決して、微速での接近をお願いした。

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