邂逅輪廻



 洞穴の奥深い部分、岩肌の色がやや変わったかの様な印象を受ける場所まで入り込んだところで、空気が変わった気がした。具体的に、気温が下がった訳じゃない。何て言うんだろう、空気が澱んで、圧迫感が増した感じだ。この暑い中で只ならぬ量の冷や汗も掻いて、服の下は気持ちが悪い程に湿ってしょうがない。
「シス、どう思う?」
「んー、お宝って感じじゃないなぁ。ってか、割と危険かも。王宮警備隊の寝所に忍び込むよりヤバい気がするね」
 似つかわしくないほど、危機感に満ちた真面目な瞳で言い放った。
「アクアさんの意見は?」
「感覚的な話をするのであれば、この先は、立ち入ってはいけない空間である様に思えますの。常人の支配が及ばぬ聖域の類と言い換えても差し支えないですわ」
 表現の違いはあっても、二人に共通しているのは、先に進んじゃまずいってことか。
「どうしますの? ここは退くというのも、一つの選択肢かと思われますわよ」
「退く……ね」
 当然のことだけど、僕達の最終目標はバラモスを征伐することだ。そこに至り達成するまで、この命を粗末にする訳にいかないのは、当然の論理ではある。
「それでも、僕はこの先に何があるかを見たい」
 兄さん達に何があったかを正確に知ることは、僕の旅にとって重要な意味を持つ。ここで退いてしまったら、『勇者の弟』でさえ、名乗るのははばかられることになりかねない。
「ま、そー決めてんなら、行くしかないんじゃない」
「ですわね」
 本当に、僕は分不相応なほど仲間に恵まれていると思う。その幸運に感謝をしながら、決意を固め、奥へと足を進める。
「……」
 一歩一歩、前進する度に、その濃さが増していくかの様にして空気が絡み付いてきた。何だろう、この感覚は。今までに、感じたことの無い重々しさだ。息を飲むことすら躊躇われ、緩やかに深く呼吸することで、何とか最低限のものを確保する。
「こりゃ、想像以上かもね」
 ピリピリとした空気の中でも、シスの口調はいつもと変わらない。だけど目付きと所作が完全に臨戦態勢で、神経が緊張しきっているのは、傍目にも見て取れた。
「引き返すなら、今の内じゃない?」
 その言葉は、僕を試しているのか、単に盗賊としての危機回避能力が出させたものなのか。判断は付かなかったけど、僕は僕の心に沿った言葉を紡ぎだす。
「迷いは、無いから」
「ん、まー、もう一度聞いたあたしが野暮だったかもね」
 何を思っての言葉かは分からなかったけど、言葉を交わしたお陰で、気持ちがほぐれた様な気がした。
「あれは、何ですの」
 不意に、アクアさんが前方を指し示して、言葉を漏らした。それは、この焦げ茶色の岩盤と、赤々しい溶岩で構成された空間には似つかわしくない、白色の欠片だった。相当量が転がってるけど、何これ? ここから、ちょっと岩質が違うって言うの?
「あんま、言いたく無いんだけどさ」
 僕達の中で、一番、夜目も遠目もきくシスが口を開いた。
「あれ、完璧に白骨だね。それも、モンスターじゃなくて、多分、人骨」
「気分が落ち込む情報を、どうもありがとう」
 軽口を叩いて気を逸らしたけど、事実から目を背けることは出来ない。それらに近付いて、じっと凝視することで状況を確認する。
「この盛り上がってる部分は祭壇なのかな」
 どれ程に古いものかは分からないけど、人骨が散らばってる近辺は、正方形を底辺とした四角錐、つまりはピラミッド構造を形作っている様に思えた。土くれがボロボロに風化してしまっていて、只の起伏に見えないことも無いんだけど。
「うーん」
 人骨や祭壇と言われて思い当たることと言えば、ヒミコ統治時代の悪習、山の神への供物として供えられた人達だけど――。
「生贄、か……」
 悲しい話だけど、自然災害を鎮める為だと信じられて、生きた人間を供えるという話は、世界各国、何処にも少なからず存在する。しかもその相場は、大概が若い女性と決まっている。何て言うか、立場が弱い人を強制的に追い込むのって、遣る瀬無い話だと思う。
「そう言えば、さ。深く考えなかったけど、結局、どういった理由でこんなことしたんだろう」
 この儀は、今は亡きヒミコのみが関わっていた為、トヨ様や側近も詳しい事情を知らないんだそうだ。国内が混乱して、そちらを落ち着かせるのを優先させないといけないこともあって、調査に力を注げなかったのも一因だとか何とか。
「幾つか一般的な可能性を考えますと、政治的求心力の増大が考えられますわ」
「つまり、人身御供をするだけの『権力』を見せ付けることで、大巫女の地位を確立させるってこと?」
「神職者としては、余り考えたくない可能性ではありますの」
 ってか、それ以前に人間として反吐が出そうになる。
「他には、ヒミコが人を捧げることで、本当にこの火山活動が収まると考えていたか――」
 だけど、トヨ様の聡明さから考えて、この可能性は低い様に思える。偉大とまで言われたヒミコが、十歳そこそこのトヨ様より世の理を把握していなかったとは思えない。権力と能力に溺れて、理性的な判断が出来なかったってことも、有り得ないとは言い切れないけどさ。
「第三の可能性ですが――」
 ここでアクアさんは、言葉にするのを躊躇うかの様に、一拍の間を取った。
「並の人間では太刀打ち出来ない、モンスターが棲み付いたという展開がありますわ」
 その言葉が放たれた途端、周囲の温度が更に下がったかの様に感じた。
『ギャァァルアァァァ!!』
 唐突に、洞穴全体を揺るがすかの様な轟音が響き渡った。全身に、ビリビリと痛い程の衝撃が伝わってくる。
「第三の推察で、ほぼ正解だったかな」
 成程、ここに散らばってる骨は、食事の結果だったって訳か。何でヒミコが事実を隠してまで民を差し出したかという疑問が湧いてきたけど、状況確認の方が先だ。思考をそちらに切り替え、戦闘体勢をとった。
「方向としては、こっちの方だったよね?」
 今までの、ほぼ直線だった通路から見て右に折れ曲がった方向を指差し、同意を求める。二人が小さく頷くのを確認して、僕はツバを飲んだ。
「行こう。大丈夫、今の咆哮からして、居るのはかなり大型のモンスターのはずだ。二人で入るのが精一杯のこの通路じゃ、効果的な攻撃なんて出来る訳がない。前方と後方の急襲にさえ気を配っておけば、そこまで危険なことは無いと思う」
 半分は自身に言い聞かせる為の気休めに、楽観的な論理武装を口にした。
「余りに開けた場所に出そうだったら、様子を伺って、撤退も視野に入れるよ。ことの確認は重要事項だけど、勝てそうもないモンスターに策も無く挑むのは蛮勇だからね」
 仮にも僕はリーダーとして、二人の命も預かっている身だ。自分達と敵の力量がどれ程で、果敢と無謀の境目がどこにあるかは、確実に判断しないといけない。
「ま、何だかんだで命は大事だよねー」
「異論はありませんの」
 意思の疎通をはかったところで、装備品を見回し、不備が無いことを再確認する。ここからは、一つの失策が普段以上に重くのしかかってくるはずだ。気を引き締めなおして、慎重に一歩を踏み締める。
『グルゥギャアォゥ!』
 再び、激震にも等しい咆哮音が地底内を揺るがした。この先に居るのは、ほぼ間違いなく何らかの大型生命体だ。今の声は、地鳴りや笛の原理で鳴る空気の流れなんかじゃない。明らかに、意思を持った生き物の叫びだ。こんな地底の奥深くで一体、何をしているのか。知りたいと思う気持ちと共に、焦燥も心の中に満ちていき、不安定な気分になってしまう。
「ん?」
 通路の先が、やや明るくなっていることに気付き、注意を促す。この赤い光は、溶岩のものだろうか。開けた場所に繋がっている公算が強いと考えて、尚のこと警戒を強めた。
「ここは……」
 地底の奥底、冥府にさえ繋がっていそうなこの深さに、その空間は存在した。小さな城くらいなら建築できそうな、高く、そして奥行きのある空洞。下を満たしているものが水と溶岩の違いはあるけれど、エルフの隠れ里近くの地底湖にも似た場所だ。この広さなら、大型モンスターの一体や二体、隠れ住んでてもおかしくない。
 そんな、溶岩湖とでも言うべき巨大な溜め池の中心は、辛うじて岩肌が線となって渡り歩けそうだ。視線を上げて、最奥部に目をやる。
「!?」
 そこに居たのは、遠目でも確認出来る程に大きな、緑色の肉塊だった。 
「シス、あれ、何に見える?」
「んー。多分だけど、爬虫類系のモンスターかなぁ。大きさから言ってドラゴン族の可能性が高いけど、あんな奴、聞いたことないなぁ」
「具体的に、どんな形してるの?」
「んっと。首と頭が三つ以上あってね――」
「シス。こんな時に茶化さないの」
 本当、良くも悪くも平常心って言うか、自分を曲げないって言うか。
「いやいや、マジだってば。だから、見たことも聞いたことも無いモンスターだって言ってんの」
「え、冗談じゃなかったの?」
 首と頭が三つ以上って、それ、蛇みたいに細長いのが絡み合ってるだけじゃないのかなぁ。それで胴体が一つだとしたら、意志決定とかどうするんだろうか。
「他に、何か特徴は?」
「中心の頭のおでこに、何か黒っぽいものが付いてるね。これ以上は、ここからじゃ良く分からないなぁ」
 僕達が居るのは、半球状の空洞の端、細長い通路の出口部分だ。中心線を通る岩の背は、ちょうど通路へと掛かってるから歩いて近付くことは充分に可能だけど――。
「あれ、今、寝てるのかな?」
 ここから見る分には、身動き一つ確認できないから、特に活動はしてないと思うんだけど――。
「大きな岩が幾つも転がってるから、そこに隠れる格好で少し歩み寄ってみよう。シス。奴の動きを注視して、何か動きがあったらすぐに報告して」
「了解」
 シスに習った音を立てない歩き方で、そろりそろりとモンスターへ近付いていく。盗賊の技術がこんなところで役立つなんて、人生、何があるか分かったもんじゃないと思う。
「今のところ、じっとしたまんまだね」
 シスの言葉にも、緊張の糸を緩めずに歩を進める。何しろ、頭が三つ以上あるとかいう変り種のモンスターだ。音や視覚に関する感知能力が、その分、倍化されていたとしても不思議じゃない。
「ふぃぃ」
 三分の一程を渡ったところに、僕の背の倍はあろうかという岩があった為、そこに身を隠し、少しだけ息を吐いた。まだ、モンスターに特段の動きは無い。うん、これくらいの距離なら、さっきよりは見分けが付く。
 成程、たしかに一つの丸い胴体から、幾つもの頭が生えてる感じだ。奇妙奇天烈と言うべきか、独特の生態系を持つモンスターだからと考えるべきなのか。思案したところで纏まらないことは端に置いておくとして――。
「真ん中の頭の額に、黒いものだっけ?」
 僕の目では、この位置からでも、言われて何とか、ある様な気がする程度のことしか確認できない。
「ありゃ何だろうね。黒いのは糸の束……ヒゲみたいなもんなのかなぁ?」
「もう少しだけ、寄ってみよう」
 幸いにと言うべきか、ここからは、良い感じに岩が幾つもバラ撒かれていて、隠れる場所には事欠かない。
「少し、待ちますの」
 ここで制止の声を掛けたのは、アクアさんだった。
「これ以上、進むのは反対?」
「いえ、そうではなく、万一に備えてピオリムを掛けておこうと思いますわ」
 ピオリムは初歩の僧侶系呪文だけど、これを使うと足に羽が生えたんじゃなかろうかってくらい素早く動くことが出来るから、色々な局面で重宝する。シスが、才能の無さを悔しく感じた呪文の一つなんだけど、それはそれとして。
『ピオリム』
 アクアさんの杖から光が漏れ出て、僕達に伝播する。それと同時に全身が軽くなり、ちょっとした高揚感も感じ入ってしまう。うん、これならモンスターが相当に素早く動いたとしても、通路まで逃げ切るのは難しくないはずだ。
「それじゃ、行くよ」
 再び、こそりこそりと、ゴツゴツとした岩肌を進んでいく。傍から見たらカルガモの親子風のコソ泥集団かも知れないけど、こっちは真剣なんだからね。
「……」
 ちょうど真ん中付近まで来たところで、再び、足を止める。ここなら、相手がこっちの倍速で動けない限り、通路までに追い付くことは出来ない。炎を吐くなんて遠距離攻撃も考えられるけど、それならヒャドである程度は相殺出来るし、致命的な被害を受けるまでには至らないはずだ。
「ここなら、どう?」
「溶岩の明るさって、太陽の光と違うから、ちゃんと見えてないのかなぁ……」
「どうしたの?」
「あたしの目には、あれ、人間の上半身にしか見えないんだけど」
「はぁ?」
 唐突に妙ちくりんなことを言われ、意識せずヘンテコな声が漏れてしまう。
「幾らなんでも、そんなことは無いでしょ」
「じゃあ、自分で見てみたらいーじゃない」
「そう言われてもなぁ」
 僕もそんなに目が悪い方とは言わないけど、シスとは端から、勝負をする土俵にすら上がれない。何しろ、三ブロック先に落ちてる硬貨を見分けられるくらいだからね。目を細めたり、寄り目にしたりして、何とか目的を見定めようとする――。
「え……?」
 自分の目を、疑いたくなった。あれはたしかに、人の上半身だ。くっきりと根元が見える訳じゃないけど、構図的に考えて、魔物の額から生えてるということになるんだろう。そして、多分だけど、その人間は女性だ。身体の線は分からないけど、あの艶やかな黒髪は、その可能性が――。
「!!」
 全身に、雷鳴が落ちたかの様な衝撃が走った。よもやという仮定が頭を駆け、次いで、まるでパズルのピースが埋まるかの様に、陰影は滑らかに具体的な形を作った。
 僕は、あの人を知っている。ううん、そんな生易しいものじゃない。僕の人生で、屈指に深く関わってきた内の一人だ。
「姉さん! トウカ姉さん!」
 矢も盾もたまらず、僕は岩陰から飛び出して、魔物へ向かって駆け出した。

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