邂逅輪廻



「はぁ……」
「どうしたんだい、坊や。海の男は、そんな弱気な顔を見せるもんじゃないですよ。ささぁ、酒を飲んで、悩み事なんて忘れてしまいなさい」
 いやいや、僕、海の男じゃないし。そもそも忘れちゃったらまずいし。大体、飲んでも殆ど酔わないし。
「何をそんなに悩んでおられますの?」
「何をって……」
 今、この局面で問題と言えることなんて他に無いと思うけどなぁ。
「あくまで意見として言わせて頂くなら、貰ってしまえば良いと思いますわ」
「そーだよねー。何しろ、只でくれるっていうんだから、普通は即答だよね」
 脳天お気楽な思考回路って、本当、羨ましいなぁ。
「あ、そういや、ちょっと面白い話聞いたよ」
「うん?」
「二人が賭場で稼いだお金じゃ、外洋航海に耐えられる最低線の船でも、五分の一にもならないってさ」
 ぐはっ、何処が面白いんだよ。むしろ追い討ちじゃないか。
「あーうー」
「ってかさ。何で、そんな唸ってるの? もう、他に手段無いっぽいし、貰っちゃえばいいじゃん」
「もしや、話が美味しすぎて、罠か何かと思ってらっしゃいますの?」
 いや、それもほんのちょっとくらいはあるけど、大部分はそれじゃなくてさ。
「だって、船だよ? 普通に働いてたら、一生、買えないくらいのものだよ? 便宜上は借りるってことにしたって、何処で難破するか分からないし、そんなものをポンと貰うなんて――」
「重荷ですの?」
「そりゃまあ、あんなでっかいもんを背負える力自慢なんて、あんま居ないよね」
 微妙に、話を茶化された気がしてならない。
「でも、アレクさんはアリアハンの勇者なのですから、今更、一人や二人、背負う方が増えたからといって――」
「違うよ」
 アクアさんの言葉を遮る形で、言葉を吐き捨てた。
「あの人達は、父さんや兄さんの代わりを求めてるだけだよ。僕自身なんてどうでも良いって思ってるのさ」
 勇者として旅立ったことに後悔の念は無いけれど、故郷の為にという想いは薄い。家族や友達くらいは守りたいって意志はあるから、自分でも少し屈折してると思うけどさ。
「わたくしは、アレクさんを、勇者だと思っておりますわよ」
「……」
 屈託の無い笑顔で、きっぱりと言い切るアクアさん。ああ、もう、この人はズルいなぁ。
「ちょっと……散歩してきます」
 少し、一人になって頭を冷やさないと、気持ちが落ち着きそうもない。完全に、頭が茹だってる状態だ。
「晩御飯までには、帰ってきて下さいね」
 何て言うか、アクアさんって、完全に母親目線になってるよね。
「あ、それじゃあたし、カクテルお代わりね。代金はあのお兄さんが後で払うから」
 去り際に、シスの手前勝手な声を聞いた気がするけど、何かもう、どうでもいいや。


「ふぅ……」
 潮風が、目と鼻をくすぐる。ポルトガ城下町は海に面しているから、アリアハンと似た雰囲気を感じて、少し落ち着いた心持ちになったりする。旅をしていると、何があっても、故郷はやっぱり故郷なんだなって思わされるのが皮肉だ。
「格好悪いなぁ、僕」
 不安定な心を少し掻き乱されただけで、八つ当たりにも似た形で噴出させてしまう自分が嫌いになってしまいそうだった。あの二人は気にもしてないだろうけど、戻った時、どんな顔したら良いか、分からなかった。
「とりあえず、まだ日も高いし……」
 何処か、海を見渡せる場所にでも行って、一人でゆっくり考えよう。うん、大きいものを見続けてれば、僕の悩みなんてちっぽけなものだって思えるはずだよね。
「ん?」
 何処からともなく喧騒を知覚し、周囲をキョロキョロと見回してみる。
「だぁかぁらぁ。ちょっと茶シバこうって言っただけだぜ? んな棒で小突くこたぁねえだろ」
「姉さんに、近付くな」
「んだと、ガキが! 引っ込んでろい!」
 なんだなんだ、揉め事? やだなぁ、こんな落ち込んでる時に。でも一応、肩書きは勇者だし、聞いちゃった以上、通り過ぎるって訳にもいかないよね。
「おい、チビ。今なら、詫び入れりゃ許してやるぜ」
「その、『チビなガキ』を相手にして、ムキになってる大人に示す態度なんて無い」
「んだとぉ!」
 野次馬達が遠巻きに見詰める中心に居たのは、見るからに荒くれといった男が数人に、少年少女の二人組だった。さっきから男と言い合っているのは、小柄な少年の方だ。年にして十一か二といったところか。独特の法衣と手にした杖から察するに、アクアさんと同じ僧侶か、或いは見習いなんだとは思うけど――。
「舐めんなよ!」
 刹那、荒くれの一人が少年に向けてその右拳を振り下ろした。
 わー! ちょっと待った! まだ僕、仲裁に入れる間合いじゃないんだからさ!
『スカラ』
「ガハッ!?」
 直後、男の腕が、男の子の纏う青白い光に依って弾き飛ばされた。
 今のは、個人の物理的な守備力を高める魔法使い系呪文、スカラだ。
 え? あの子、魔法使いなの?
「やっぱりね。腕っぷしが強い様に見えて、結局は腕力頼みの素人に過ぎない。拳も満足に作れないんじゃ、僕に痒みさえ与えられないよ」
 それにしても、口が悪いなぁ。物腰は大分違うけど、何かクレインみたい。
「ガキがぁ!」
「!」
 言うなり、激昂した男の一人が、腰に帯びた得物、円月刀を抜いた。ちょ、ちょっと。それは洒落になってないってば。
「良いの?」
「あぁ?」
「それを抜いたら、街中での小競り合いじゃなくなる。例え殺してしまっても、僕らに咎めは無いよ」
「ざけんな!」
 途端、男は右腕を少年に向けて振り下ろした。幾らスカラで強化しているっていっても、生身であの刃まで防ぎきれるはずがない。
 僕と、あの二人までの距離は、飛び込んでギリギリ間に合うかどうかといったところ。うわぁぁ。焦って、剣がうまく抜けない!
『バギ』
 言葉と共に真空の刃が男の子の杖から発せられ、襲い掛かる男をズタズタに切り裂いた。そしてそのまま、ボロ雑巾みたいな格好でその場に蹲る。ざわついていた野次馬達は静まり返り、昼の街中だというのに、静寂が周囲を支配した。
 ところで、ちょっと左手の甲が滑って痛いんだけど、確認するのやだなぁ……。
「一応、加減はしたから大丈夫だろうけど、早く手当てしないと死ぬかもね」
「お、おい、大丈夫か?」
「ダメだ、完全に意識がねぇ」
「おい、このクソガキ。今日のところは勘弁してやるけど、月の無い夜は気を付けな」
「生憎、次に月が欠けるまでにはこの町を離れると思うけどね」
 万国共通とでもいうべき御約束の捨て台詞を、男の子はさらりと一刀両断した。
 っていうか、一応、助けようとしたはずなのに、巻き添えで左手を怪我した僕の立場って……薬草は持ってきてたかな。
「……ん?」
 左手の痛みと、何とも言えない遣る瀬無さのせいで失念してたけど、冷静に考えると違和感が残る。スカラにバギだって?
 スカラは初級レベルの呪文だし、バギも、少し経験を詰めばあの幼さで憶えられないこともないだろう。だけど、スカラは魔法使い系統の呪文だ。それに対して、バギは僧侶系統の呪文になる。基本的にこの二つは同時進行で憶えられるものではない。僧侶としてある程度の経験を詰んだ後に一から魔法使いとしてやり直す、或いはその逆をやった可能性もあるけど、この子の年齢からして現実的じゃない。
 ということは、もしかして――。
「ねぇ、あなた」
 唐突に声を掛けられ、ふと我に返る。顔を上げると、二人組の内、女の子の方がそこに居た。つばの広い円錐状の帽子に、金属を帯びない軽装は、典型的な魔法使いスタイルだ。年齢で言うと僕とアクアさんの間くらいに見えるから、十七、八といったところだろうか。さっき、男の子が『姉さん』って呼んでたから、姉弟なのかな。
「助けてくれて、ありがとう」
「あ、いや、僕は結局、何も出来なかったし」
 って言うか、結果だけ見れば只のヤブヘビだったよね。ああ、左手痛い。
「たしかにその通りだから、訂正する。助けようとしてくれて、ありがとう」
「……」
 何か、こっちはこっちで、独特の間を持つ人だなぁ。
「姉さん。そんなの、放っておいていいよ」
 いや、たしかに余計なお節介だったかも知れないけど、初対面の人にその態度もどうかと思うよ?
「ま、いっか」
 僕も結構、生意気とか言われてるし、本質的な部分ではどうでも良いことなので、端に置いておこう。
 それより、今、大事なのは――。
「君、賢者なの?」
 僧侶と魔法使いの呪文を同時進行で習得出来るのは、賢者だけだ。天賦の才に恵まれた上、厳しい修行を積まないとなれないとされる幻の存在で、僕みたいな魔法好きにとっては憧れの職業になる。実際、十五年生きてきて、実物を見るのは初めてなんだよね。
「だとして、君に何か関係があるの?」
「……」
 と言っても、人格的に尊敬できるとは限らないよね、うん。
「賢者だなんて大仰に構えるから、真実を見誤る。唯、両系統の呪文を同時に習得するだけのことだよ」
 いやいや。だけのことなんて言うけど、それが普通の人には出来ないんだってば。
「あれ、ってことは、ひょっとして君も?」
 魔法使いの風体で先入観を持ってたけど、こんな小さな子がってことは、もしかすると――。
「私は、途中で挫折した。今は魔法使い一本でやってる」
 ほらぁ。こんな身近にうまくいかなかった人が居るのに、何でそんなしれっとしてるのさ。
「でもまあ、これくらいなら」
 言って少女は、僕の左手に両手を添え、小さく呪文を唱えた。
『ホイミ』
 言葉と共に、淡い橙色の光が、僕の左手を包み込む。同時に、パックリと開いた傷口がみるみる内に塞がっていった。成程、僧侶魔法でも初歩のものなら使えるってことか。
 うーん、それにしても、アクアさんもそうだけど、何で女性に回復魔法を掛けてもらうと、こんなに気持ち良いんだろう。
「放っておいていいって言ってるのに」
「そういう訳にも、いかない」
 何か良いなぁ、この姉弟。兄さんが旅立った頃、ちょうど僕達もこんな年齢だったかな。もし一緒に暮らしていたらどんな感じになってたんだろうと、意味の無い想像をしちゃうよ。
「とりあえずは、これで」
「あ、うん。ありがと」
 血がポタポタ流れてたせいで、傍目にはそれなりの怪我に見えただろうけど、実際には単純な切り傷だから、意外と簡単にくっついたりする。
 まあ、バギ系統の魔法でついた傷って、刀傷に比べると余り血が出てこないんだよね。どういう理屈かは知らないけど、それも割とあっさり済んだ要因かな。
「じゃ、姉さん、行こう」
「……」
 女の子が、フルフルと首を振って、男の子の先導を遮った。はて、何かやり残したことあった?
「少し、お話したい」
「……僕と?」
 呆けた表情のまま自分を指差し、間の抜けた声を漏らしてしまう。
 な、何だか、見知らぬ人に話を持ち掛けられる日だなぁ。
「えーと――」
 実はというか何というか、こういう、初対面の人と世間話をするのが苦手だったりする。
 だって、何の話題振って良いか分からないじゃない。しかも、アクアさん並に何考えてるか分からない女の子相手にさ。
「今日は、良い天気」
「そう、ですね。ふと思ったんですけど、ルーラってあるじゃないですか。まあ、キメラの翼でも良いんですが。あれって、晴れの地方から晴れの地方へと飛ぶ場合は良いとして、雨の地方に行く場合、やっぱりずぶ濡れになるんですかね。いえ、やったことがないもので」
「……」
 うわーい。自分でも分かるくらい、完全にやっちゃった感がありますよー。
「中々に、興味深い着眼点。経験したことはないけど、機会があったら試してみたいと思う」
 え、えーと。こういうのって何て言うんだろう。一回りして噛み合ってるで良いのかな。何はともあれ、次は――。 
「海の町ですし、魚介類が美味しいんですかね。いえ、まだ朝昼と軽食を摘んだだけで、本格的な料理は食べてないもので」
「安くて美味しいものを食べたいなら、それが一番。肉は香辛料が高価すぎることもあって、特権階級でもないと食べられないっぽい」
 旅の流れ者二人が、立ち寄った国の名物を語り合うって、何か間違ってる気がしないでもない。
「それにしても、随分、不埒な輩に絡まれてましたけど、あれは日常なんですか」
 アクアさんも、似た様な目に合うことがあるから、困ったものだと思う。もちろん、ピオリム、ラリホー、マヌーサ、ルカニの四連コンボで簡単に撃退するんだけど、僕が何の威嚇にもなってないって事実は痛いよね。いや、男の端くれとしてさ。
「意外と、そうでもない」
 さりげなく、女性として自己主張された様な気がする。
「何しろ、こんな風体なもので、敬遠されがち。いや、本当、町娘の格好をしてれば需要はかなりあるはず」
 何だろう。この人は、あんな荒くれが相手でも、女性として声を掛けられたいのだろうか。女の人の心理は、今一つ分からないなぁ。
「ふぅ、それにしても、中々に充実した語り合いの時だった」
「……」
 自分で言うのもなんだけど、そうだったかなぁ? 
「何しろ、相棒がこの様にむっつりさんなもので」
「あ〜……」
 納得したついでに男の子を見遣って気付いたけど、何か凄いジト目で睨まれてるんですけど。え、何。君の中では、立ち話するのもアウトなの? いや、家族想いなのは良いけど、そこまで病的だと、お姉さんがお嫁に行く時、自決するしか選択肢無くなるよ?
「それじゃ、また」
「あ、うん、またね」
 手を振って、二人はこの場から立ち去った。
 しばらく、ボケーっと見遣っていたんだけど、完全に死角に入った頃に気付いたことが一つ。またって言われても、名前すら知らないんですけど。
 って言うか、何処から来たの? これから、何処へ行くの?
 あと数分話してたら、弟さんに殺されてた気さえしてたんだけど、その件に関してはどうでもいいの?
 数々の疑問が頭に浮かんでは消え、いつしか全てがどうでもよくなり、諦めの感情が心の大部分を占めたまま、溜め息をついた。
「あれ……僕、何しにここに来たんだっけ……?」
 一つのことに集中すると、もう一つが端に追い遣られる。思考回路の奥深さを感じ入りつつ、とりあえず一端、宿へと戻ることにした。


「やっぱさぁ、治世に求められる人材と、乱世に求められる人材は決定的に違うと思うのよ。無難なことをそれなりにこなすのは、泰平の世では優秀な領主とされるだろうけど、戦国の世だったら、只の食い物でしょ? そういうこともひっくるめて人を的確に評価しないで配置する今の上層部は分かってないっていうか何ていうかさ」
 宿に戻ってきた僕を出迎えたのは、完全に出来上がってマスターに絡んでるシスの姿だった。何やら、クワットさんとなら、実に盛り上がりそうな話題なんだけど――。
 あー、もう、何か色々な意味で、どうでもいいやー。

 Next

サイトトップ  小説置場  絵画置場  雑記帳  掲示板  伝言板  落書広場  リンク