僕達が賭場に足を踏み入れてから、数刻が過ぎていた。 今、僕の目の前には、チップが、ちょっとした壁とも思える程に積み上げられている。具体的な額については……高さや面積から計算すれば大体は出るだろうけど、今は面倒だし後で良いや。 「――」 目の前に居る賽振りも、既にお姉さんから数えて四人目だ。段々と、熟達した人を連れて来ているのは、勝率の減少からも分かる。だけど十回も遣り取りを重ねれば、その思考は概ね読み取れる。理屈の上では、テラ銭の差分以上の勝率となれば、種銭を増やせる訳だけど、ここまで順調すぎると、ちょっと怖い面もある。 それにしても、僕はたった一人なのに、相手は自由に選手を代えて良いって、随分と理不尽な話だよね。 「てめぇ……生粋のギャンブラーだったのか」 「勇者だったはずなんだけどね」 ちなみにクレインは、最初の方は少し勝ってたけど、良い様に踊らされて、あっさり種銭を使い果たしていた。まあ、これからの路銀に手をつけない辺り、まだ賢明と言えるのかも知れないけど。 「お客様……大した腕前で御座いますね」 不意に、痩せぎすの体躯をした賽振りが、声を掛けてきた。 「名のある博徒と御見受け致しますが、お名前を御伺いしても宜しいでしょうか」 実戦で博打をするのは初めてなんて、口にしたら発狂する人が出そうだからやめておこう。 「アレク……僕の名前は、アレク」 「アレク様。その御名前、心に刻ませて頂きます」 あれ? 今、気付いたんだけど、これって武勇伝の一貫になっちゃうの? ある意味、悪名じゃない? 「ところでアレク様、夜も大分、更けて参りました。鳥達も、目を覚ます頃合でしょう。次を最後の勝負とさせて頂きたく思いますが、如何でしょうか」 「そっちがそれで良いなら」 通常、賭け事の仁義として、勝っている方が終わりを申し出ることは出来ないものらしい。つまり手持ちの金が無くなるか、負けている方が降参するかの二つだ。当然、賭場の規模にも依るけど、お金が無限にある訳じゃない。ある程度を超えた場合、店を潰される可能性も鑑みて、引き際を設定するのも、妥当な判断と言えるだろう。 「だったら、ちょっと提案なんだけど」 「何で御座いましょうか」 「最後なんだったら、僕が賽を振っても良い?」 「アレク様が、で御座いますか?」 「うん、特別な勝負なんだから、特例ってことで。そしてディーラーさんが賭けられるのは、今まで僕が積み上げたチップの額までってことでどう?」 「おい、坊主」 意外にも、この申し出に対し真っ先に声を掛けてきたのは、直接の関係は無いクレインだった。 「自分で言ってること、分かってんのか。そりゃたしかに、胴は確率の上じゃ有利だが、それはあくまで長く勝負を見た場合だけだ。もしも二倍より上の目に当てられたら、場合に依っちゃ、今までの勝ちを吐き出すどころか、莫大な借金を背負わせられることになるんだぜ」 「そりゃ、まあ、ね」 極端な例だけど、このチップの山と同額を数指定のゾロ目に賭けて、もし出た場合、百八十倍返しの訳で……ありえない程の負債だ。恐らく、一生、世界の賭場を荒らし回る仕事に従事させられることだろうね。もちろん、色んな意味で本意じゃないけどさ。 「でも、不公平じゃない?」 「あぁん?」 「だってここまで勝てたのって、胴の心理を僕が読むっていう、一方的なルールだった訳じゃない。最後の一回くらい逆転させないと」 「てめぇ、狙った目なんか出せねぇだろ。前提が成り立ってねぇぞ」 「だからさ、純粋な運の領域で競うっていうので、充分、今までと違うじゃない」 「このガキ……」 苦手な珍味を口に放り込まれたかのように、クレインは渋面を作った。 「本当、虫も殺さない様な面してるくせに、変なところで頑固だな」 「褒め言葉として受け取っておくね」 小さい頃は、『勇者の息子』を取り繕うのがうまかった気がするんだけど、いつからこんなに捻くれちゃったのかなぁ。 「分かりました、その申し出、御受け致しましょう」 一方、責任者と思しき男と一言二言会話をしていたディーラーが、台の前に戻ってきて、そう口にした。 「それじゃ、ちょっと練習させてね」 幾ら賽の目に任せると言っても、それを盗み見られたりする様じゃ、話にならない。道具に仕掛けが無いことも調べないといけないし、何度となく試してみる。 「うん、大丈夫かな」 サイコロに賽振り用の器、それに台も調べてみたけど、不自然なところはない。そもそも、意図的に誰かを負かす仕掛けが出来るなら、ここまで勝ちは積み上げられなかっただろう。勝ち逃げが仁義に反すると言っても、所詮、僕は客の一人だ。頃合を見て切り上げると言われたら、手の打ちようがない。 或いは、僕に莫大な負けを背負わせる為にここまで肥えさせたという可能性も考えられるけど、この申し出をしたのはこっちの方だ。余り、現実的な線とは言えないだろう。 「それじゃ、いくよ」 左手で三つの賽をつまみ、器に放り込んで台に叩き付ける。その上で、入念に滑らせることで、目隠しをしたまま、何度も賽を転がす。ここまでやれば、正直、僕自身、中で何が起こっているか、想像もつかない。そっと右手を離して、ディーラーを見遣った。 「蓋は、そっちで開けて良いよ。但し、袖を捲くった上に片手で、こう、指先でつまみ上げる感じでね」 一番手っ取り早いイカサマは、出目を全て取り替えてしまうことだ。だけどこの衆人環視の中、今の条件で遣りきるのは難しいだろう。 他に、対策として考えられるのは――。 「では、私は小に張りましょう」 「額は?」 「――」 その言葉を口にするに至り、ディーラーは、一瞬、言葉を詰まらせた。 「一ゴールド」 聴衆が、小さくどよめいた。だけど僕は眉根一つ動かさず受け入れ、彼が器を取り外すのを、じっと見詰めた。 「三、四、六で十三、大だね」 結果を受け、僕は差し出された一ゴールド分のチップを受け取った。少額とはいっても、最後の勝負も勝つ辺り、随分と乗ってたね。だけど次もこううまくいくとは限らないから、程々にしないとね。 「おい、坊主……」 「うん、どしたの?」 何故だか、クレインは相変わらずの不満顔だ。 「こうなること、分かってやがったな」 「うーん。まあ、こうなることもあるかなとは思ってたよ。僕が賽を振ると、運に任せた勝負になるだけじゃなくて、他にも変わる部分が出るでしょ」 「あぁ?」 「賭ける額を、僕が指定しなくなるってこと」 ということはつまり、事実上、勝負の結果なんて関係無い、不戦を選択することも出来るってことだ。最低賭け金は三ゴールドだけど、僕が提示したのは、『今まで僕が積み上げたチップに相当する額まで』だから、一ゴールドでも問題無い訳で。 「余りに露骨なイカサマは、将来的な風評も考えればやりたくない。とはいえ、本当の運任せで、このチップが倍になるかゼロになるかなんて勝負も、経営者としてはしがたい。だとすれば、妥協点として、ここでの手打ちを選んだとしても、何も不自然じゃないよね」 「概ね、その通りで御座います」 ディーラーが、はっきりと認めるのもどうかと思うけど。 「当然、今までの勝ち分を、反故にする様な真似も致しません。それこそ、信用に関わる問題ですので」 「賢明な判断だと思うよ」 あれ? ちょっと僕、嫌な奴になってない? 「ですが今後、その腕は余所で発揮なされるよう、お願い致します」 わーい、そしてさりげなく、出入り禁止宣言食らってるよー。 「お連れ様も、御理解頂けますね」 「俺もかよ!?」 何だか、良く分からない内にとばっちり食らってるクレインだけど、ま、深く考えないでおこうっと。 「ん?」 稼ぎに稼いだチップを換金している最中、別の場所に人だかりが出来ていることに気付く。それにしても、そろそろ日が昇るっていうのに、皆、元気だなぁ。 「ちょっと覗いてこうか」 「出禁食らった奴の台詞じゃねぇな」 「参加しなきゃ問題無いでしょ」 そう言って、人だかり越しに、騒ぎの中心を見遣ろうとする。だけど背が高い人も多くて、どうにもうまくいかない。 「ねぇ、何が起こってるの?」 「どうも女が一人、馬鹿勝ちしてるらしい。賭場の方も本気出してるみたいだが、にっちもさっちもいかないみたいだな」 「へー」 何て言うか、随分とツキの無い日だね。何だかんだ言って賭場だし、因果応報なのかも知れないけどさ。 「で、と」 その女傑に興味が湧いて、もう一度背伸びをして覗き見ようとしてみる。だけどやっぱりどうにもならない。そこで、聞き耳を立ててみることにした。えっと、何々――。 「ダブルアップは、ここまでにしますわ」 「……オーケー、オーケー。何処で終えようと、それは君の自由だ。異存は無いよ」 「……」 あれ。何か、ものすごーく、聞き馴染みのある声と喋り方の様な? 「ストレートフラッシュ、ですわ」 「ハハハ。十回中三回もストレートフラッシュを出すだなんて、僕の長年のディーラー人生で無かったことだよ」 「わたくし、運には少し自信がありますの」 あ、その雄姿は見えなくても、何処かの破戒僧の姿がくっきりと浮かんできたよ。 「アクアさん! 何してんのさ!」 大声を上げて、注意をこちらに惹き付ける。その結果、川を塞き止めたかの様に道が出来て――僕はその細い隙間を、身体を横にすることで潜り抜けた。 「あら、アレクさん。奇遇ですわね」 「うん、僕もこういうところにお邪魔するとは思ってなくてさ」 何だか、和やかな会話になっちゃってるけど、店側は随分と苛立ってるんだろうなぁ。 「う〜……あ〜……」 「ところで、シスが何か、壊れちゃってる様に見えるんだけど、何があったの?」 「お小遣いを、あっさりと使い果たしたみたいですわ」 シス、ロマリアで、博打は胴が絶対に儲かるって言ってたはずなんだけどなぁ。まあ、あの時に言ってたみたいに、スリ行為に走らなかっただけ、まだマシかもね。 「それにしても、さ」 アクアさんが積み上げたチップの山は、僕のそれと同等か、或いはちょっと大きいかも知れない。だけど、僕はちゃんと読み切って勝ったんだよ。強運で同じことを成せるって、何か凄く釈然としないんだけど。 「ハハッ。何だ、君達、お仲間だったのかい。いや、資料に無かったから油断してたけど、どうやら旅のギャンブル御一団の模様だ。こりゃ、一本取られたね」 資料って、要はブラックリスト? 本業は勇者とその連れの僧侶だなんて、言えない空気になってきたなぁ。 だけど、これだけ一方的に負けて、表面上は平静さを保つなんて、プロはやっぱり違う――。 「つーか、帰れ」 「……」 ゴメン、いきなりだけど、前言撤回。 「ざけんなよ! てめぇらは知らねぇだろうが、俺らの給料は歩合が多くを占めてんだよ! こんだけの負けを取り返すのに、どんだけ只働きしなきゃならんか――」 えー、いやいや、そんな裏話を暴露されても……っていうか、黒服に取り押さえられて裏に連れてかれてるし。万事無事で仕事を続けられると良いなぁ。 「ところで、慈悲深い僧侶様として、勝ち分を返金するつもりとかは?」 「アリスト派の教義では、博打の勝ち負けを曲げる真似は許されておりませんの」 うん、真偽の程は定かじゃないけど、違和感が無いのが恐ろしいよね。 何はともあれ、僕の賭博場初体験は、大勝利と共に、初の出入り禁止という、ちょっとしたおまけまで付いてきたんだ。 「てめぇらのせいで、アッサラームでの楽しみが一つ減ったじゃねぇか!」 いや、アクアさんはともかく、僕はクレインに誘われた訳で、その怒りは無いと思うんだ。 「でさ。結局、二人でどんくらい稼いだの?」 「シスのお小遣いで換算すると、数千年分くらい?」 「……」 あ、何だか、色々考え始めた。 「それでケーキ食べようと思ったら、何個分くらい?」 「他に換算単位無かったの?」 かなり長生きしたと仮定しても、一生に食べられる量を明らかに超えてるから、現実感は全然無いと思うんだ。 「でも、ってことはさ、ひょっとして船を買えるくらいにはなったの?」 「あ……」 そ、そういえば、そんな目的もあったような? 「ところで、今更なんだけど、船って幾らくらいするの?」 馬車くらいなら何となく聞いたことある気もするけど、生活から掛け離れすぎてさっぱり分からないや。 「とりあえず、軍艦は無理かと思われますわ」 いや、真面目な顔しなくても、それくらいは分かるから。 「だけど軍艦に乗れば、海のモンスターも倒しやすくなるよね」 海で敵に出くわす度に、兵隊が総攻撃するの? 絶対、維持費がとんでもないことになって破綻すると思うんだけど。 「この町の方に伺うという手段もありますけど、相場というのは刻一刻と変わるものですの」 「結局、現場に行ってみないと分からないってことか」 成程、ね。 「よし、それじゃ次の目的地は、ポルトガだ」 足りるかどうかは分からないけど、船の町をこの身で感じるっていうのも良いだろう。一度行っておけば、キメラの翼で行き来が可能になるしね。 「ふぅん、てめぇら、そっち行きやがんのか」 「クレインも来るよね?」 「飲み屋や賭場へ誘うみたいに言いやがんな!」 うーん、残念。何気なく仲間に引きずり込む作戦、大失敗。 「嫌がる僕を、二度も無理矢理連れ出しておきながら、その言い草は無いんじゃない?」 「そういう趣味ですの?」 「う〜、らぅ〜〜!」 「てめぇらなぁ!」 ゴメン、僕が言い出しておいてなんだけど、ちょっと訳が分からなくなってきたね。 「俺ぁ、逆の方向、そうだな。バハラタからダーマにでも抜けて海沿いを進んでみることにすらぁ。しばらく、顔つき合わせずに済みそうだしな」 「お約束の、ツンデレさん発動ですのね」 「……」 あ、クレイン、目を合わせないで、無視する作戦に出た。 「人とお話しする時は、目を見るものですのよ」 そしてアクアさん、回りこんで覗き込んでる。傍で見ると、結構、滑稽な絵面だよね。 「あれ? バハラタに行くって……」 たしか、山脈が邪魔して越えられないんじゃ。唯一の洞穴も、地震で埋まっちゃったって聞いた気がする。 「坊主が考えてることは大体分かるが……舐めんなよ。俺ぁ、世界の大陸は殆ど行ったことがあるからな。ルーラ使ぇや、大概のところは行けらぁ。まぁ、細かいとこに関しちゃ、足で進むしかねぇだろうがな」 「……」 ちょっと頭が活動中――。 「ってことは、クレインが一緒に行ってくれれば、船、要らないんじゃない?」 「人を馬車代わりにしようとしてんじゃねぇ!」 「でも、お金も温存できる上に手っ取り早くて、悪いところが無いんだけど」 「俺の都合は完全無視か」 この際、その小さい部分は目を瞑ってみない? 「酒飲み勝負で負けたら、僕達の仲間になるって言ったじゃない」 「あれは勝負無しって言っただろうが!」 あー、もう、話が全然、進まないなぁ。 「勝負の結果をうやむやにするだなんて、ちょっと聞き逃せませんの」 「う……」 え? あの胡散臭い戒律って、実在してたの? 僕はてっきり、その場限りのものだとばっかり思ってたんだけど。 「だぁらぁ!!」 わ、わ。賭け事が人格を蝕むって一般的に言われてるけど、もしかすると本当かも知れないね。 「てめぇらの荷物は、それで全部か?」 「え?」 予期しない質問に、つい、間の抜けた声をあげてしまった。 「そう、だね」 旅人の基本として、嵩張るけど買い直しが出来る食料や寝袋なんかを宿に置いて、貴重品は常に携行してる。どっちにしても、今は宿に居る訳だし、そんな多い訳でも無いんだけどさ。 「それ持って、ちょっと外出ろや」 「か、賭けに負けたからって、力ずくで無かったことにするのは間違ってるよ?」 「どういう目で見てやがんだ!」 もし、その発言を本気でしてるなら、人生を考え直した方が良いと思う。 「とりあえず、言われた通りにしたけど」 「したら、三人で手を繋ぎな」 「はぁ?」 何を言っているかはさっぱりだけど、とりあえず近くに居たアクアさんの左手を――。 「それで、何でシスが横取りするみたいな勢いで僕の手を取ってる訳?」 「細かいことは気にしない〜♪」 女の子の行動って、未だにさっぱり分からない。 『ルーラ』 「へ?」 頓狂な声を口にする間もなく、強烈な浮遊感が身を包んだ。あ、これって旅の扉のあれに似てて、何だかむず痒い様な、気持ちが悪い様な――。 って言うか、風を切る感覚が凄くて、目も開けられない。薄目の間から僅かに零れて来るのは、蒼色だ。だけどそれが海のものか空のものかさえ判別は付かなくて――。 「わ!?」 次いで、予期しない強烈な衝撃を脚で感じた。と言うより、全身を駆け上がる様にして頭のほふにやっへひはほー。 「着いたぞ」 「あいたたた……これが、ルーラ」 実は、キメラの翼を持ってる僕だけど、使ったことはなかったりする。そこまで高価なものでも無いけど、理由も無く無駄遣いするっていうのも、気が引けるじゃない。 「ほらよ、あれがポルトガだ」 「は?」 何だか、さっきから変な声ばっかり漏らしてるよね、僕。 「って、えぇぇぇ!?」 そ、そう言えば随分と潮の香りがするし、肌に触れる風の雰囲気も変わった気がする。 「でだ、これでてめぇらと俺は、アッサラームからポルトガまで、一緒に旅をした仲間って訳だ」 「……」 ん? 「それじゃあ、な。又、縁があったら会おうぜ」 言って、再びルーラを唱えて大空の彼方へと飛んでいってしまう。 え、何この見事な放置っぷり。僕達、どうしたら良いのさ。 「ツンデレさんは、いつになっても素直になれませんの」 そう言われましても、僕にはどう応えて良いか分からない訳でして。 何はともあれ、僕達はこうして、海洋国家ポルトガにやってきたんだ。 Next |