邂逅輪廻



「やぁ、旅の人。ここは、ノアニールの町だよ」
 息を乱しながら辿り着いた僕達を迎えてくれたのは、そんな何気ない一言だった。うららかな春の風が舞い降りるかの様に柔らかな陽射しの中、その町は極普通に時を刻んでいた。
「そんな……なんで……」
 その光景を、信じられないとでも言いたげな面持ちで女王様は見遣っていた。その瞳が何を見ているのか、傍目では推察しきれない。
「うわ、何々、これ、奇跡?」
「いや、私が考察したところに依ると、単に時間切れだね。どんな魔法にも時の流れという枷があるのは周知の事実であるけれど、女王様と言えど例外では無いということだよ。まあ、その間隔が半端無い辺り、流石は我らが女王様といったところだね」
 エルフの取り巻きさん達の会話は聞き流すことにして。
「おぉ……おぉ……」
 一方、お爺さんも息を詰まらせ涙を流していて、要領を得そうもない。ど、どうしよう。こういう時、頼りになる相談相手って言ったら――。
「ん?」
「ですの?」
「……」
 女の子達二人を見て、はたと気付く。もしかして、冷静に現状を把握して、的確な判断を下せる人員が、僕の仲間には居ないのかな。
「先程の魔法の力が、皆さんを目覚めさせたと解釈するのが妥当ですわね」
「う、うん」
 だ、大丈夫。ここまでは、誰でも簡単に予想できること。驚かない、驚かない。
「ここからはわたくしの推察、というより、妄想に近いのですが――」
 もう、アクアさんが真面目な顔してる時は、警戒した方が良いって分かってる僕が居た。
「あれで、皆さんの頭にタライが落ちてきたと思われますの」
「……」
 タライ?
「何で限定なの? 他のものじゃダメ?」
 ほら。水を入れるだけなら木の器とかもあるし。
「絶対に、ダメですの」
 な、何、この有無を言わせない迫力。世の中、触れてはいけない領域って物があるんだね。
「っていうか、それなら人数分、転がってないとダメだし」
「それもそうですわね」
 僕も僕で、何でこんな、普通気味に答えちゃってるのかなぁ。
「あたしの意見は違うかな」
「シスは、どんな突拍子も無いこと言い出すの?」
 これは、決定事項っていうことで。
「あれだね。ガバッと目を覚ますって言ったら、やっぱり全員で悪夢を見たんじゃないかと」
「これだけの人達が目を覚ます程の悪夢ってどんなんなのさ」
 価値観っていうのは、人それぞれ違うものなんだよ。そりゃ、その価値観に共鳴させてその人独自の悪夢を生み出す可能性も無い訳じゃないけどさ。
「あたしだったら、一番怖いのは、盗みに入った瞬間、足が動かなくなることだけど」
 何かに追われてる時、全身の力が抜けるっていうのは定番らしいけど、シスが言うと重みが違うなぁ。
「とにかく、何が起こったのか、調べないと」
 えーと。寝てる時はどうしようもなかったけど、起きてるなら話は簡単だよね。とりあえず手分けして聞き込みを――。
「その必要は……ありません」
 不意に、女王様が口を開いた。
「これは私が掛けた力に、解呪が行われたのです。それは恐らく、『夢見るルビー』に篭められていたもの……何か鍵となる切っ掛けがあって発動したのでしょう」
「鍵……ですか?」
「ええ、魔法の力を物に篭め、それを発動させる為に一定の条件を必要とする。別段、珍しい仕掛けではありません」
「でも、誰が、何の為にそんなことを――」
 前者については、一組、心当たりがある。それはもちろん、兄さん達だ。だけど、わざわざそんなことをする理由が、全く以って思い付かない。
「わたくし達を驚かしたかったというのは如何ですの?」
「却下、だね」
「じゃあじゃあ、ノアニールの人がいつ起きるか賭けてて、この時期に張ってたとか」
「不謹慎な賭博と不正、二重に人の兄を貶めるのはやめてくれない?」
 随分と慣れてきた僕だけど、流石にちょっと、カチンと来たよ。
「旅の人達、何をそんなに揉めているのですかな。ハハハ。世の中、こんなにも平和で穏やかだというのに、殺伐とした心持ちになってはいけませんなぁ」
「え?」
 違和感を覚えた。
「平和で穏やかって……」
 この、今にもバラモスに支配されそうなこの世界が? 冗談にしても、悪質だと思う――。
「あ――」
 そうか。この人達、十年も寝てたから世の中の事、何にも知らないんだ。父さんが世界を回っていた頃は、侵攻もそれ程じゃなかったと聞いている。だったら、こんなにのほほんとしてるのも、納得出来ると言えるかも知れない。
「人間、無知が一番幸せと言いますが、本当かも知れませんの」
 それ、聖職者が言うと色々と重いなぁ。
「ん?」
 ちょ、ちょっと待って。今、何かが引っ掛かったような。
「ひょっとしてこの人達って、父さんか兄さんがバラモス倒してたら、何事も無かった様に生活してたってこと?」
「たしかに、その通りやも知れませんわ」
 うーん、だったら、不謹慎かも知れないけど、あと一年か二年、寝てて貰っても良かったかなぁ。いや、せめて僕がバラモスを何とか出来る様になるまで――。
「!」
 一つの事実に気付いた。
「そっか、だから兄さんは……」
「ん? ねぇねぇ、一人で納得してるけど、どゆこと?」
 えーと、シスに分かるくらいに噛み砕くと――。
「君は、義賊だよね?」
「そだよ」
「例えば、お金持ちの家に盗みに入ったとして」
「うんうん」
「道具袋から何かを盗んだら、バレない様に、同じくらいの重さのものを入れとくよね」
「おー、なるほど、そういうことなんだ」
「……」
 自分で言っておいてなんだけど、今の無茶苦茶な喩えで分かるってどうなのさ。
「要約すると、アレル様は、自身が世界を平和にするまで、この町をそっとしておくということを選択したという訳ですわね」
「う、うん、そういうことだね」
 何でアクアさんも、こんな説明で分かるんだろう。性差とか、そういう単純な話じゃないよね。
「それで、僕が思うに、兄さんの魔力に反応する様に出来てたんじゃないかな。いつか、ここに戻ってくることを想定してさ」
「でも、お兄さん居ないじゃない」
「魔力の波長っていうのは、兄弟とか親子だと似かよるものだから。たまたま、僕と兄さんのが合致したんだと思うよ」
「或いは、アレクさんが代わりにやってきてくれることを想定して、どちらでも可能なようにしたのかも知れませんわね」
「う〜ん……」
 幾ら兄さんでも、そこまでの先読みは無理だと思うなぁ。
「あ……う……」
 一方その頃、女王様はうな垂れたまま、力無く膝を付いていた。
「これが、勇者の裁き……全てを知り、それを解放する力を持ちながら、私への罪を――」
 又しても、カチンときた。
「それは違うよ。兄さんは最初から、あなたの罪を問おうなんて考えてなかったはずだ。町の人達のことを考えて、悩んだ末に、これが一番良いと判断したんだ」
「だとしても――!」
 喉の奥から、搾り出す様な声だった。
「私にとっては、十二分以上の罰……耐えきるつもりだったはずの痛みが、又しても心に疼きだしたのです……」
 嗚咽と共に、四つん這いに伏せってしまう。そんな光景を、お付きのエルフ達は、只、おろおろと眺めているだけだった。
「ん〜」
 そんな中、アクアさんが女王様に歩み寄った。
「エルフの皆様方、少し、席を外して貰って宜しいですの?」
「あ、え〜……はい」
「よ、宜しく〜」
 言って、おどおどとしたまま引き下がってしまう彼女達。正直、取り巻きとして、それはそれでどうなんだろうね。
「女王様。人に限らず、生きとし生けるものは、過ちを繰り返す存在ですの。そのことを背負って尚、前を見詰めないといけませんわ」
 ア、アクアさんが聖職者っぽいなんて、僕の耳がおかしくなった訳じゃないよね。
「主も、こう仰られてますの」
 アクアさんはそう言って、女王様の肩にそっと手を置いた。
『くよくよするな』
「……」
 一瞬でも、この人に何かを期待した僕がバカだったんだね。
「あ……うっ……うぅ……」
 だけど、女王様の心には何かが響いた様で、アクアさんの胸に抱き付くと、しゃがれた声で涙を流し始めた。
「う、わぁぁぁん」
 ここが公衆の面前であることさえ忘れさせてくれる程に大きな喚き声が周囲に響き渡った。まるで、幼児の様に泣きじゃくる女王様を胸に抱き、アクアさんは優しく彼女を包み込んでいた。
 人は、誰もが過ちと罪を犯す。だけど、それを踏まえた上で立ち止まらないことが、生きるってことなのかも知れない。
 今の僕にはおぼろげ過ぎて分からないけど、目の前の二人の姿は、そんなことを思わせてくれた。


「色々と、済まんかったの」
 ノアニールで一泊した後、僕達は挨拶を済ませる為、お爺さんが住む小屋に立ち寄っていた。
「いえ、僕達は何の役にも立ちませんでしたから」
 実際、謙遜でも何でもなく、今回の一件を解決したのは兄さんだろう。判断が最良であったかはともかく、少なくても真実に辿り着き、それを解決する手段を示した兄さんの仕事は、勇者として及第と言えるだろう。
「いつになるかは分かりませんが、又、お邪魔したいと思います」
「出来ればその時は、バラモスを倒し、世界を救った真の勇者として、の」
「ハハハ……」
 悪意は無いんだろうけど、苦笑いするしかない辺りが僕の器だなぁ。
「それと、息子さんとお嬢さんについてですけど――」
「ああ……万一に生きとって、何処かで見付けたら、お前らの若さがどれだけの迷惑を掛けたか、ぶん殴って教えてやってくれい」
 幾らなんでも、赤の他人の僕にそこまで出来る根性は無いですよ。
「後……」
 言ってお爺さんは、目を切った。
「駆け落ちしたと言っても、その面と孫くらい見せにこんかい、ともの」
「――」
 その言葉に、何を言うべきか分からず、声を詰まらせてしまう。だから僕は、たった一言だけ――。
「はい、分かりました」
 笑顔で、口にした。

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