「お帰りなさい、アレク」 「ただいま、母さん」 暗がりの中、母さんは玄関先まで出迎えてくれていた。 「あら、そちらの方は?」 「えーと、旅の僧侶さんらしくて、名前は――」 ……あれ? 「わたくし、アクアと申します。ロマリア正教会に所属しておりますが、修行中の身で、見聞を広げる為、世界を回っておりますの」 アクアさん、か。と言うか、僕も、正式には自己紹介してないよね。会話で出てきてるから知ってるだろうけど。 「アレク、お前、名前も知らないお嬢さんを連れてきて――顔で選んだんじゃないだろうね」 コソコソ声で、僕の品位を落とす様な発言はやめてほしいなぁ。 「そういうところは、父さん似だわよねぇ」 今日、僕はそれを何回言われただろうか。そして今後、何回言われるのだろうか。 それにしても父さん、あなたは一体、どんな人だったのですか。 「それで、今晩、アクアさんを泊めたいんだけど良いかな?」 「構わないけど――部屋は別よね?」 母さんは僕に、一体、何を期待しているんだろうか。 何にしても、アクアさんにこの会話を聞かれてないと良いなぁと思いつつ、僕は家の門を潜った。 「ほぅ、アッサラーム近郊で夜盗退治とな」 「えぇ、近頃は何処も、魔物達が増え、人々の心は乱れるばかりですの。この様な時にこそ主の愛を自覚せねばなりませんのに、本当、困ったものですわ」 さりげなく信者を増やそうとしている辺り、アクアさんってプロフェッショナルだと思う。 「いやはや、お嬢ちゃん、偉いもんじゃ。若いもんはこうでなくてはいかん。アレク。御主も名を馳せるんじゃぞ」 「う、うん」 「いやぁ、儂もあと三十、いや、二十若かったらのぉ」 爺ちゃんとアクアさんは、何処か波長が合うのか、妙に会話が盛り上がっていた。うん、分かった。父さんや僕が女性についてどうこう言われるのは、爺ちゃんの女好きが大本だ。 「アレク、おかわりは?」 「もうちょっとだけ貰うよ」 「はい」 母さんが渡してくれた皿を手に取り、野菜の煮物を口に運んだ。 「あ、そう言えば母さん。ルイーダさんの所に行ったんだけど、選ぶのにちょっと時間が掛かりそうだから、旅立ちが遅れることになると思う」 「そう。大事なことですものね。慌てることは無いと思うわ」 その言葉を口にした母さんの表情は、喜んでいるようにも物憂げにも見え、読み取ることが出来なかった。 「よし、若人達よ、眠るが良い。なぁに、今日が例えどんな日であろうとも、明日は何だかんだでやってくるもんじゃ。 この年まで生き抜いた儂が言うんじゃから間違いないわい」 「ははは……」 もしかして、バラモスが三十年早く世界に出ていたら、爺ちゃんが勇者として送り出されたんだろうか。そんな突拍子も無いことを思いながら、この日の夕食は散会となった。 「う、ん……」 まどろみの中から、不意に意識が覚醒した。眠りが極端に浅かった気がするから、ほんの一刻も経っていないだろうか。やっぱり緊張してるのかな、僕。 「水でも飲もうっと」 そう決めて、半身を起こした。ふわぁ、何だか、頭と目が今一つしっくり来てないや。 「ん?」 ふと、居間から光が漏れていることに気付いた。母さん、まだ起きてるのかな? 「あ――」 そこには、神像を前に跪き祈りを捧げる母さんの姿があった。静かに、だけど想いを籠めているのが見て取れ、僕は思わず、息を飲んでしまう。 その先に在る人は、父さんか、兄さんか、或いは僕なのか。いや、きっと三人共なんだろう。 大丈夫だよ、母さん。父さんと兄さんは、僕が見付けて帰るから。そうしたら、ゆっくり家族で暮らそう。 心の中で一人ごちると、僕は踵を返して自分の部屋へ戻ることにした。 「え〜と……」 部屋に戻った僕を待っていたのは、想定外の出来事だった。女の子が一人、僕の道具袋を漁っていたんだ。思わず思考が停止して、見詰め合っちゃったりもしちゃうよ。 「とりあえず、泥棒さんだよね? 大声出して良い?」 多分、僕の一生で泥棒にさん付けをするのは、これが最初で最後だと思う。 「わ〜! ちょっとタンマ!」 タンマと言われても、悪いことをしてる人を許す訳には――。 「あれ?」 暗くて最初は気付かなかったけど、この子、何処かで見たことある様な――。 「ひょっとして、ルイーダさんの所で会った……たしか、名前はシス」 殆ど初対面だけど、同い年くらいだろうし、呼び捨てでも良いよね。 「げげっ、もう身元割れちゃってんの。こりゃ、逃げても無駄かなぁ」 いやいやいや、そういう問題じゃないでしょ。 「それで、こんなところで何してるの?」 自分の家をこんなところなんて言うのもどうなんだろうね。 「う〜ん、あんたの道具袋からすっごいお宝の匂いがしたからさ。何なのかなって思って」 「えっとね。こんな夜更けに忍び込んでる説明には、全然なってないかな」 昼間、真正面から頼めば済む話だよね。 「だって、仮にも義賊のこのあたしがだよ。普通に頭下げるなんて、面白くも何とも無いじゃない」 「うん、お宝を見るというのを優先させるなら、面白さを求める必要は全く無いと思うよ」 何か、驚きを通り越して、凄く冷めた目で見てる僕が居るよ。 「という訳で、開けて良いよね?」 「何が『という訳で』かは分からないけど、大声出して良いってことだよね」 「だから、それは困るってば」 こんなにも、堂々巡りって言葉が似合う状況も余り無さそうだなぁ。 「じゃあ、僕が開けるから中身の確認だけするっていうのでどう?」 何で泥棒に対して妥協なんてしたのか、自分でもちょっと分からない。 「む〜。じゃあ、それで良いよ」 そして君の方も、その不満顔は何なのさ。 「と言っても、薬草とか毒消し草とか、普通のものしか入ってないよ」 他には非常用のキメラの翼が二枚に、魔物除けの聖水くらいかな。どれも旅人にとっては基本的なものだ。 「あ――」 一つだけ、異質なものがあった。それは、キメラの翼で送られてきた紫色の宝珠。送り主は兄さんだと思うけど、使い道や価値なんかは見当も付かない。 「あー、これこれ! やっぱり、あたしの勘は間違って無かったね」 まあ、その才能は凄いものなんだろうけど、真っ当な道で活かす手段が少なそうだよね。 「ってことだから、ちょーだい♪」 「可愛く言ってもダメ」 「ケチ〜」 「ケチって……これだけは国が買えるくらいのお金を積まれてもあげられないの。何処に居るかも分からない兄さんを探す為の、たった一つの手掛かりなんだから」 「あんたの兄さんって、ふーてんさんか何かなの?」 また、表現が古いなぁ。 「んー。身内を呼ぶのにはアレだけど、勇者だよ。アリアハンに住んでるならオルテガって知ってるでしょ。兄さんがその長男で、僕が次男」 「うっそだ〜。勇者オルテガって言ったら、メタルスライムも裸足で逃げ出すって言うくらいの猛者じゃない。あんたみたいななよなよした男の、何処にそんな血が流れてるのさ」 「いや、メタルスライムは元々良く逃げ出すよね。そもそも、足なんてないし。それに随分と酷いことをサラリと言ってくれてるよね」 これだけ淡々と揚げ足を取るっていうのも、意外に疲れるものだと思う。 「ん? でも、その勇者の次男坊が旅装束でルイーダさんのところに居たってことは、ひょっとしてアリアハンを出る気なの?」 「まあね。だから、この宝珠は絶対にあげられないよ。大体、君、義賊なら悪い人から盗りなよ」 「ん〜……」 あれ、ひょっとして全然、聞いてない? 「うん、決めた。あたし、あんたに付いてく」 「……はい?」 人間の思考能力って、想像以上にあっさりと停止するもんだよね。 「いや、話は良く見えてないんだけど、このお宝を見付けたのってあんたの兄さんだよね」 「多分ね」 「それであんたも、その兄さんを追い掛けて旅に出る、と」 「うん、そうなるかな」 「っていうことは、あんたに付いてけば、こんな感じのお宝がたくさん見付かるってことじゃない」 「はい、ちょっと待った」 な、なんていう短絡思考。脳構造がちょっと羨ましい。 「それに最近、ちょっと派手に仕事しすぎて、ほとぼりを冷ましたいな〜、なんて思ってみたり――」 「そっちが本音だよね、間違いなく」 何となく分かってきた。この子は、自分中心の論理でしか物事を考えてないんだと思う。 「あのね、僕は物見遊山に行く訳じゃないの。最終目標は、魔王バラモスの撃破なんだよ。死んじゃうかも知れないの」 こんなことを言ってるけど、僕にも死の実感なんてものはない。霊峰の高さは、遠くからでは実感できない感じに似てるかも知れない。 「え〜、良いじゃん。あたし、便利だよ。お宝が何処にあるか何となく分かるし、逃げ足の速さは自信あるし」 前者はともかく、後者は良いのかなぁ。 「それに、近い将来、怪盗にクラスチェンジするあたしはお買い得だよ〜」 どうでも良いけど、怪盗対魔王って、絵的な意味で凄いよね。 「大体、会ったことも無い奴が相手なんだから、そんな難しく考えてもしょうがないって。 なるようになるし、なるようにしかなんない。 これ、あたしのモットー」 「あ――」 ルイーダさんの所で感じたモヤモヤの一つが、分かった様な気がした。あそこの人達は、たしかに強い。そして、バラモスのこともそれなりに知っているんだろう。 だけど、シスは僕と同じだ。漠然としたものは持っているんだけど、その本質を自分では理解していない。言い換えると、価値観が近いんだ。 何だろう、凄く、しっくり来る。あぁ、でもこの子、泥棒なんだよなぁ。 「分かったよ」 色々な葛藤が心の中で渦巻いた末に、僕は一つの結論を出した。 「一緒に行こう」 驚くほど自然に、言葉を口に出来た。 「お、話が分かるねぇ。うんうん、それって良い男の絶対条件だよ」 物分りが良いだけの男は、翻弄されるだけじゃないのかなんて思ったのは内緒だよ。 「だけど、もう盗みはしないこと。これだけは絶対に守って貰うよ」 「え――」 ちょっと、何でそこで固まるかなぁ。あー、もう唸ったりして、何を考えてるのさ。 「悪徳商人はカウント外だよね?」 「ダメだから!」 こうして、僕の最初の仲間は、盗賊のシスに決まったんだ。 「母さん、行って来るよ」 夜明け前のまだ暗い刻限。僕は母さんの寝室の扉を少し開けて、そう言葉を掛けた。 シスと旅に出ると決めたことで、一つの世界が開けた気がした。仲間っていうのは、見付けるものじゃなくて、出会うものなんじゃないかって。 だったら、仲間を特定の場所で見付けるなんて意識は持たずに、世界中の人と自然に触れ合う方が良いんじゃないかって思えたんだ。 だから最初の予定通り、今日、旅立ってしまおう。最初は二人きりでも、きっと何処かで出会えるはずだよね。 別れの言葉を一方的に告げるだけなのは心苦しいけど、これが僕の限界だった。ごめんね、母さん。きっと、生きて帰ってくるから。 「行ってらっしゃい、アレク――」 予想していなかったその言葉に、全身が硬直し、ビクリと脈打った。 「……元気でね」 涙が零れそうだった。だけど、僕はもう行くって決めたんだ。 母さん、爺ちゃん。行ってきます。 「おっそ〜い! 日の出までに門集合って言ってたのに」 いや、まだ太陽の頭がちょこっと見えたくらいだから、ピッタリなんじゃないの。これって、見解の相違? 「それより、本当にアリアハンを出て大丈夫なの」 この数刻で身辺整理が終わるなんていうのは、普通に考えたら中々ある話じゃないと思うんだよね。 「大丈夫、大丈夫。あたし、ギルドの寮みたいなとこで寝泊りしてるから。王宮警備隊に踏み込まれても逃げ出せる様に、物は極力持たないようにしてきたしね」 良い話の様で、全くそうじゃないところがこの子らしいなぁ。 「それじゃ、行こうか」 「ほいさっと」 この門から出れば、そこは魔物達の領域だ。アリアハン近郊はさほど侵攻されていないといっても、油断したら即座に命を落としかねない。ここは気を引き締めて――。 「御二方、ごきげんよう、ですわ」 第一歩を踏み出した瞬間に、僕の気持ちはポッキリと折られてしまった訳で。 「アクアさん!?」 門の外で立ち尽くしていたのは、僕の家に泊まっているはずの僧侶、アクアさんだった。な、何でこんなところに居るの。 「あなた方の仲間にして頂こうと思いまして、待ち伏せさせて貰いましたわ」 「……」 さて、と。状況整理が出来るまでちょっと待ってね。 「え〜……アクアさん、たしかアリアハンには長期滞在するって言ってた様な?」 「わたくしの目的は、オルテガ様とアレル様が生まれたこの地で、バラモスを倒す為の仲間を探すことでしたの。アレク様でしたら、願ったり叶ったりですわ」 分かった。その部分については納得しようじゃないか。 「それにわたくし、一宿一飯の恩義を忘れる程、薄情では御座いませんことよ」 「……」 あー、また頭がグニュグニュとして、訳分からなくなってきた! 「む〜」 そしてシスさん、何でそんなにふくれっ面なんですか。 「何だか良く分からないけど、美人は敵!」 うわっ、男女問わず、同性に対して一度は思ったことがある台詞を、面と向かって吐いた!? 「シスさんも、可愛らしいと思いますわよ」 そして穏やかな笑顔のまま、火に油を注いでる! 「う〜!」 「ですの?」 な、何だかこの空間、怖い。魔物達と戦う前に、全力で逃げ出したい。 「アレクは、どう思ってるのさ」 「え? え?」 「この人が仲間になるって言ってること」 あ、あー、そこね。 「い、いきなり言われてもなぁ」 そりゃ、アクアさんは美人だし、旅慣れてる上、夜盗退治をしてるんだから腕も立つんだろう。客観的に考えればこれ以上無い人材なんだろうけど、僕と合うかどうかはまだ分からない――。 「ダメですの?」 「いいえ、そんなことはないです」 結論。男の子は、美人の笑顔には逆らえない。これは世の真理だよ。 「う〜〜〜!!」 な、何か横でシスが唸ってるけど、勘弁してよ。 どうやら、僕の進む道は一筋縄では行きそうもない。そんなことを感じさせてくれる旅立ちの朝だった。 Next |