その町には、生気というものが存在しなかった。いや、木々はそよぎ、鳥や虫達はそこいらを飛び交っているから、雑木林程度の喧騒はある。だけど、これは人が住む場所の佇まいじゃない。自然との共存を目指している地域はあるけれど、これはそんなものからは掛け離れている。完全に、人が自然から隔離されていた。 「これが、眠りの町、ノアニール……」 アリアハンに居た頃から、噂は聞いたことがあった。全ての人々が眠り入り、その活動を塩漬けにしている町がある、と。だけど、まるで町並に溶け込むかの様に、眠ったまま立ち尽くす人達を目にすると、唾を飲み込む程に緊張して見入ってしまう。 「この町は、ロマリア界隈でも随分と問題視されてきましたの。十年以上もの間、その動きを止めてしまった御伽の国、それがノアニールですわ」 伝え聞いた話では、第一報がロマリア城下に届いた時、殆どの人が信じずに放置していたらしい。だけど、続報が次々に舞い込んできて、国家で調査隊を出さざるを得なくなり、公的な事実として確認されたらしいんだ。役所の対応が遅いのは、世界中、何処でも大差無いのかも知れないね。 「兄さんは、この町に立ち寄ったのかな」 「手紙には書いてありませんでしたの?」 「うん、カンダタを懲らしめた後は、アッサラームを経由して、砂漠の国、イシスに向かったって書いてあった」 ロマリアやカザーブで、ノアニールの情報を得られなかったということは考えにくい。となると、意図的に放置したか、来てはみたけど解決できなかったかの二つが濃厚になる訳だけど――。 「あの正義感の強い兄さんが、こんな町を見過ごすかなぁ」 僕の知ってる勇者アレルという男は、おかずが少なくて悲しんでいる子供が居れば、その家に乗り込んで料理するくらい、お節介の熱血漢だ。 「人にはそれぞれ、思惑というものがありますわ。アレル様が何を考えていたのかは知りようがありませんが、それを追うことで推察することは出来ますの」 「うん、そうだね」 僕の旅の目的の一つは、そこにあることを思い起こした。 「ところで、シスは何処に行ったの?」 いつものことながら、本当に落ち着きがない。あの身のこなしといい、小さい頃に飼ってた猫を連想してしょうがないよ。 「ねぇねぇ、ちょっとこっち来て〜」 遠くから、声が聞こえた。えっと、シスのそれだけど、一体、何処から――。 「宿屋?」 ここから発せられた気がしたんだけど、こんなところで何してるんだろう。まさか真昼間から、宿に泊まるなんて考えてないよね。 「今、ちょっと、宿の帳簿見てたんだけどさ」 「そんなもの見て、どうしようって言うの?」 本来なら、余り褒められた行為じゃないんだけど、断る相手も寝てることだし、そこは目を瞑っておこう。 「行方不明の資産家とか居たら、お礼が期待出来るじゃない」 流石は、その思考力の九割を欲得で消費してるシスらしい発想だと思う。 「あのね。そういうのは、十年前、ロマリアの調査隊がとっくに処理してるから、今更、漏れが見付かるとは思えないよ」 所詮は役人仕事だから絶対とは言い切れないけど、大人しくさせる為に、こう言っておこう。 「いや、たしかにそれっぽいのは無かったんだけどさ」 「でしょ」 「でも、別の意味で面白い名前ならあったよ」 言って、帳簿の中程を指し示してくる。えっと、何々――。 「!?」 そこには、僕にとって見慣れた文字列が書き記されていた。 「オル……テガ」 父さん、父さんが、ここノアニールに立ち寄ったのって言うの? 「へへーん、良く見付けたでしょ」 「う、うん。凄いと思うよ」 相変わらず、こういうものに対する嗅覚は尋常じゃないなぁ。 「それはそれとして、番台の上に乗るのは行儀悪いからやめようね」 「え〜」 たしなめる所はしっかりたしなめておかないと、何処までも調子に乗る辺り、本当、猫っぽいなぁ。 「そう言えば、オルテガ様はロマリアを去られた後、北に向かうと仰られていたような記憶がありますわ」 「ってことは、父さんがここに来たのはほぼ間違い無いのかな」 父さんがロマリアを後にしたのは十数年前。そして、ノアニールが眠りに包まれたのも、ちょうどその時期――これは偶然なんだろうか? 「たまたまで片付けるのは軽々に思えますが、強引に関連付けるのにも無理があるといった感じですわね」 「そう……だね」 たしかに、時期が被るといっても、一年程度という幅のある話だ。通りすがっただけというのも、充分に考えられる。 「オルテガ様が仰られていたことが、もう一つありましたのを思い出しましたわ」 「え、なになに?」 父さんや兄さんの話となると、気分が高揚するのは、しょうがないってことにしてよ。 「これも、この町と同程度に御伽の国の物語ですわ」 「御伽の?」 「ええ、オルテガ様は、『この地方の伝承にある、エルフの一族に会ってみたい』と言い残して旅立たれましたの」 「エル……フ?」 それはまさしく、現実感の喪失した、夢物語に近い話だった。 「何でしたら、行ってみますの?」 「え?」 「ノアニールの西、海岸近くの森の中に、エルフ達がひっそりと暮らす隠れ里があると、お爺様に聞いたことがありますの。尤も、会ったことはありませんわね」 「ほ、本当に、エルフなんて居るの?」 「それは、わたくし達の目で確かめることですわ」 降って湧いた父さんの名前と、幻の一族、エルフの伝説。何がどうなってるかは分からないけど、僕にこの話を断る理由は、一つとして無かった。 「ん〜。この潮の香り、何か良いテンションになってくるね〜」 僕とシスが育ったアリアハンは海に近く、空気の流れ次第で潮風も舞い込んでくる。郷愁を覚え、気分が安らぐのも、必然のことなのかも知れない。 「ですが、この時期で良かったですわね」 「うん?」 「もし冬場でしたら、この近辺は相当の厳寒地域ですので、こんな服装では凍えていたかと思われますわ」 ぼ、僕、寒いのは余り得意じゃないんだよなぁ。だからヒャド系魔法、ちょっと苦手だったりなんて――。 「それにしても、ね」 軽々しく隠れ里を探すなんて決めちゃったけど、当然のことながら、その場所を殆どの人が知らないからこそ隠れ里な訳であって――小高い丘から見下ろす広大な林野に、ちょっと気が滅入ってしまう。 「犬でも連れてくるべきだったかなぁ」 聞くところに依ると彼らは、僕達人間から見ると、考えられないくらい強力な鼻を持っているらしい。軍用犬なんかは、その特性を利用して活躍してるらしいし、何かのツテで借りてこれれば良かったかもね。 「ん?」 「どうしたの、シス」 「何かこっちの方から、妙な人気を感じたんだけど」 「……」 どうもこの子は、猫だけじゃなくて、犬の特性も持ち合わせてるみたい。 「キャー!?」 不意に、甲高い声がした。 「に、に、に――」 それは、細身の女の子だった。木々の狭間で、腰を抜かしたのか、尻餅をついたままこちらを見上げている。 あれ、この子、耳が珍しい形を――。 「人間ー!?」 少女は、鼓膜を破りかねない程の大声を上げると、立ち上がることもなく、仰向けのまま僕らから遠ざかかっていく。き、器用だなぁ。何か大きな虫みたい。 「あの方――」 「どうしたの?」 「もしかしなくても、エルフですわよね」 「……」 考えてみれば、人間のことをわざわざ人間と呼ぶのは、人間以外の種族だけだ。魔物達は、自分のことを魔物なんて呼んだりしないよね。 「お、追わなきゃ」 予想外の出来事に対応が遅れるのは、僕の悪い癖だ。視界から消えかけていたその少女を見失わない様、僕達は駆け足で追い掛けた。 「うわ……」 静寂が支配する森の奥深く、中空となっている区画にそれは存在した。 優しい木漏れ日が差し込む佇まいは何処までも柔らかく、ここに居るだけで心が安らぐのを感じることが出来た。 「本当にあったんだ、エルフの隠れ里」 エルフと思しき少女を追い掛けている内に、気が付いたら辿り着いてしまった。これって、運が良いってことなのかな。昔から、余り良い目は見てない気もするんだけど。 「バカ! 人間を見て慌てたからって、逃げ帰ってそいつらを連れてくるなんて、本当に、バカ!」 「だ、だって、しょうがないじゃない。状況を鑑みれば、情状酌量の余地は残されて然るべきだと思うよ?」 エルフって、高尚で清廉な印象があったんだけど、意外と俗化されてるんだね。 「あ、あの〜」 「キャー! 人間に喋りかけられたわー」 どうしよう。話がこれでもかってくらいに進まない。 「何か、良い解決策知らない?」 「わたくしの記憶では、エルフ族はドワーフ族と仲が良かったとありますの」 「じゃあ、仲介を頼めば良いのかな」 「ですが、それなりに旅をしているわたくしですが、会ったことはありませんわね」 「……」 人はこれを、堂々巡りって言うと思うんだ。 「だったらいっそ、脅迫するってのはどう?」 「きょ、脅迫?」 今度は、シスが随分と物騒な単語を持ち出してきたなぁ。 「この場所を人里に知らされたくなかったら、こっちの質問に答えろって言うの」 たしかにその手の交渉は外交の基本かも知れないけど、この場で持ち出すのはどうかなぁ。 「それにしましても、この様な状況に置かれますと、初めて異種族や異民族と出会った方々の苦労が分かりますわね」 僕にとっては、アクアさんそのものが何よりの異文化交流だなんて、口には出せなかった。 「何を騒いでいるのです」 凛とした、声がした。 「じょ、女王様」 村の奥まった場所から姿を現したのは、気品に溢れ、適度に着飾った女性だった。耳が大きく尖っているところをみると、彼女もエルフなのだろう。実年齢を推定するのは難しいけど、人間で言うと二十代くらいだろうか。冷たい双眸と、無表情にさえ思える面立ちは、他のエルフ達と良く似ていた。 「人間――」 不意に、女性の顔色が曇った様に思えた。 「どの様にしてここに辿り着いたかは知りませんが、すぐに帰りなさい。ここは人間が関わる場所ではありません」 「あら、迷い込んだとはいえ、これも何かの縁ですわ。お茶の一杯くらい御馳走して頂いても、咎められないと思われますわよ」 相変わらず、アクアさんは図々しいなぁ。 「僧、ですか……随分と不浄なものを抱えているようですが、それも人間達の言う徳とやらに繋がるのですか」 「いえ、これはどちらかというと、わたくし個人の趣味ですわね」 「フジョー?」 まさか、盗賊シスのことだなんて、この場で言えやしないよ。 「何にしても、私達は人間と馴れ合う気はありません。今すぐ出て行きなさい」 「あ、あの――」 「何か?」 冷えきった瞳で射竦められ、僕は言葉を継ぐのを躊躇してしまう。 「十年位前、この村にオルテガって人が来たかどうか――」 「知りません」 「え、あ、いや、古い話ですし、ゆっくり思い出すとか、誰かに聞いてみるとか――」 「その様な男がここに立ち寄ったことはありません」 強い言葉には、絶対の意志が籠められていた。 「もう一つ、伺わせて貰いますわ」 「――」 女王様は、僕に向けていた凍りきった視線を、アクアさんに移した。 「ノアニールの方々が眠り続けているのと、この隠れ里に関係性は――」 「ありません」 「本当ですの?」 「私の言を信じられないというのであれば、最初から質問しないことです」 言って彼女は、踵を返した。その場に居た二人のエルフも付いていってしまい、後には僕達三人だけが残される。 「どう思う?」 「幾つか、嘘はついておられましたね。口振りがあからさまというのを差し引いても、オルテガ様を男と断定したのは頂けませんわ」 「うん、たしかに『オルテガ』は男に多い名前だけど、それはあくまで僕達の世界の常識だ。人間と関わらないことにしてる女王様が知ってるのは不自然だと思う」 「へー、成程。そういう見方も出来るんだ」 それにしても、怒らせちゃったかなぁ。ここからどうしようか。 「思い付きましたわ」 「今度は、何を?」 アクアさんの閃きは、玉石混交過ぎるから、余り期待しないのが正しい対処法だって分かってきた。 「モシャス、ですの」 「モシャス?」 あの、他人に化けるっていう高等魔法のこと? 「あれを使ってドワーフの風体に化ければ宜しいのですわ」 「あ〜……」 たしかに、その理屈は正しいと思うんだけど――。 「アクアさん、モシャスなんて使えるの?」 「魔法使いの呪文を、どうしてわたくしが使えますの?」 わーい。質問を、質問で返されたよー。 「アレクさんは、どうですの?」 「無理無理。あんな高度な魔法、今の僕には遠過ぎるって」 もしかするとクレインなら使えるかも知れないけど、確実に怒鳴られて終わりだよね。 「ヒッヒッヒ。二人共、なってないなぁ」 ふと、シスが何だか下品な笑いを見せた。 「要は、エルフ達を外見で騙せば良いんでしょ?」 自信満々に言い放たれた台詞に、言い様の無い悪寒を覚えた。だけど言葉に秘められた意味を理解するには、僕は余りに若過ぎた訳で。 Next |