学園祭二日目、午前五時三十四分、二年四組教室。 「ん……」 七月半ばの今の時期は、やたらと日の出が早い。備え付けのカーテンは薄手だし、そもそも教室なんてものは窓が南側に面している上に、障害物も無いもんだから日当たりが凄くいい。結果、その気が無くても目に入る朝日の眩しさで、覚醒を促されてしまう。 「――成程、その読みは中々だな」 「ギャンブルの基本は期待値の追求。特にこういった参加者が多いものは、必然として人気と実態に食い違いが生じる。穴狙いは必ずしも悪いものではない」 「ん?」 片隅で、男共が集まって何やらワイワイと騒いでいた。俺と同じ三組の奴らが中心になっている様だが、他のクラスらしきのもチラホラ見受けられる。 「何やってんだ?」 今更触れておくことでも無いが、二年三組所属というだけで全園に通用するアホだという共通認識が出来つつある。俺もその一員ではあるのだが、気にするなというのは無理のある話だ。 「お、おぅ、七原、起きてたのか」 「いやー、今日もいい天気だな。絶好の学園祭日和だ」 「何だ、そのあからさま過ぎて、逸らす気が無いんじゃないかとすら思える話題振りは」 泥沼を前にして、突き落とす落とさないで揉めてるテレビ芸人並の分かり易さだな。 「出来れば参加者には知られたく無かったのだが、仕方あるまい」 「別に認識したところで本人は買えないし、そこら辺は良心に期待しておこうじゃないか」 言ってそいつは、携帯の液晶画面をこちらに向けてきた。何々、討論祭最新配当情報――。 「賭けてんのか、お前ら!」 思わずツッコミを入れてしまったが、考えてみれば、うちの生徒がそういうことをしないはずがない。もちろん、現金のやりとりはマズいから食券やらなんだろうけど、それにしたって流石と言わざるを得ない。 「まあ、たしかにこれを聞いたところで、手心を加えたりする気は無いけどな」 むしろ本命では無かろう俺にしてみれば、予想を覆してやろうと闘争心が湧いてくるくらいだ。 「それで、誰が優勝候補筆頭なんだ」 ここまで知ってしまったら聞きたくなるのは、当然の人情だとは思わぬかね。 「西ノ宮だな。無論、姉の方だ。一人だけ生き残った三つ子の一角は、七原、お前より低い、最下層に燻ってる」 「何故、俺を物差しにした」 必然性が全く無かったよな。ひょっとして俺、ちょっと怒っていい場面か? 「西ノ宮は圧倒的とも言える戦闘力を保持しているが、流行ネタやサブカルといった俗世間寄りの議題になった場合、どれくらいの力を発揮できるかが未知数であるとする専門筋の見解もある。結果として、二位の一柳とは大した差がついていない」 「その専門筋ってのは何だ」 ゴシップ誌に出てくる、関係者くらい胡散臭い存在だな。 「そういや、岬ちゃんは何位くらいだ?」 「桜井の妹さんは……八位だな。あの桜井茜の妹にして選挙参謀でもあるから知名度自体は低くないんだが、如何せん他の面子が濃すぎる。それでも七原、お前よりは上だが」 「その、俺をチクチクと弄っていくのは、親愛の証と受け取らせてもらうよ」 お調子者ポジションは、言い換えれば人気者ってことだからな。そういうことにしておかないと、やってられないなんてことは無いぞ。 「俺が賭けられる立場なら、岬ちゃんは狙い目だと思う。機転は利くし、性格も攻撃的だから口喧嘩って観点なら、西ノ宮や綾女ちゃんに引けは取らないだろう」 「有益な内部情報を得てしまった」 「これを知ってしまったが故に、インサイダー的に購入資格を失わないだろうか」 「胴元、何処まで優秀なんだよ」 こんな軽い雑談まで把握して締め上げるとしたら、確実に学園全域に盗聴器とか仕掛けてるぞ。岬ちゃん曰く、防諜は完璧らしいから、有りえないと信じたいところだが。 「ところで七原。お前、人気が低い分、配当が高い俺を買えとは言わないんだな」 「あのメンバーを相手に、そんな恐ろしい真似が出来る訳が無いだろうに。後で責められるのは御免だ」 自分でも情けない啖呵を切ってる気はするが、一人でも刺し違えられれば金星と言える連中だ。むしろ実に妥当な自己評価をしていると褒めてもらいたいくらいなんだが、何故だか冷ややかな視線を送ってきやがったよ! 学園祭二日目、午前六時三十七分、通用門近辺。 朝もこれくらいの時間になってくると大半の生徒が目を覚ましていて、園内は騒々しさを取り戻しつつあった。俺はというと、そんな喧騒から少し離れていたいというセンチメンタリズムから、この通用門近くをブラブラしていた訳だ。決して、岬ちゃんの魔の手から逃れる為、無軌道に彷徨っている訳ではないと強調しておく。 「お?」 門の向こう側から、誰かが歩き寄ってくるのが目に入った。そろそろ、帰宅組の生徒も登校してくる頃合いなんだろう。逆光でハッキリとは分からないけど、どうも一人っぽい。電車やバスなら数人はまとまって来るだろうし、近くに住んでいるやつの可能性が高いなと、どうでもいい推理をしてみた。 「――!」 その瞬間、夏場の刺すような陽光にそぐわない怖気が全身に走った。同時に、ダークヒーロー登場的なバックグラウンドミュージックが脳内に響き渡る。なんだ、一体、何が起こっている。 「公康君、久し振り――って言っても、十日振りくらいだっけ」 陽射しをまるで後光のようにして姿を現したのは、岬ちゃんの実姉にして学園の最終兵器、桜井茜その人だった。 「人類に備わってる危機察知能力って、無意識下で情報を処理して脳が反応してるのか、完全に超常的なものなのか、ちょっと興味がありますよね」 「いきなり、何の話?」 俺、この人のこと、ここまで恐ろしいと思ってたのか。つーか、この広い学園で最初に会ったことに作為的なものすら感じる辺り、問題の根は深い。 「それで、市議選の方はもういいんですか」 たしか日曜の今日が投開票日だけど、当日は特にやること無いから遊びに来るって話だったような。 「うん、私、選挙権ないしね」 「関係あるんですか、それ」 「一応、雇われ先に入れるのが仁義ってものでしょ。投票所が開くのは午前七時だから、こんなに早くは登校できないよ」 「成程」 あれ、でもこの人、複数の候補抱えてなかったか。誰に入れても微妙に仁義違反になる気がするけど、そこら辺の折り合いはどうなってるんだろうか。 「期日前投票って手もあるんだけど、私はあまり好きじゃないかな。選挙運動期間が設定されてるのに、それが終わる前に投票先を確定しちゃうってのは、参謀としてちょっと、ね。もちろん、当日外せない予定がある人もたくさん居るんだから、システムとして必要っていうのは承知した上での話だけど」 「何となくは分かりますね」 済ませてしまった人にどれだけ訴えて、心を揺り動かしたとしても、もうその選挙で投票相手を変えさせることは出来ない。全体から見れば微々たる話なんだろうけど、生徒会長選に出た身としては、たかが一票、されど一票なのだ。 「それで、何時くらいまで居られるんですか」 友人の類として、当り障りのない雑談的質問ではある。だけどこの人の下校時間を聞き出して、少しでも被害を減らそうという打算が全く無いとは言わない。 「夕方くらいかな。状況によって多少変わるかも知れないけど、少なくても投票が締め切られる午後八時の数時間前には戻らないとね。だから後夜祭に出られないのが、ちょっと心残りな感じ」 「プロって、大変ですよね」 「私、彼氏が出来ても、絶対に『仕事と私、どっちが大事なの』って言わない自信があるよ」 「むしろ、相手が言い出しそうな勢いなのですが」 「あー、それはちょっと想定してなかったかも」 十代にしてここまで確固たる人格を構築してしまっている茜さんに合うのは、逆に人間的に不安定な男だと思う。よし、やっぱり空哉さん辺りに押し付けることを画策しよう。決して、負の影響を拡散させない為の安全弁として活用しようとしている訳ではない。 「で、公康君は初日、どんな感じだったの?」 「ちょっと情報量が多過ぎて、よく分からないってのが本音ですね」 本当、ちょっと忙しい日の五倍くらいてんやわんやしてなかったか。日記書く習慣があったら、とんでもないことになりそうだ。 「だけど、今日はもっとヤバいことになるかも知れません」 何よりも、今、目の前に居るこの人が話をややこしくするのではないかと勘繰っている。 「嫌だなぁ、私だって普通の女子高生なんだから、今日くらいは純粋に学園祭を楽しもうって思ってるんだよ」 考えていたことが顔に出ていたのか、茜さんはケラケラと笑いながら言葉を掛けてきた。だ、騙されないぞ。これこそテレビ芸人的な前振りに違いない。 「しかし、西ノ宮といい、どうしてこうも、普通の女子高生アピールを欠かさないのだろうか」 変人を自認した空哉さんが、すげー男前に見えてきた気もするけど、やっぱり錯覚の類だな、うん。 「政治関係者と女の子が口にすることは、フィルターを掛けて聞けとは言うよね」 「貴方、ハイブリッドじゃないですかい。いや、裏の裏みたいに、表になる可能性があるかも知れないんですけど」 ただ、人間なんてコインみたいに単純じゃないからな。百面体ダイス的に、微妙にズレて関係のない数字を弾き出してくれそうだ。 「善人というか、お人好しを食い物にする悪人に相対するのは正義の味方じゃなくて、他の悪人なのが現実ではあるよね」 「夢も希望も無い話になってまいりました」 朝っぱらから、何の会話をしているのか、俺も分からなくなってきたぞ。 「それじゃ、何人か会いたい人が居るから行くね」 「千織の奴なら、呼び出してやりましょうか」 いっそのこと、水先案内人という名の防波堤として活用すれば俺への被害は減るのではないだろうか。 「何で千織君?」 「何でて、あーた」 仮にも、茜さんが仕立て上げた生徒会長ですよ。何となく勘付いてた気はするけど、この人、釣った魚には餌をやらないタイプじゃなかろうか。 「冗談、冗談。単に優先順位が低いってだけで、ちゃんと顔は合わせるから」 「本音がダダ漏れになるってのも、それはそれで問題を感じてきましたよ、っと」 茜さんの後ろ姿を見送りながら、俺はそんな言葉を口にした。大人になる為には建前を使いこなせないといけないらしいが、それを正確に読み取る能力も身に付けないと意味が無いよな。 しかし茜さんに対する警戒感のお陰で、将来的にどうしようもない詐欺に引っ掛からないであろうことは間違いない。その点は感謝すべきなのかも知れないが、素直になれない年頃だし、致し方ないと思うんだ。 舞:ようやく、二日目突入! 結:まあ、何が恐ろしいかと言いますとね。 学園祭初日が終わるのが午後五時じゃないですか。 海:だけど二日目が始まるのが午前八時半という、ここが罠な訳ですよ。 結:十五時間以上も空きがあるってことは、やろうと思えば色々ねじ込めちゃいます。 舞:むしろここでしか出来ないこともたくさんあるはずなのですが。 結:上がノープランで何が悪いと居直る始末なので、いつも通りグダグダなことになる次第で。 海:あの時、ああしてればよかったっていうのは、人生で必ずあることですからねぇ。 舞:本当に、このまま時計の針を進めていいのか、戦々恐々してはみるものの。 海:そんな緻密な構成が出来るもんなら最初からやってるわと、またしても居直る訳で。 舞:結局のところ、流れるままに進めるしか無いんですわ、これが。 結:それじゃ次回、不埒な奴らの祭り事 学園祭本編第三十一話 『もはやサブタイと内容に繋がりすら感じられないけど、深読みして解き明かせる謎なんて無いからな』だよ。 海:ミステリとかサスペンス系ならアナグラムになってるんじゃないかとか考えちゃうけど、 コメディでやる意味が無いから、そこら辺は安心設計で、よかった、よかった。
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