邂逅輪廻



「バラモス城ってのはな、外界からの異物を排除する力が備わってやがるんだ。ルーラなんか使っても、弾き飛ばされるのがオチだぜ」
「あら、残念ですわ」
 だから、全然、実感が籠もってないって。
「しかも、外洋に繋がってない湖の中の島に建ってやがる。更にその水辺は簡単には越えられない山脈で囲まれて――普通じゃ考えられない地形だが、多分、魔力か何かでどうにかしたんだろうな」
 な、何て無茶苦茶な要塞なんだろうか。聞いただけで頭がクラクラしてくる。
「バラモスって奴ぁ、用心深い性格だからな。長命なのを良いことに、部下を使ってジワジワと侵攻させておいて、本人は城に引き籠もったまんまだ。こっちから出向かない限り、会うの無理だろうな」
「そんなバラモスに、あなたはどうやって――」
「だから、何でてめぇにそれを言わなきゃならねぇんだ」
 頑なに、この話題にだけは触れたがらない。稀少な情報だからなのか、或いは、他に理由があるのか。それでも、僕は食い下がる。
「只でとは、言わない」
「金なんざ要らねぇぞ」
「僕は、勇者オルテガの次子、そして勇者アレルの弟、アレクだ。僕が持つ情報の全てを渡すと言ったら?」
「あぁ?」
 正直、僕が持つ手札は、彼のそれと釣り合うものかは分からない。これは、駆け引きだ。彼が口を閉ざす可能性を狭めない為、最善の努力をする必要がある。
「これは、兄さんが僕に宛てて送ってきたものだ」
 そう言って、腰の道具袋から、件の宝珠を取り出した。
「アリアハンの宝石商が言うには、『今までに見たことが無い』ってことらしい。血塗れで、しかも何の手紙も添えられずに送られてきたこれは、バラモス退治を志していた兄さんにとって、重要な意味を持っていたもののはずだと思う」
「ってことは何か。てめぇも結局、そいつが何なのか分かってねぇんじゃねぇか」
 そう攻められるのは、予想の内だった。
「だけど、この宝珠を持っているのは僕で、あなたではない。これが将来、重要な因子になるとすれば、あなたは手詰まりにならざるを得ない」
「甘ぇな。今、おめぇをぶん殴って奪っちまえば済む話だろうが」
「それは無いよ」
「あ?」
「あなたは、無抵抗の人から物を奪えるような人じゃない。敵と認識した人を攻撃は出来てもね」
 とりあえず、シスが意識を失ってて良かったなぁと、ちょっと思ってしまった。だって、絶対、茶々入れてくるもん。
「チッ……」
 僕の言葉を聞いて、男は小さく舌打ちした。そして口に手を当てて思案を巡らせる。
「仕方……ねぇか」
「話をしてくれる気になった?」
「少しだけ、な」
 よし、引き出せた。僕は、自分の口先がそれなりの結果を残せたことに安堵感を覚え、身体と精神が脱力するのを感じていた。


「さぁて……何処から話したもんかな」
 男に促され、僕達は塔内の一室に場所を移していた。そこには、粗末な家具が幾つか置かれている以外に、大量の蔵書が収められていて、思わず圧倒されてしまう。
「まずは自己紹介ですわ。わたくしはアクア。ロマリア正教会の僧侶ですの」
「僕はアレク。職業は……勇者、かな。この女の子はシス。自称義賊ってことになってる」
 あ、ちなみにシスはまだ気を失ったまんまで、僕が担いでここまで連れてきたんだ。
「俺ぁ、クレインだ」
 言って男は、一つしかない椅子に腰掛けた。えーと、僕達は立ちっぱなしってことで良いのかな。
「何にしましても、お茶は出ませんの?」
「てめぇら、俺の客人か!?」
 あれだけ完膚なきまでに捻じ伏せられたのに、アクアさんは今日もアクアさんだった。
「とりあえず、あなたの素性から、かな。昔は傭兵だったというのに、何故あれだけ魔法を使えるのか辺りを」
「遡れば、俺ぁ、元々孤児でな。親の顔も、生まれた場所も知らねぇ。
 十歳くらいまでは孤児院で過ごしてたんだが、そんくらいの時期に傭兵団に連れてかれたんだ。そっからは、世界の戦場を転戦する日々だな」
 ず、随分と重い過去をさらりと言うなぁ。
「まー、今思うと、そん頃の生活に不満は無かったな。一通り武芸なんかも仕込まれたが、一番の仕事は炊事なんかの後方支援だったんでな。
 問題は、その次だ」
「次?」
「団長の知り合いにメロニーヤって爺が居て、俺を譲り渡しやがったんだ。犬や猫じゃねぇってんだよ」
「メロ……ニーヤ?」
 あれ、何だか何処かで聞いたことがある様な。
「あぁ! もしかして、大賢者メロニーヤ!?」
「な、なんだぁ? 昼行灯みてぇな面して、いきなり目を輝かせやがって」
 だ、だって世界で三指に入るとまで言われる偉大な賢者様だよ?
「ってことは、クレインって、メロニーヤ様の弟子だったの!?」
 わぁ〜、良いな、良いな〜。魔法使いを志していた僕にとって、メロニーヤ様は、絶対に会ってみたい一人だ。
「それで、メロニーヤ様は今、どうしてるの?」
 世界がこんなことになってしまって、情報の伝達が極めて遅くなってしまっている。僕が知っているのは古い記録だけで、ここ数年の近況はさっぱりだ。
「てめぇ、俺がどうやってバラモス城に行ったか聞いてたな」
「う、うん」
 あれ? 僕の質問、完全に無視された?
「招待されたんだよ。表現の問題で、平たく言えば拉致だったんだがな」
「な、何で?」
 幾らメロニーヤ様の弟子と言っても、一魔法使いを個別に拉致なんかしてたら、キリが無い。
「用があったのは俺じゃねぇ、師匠の方だ。つまり、俺はついでだな」
「え――?」
 言われたことを把握するのに、数拍の間を必要とした。
「それって、つまり――」
「ああ、メロニーヤの爺は、バラモス城に囚われてる。生きてるかどうかも分からねぇ」
 余りの衝撃に、言葉が何も口から出てこなかった。そんな、そんなことって。
「分かりましたわ」
 不意に、アクアさんがポンと自身の掌を叩いた。
「あなたがバラモスを倒すと仰られてるのは、そのお師匠様を助ける為ですのね」
「あぁん?」
 それにしても、クレインって、何処までもガラが悪いよなぁ。
「ざけたこと抜かすな。誰があんな爺の為にこんな躍起になるか。俺ぁ、自分の負けが許せないだけだ」
「世間では、その様な心情をツンデレさんと言うのですわ」
 本当、アクアさんって、謎の言葉を駆使するよなぁ。
「あ、そう言えば――」
「どうしましたの」
「結局、どうやって帰ってきたかを聞いてない」
「……」
 クレインが言うには、バラモス城は特異な結界が張られていて、魔法に依る移動は出来ないらしい。しかも湖の上に佇んでるから、陸路、海路共にどうしようも無いし――訳が分からないとしか言いようが無い。
「バシルーラ、だ」
「あの、敵を遠くに飛ばす奴?」
 あれ? でも結局、ルーラやなんかと一緒で、魔力で飛んでくんだから、同じことの様な?
「謎は解けましたわ」
「どゆこと?」
「ルーラは、術者自身とその仲間が飛ぶものですから、当然、魔力はその集団を中心に発生しますの。ですがバシルーラは術者が放ち、対象を飛ばすものですので、魔力感知には引っ掛からないと思われますの」
「そうか。極端なことを言えば、飛ばされた身体は、肉の塊ってことになるんだ」
「その通りだ。俺ぁ、半年前、バシルーラでカザーブ近くに飛ばされて、それ以来、ここに住み着いている」
「でも、ちょっと待って。クレインがここに居るってことは、バシルーラを使ったのは――」
「――」
 クレインはそこで、小さく声を詰まらせた。
「メロニーヤの爺だ」
「――!」
「あの爺、人身御供のつもりか何か知らねぇが、頼みもしねぇのにこんな真似しやがって……生きてやがったら、干からびた面、弾き飛ばしてやる!」
「やっぱり、ツンデレさんですわ」
 とりあえず、アクアさんの言うことは気にしないでおこう。
「これで、俺の知ってる情報は全部だ。何度も言うが、ルーラ、キメラの翼の類で直接、バラモス城に乗り込むのは不可能だ。範囲を広げて、ネクロゴンド近辺なら可能かも知れねぇが、俺ぁバラモス城へ行って帰ってきただけだから、そこには行けない。バラモスを倒す力もさることながら、そもそも奴の懐に辿り着く手段がありゃしねぇんだよ」
「それで、半年もこんなことろに引き籠もってましたのね」
「一々、癪に障る女だな」
 うん、慣れないと、アクアさんの癖は、相当、神経に届くものだと思う。
「これぁ、取引だ。てめぇらが、この先、万に一つバラモス城へ行く手段、ないしは取っ掛かりになりそうな情報を得たら、俺にも寄越せ。そんかわし、俺は俺で、何かを見付けたらくれてやる。もちろん、てめぇらがそれまで生きてたらの話だがな」
 願ってもない申し出と言えた。そもそも、バラモスを倒すのは誰でも良い。父さんでも、兄さんでも、僕でも。そして、目の前の魔法使いでも。契約関係に過ぎなくても、同士が増えるのは望ましいことだ。
「と言いますか、一緒に旅をすれば、何の問題も無いと思われますの」
「あぁん?」
 アクアさんの発想は、いつ如何なる時も予想の外側を突っ走ってくれる。
『こんな乱暴な奴と一緒なんて、ぜーったい、ぜーったいにヤダー!』
「って、シスが起きてたら、ふくれっ面で言うと思うんだけど」
「物真似、お上手ですのね」
 うん、昔から、人の特徴を捉えるのは割と得意な方でさ。
「てめぇら――」
 微妙に蚊帳の外に置き去られた感のあるクレインが、少し頭に血を昇らせていた。
「ざけんな! 何で俺が、雑魚の守りなんざしねぇといけねぇんだ!」
「あら、たしかに今のところはそうかも知れませんが、わたくし達、これでも期待の新星なのですわよ」
 自分で言えるところが、アクアさんの凄いところなんだろうね。うん、割と本気でそう思うよ。
「チッ」
 クレインは、小さく舌打ちすると、立ち上がり、窓辺へと足を向けた。あ、あれ、本気で怒っちゃった?
「どうやら、バラモスの怖さってもんが、良く分かってねぇみたいだな」
 ギ、ギクッ。ど、どうしてそれを知ってるんだろうか。
「奴はな――」
 ベランダに立ち、右手に魔力を集中させている。え、ちょっと、何、この尋常じゃない感じ。
「この力があっても、歯が立たなかったんだよ!」
 途端、巨大な光球が飛び出し、上方へと駆け上がった。その余波は爆風となって僕達の横を擦り抜け、空気が弾ける感じさえ覚えてしまう。
「な、何があったの!?」
 事態を把握できず、慌ててベランダへと飛び出す僕とアクアさん。
 刹那、耳を突き破らんばかりの爆音がした。
 発信源が頭上だと知覚し、そちらを見遣ると、そこには何も無かった。いや、ここは、塔の中ほどだよ。上に何も無いだなんてこと、あるはずがない。
「まさか、今の魔法で吹き飛ばしたって言うの!?」
 パラパラと降って来る細かな塔の破片からして、そう判断するしかない。何て、常識外れの威力なんだ。
「イオナズン、ですのね。爆裂系魔法の最高峰――数多い魔法使いの中でも、扱える方は僅かと聞きますわ」
「ケッ。どんな力があってもな。勝てなきゃ意味ねぇんだよ」
「いえ、わたくし、評価を改めることにしましたわ」
「あぁ?」
「あなたのことを、只のチンピラさんだと思っておりましたが、今からインテリヤクザさんと認識させて貰いますの」
「どっちにしても、まともに呼ぶ気ねぇな、このアマ!」
「ツンデレヤクザさんの方がお好みですの?」
「だぁらぁ!」
 アクアさんとクレインの掛け合いが繰り広げられる横で、僕は呆然と、空を見上げていた。
 魔法使いの極みの一つと言えるイオナズンを使えるクレインと、大賢者メロニーヤ様が挑んでも、逃げることしか出来なかった魔王バラモス。今の僕と、どれだけの開きがあるんだろうか。
 喩え様の無い悠遠さを感じてしまい、僕の心は、痛い程に締め付けられた。


「はぁ……」
 ロマリアに帰還したその夜、僕は現有戦力の如何ともしがたい状況を思い起こし、大きく溜め息をついた。謙遜でも何でもなく、僕は自分が強いと思ったことはない。それでも、漫然と旅を続けていれば、その内に何とかなるだろうという甘い期待はあった。
 クレインの強さと敗戦という事実は、現実を知るという意味では良かったんだろうけど、やっぱり気分が良くなるものじゃないよ。
「あら、溜め息をつきますと、運の良さが少しずつ下がっていくと言いますわよ」
 それ、ロマリア地方独自の迷信? それとも、アクアさん個人が信じてるだけ?
「まーまー。色々あったけど、懸賞金の半分は貰えたんだからいーじゃない」
 そう。結局、クレインに掛かっていた懸賞は、略取を続ける地方領主が差し向けた兵隊を、彼が追い返していたという話だったらしい。お調子者の王様はそれを信じて手配しちゃったけど、最終的には誤解が解けて領主に厳罰を与えることで決着した。何だか、権力に依る揉み消しとか、ドロドロしたすったもんだはあったらしいんだけど、そこのところはアクアさんのお爺さんに一任したもんだから、細かいところは知らなかったりする。
「あのお爺さんって、何者なの?」
「知りますと、バラモスと戦うより恐ろしい悪夢を見るかと思われますわよ」
 き、気になる。気になるけど、これ以上、心労の素を増やすのも何だかなぁ。
「何にしましても、ですわ」
「うん?」
「わたくし達は、たしかにそれ程、強くは無いのかも知れませんの」
 は、はっきり言われると、結構、傷付くんだけど。
「ですがアレクさんは、勇者にとって一番大切なものを、既に持っていますわ」
「え?」
 虚をつかれるその言葉に、一瞬、固まってしまう。
「そ、それって」
「もちろん――」
 言ってアクアさんは、僕の胸を軽く小突いた。
「勇気の心、ですわよ」
 途端、心の中に、温かいものが溢れた。
 あぁ、やっぱりこの人には敵わない。まだ、僕に何が出来るかは分からないけど、足だけは止めないでおこう。そんなことを思わされる、一夜の出来事だった。

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