邂逅輪廻



「……」
 朝一番で出発する為、日が沈んですぐ床に就いたんだけど、妙に神経が昂ぶって寝入り端に目が覚めてしまった。
 うーん、ちょっと気が急きすぎてるかなぁ。たかだか三年前の話だというのに、まだ、兄さん達の確たる情報を持った人に出会えてはいない。ここまで来て、完全な空振りって可能性もあるっていうのに、何処か結果だけを求めすぎてる感じがある。
 ダメだな。ちょっと地に足を着ける為にも、外の空気を吸って気持ちを入れ替えてこようっと。
「すやすや」
「くーくー」
 それにしても、実質的に初めてシスとアクアさんと同室で泊まった訳だけど、まさか二人して腰縄付けて寝てるとは思わなかったなぁ。盗賊稼業の活動時間を考えれば当然の処置かも知れないけど、知りたくない現実だった気がしてならない。
「……」
 なるべく音を立てないように、こっそりと窓から外に出る。天を見上げてみれば、何処までも遠く感じさせてくれる星空が輝いており、一際大きく光る真円の月が、十二分以上の視界を与えてくれた。
 さて、と。あんまり変な動きすると不審者として処罰されそうだから――。
「ん?」
 何だか、何処かで見掛けたことのある小さな人影が見えた様な?
「トヨ様?」
「はにゃふにゃ!?」
 いやいや。幾ら驚いたからって、そんな人間が発しそうも無い言語を漏らさなくても。
「な、何じゃ、御主か」
「何してるんです?」
「夕涼みじゃ。見れば分かるであろう」
「仮にも国の要人が、夜更けに一人でですか?」
「じゃからこうして、人目を忍んでおろう」
 うーん、僕にあっさり見付かった時点で、頭隠して尻隠さず状態だと思うけどなぁ。
「まあ良い、そなたも参れ。護衛の任を授けてくれる」
「僕って、一応、賓客扱いだったはずじゃ?」
「細かいことは気にするでない」
 やれやれ、女性に振り回されるのは僕の宿命なのか、或いは世界中の男がそうなのか。又しても解き様の無いパズルを手渡されて、気が滅入ってしまう僕なのであった。


「ふむ、今宵は空も澄んでおる。月を愛でるには、格好じゃの」
「月を愛でる、ですか」
 トヨ様の館から少し離れた場所、少し開けた丘で二人して腰を降ろした。月輪は相も変わらず眩しい程に自己を主張していて、夜だというのに少し目を細めてしまう。
「何じゃ、そなたの国では月見をせんのか」
「余り、聞かない風習ですね」
「もったいなきことよの。涼風の中、日毎にその姿を変える孤独な王を見遣り、常世の深遠さと儚さに想いを馳せる――これ程に風情に満ちたこと、他にはあるまいて」
「改めて聞きますけど、トヨ様って何歳なんですか?」
「おなごに、齢を聞くものでは無いぞ」
 心から素直に出た質問だったんだけど、はぐらかされた気がしてならない。
「余の婿となる者であらば、些事は気にするでない。年齢と夫婦になる訳でもあるまいて」
 サラリと、聞き逃してはいけない発言があった気がした。
「何て言うか、婿は確定事項なんですか?」
「この世界に、確定事項などというものがあるものか。あくまでも、余の願望に過ぎん」
「……」
 あれ? ひょっとして今、物凄く恥ずかしい台詞を言われなかった?
「まあよい。そなたは今、それどころではなかろうて。大願を果たすまでは、待ってくれようぞ」
「ハハ……」
 あ、ダメだ。乾いた笑いしか、漏れてこない。
「それにしても、確定事項は無いって――大巫女として、何か間違ってません?」
「占いは、あくまでも可能性が高い道を示しているに過ぎん。全ての事象が事細かに分かるというのなら、余がとうの昔にバラモスを滅しておるわ」
 うーむ、何ていう正論。意外にも、客観的で冷静な判断が出来る人だったんですね。
「それにな。余は余自身の未来を見ようとは思わん」
「はえ?」
 予想外なことがあると変な声が漏れるのは、世界共通なのかなぁ。
「何を呆けておる」
「い、いや」
 普通、それなりにでも先のことが分かるなら、第一に自分の為に使うものなんじゃないのかなぁって。
「そなた、己の死期や分水路を目の当たりにして、生きる甲斐があると思うておるのか?」
「ん〜?」
 真顔で問い掛けられ、少し真剣に考えてみる。人生には、生と死の間に、様々な山や谷がある。親元から離れる日、結婚、出産、子供が旅立つ日、伴侶との別れ――それらがいつ、どの様にして訪れるか知っていたら、僕は正気を保っていられるだろうか。
「成程、ね」
「であろう。余には幾ばくか先を見る力が備わっておるが、それを政や人の生き様の一助以上に使おうとは思わん。例えその結果、ジパングや余自身、或いは世界そのものが滅ぼうともじゃ。人智を越える存在が居たとして、何ゆえ、この様な力を与えたもうたかは知らぬが、余は人の分を越えた力だと思うておる。それゆえ、余は生涯、枷を嵌めて生きるのじゃろうな」
 人智を越えた存在という言葉を聞いて、レイアムランドで聞いた、『神』の存在を思い起こす。トヨ様の力は、件の神様が備えさせたものなんだろうか。それとも、単に魔法に優れた家系っていうだけなのか。どっちにしても、この力は自制を必要とするという点については、幾らか同意出来た。
「思えば、叔母上も余と似た力を持っていたと聞く。或いは、自身を律することが出来なんだのかも知れんのぉ。余も、戒めとせねばならんな」
 それにしても、本当にこの子は年下の女の子なんだろうか。レイアムランドの少女達みたいに、見た目だけ若い可能性も、否定出来ない気がしてきた。
「人の分に過ぎた能力、ですか。何て言いますか、僕には無いものなので、心の底からは分かりませんけど」
「何を言うておる。余と御主は、良く似た存在じゃぞ」
「そう、ですか?」
 片や、七歳位から国の代表を務めている麒麟児、片や、父と兄がそうであったというだけで勇者として送り出された臆病な少年、比較するのも、おこがましいと思ったりするんだけど。
「年端に合わぬ肩書きを背負わされ、国難に立ち向かうべく立たされたとすれば、同質であろう」
「物は言い様ですね」
 口先は、政に携わる者の必須事項。 本当、神様とやらはどれだけの才をこの子に与えたんだろうね。
「じゃが、そなたは余と違うて肩書きの全てを受け入れてはおらん。そこが最大の相違であり、生き様の差となっておるのじゃろうな」
「生き様、ですか?」
 あれ、この流れ、ひょっとして僕、説教されるの?
「御主、一体、何に怯えておるのじゃ」
 棒状の扇子を眼前に突きつけられ、まじまじと問い詰められる。
 僕が……怯えている?
「死ぬのは……怖いです」
 真っ先に脳裏をよぎった恐れを、口に出した。
「そうではない。死と孤立に対する畏怖は、人が持つ原始の感情。持たぬ方が狂人であることを敢えて問い質す程、余も愚かではないわ」
「じゃあ、一体――」
「言うてやろうか。そなたには英雄となることを拒む心がある」
 ビリリと、雷撃を食らわされたかの様な衝撃が走った。
「正確に言うのであれば、名が知られ、兄と比肩されることを、かのぉ」
 正鵠を射るとは、正にこのことか。僕の心の一番深い部分を暴かれて、寒空の中、薄着で放り出されたかの様な心持ちになってしまう。
「それも、占いの力ですか」
「余を甘う見るでない。身の上を知り、人となりを見ればその程度のことは分かるわいの」
 いえいえ。普通というか、百人居たら百人はそれが出来ないから、人間関係は複雑なんですってば。
「たしかに、そうかも知れませんね。僕は、兄さんと比べられるのを嫌って、憧れの気持ちで覆い隠していた気はします」
 魔法使いの道を選んだのも、多分にそういう感情があったんだと思う。体力的な面では絶対に勝てないのが分かっていたから、せめて魔法だけは兄さんを越えたい。無意識に近いけど、そういう考えはあったはずだ。
「でも、それって悪いことですか?」
 トヨ様も言った通り、才能は残酷なまでに人を線引きする。それを認めた上で別の道を極めようとするのは、選択肢としてあって良いはずだ。
「そうさのぉ。人の生き方はそれぞれゆえ、否定も肯定もせぬが――」
 天蓋を見上げていたトヨ様が、再び僕の方へと首を動かした。
「御主は、ゆーしゃの任を受けたのであろう? 経緯や腕に差異があろうとも、その時点で兄と同格であろうに。何ゆえ、卑屈になる必要がある」
「それは――」
「心の機微が分からぬ訳ではない。憧れであった存在を越えてしまうことへの躊躇いがあり、それが枷となっておるのじゃろう。断言しても良い。そなたは、兄を怖れている。純粋な劣等感と言った方が的確やも知れんがの」
「……」
 一言の反論も出来なかった。心の内を暴かれたこともそうだけど、トヨ様の言葉は、一つ一つが重い。五つ六つ年下の女の子の言葉が、荒縄であるかの様に、僕の心を締め付けた。
「一つ、問うて良いか?」
「はい」
「御主は兄とその仲間、そして父を探しておるという話じゃったが――見付け出した暁には、どうするつもりなのじゃ?」
「どうって……一緒に帰りますよ、アリアハンに」
 爺ちゃんと母さんが待ってるんだ。将来的に家を出る可能性はさておき、当面、それ以外の選択肢なんて無い。
「それは、全てが終わった後の話であろう。バラモス退治はどうするのじゃ」
「……」
 又しても、深く考えることを避けてきた部分を抉られた。兄さんと姉さんを追ってジパングまで来たけど、その後は――。
「考えて……ないです」
「であろうのぉ。それも又、そなたがゆーしゃを受け入れておらぬ一つの証拠じゃ。恐らくは、兄を見付け、任を全て押し付けようとしておる」
「だって、兄さんの方が強――」
 出かかった言葉を、強引に飲み込んだ。事実は、事実だ。仮に僕がついていくとしても、足手まといにしかならないかも知れない。
 それでも、これを口に出してしまったら、僕を勇者として認めてくれるアクアさんやシスを裏切ることになる。勇者として以前に、人として、それだけは出来ない。
「あるがままを自分の一部として認めることじゃな」
 そう言って、トヨ様は草を枕に大の字となった。
「人は、完璧には出来ておらん。じゃが、同時に脆くも出来ておらぬ。視界を広げ、ゆーしゃであることを自分の血肉とすることから始めると良い。余がジパングの大巫女トヨであると身体の隅々に行き渡った折、無限の大海原が広がるが如く心が開けたことは、生涯、忘れぬであろう」
 再び、首だけを動かしてトヨ様はこちらを見遣った。勇者を、自分の血肉にする――勇者って、他人や功績に依ってじゃなくて、自分の意志でなるものなのか。今の僕には、難しすぎる問いだった。
「それが出来ぬのであれば、その時こそ余の婿になるがよい。なぁに、余は御主の器量ではなく、魔術の才に期待しておるでの。今のままでも、さしたる問題は無いわ」
「……」
 いやぁ、その期待のされ方は沽券に関わりそうなんで、余り嬉しくないかなぁ。
「トヨ様は、優しいんですね」
「ほぉ、分かっておるのぉ」
「きっと、将来は良い女になりますよ」
「うむ、何しろ余は、せくしーぎゃるじゃからの」
「ハハ……」
 意味、分かって使ってるのかなぁ。
「紛れもなく、だいなまいとばでーじゃ」
 うん、今、確信した。ことこの台詞に関しては、勢いで喋ってるだけだ。
「まあ、案ずるでない。人とは、長き齢を掛けて完成へと近付くもの。この若さで全てを悟れたら、後人生がつまらぬわ」
「トヨ様こそ、随分、人生の奥深さを知ってる様に見えますが」
「若いのぉ。女とは、騙る生き物じゃぞ。この程度の外面を見誤る様では、苦労が耐えぬじゃろうな」
 安心して下さい。女性に振り回されるのは日常で、むしろ耐性が出来てます。
「さて、そろそろ戻るとするかの。過ごし易い季節とはいえ、夜風が身に染みる頃合になってきたわ。それに、逢瀬と思われでもしたら、ことじゃしのぉ」
「それもそうですね」
 ところで、半分、何も考えずに相槌を打っちゃったけど、おーせって何だろう?
「……」
「どうしました?」
「ヌシには、ちと早すぎたやも知れぬな」
「?」
 はて、トヨ様は何を言ってるんだろうか。やっぱり、僕には女の子の気持ちはさっぱり分からないや。

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