邂逅輪廻



 シャンパーニの塔。その建造は古く、百年以上前とされている。本来の目的は岬守りの灯台であるが、陸路の発達と、北方方面へ向かう船舶の減少に伴い、本来の機能を失う。後に、ロマリア本国の影響力が弱い僻地であることなども一因となって、山賊を始めとする、ならず者達の溜まり場となる。その悪しき伝統は、数年前、アレルがカンダタを追い出した時に、とりあえずの終幕を迎えたのだが――。
「半年位前から、一人の男が占拠し、住み着いている、と」
 目の前にある古塔を見上げ、収集した情報を思い起こした。
「だけど、ここに来るまで、被害にあったって村は特になかった」
 略奪をしてないなら、何でお尋ね者として手配がされてるんだろうか。
「にしても、凄く古いのに、しっかりした造りだよね〜。王宮とかみたい」
 シスは、チョロチョロと近辺をうろついては、何が楽しいのか、外壁に触れて回っていた。
「あたしの経験だと、こういう塔には、隠し扉の一つや二つあったりするんだよね」
 あー、そういうことか。だけど、そういうのって、内壁が多いんじゃないかなぁ。大体、灯台に隠し部屋って、良く分からない――。
『メラミ』
 不意に、呪文を口にする声を耳にした。次いで、肌を焼かんばかりの熱波と、目が眩む程の光量を知覚する。それが塔の上から放たれた火球であると気付くのに約一秒。向けられた先が盗賊の少女であると理解するのに、更に一秒を要した。
「シス!」
「うぎゃ!?」
 妙な叫び声を上げながらも、壁を蹴り飛ばし、反作用の力を利用して後方へ身を飛ばすことで直撃を躱した。やっぱり、この手の軽業は、少し芸術的でさえある。
「あー!? 髪の毛がちょっと焦げてる!?」
 本人に、優美さは余り感じられないんだけどね。
「それよりも、上!」
 逆光で見上げ難い上層階を、目を細めることで何とか視認しようとする。誰か……居る。それは間違いない。だけど、どんな奴かまでは――。
「!?」
 ゾクリと、悪寒が全身を駆け巡った。それは精神的なものもあったのかも知れないけど、一番の理由は、別にあった。
「二人共、頭を防御して! ヒャドの、氷の雨が降ってくる!」
 刹那、陽光煌く氷塊が、数限りなく降り注いできた。僕達は壁際に退避すると、極力小さく固まって、盾を使い、頭だけは守り抜く。季節外れの雹の嵐は、ものの数十秒で終わったけれど、辺りの荒野一面に氷が敷き詰められ、又しても、身震いする程の寒気が走った。
「わたくし、思いますの」
「な、何を?」
「ヒャドを使える方が、夏場、氷屋さんを開けば、確実に商売繁盛ですわ」
「そ、それって、今、言わないといけないことじゃないよね?」
 御仕事を商人に変えようっていう話なら、別口で相談に乗るけどさ。
「とりあえず、中に!」
 ここに居座っていては、的になるだけだ。相手が一人だというのであれば、地の利を活かされたとしても、挟み撃ちにされる心配はない。内外双方の危険度を総合的に判断して、僕は障害物の多い塔内部を選択した。
 大熱量の閃熱の力が大地を灼いたのは、飛び込んだ数秒後のことで――自分の判断が正しかったことに、僕はほっと胸を撫で下ろした。


「言い忘れていたことがありますわ」
 塔に入り込んで幾らか経った頃、アクアさんはおつかいの追加でも頼むかの様な軽さで口を開いた。
「この塔、至る所に罠や仕掛けがあると聞いたことがありますの」
「……」
 え?
「そ、そういうことは、先に言って欲しかったなぁ……と言うか、何で灯台にそんなものが」
 実務上、特に役立つものとも思えない。
「逆ですわ。元は灯台だったからこそ、必要でしたの」
「はぁ」
 何だか、良く分からなくて気の抜けた返答をしてしまう。
「灯台とは、文字通り水先案内人を買って出る守り人ですの。言い換えれば、心無い輩がその自由を奪えば、全てを狂わせることも可能ですわ」
「あ〜……」
 具体的な説明をされると、納得出来ないこともない。例えば、海賊の類が灯台を占拠すれば、商船なんかを誘導して、悪さが出来る。他にも、国家転覆を狙う連中が、要人が乗った軍船、儀礼船を、という展開も考えられる。伊達や酔狂で、迷宮みたいな造りになってるんじゃないんだと、この年で初めて知った。
「って話だから、シス、あんま壁とか弄らない方が――」
「ん〜。ここら辺が匂うなぁ」
 君は、話を聞く耳を持ってないの!?
「ペコペコ」
 そして、そんなあっさり、ヘコむ壁のスイッチを見付けないで!
「ですの?」
「わ!?」
 瞬間、床が抜けた。幸いにして、僕とアクアさんは穴の縁に居たから辛うじて躱せたけど――本当、落ちてたかと思うとゾッとする。
「シス〜。だから、軽はずみに触っちゃダメだってば!」
 今回は運が良かっただけで、次も問題無くいくとは言い切れない。
「う〜んと――」
 そして、又しても唸り出しちゃってさ。今の僕の発言の、どこら辺に考え込む要素があるのさ。
「ちゃんと確認してからなら良いってことだよね?」
 もうやだ、この問答。
 だー! アクアさんも、そんな微笑ましいものを見るみたいな目で眺めてないで、何とか言ってやってよ!
『イオラ』
 再び、呪文を耳にした。それも、強力な爆裂魔法だ。急ぎ、声がした方を見遣ると、触れるだけで周囲を巻き込む光球が、こちらに飛んでくるのを視認する。
 わー! よ、避けなきゃ! で、でも壁が破壊されても巻き込まれるし、だからって直撃も――か、考えが全然、纏まらない!
『バギ』
 澄んだ声がした。それは、アクアさんが放った真空の魔法。
 え、炎ならともかく、純粋なエネルギーに近いあの球を、バギでどうしようと――。
「――ッ!」
 光球が、中空で炸裂した。その距離は僕達から相応に離れていて、爆風が駆け抜けていったけど、実害は被らなかった。一体、何が――。
「そうか。バギで生み出した風の流れで、壁の破片をぶつけたんだね」
「その通りですわ。イオ系の魔法は、術者の意志で爆発する瞬間を選べるものと、何かに当たった途端に起爆する二種類がありますの。今のそれは後者の誘爆型と判断しましたので、対処できると思いましたわ」
「……」
 ちょっと待って。ってことは、万一、承諾型だったら、普通にすり抜けてきたってこと?
 う、うん。結果として、無傷で済んだんだから、特に問題は無い……よね。
「チッ。トボけた面してる割に、戦い慣れてるアマが居るじゃねーか」
 何度となく耳にした呪文と、同じ声が聞こえた。振り返ってみると、そこには一人の男が立ち尽くしている。
 年齢で言うと、二十代半ばといったところだろうか。痩せぎすの体躯に薄汚れたローブを身に纏ってるけど、眼光だけは異常に鋭く、飢えた肉食獣の様な印象を覚えた。
「何が目的でこんなとこに来たか知らねぇがな。ここにゃ、宝なんか眠ってねぇから、とっとと帰れ。俺ぁ、忙しいんだ」
「またまたぁ。そんなこと言っちゃって。一人占めは良くないよ」
 シスの発言を意訳すると、『あたし以外の誰かがお宝を独占するなんて絶対に許さない』だよね。
「口で言って分からねぇなら、何発でも食らわせてやるぜ」
 言って男は、右手を差し出すと、次なる魔法の為、魔力を一点に集中し始める。
『マホトーン』
 先行する形で、アクアさんの魔法封じの音色が響いた。成功の証として、集まりかけていた魔力が霧散するのを知覚する。
「油断しましたわね。魔法さえ抑え込めば、自由にはさせませんわよ」
 おぉ、流石はアクアさん。一見すると昼行灯なのに、ここぞって時は何て頼もしい人なんだ。
「ケッ」
 刹那、男は床を蹴ると、手にした杖の鞘を放り捨て、シスへと詰め寄った。
「わっ!?」
 斬撃一閃、両腕を交叉させ防御体制をとったシスを、壁際まで吹き飛ばした。
「はにゃ〜……」
「シス!」
 あ、ああいうのから身を守るのは得意なはずだから、大丈夫だとは思うけど――。
「おらぁ!」
 追撃の矛先が、アクアさんに向いた。彼女は棍を両手で掲げ、頭を狙う一撃を防ごうとしたのだが、光り輝く切っ先が、柄の部分を真っ二つに寸断した。
「理力の杖、ですの……」
 体内の魔力を、物理的な攻撃力に転化する魔法の杖が何処かを掠めたのか、一筋の血が額から頬へと伝っていく。
「甘くみんなよ。俺ぁ傭兵上がりでな。魔法を封じられた位で戦えなくなるなんて鍛え方はしてねぇぜ」
「油断……しましたわ」
 首筋に切っ先を突きつけられ、アクアさんは搾り出すように声を出した。
「これ以上は言わねぇぜ。そこのボロ雑巾を連れて、とっとと帰りな」
 ボロ雑巾って……たしかに、現状を見る限り、否定しきれない部分があるけどさ。
「一つ、聞かせて欲しい」
「あぁ?」
 杖を握る手に力を籠めつつ、男は視線をこちらに向けてくる。
「あなたは一体、こんなところで何をしてるんですか」
「てめぇがそれを聞いて、どうしようって言うんだ」
「略奪行為をしていないあなたが、御尋ね者として、ロマリアから手配されている――充分に興味を惹かれることだと思いますが」
 それも、たった一人で、だ。
「お尋ね者だぁ?」
 し、知らなかったのか。見掛けと言動に依らず、意外と能天気な性格をしているのかも知れない。
「あー、そういや前、農家の奴に、権力を笠に好き放題してるロマリア兵を叩きのめしてくれって頼まれたことがあったな」
 食べ物を分けて貰ってる借りを、返しただけだと付け加えた。
「それで、逆恨みを?」
 だったら、手配書が回った理由も分からないこともない。
「さぁな。奴ら、何を考えてんのか、何度も随分な数を引き連れてきやがった。もちろん、全部、追い返してやったがな」
 さ、逆恨みってもんじゃない。これはもう、過剰防衛だ。
「てめぇら、その手合いじゃねぇのか?」
「あ〜……」
「どちらかと言いますと、正義の味方ですわ」
「おい、このアマが何を言ってるか、説明しろ」
 アクアさんが何を言っているか今一つ分からないのは、僕も同じだから無理です。
「何がどうなってるか知らねぇが、俺ぁ、バラモスを倒す手段を考えねぇといけねぇから、んなことにかまけてる暇はねぇんだ。とっとと帰りやがれ」
「――」
 え?
「バラモスを……倒す?」
 聞き間違いでは無いかと思えるその言葉に、僕はオウム返しに口を開いた。
「んだぁ? てめぇ、出来ねぇと思ってやがるな」
「う……」
 い、いや、僕も一応、最終目標はそこにあるんだけどさ。何か現実感が無いって言うか、ピンとこないって言うか。
「それは奇遇ですわね。わたくし達も、その為に旅を続けておりますのよ」
「あぁ?」
 たまに、アクアさんのその真っ直ぐなところが、凄く羨ましく感じる。本当、極々たまにだけど。
「冗談抜かすな。三人も居て、俺一人に捻じ伏せられる様な奴らに何が出来るってんだ。
 奴は、本物の化物だぞ」
 口振りに、違和を感じた。
「その言い方……バラモスに会ったことが、いや、戦ったことがあるの?」
「だったら、どうするってんだ」
 雷光が、全身を駆け巡ったみたいだった。こんなところで、そんな人に会えるなんて思わなかった。
「どうして――」
「あ?」
「どうして、生きてるの? あなたが言う、化物なんかと戦って」
「くっ――」
 男は歯噛みすると、杖を握る手に力を籠めた。
「それをてめぇに説明しなきゃならねぇ義理はねぇ」
「きっと、悪運が強かったのですわね。その様な顔をしておられますもの」
 アクアさん。聖職者なんだから、そこは神の加護があったって言っておこうよ。
「何にしても、だ。てめぇらが何処で何をしようと勝手だが、俺には関わるな」
 言って男は、アクアさんに突き付けていた理力の杖を下ろした。
「そうはいかない」
「んだと?」
「バラモスと戦い、その恐ろしさを知っている人が目の前に居るんだ。話を、聞かせて貰う」
 こんな機会は、そうそうあるもんじゃない。ここは絶対、退く訳にはいかない。
「閃きましたわ」
 不意に、アクアさんが、ポンと相槌を打った。
「バラモスに会ったことがあるのであれば、ルーラかキメラの翼を使えば、一気に本拠地へと、乗り込むことが出来ますわね」
 あ……。
「出来ねぇよ」
 しかし、男はアクアさんの提言を、あっさり否定した。

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