邂逅輪廻



「これが……」
 馬車に揺られ辿り着いた先は、ポルトガ城に間近い港だった。そこには大型船が幾つも停泊しており、遠目でもその勇壮さが確認できた。こうして真下から見上げると、船という感覚は殆どなくなり、御屋敷か、或いはちょっとした要塞としか思えない程の大きさだ。これが水の上に浮いて、自在に動けるだなんて俄かには信じられない自分が居た。
 ここには、薄汚れたと言っては失礼かも知れないけど、年季の入った船が多い。かつて海洋大国だった時代からの艦だからなのか、或いは、クワットさんが言うところの政治腐敗に依る整備費用不足が原因なのか。とにもかくにも、傷だらけの船体と補修痕が、生々しく、そして痛々しく思えた。
 そんな中、一つだけ違和を覚える程、目に付く船があった。生木に近い薄い乳白色の船体に、傷の少ない滑らかな外観。底にこびりついている苔やフジツボの類も少なく、明らかに新造艦だ。
「もしかして、これが――」
「うむ。既に着水式を済ませ、ロマリアまでの試験運行はしたものの、紛れも無く君の為の船だ」
 『君の』という言葉を強調された気がして、少し、気後れしてしまう。
「乗ってみて、良いですよね?」
「聞くまでもないよ」
 確認の意思を合図として、僕は船へ向けて駆け出した。何だか、期待と希望で胸がバクバクと鳴ってる。小さな頃、誕生日の前日に緊張して眠れなかったあの感じにも似た心持ちが、今の僕を支配していた。
「うわ……」
 甲板から見渡す光景を一言で表現するなら、蒼だった。大海原の、ともすると吸い込まれてしまいそうなまでに深い蒼と、天空の、何処までも奥行きを感じる無限大の蒼。この高さでさえ息を飲んでしまうくらいの絶景なのに、見張り台に上がったら何が見えるんだろう。
 だけど、いきなりあそこまで行くのは、結構、勇気が――。
「あたし、ちょっと上まで行って来るね」
「……」
 そういえば、何とかと煙は高いところが好きって言うよね。いや、シスがそうだって言ってる訳じゃないよ?
「シスー。何が見える?」
「んー、空と海と雲」
 物凄く端的な説明ありがとう。
「よっ、と」
 シスの後を追う格好で、僕もマストの上の見張り台へと登ってきた。
 うわ、これ、危ないって。縄梯子に掴まってた時は目の前しか見てなかったから大丈夫だったけど、良くこんなところまで来れたなぁ。降りられるか、ちょっと心配なんだけど。
「ところで、シス」
「ん?」
「こんな高いところで、どうしてそう、柵から身を乗り出すことが出来る訳?」
 僕なんて、ほんの少し重心が上がるのも御免で、膝をついてるんだけど。女の子座りとか言い出さないでね、うん。
「だって、こんな高いところ来たら、何か気分良くならない?」
 シスにとって盗賊は天職かもと思わされる意見ではあった。だけど世の中にはトビとか、高いところ専業の御仕事が意外とたくさんあるんだよ。旅が終わったら、少し考えてみようね。
「それにしても――」
 世界は、何て広いんだろうか。甲板からは良く分からなかったけど、海の向こう側に陸地をうっすらと視認できた。あれは、イシスがある大陸だろうか。いや、もしかすると、地図を見ただけでは意にも介さない、小さな島かも知れない。
 こんな大きすぎるもの、僕みたいな人間は始めから手に収めようとも思わない。バラモスは何を考えて、世界を征服しようとしているんだろうか。答えようの無い問いに、僕の頭は少し混乱して、いつの間にか霧散して消えた。
「あれ?」
 今、沖の方に大きな船が見えたような……何だ、遠洋航海は殆ど行われて無いって言われたけど、大袈裟だったみたいだね。ちゃんと船、走ってるじゃない。
「ねぇ、シス、もう一つ良い?」
「どしたの」
「完全に下を見る勇気が無い状態なんだけど、どうしたら良いかな」
 勇者って、勇気があるから勇者なんじゃないの、って言われそうだけど、少なくても僕に関しては当て嵌まらないよ。考えように依っては、勇気の無い勇者って斬新だよね。只の現実逃避なんだけどさ。
「ん〜。高いとこが怖いって心理が、どうしても分からないから、何とも言えないかなぁ」
 そりゃ、シスみたいに柵にお尻乗せて座れるくらいのバランス感覚があれば、何の問題も無いだろうけどね。
「落ちたら死ぬな〜とか思ったりしないの?」
「ん? 何やってたって、人間、死ぬ時は死ぬんだよ?」
 え、高所に対する苦手意識って、人生観から矯正しないと改善しない訳? とてもじゃないけど、この数分でそこまで達観するのは無理なんだけど。
「よっ……と」
 結局、根性無しの僕は、ロープを腰に巻き付け、もう一方を柵に結び付けることで命綱としましたとさ。
 うう……もう、勢いでここに登るのはやめようっと。
「どうですかな、船の感想は」
「あ、はい。実に良いです」
 実際、こんな大型船に乗ったのは初めてだし、甲板と見張り台しか見てないんだから、正確に評することなんて出来ないんだけどね。
「しびれくらげがパイレーツ〜♪ 陸に上がって干からびる〜♪」
 ところで、船首で奇妙な歌を口ずさんでる僧侶さんはどう処理すれば良いんだろう。
「アクアさん、何ですか、それ」
「ロマリアでは、出航前にこれを歌っておくと、無事に帰ってこれると言い伝えられてますの」
「へー……」
 思いっきり、生返事をしてしまった。いや、他国の風習に口を出すのはアレなんだけど、かと言って特に感性に訴えかけるものがあった訳でもなく――この反応、間違ってないよね?
「そういえば、船乗りと言えば、儀式があるらしいんですの」
「儀式?」
「あー、あれでしょ。新入りは、舳先から海へ飛び込むって奴。気絶するまで繰り返すんだっけ」
 シスが補足する形で、儀式とやらの実態が明らかになる。
 ってちょっと待ったぁ!
 一体、誰がそんなことやるのさ? 
 そもそもそれ、海賊の流儀じゃないの?
 はっきり言って、僕は無理だからね。高いとこが大丈夫なシスがやってよね。
「ハハハ、坊や、心配することはないですよ」
 と、ここでアントニオさんが割って入ってきた。
「向こうの大陸で活躍してると言われてる海賊団じゃあるまいし、今時、そんなことを海の男はやりません。そもそも、君達一行は、この船のオーナー扱いで乗る訳ですからね。堅苦しく考える必要はないですよ」
「そ、そうですよね」
 ほっとした。今、僕は心の底から安堵感を得たよー。
「と同時に、君達の立ち位置も、認識してもらう必要があります」
「はぁ?」
 笑みを浮かべていたアントニオさんの顔が、いきなり真面目なものに変わったので、こちらも少し強張ってしまう。
「君達は、この船のオーナーだ」
 その件に関しましては、腹を括ったので、もう繰り返さなくても良いです。
「しかし、航海中は、あくまでも客人に過ぎない」
「……」
 ん?
「船頭多くして、船、山に登る、という言葉を聞いたことがあるでしょう? 海に於いて命令系統が乱れるということは、即、死に繋がる訳です。決定を伴う行動を取る時は、必ず、船長である私を通すこと。言うまでも無いことかも知れなかったけれど、ここは大事なところなのでね」
「いえ、そんなことはないです」
 割と奔放なパーティで行動してきたせいか、そういう意識が低かった。三人くらいならいざ知らず、この船には十人単位の人が乗り込む。いざって時に命令が二つ出たら、どっちに従ったら良いか分からなくて混乱するよね。
「ってことだから、シス。つまみ食いなんかしても、僕達に揉み消す権限は無い訳だからね。大人しくしてるんだよ」
「何であたしにだけ言うかな〜」
 いや、だってシス、職業が職業じゃない。
「とまあ、堅苦しくなってしまったが、あくまでこれは、命令系統の上下関係を明確にしたに過ぎない。普段は出来る限り、貴賓として扱うから心配しないでくれたまえ」
「あ、はい」
 基本、路銀は節約して慎ましい旅をしてるから、そんなには必要ないですけどね。
「とはいえ、海に出る以上、食料の問題は常に切迫していると思って貰いたい。つまみ食いなどをした日には、船員達の反感を買うのは間違いないと言えるだろう」
「だから、あたしだけ見て言わないでってば」
 ハハハと、皆で笑い合う。その間、シスはずっとふくれっ面だった訳だけど、ま、いつものことだよね。


 三日後――ポルトガ王国第三埠頭にて。
「それじゃ、クワットさん、行ってきます」
「ええ、良き航海を。そして願わくば、良き戦果を」
 ここ数日で、この、期待に満ちた顔を軽く受け流せるくらいにはなっていた。うん、これが大人の階段って奴だよね。
「例の件、宜しくお願いします」
「分かっていますよ。アレル殿、並びにその仲間の消息を知り得ることが出来たのなら、お伝えします」
 当然のことながら、大商人であるクワットさんの情報網は、一介の旅人である僕達を遥かに上回る。色々と考えたけれど、今、優先すべきことの一つは、兄さん達の消息だ。ここまで来たら、とことんまで甘えてしまおう。
「何から何まで、お世話になります」
「ふむ。商人に対する礼は、言葉を用いなくて結構。常に利でお返し頂きたいね」
「ハハ……」
 何だか、ここまで本音で喋られると、一回りして好感が持てるから不思議だ。
「あ、そうだ」
 準備やらが立て込んでいたせいで、一つ、聞き忘れていたことがあった。
「この宝珠、何だか分かりますか?」
 兄さんから受け継いだ血濡れの宝珠――若干、見せるのを躊躇う気持ちがあったのは事実だけど、ここまで来たら、腹を括るしかない。
「ほぉ、これは食指が動かされるものですな。見たところ、極上の宝石を遥かに上回る価値があるようです。どうです、一億ゴールドで譲ってみませんか?」
「……」
 やっぱり、見せたの間違いだったかなぁ……。
「冗談ですよ」
 いやいや。幾ら僕が子供でも、本気と冗談の目くらい見分けつきますから。
「あ、あの、それ――」
 あれ? アントニオ船長、そんなに慌ててどうしたの?
「もしかして、それはオーブというものでは?」
「オーブ?」
 船長の言葉に、小さく反応する僕の心臓。この遣り取りが、これからの僕達に大きな影響を与えるだなんて、まだ、この時は気付いてなかったんだ。

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