邂逅輪廻



「あ、ちょっと、危ないってば!」
 シスの声が、聞こえた気がした。だけど、僕の足は止まらなかった。まるで理性を失った暴れ馬であるかの様に、がむしゃらに突進を続けていた。
 トウカ姉さん、異称を『黒髪のトウカ』といい、僕から見ると四つ年上の幼馴染みだ。アクアさん経由で聞いた話だけど、齢十三にしてアリアハン随一とまで言われた稀代の剣士で、純粋な戦士としては兄さんより強かったらしいとのこと。四、五年前に、兄さん――勇者アレルと共にバラモスを倒す旅に出た。
 血の繋がらない、初恋の女性を姉と呼ぶことに、躊躇いや抵抗が無い訳じゃない。だけど、子供心に、兄さんと姉さんは余りに融和しすぎていた。まるで生まれながらに一繋がりの存在であるかのようにさえ思えていた。だから半歩退いて、姉さんと呼んでいたんだと思う。それに兄さんならと、諦めるに足る理由もあった。
 そんなトウカ姉さんが、何であんなところに居るんだ。一体、この場所で何があったと――思考よりも感情が暴走し、考えが纏まらない。心が、千々に散らばってしまいそうだった。
「姉さんッ!!」
 魔物の直下、円の中心線で見ると九割は進んだところで、足を止めて声を上げた。ここまで来たら引き返せないとか、身の心配は心の内に無く――全力疾走の代償と高揚に依って早鐘の様になる心音が、何故だか自分のもので無いようにさえ感じていた。
『グルゥゥ』
 魔物が、小さくもたげ、喉を鳴らした。寝惚け眼の虚ろな瞳でこちらに向き直り、見詰め合いの間が、時間をその場に張り付かせた。
「う……」
 不意に、額に埋まっているかの様にしてうな垂れている女性が動きを見せた。ああ、間違いない。艶やかな黒髪に、強い意思を持った切れ長の双眸。あれは、トウカ姉さんだ。
「アレ……ル……?」
 朦朧とした表情のまま、僕を見詰め、小さく呟いた。
 今、姉さんは、僕と兄さんを見間違えたんだろうか。それは実に誇らしいことの様に思えて、同時に心の奥底で、何か落ち着かないものも感じた。
「アレク!?」
 不意に、姉さんは夢うつつから覚めたかの様に、はっきりとした声を上げた。
「まさか……何でお前がここに居る!?」
「それは、こっ、ちが言い、たい、よ……」
 言葉が千切れて、意味を持たせられなかった。こんな形で会うだなんて、想像もしていなかった。又しても、心が不明瞭な挙動を始めて、何が何やら分からなくなってくる。
「兄さんは、兄さんはどうしたんだよ! 一体、今、何処に居るのさ!」
 何があろうと、兄さんと姉さんは、同じ場所に居ると思っていた。何で、何で、姉さんが一人でこんなところに居るのさ!
「少し、落ち着け」
 小さいけれど、まるで母親のたしなめの様な声が、胸に突き刺さった。
「お前は、小さい頃からそうだったな。賢く、全てを分かった様な顔をしていながら、癇癪を起こすと手が付けられない。おばさんも、苦労したことだろう」
「……!」
 自分の過去を知っている人間というのは、心の支えであると同時に、こういう時は厄介だ。
 だけど、その言葉で幾らか気持ちが楽になったのも事実で――頭が上がらない事実を、思い出させられてしまう。
「順序立てて話そう。私が、アリアハンを発ってから、どれ程の時が流れた?」
「四年……ううん。もう、五年近い」
 僕達がアリアハンを旅立ってから、既に半年以上の年月が流れている。それを計算に入れるのを忘れてしまい、慌てて言い直した。
「ということは、アレクも十五――いや、十六歳になったのか?」
「ううん、誕生日はもうちょっと先だから、まだ十五歳」
「そう、か」
 言って姉さんは、口の端を上げ、笑みを見せた。
「大きくなったな、アレク。見違えたぞ」
 出来ればその言葉は、もっとちゃんとした再会の場で聞きたかったと、僕の中からやましい心が這い出てきた。
「外では、そんなにも時が流れていたのか……ここでこうしていると、時の感覚が無くなる。四季の巡りも、一炊の夢も同じだとは、人の心は、実に曖昧なものなのだな」
 まるで自嘲するかの様な面持ちで、姉さんはそんなことを口にした。
「それで、アレク、お前は何でここに居る? アリアハンで一体、何が起こったと言うんだ?」
「アリアハンは、大丈夫。元々、侵攻が弱い地域だし、厭世観が強まって皆の心が荒んでる部分もあるけど、まだ滅ぶとか、そういう感じじゃないよ」
「言い方から察するに、バラモスはまだ健在なのか」
「あ、うん。それで三年前、兄さんと姉さんが行方不明になって、次の勇者として選ばれたのが僕で――色々とあったけど、今、僕がここに居るのは、そういった理由だよ」
「成程、な」
 事態を把握したのか、姉さんは両目を閉じ、険しい表情を作った。
「済まなかった、な」
 次いで口にしたのは、そんな言葉だった。
「私達が旅を続けられなくなったばかりに、重荷を背負わせてしまった」
「そんなことは、無いよ。進んでとまでは言わないけど、割とすんなり受け入れることが出来たから、さ」
 嘘をついた。只でさえ境遇が絶望的なのに、僕の心の内なんかで、更に深い闇へと引き摺り下ろす訳にはいかないと思えたからだ。
「ふふ、嘘を口にする時は、堂々と相手の目を見て言え。そんなことでは、女一人騙すことさえ出来やしない」
 何処までいっても、この人に勝つことは出来ないのか。観念にも似た心持ちが、僕の中に広がっていった。
「それにしてもアレルが行方知れずとはな……全く、口ばかり達者で、ここ一番で使えん奴だ。私が居なくとも、魔王の一匹や二匹、とっとと始末してしまえ」
 さりげなく、無茶な話を聞いた気がした。
「そ、そうだ。兄さんは、結局、兄さんはどうなったの?」
 結局、自分のことばかり話していて、こちらが聞きたいことは、何も得られていないことに気付いた。
「順繰りに話す必要があるな。ここに居るからには、五年程前、ヒミコが生贄を差し出し始めたのは知っているだろう?」
「う、うん」
「だが、その認識は事実と違う」
「ど、どういうこと?」
「ヒミコは五年前、生贄の命を下す前に死んでいる」
「……は?」
 想定の外側をひた走る姉さんの発言に、僕の口から間の抜けた声が漏れた。
「それは、おかしな話ですの」
「話の辻褄が、全然、合わなくなっちゃうよねー」
「うわっ、シスとアクアさん、一体、いつから僕の後ろに居たのさ」
「割と最初の方から?」
「完全に二人の世界で、声を掛けるのが躊躇われましたわ」
 本日の教訓。物事に集中するのは良いことだけど、それと同じくらい周囲に気を配ることも大事だよね。
「仲が良さそうだな。成程、アレクが女性に甘いのは兄譲りの気質が主かと思っていたが、今の仲間の影響もありそうだ」
「姉さん!」
 はい! 本筋に関係ないから、この話はここで終わりだよ!
「それで、ヒミコが五年前に死んでたって、どういうこと?」
「ああ、結論から言えば何ということは無い。魔王軍の幹部が、暗殺したというだけの話だ」
「で、でも、その後、二年も命令を出して、政務まで執ってるじゃない」
 真っ先に思い付く、辻褄の合わない点はそこだ。
「それも蓋を開ければ、種と言う程のものでもない。その幹部が、ヒミコに成り代わっていたんだ」
「人間に、化けたって言うの?」
 アントニオ船長の、『幹部級の魔物は、雲上とも言える高位の存在である』という言葉を思い出す。考えてみれば人間だって、一時的にならモシャスで化けられるんだから、ありえない話では無いかも知れない。
「その推察を裏付ける為、アレルと私は魔物の寝ぐらと思しきこの洞穴に潜り込んだ。そこで会ったのが、この巨竜、ヤマタノオロチだ」
「一つ、質問がありますの」
「どうした」
「『ヤ』とはジパングの言葉で、八を意味するものだったはずですわ。ですが、ここから見える頭は三つ――勘定が合いませんの」
 アクアさん、その質問、今じゃないとダメですか。
「少なくとも、最初に見た時には五本あったが、私とアレルで一本ずつ切り落とした。それ以前がどうだったかは、知らないがな」
 姉さんも、動揺一つせずに返答したけど、これってどうなんだろう。
「結果として、それが良くなかった。激昂し、暴走を始めたヤマタノオロチにアレルは弾き飛ばされ、決死の覚悟で突撃をした私も、この様に虜囚の身だ」
 ここで一つ、新たな疑問が湧いて出た。
「今の姉さんって、どういう状態なの?」
「さぁな。気付いたらここに居たくらいだから、私が聞きたいぐらいだ。暇に任せて考えた推察の一つとして、ヒミコをより自然に演じる為、人間の女性である私を取り込んだというのがあるが、所詮は益体もない妄想だ」
 吐き捨てるようにして、そう口にした。
「だが、ヤマタノオロチにとって一つ予想外であっただろうことは、私の精神とこの巨躯が若干の同調をしていたことだろう。幸いにしてと言うべきか、以後はここから動かず、人も食わずに済んでいる」
「じゃあ、三年もの間、ずっとここに一人で居たの?」
「そうなる。何しろ、さっきも言った通り、時間の感覚が不鮮明すぎて、昨日のことのようにも、幼かった時分のことのようにも思えるのだがな」
 あっさりとした口調で言っているけど、それはどれ程のことなんだろう。僕にとっては剣の修行を始めるより前の話で、気が遠くなる程、過去の話にさえ思えた。
「そうだ! パープルオーブ!」
 色々な話を聞きすぎて失念していたけど、僕の旅の大本を辿れば、この紫に光る宝珠へと帰結する。レイアムランドに置いて来ることも考えたけど、やっぱり別れ難くて、今でも肌身離さず持っていた。僕は腰の道具袋から取り出すと、前方へ差し出して、姉さんが視認出来る様にする。
「ああ、死を覚悟した折、何とかそれだけは誰かに託さなくてはと思ってな。良かった、ちゃんと届いていたか」
 死ぬかも知れないという状況の中で僕を思い出したという事実に、胸が熱くなるのを感じた。
「それは元々、このジパングに伝わる秘宝の類だったらしい。幸いにと言うべきか、大巫女が代替わりする際、口伝で以ってのみ所在を知らせるらしいから、密かに盗み出しても騒ぎにはならなかったがな」
 と、トヨ様やジパングの人達にパープルオーブのことを話さなくて良かったなぁ。場合に依っては、重犯罪者になってたところだよ。
「なーんだ。勇者って言っても、やっぱケースに依っちゃ、盗みとかもするんだね」
 わー! そしてさりげなく、変な影響受けちゃってるし! ダメ! 盗みはこれっきりの話だからね!
「ふむ。盗んだというのは、少々、言葉が悪かったか。あくまでも魔物達に奪われた宝を、奪い返したと言った方が的確か」
 姉さん、ありがとう。そうそう、あくまでも、奪還したっていうのが正しい解釈だよね。
「尤も、護国の至宝を本来の所有者であるジパング、並びに、現職の大巫女に返していない以上、どの様にとられても仕方が無いことではある気もするが」
 ね〜さん〜。あなたも味方じゃないんですか〜。
「あ、ちょっと頭がクラクラしてきた」
「苦労性は相変わらずか。少し楽観的に物を考えないと、バラモスを倒すなどという蛮勇に飲まれることになるぞ」
 その苦労を増やす一因となってるのが姉さんだと、喉元まで出かかったけど、何とか飲み込んだ。
「これのお陰で、姉さんに会うことが出来たよ」
 気を取り直してパープルオーブを差し出すと、そう口にした。
 レイアムランドの巫女さんが、『パープルオーブは宿縁の宝珠』と言っていたことを思い起こす。僕達は紛れも無く宿縁で結ばれている。旅を続けていれば兄さんとも、いずれ会うことが出来るはずだ。
「兄さんは……生きてるよね」
 噛み締めるようにして、言葉を搾り出す。楽観的思考、希望的観測、言い換えるなら、能天気な物の考え方だけど、これだけは譲れない。このことを曲げてしまったら、僕も姉さんも、生きている甲斐さえあやふやになってしまう。
「あの熱血バカが、こんなところで死ぬものか」
 姉さんも、考えていることは同じみたいだ。
「あれは墓に埋めて重石を乗せようとも、横穴を掘り抜いて脱出するくらいの阿呆だ。十年来の付き合いで、一年半も旅で連れ添った私には分かる」
 僕も、生まれた時から縁で繋がっている一人として、そのことは自信を持って言える。大丈夫。兄さんが、僕達より先に死ぬだなんて、考えられない。
「姉さんに、会えて良かった」
「私もだ。久方振りに、生という物の素晴らしさを感じ入ることが出来たからな」
「僕、兄さんを見付け出して、絶対にバラモスを倒してくるよ」
 あれ、何でだろう。姉さんと邂逅できて嬉しいはずなのに、涙が止まらない――。
「ちょ、ちょっと待った」
 僕達の会話に、シスが割って入った。
「何か、話の流れ的に、お姉さん置いてくみたいな感じになってない?」
「そう、だな。私はここに残り、夢と現の狭間で、こいつを抑え付けることとなるだろう」
「何でさ。折角、あたし達がここに居るんだし、このデカブツやっつけちゃえば良いんじゃないの」
「無理、だと思う」
 シスを説く為に、言葉を選んでから口を開いた。
「第一に、今の僕達じゃヤマタノオロチを殺すなんて真似は恐らく無理だ。この鱗は、間違いなく鉄と同等の強度を持っている。姉さんが動きを制限してくれると言っても、これを断って致命傷を与えることは、今の僕達には出来ない」
 半端な攻撃は、暴走を招く可能性を秘めているとも付け加えた。
「第二に、姉さんとヤマタノオロチが一体化している以上、命を絶ってしまった時、連動して姉さんが死ぬことが考えられる。どういった経緯でこうなったか分からないから、安易なことは出来ない」
「良い判断だ」
 姉さんが、小さく呟いた。
「アレク、お前が私やアレルと比べて優れている点は、その明晰な頭脳と、論理的な判断力だ。今は経験不足で全てを発揮出来ないだろうが、いずれは強大なものとなり、アレルの力となるだろう」
 姉さんはそう言って、少しの間を取った。
「だが、賢明さは一つ間違えば、小賢しさとなり、お前自身の枠を決め付けてしまう。ここより広い世界を見てこい。余り私に囚われるな」
「それは、無理だよ」
 溢れ出て止まらない涙や鼻水を拭いながら、僕は言葉を搾り出した。
「僕にとって姉さんは、兄さんと同じくらい大事な人だから。心の隅に置いておくとか、ましてや忘れたり気に留めないなんて、出来やしないよ」
 僕は今日という日を忘れない。シスやアクアさんと出会えたあの時と同じくらい、大事な一日として心に刻みつけておく。
「でも、僕は行く。ここでこうしていても、姉さんを救うことは出来ない。だったらその手段を見付ける為にも、旅は続けないといけない」
 一つの探し物が見付かって、すぐさま新たな探し物が見付かる――旅をするっていうのは、本質的にそういうものなのかも知れない。
「それも、一つの答か」
 姉さんは両目を閉じると、しばらくの間、口を閉ざした。
「アレク。ヤマタノオロチの左足近くに、剣が刺さっているはずだ」
「剣?」
 言われて気付いたけど、たしかにその場所には、それと思しき棒状のものがあった。
「それは、ここジパングの名工が鍛え上げた、アレルの為の剣だ。切れ味は鋼鉄製のそれを上回り、重量感は戦斧をも凌駕する。今のお前に使いこなせるかは分からんが、いずれは手に馴染むことだろう。それに或いは、アレルの居場所に、導いてくれるやも知れんしな」
「これが……兄さんの剣」
 近付いて、まじまじと見詰めてみる。
 長さは、僕の腰程までで、太さは肩幅の半分程度、厚みは親指の関節一つ分といったところか。大剣に分類されるであろう黒い刀身は若干の反りを持っていて、切り裂くことを重要視しているのが見て取れた。
 そして、僕が注目したのは、その刃だ。さっき姉さんは、兄さんがヤマタノオロチの首を一つ刎ねたと言った。だというのに、刃こぼれが殆ど確認できない。兄さんの技量もあるんだろうけど、この剣自体が、とんでもない名剣である証だ。
「僕に……扱えるのか?」
 意識せず、自問が口から漏れてしまう。
 柄に手を掛けると、その重さが腕に伝わってきた。思った以上に、抵抗が感じられる。だけど、抜くことが出来ない程じゃない。
 僕は腰を機軸に右手に力を籠めて、勢いを保ったまま半身を捻った。
「う……ん……」
 引き抜かれた剣は、想像以上の負荷を腕に掛けてくれた。理想の武器というのは、切っ先までが自分の指であるかのような一体感があると、誰かに言われたことを思い起こす。今まで使っていた量産品の鋳物は、指先とまではいかなくても、腕の延長といった感覚で扱えていた。だけど兄さんの剣は、手から先が完全に異物だ。形式的に振るうことは出来ても、唯、振り回されるだけだと、試行前に確信できた。
「にしても、こりゃ本当に良い剣だねぇ」
 シスは、具体的な流通価格なんかはともかくとして、お宝の価値自体を見極める能力は高い。一種の、折り紙がついたと言っていい状態なんだろうね。
「余り知られていないが、ジパングの刀鍛冶は世界でも一、二を争う水準にある。私も二本打って貰ったのだが、気付いた時には何処かへいってしまっていた。惜しいことをしたものだ」
 姉さんの剣は、生まれ持った身体能力を存分に活かした二刀流だ。兄さんの剣に比べれば、速度と扱い易さを重視しているはずだから、そっちの方が良かったなぁ、なんて思ってみたりする。
「ん? そこら辺に落ちてるんじゃないの?」
「だとは思うのだが――何しろ、この状態では視野が限られていてな。或いは、溶岩に落ちたやも知れない」
「発見したら、何かくれる?」
 何で僕の知り合いの女性は、こうも図々しいのばっかりなんだろうか。
「と言っても、私はまともに動くことさえ出来ないからな」
「じゃあ、担保って形で借りとくから、自由の身になった時、御礼してくれるってことで」
 あれ、御礼って、感謝の気持ちと共に、恩恵を受けた方が自主的に出すものじゃなかったっけ? 僕とシスの間に、言語解釈の行き違いがあった気がしてならないんだけど。
「ん〜、アレクの剣以外に、金属っぽい感じは、と」
 いやいやいや。簡単に言ってるけど、何でそんなことが分かるのさ。いつも思うけど、シスはシスで、アクアさんや姉さんとは違う意味で、人間辞めてる気がしてならない。
「んっと、見付かったは見付かったんだけど」
「早ッ!?」
 盗賊っていうのが厳密な意味で職業かどうかは分からないけど、適性という観点では、天職と言わざるを得ないのが悔しい。
「で、何処なのさ?」
「あそこ」
 言ってシスが指差したのは、姉さんのやや上、ヤマタノオロチの頭頂部だ。そこに、直刀が二本、御丁寧に並んで突き刺さっていた。
 そういえば姉さん、最後に攻撃をしかけたって言ってたっけ。それに上半身しか外に出てない今の状態じゃ死角になる訳だから、そっちの辻褄も合う。
「そんな近くにあったとは……不覚。いっそ手が届く位置であれば、切り裂いて脱出してくれたものを」
 さりげなく、無茶を聞いた気がしてならない。
「あくまでも、冗談だからな」
 そう言えば姉さん、お笑いって言うか、空気を読む能力が絶望的に欠如してたっけ。
「流石に、あんなとこにあったんじゃ厳しいかなぁ。あたしだけなら登れなくも無いけど、抜く時に暴れられたら、多分、振り落とされるし」
「ああ、やめておけ。私が動きを制御出来ると言っても、それはあくまで、平常時の大まかなものだけだ。不測の事態に対してまでは保証できん。それに愛剣ではあるが、私がこの様な状態である以上、命を賭ける程の価値は無い」
 言葉こそ冷静だけど、剣士が自身の分身とも言える剣を諦めるのは並大抵のことじゃないだろう。僕で言うなら、兄さんを失うことに匹敵する半身の喪失感が巡っているはずだ。姉さんは戦闘技術だけじゃなく、精神の面でも一流の戦士であると認識させられた。
「ま、持ち主がそう言ってるんだから、諦めるとしますかねー」
 幸いにと言うべきか、シスは額面通りに受け取っちゃってるけどね。
「それじゃ、姉さん、僕達、行くね」
 この場を離れたくないと心の内にあるのは事実だ。だけど、ここに居続けても進展は何も無い。感情を論理で抑え付けて、別れの言葉を口にした。
「アレク」
 背中越しに、声を掛けられた。
「生きろよ。人は生きてさえいれば、そこに希望を見出せる。私もこんな有様だが、お前という光に、命の価値を思い起こさせられた。
 不思議な奴だ。五年振りに会って、技量も分からぬというのに、何故だか安心して任せられる。一戦士たる私には、本来、有り得ぬ話だ。恐らく、お前自身が持つ特質なのだろうな」
 去り際にそんなことを言うなんて、姉さん、ズルいよ。涙が溢れて、振り返れないじゃない。さっきあれだけ号泣しておいてなんだけど、やっぱり男として、一日に二度の泣き顔は見せちゃいけないと思うんだよ。
「その力で、世界中の人に平穏を与えてやってくれ。
 お前は、私が認めた二人目の勇者だ。胸を張って一人前であると思え。あいつの口癖だっただろう? 『他人に勇気を与えられる奴が、真の勇者だ』とな」
「うん、姉さん……ありがとう。行ってきます」
 不思議なことに、姉さんの言葉を聞いている内に、僕の方も心に安らぎが満ちていくのを感じていた。この感情は、伝播するものなんだろうか。だとすれば、今まで、そしてこれから人と出会っていくことは、それだけで意味があることなのかも知れない。

 この日、僕は二度目の旅立ちを経験した。ここは、いつの日か絶対に帰ってこなくてはいけない、約束の場所。そして、姉さんをこんな目に遭わせた諸悪の根源、魔王バラモスを征伐するという、新たな決意。
 いや、違うか。僕はこの瞬間、初めて魔王バラモスに相対すると心に誓ったんだ。これまでの漠然とした心持ちじゃなくて、具体的な最終目標として、だ。
 自分で言うのは何だけど、本当の意味で『勇者アレク』が誕生したのは、たった今、この時だったのかも知れない。

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