学園祭初日、午後十時二十二分、二年四組教室。 二晩目となる泊まり込みも、夕食やシャワーなどの所用を終えて、後は寝るだけとなっていた。基本的なルールとして、男子は偶数組、女子は奇数組の教室を使うことになっていて、俺達は四組を間借りさせてもらっている訳だ。このクラスの出し物である架空生物の展示物がちょっとばかり気に掛かる感もあるが、目さえ瞑ってしまえば見えないのだから問題はない。そう、吸血鬼や雪女の射抜くような視線なんか、ぜんっぜん怖くなんか無いんだからね。 「公康〜、何寝ようとしてんのさ。夜はまだまだ、これからだよ。さぁ、皆とボーイズトークと洒落込もうじゃないか」 惰眠を貪れる数少ない機会だというのに、千織の奴が修学旅行並のハイテンションで話し掛けてきた。 「勘弁してくれ。今日一日で、どれほどの精神力を消耗したと思ってるんだ。休める時には休んでおかないと、矢上先輩みたいにぶっ倒れる。だから大人しくしておけ、な」 「それはそれ。甘い物は別腹みたいに、こういった状況ならどこからともなく力が湧いてくるのが正しい高校生ってものじゃないの」 「その予備タンクすら使い果たしてしまうくらいに疲れたんだと、頼むから気付いてくれ」 ああ、ダメだ。薄手のタオルケット一枚だけ巻き付けて横たわってる状態なんだが、立ち上がる気力すら湧かない。このまま寝落ちたとしても、誰も文句は言わないだろう。ってか、三つ子やらを相手にすることを考えれば、クラスメイトに批難されたとしても、幼稚園児にポカポカ叩かれる程度にしか効かないな。よし、損得勘定は完璧だ、おやすみなさい。 「師匠、そんなことを言ってる場合じゃないですぜ」 世界の人口が何十億に達したか、正確には忘れた。だが、俺を師匠なんて呼ぶ奴が一人しか居ないことだけは知っているつもりだ。 「空哉さん、何でここに居るんですか」 「弟子が師匠のことを心配するのは、至極普通のことじゃないか」 うん、卒業生とはいえ、父兄であるアンタが退園時刻を無視して何で居座ってるんだって意味で聞いたんだけどな。会話の成立してなさがいつも通り過ぎて、むしろ怖いくらいだ。 「俺も居るぞ」 そう言って湧いて出たのは、大村先輩だった。おいおい、ここは歴代生徒会長の見本市か何かか。 「それで、俺がここにやってきたのは他でもない」 「その話、学園祭が終わってからになりませんか。正直、こうして横になってると、うつらうつらして意識が飛びそうに――」 「ならば、体勢を変えればよい」 言って大村先輩はタオルケットを剥ぎ取ると、千織と共に俺の両腕を掴み上げ、そのまま近くの椅子に座らせた。交渉のテーブルにつくという言い回しはあるが、こんな物理的な言葉では無いはずなんだがな。 「諦めました。とっとと話を終えて、さっさと帰ってください」 「その友好的な態度に、謝意を示させて貰うよ」 これくらい面の皮が厚くなければ生徒会長なんてものは務まらないのかも知れないと思うと、色々と考えさせられる。 「さて、本題に入るぞ。知っての通り、俺は討論祭一回戦で、一柳妹に敗れた」 ついでに西ノ宮家三女、舞ちゃんにも負けたことは不憫なので触れないでおいてあげよう。 「そしてこの舞浜は、西ノ宮姉と、桜井妹に負けた」 「てへ」 「つーか千織は、誰とも知れないその他も下回って四位だったんだから、運営の意図やクジ運と関係なく負けた公算が高いのですけど」 「当代と先代の生徒会長が揃って早々に退場するとは、由々しき事態である。そうは思わぬかね」 これも人の話聞いてねーな。慣れてると言えば慣れてるから、敢えて踏み込みゃしないけど。 「その中で、男子として生き残った数少ない弁士である君に期待するのは、必然と言える話ではないかね」 「二戦終えて思ったことですが、そもそもの規定が必ずしも公平じゃないとは思うんですよね。この学園、六四で女子の方が多いですし、若菜先輩みたいに男子人気を掻っ攫うのも居ますし」 女にとってのラスボスは女理論に期待したいところだが、共通の敵が存在する時の団結力は侮り難いものがあるしな。 「つー訳で、それなりに頑張るつもりではありますが、男子を代表してみたいな感じにされても困ります。いやー、結論が出てよかったです、ほいでは」 ふっ、生徒会長ズとはいえ、所詮は一回戦敗退の雑魚どもだ。運を味方に付けた部分があるとはいえ、準決勝まで勝ち抜いた俺に口車で敵うはずもあるまい。 「まあそんな訳だから、俺らの意志を受け取って欲しいと言うか、参考となる話をしに来た訳だ」 「……」 しまった! 話を聞いてないやつを論破するなんて不可能に近いんだった! 「話を理解したいとは毛頭思いませんが、言いたいことは分かりました。それで、空哉さんがどうして居るかについては伺ってもいいんですかね」 「よくぞ聞いてくれた、師匠!」 ああ、心底構いたくない。でもどうせあっちから積極的に絡んでくるんだし、何をしたって結論に大差は生じないんだから仕方ない。 「うむ、我ら生徒会長コンビの体たらく――敢えて体たらくと表現するが、それに危機感を覚え、伝説の生徒会長と呼ばれるこの方に、救援を要請した訳だ」 「伝説だったのか、この人」 生徒会長選に立候補はしたものの、歴代生徒会長の実績まで調べた訳でも無いので、正直、どの程度の評価なのかは知らなかった。知りたくもなかったの方が近い気がするけど。 「褒めちぎってもらって構いませんぜ」 「それは遠慮させてもらいます」 しかしこんなのが伝説だと言うのなら、その師匠に当たる俺は何なのだろう。伝説を超える表現が簡単に思い付かないのは、ボキャブラリーの問題なのか、昨今の持ち上げ方が過剰なせいなのか、ちょっと分からない。 「本来、我が学園の生徒会長は二期一年を務め上げて一人前と言われている。その理由が分かるか」 「いきなりクイズを出されても困るんですが」 大体、もう頭なんか動いてないくらいに眠いんだ。 「考えればすぐに分かることだ。五月と、十一月の年に二度行われる選挙の構造が、事実上の解答となる」 「つまり、五月期の生徒会長は学園祭や体育祭のイベント運営が中心で、十一月期のは卒業式や入学式といった儀式的な意味合いが強くなるから、役割が少し違うんだよね」 「おいコラ、舞浜。俺がビシっと決めようとしたのに横から入るな」 うーむ、この自己中心的な感じ、例え立候補取り下げが無かったとしても、二選は無理だったんじゃなかろうか。 「その中で、一年の五月期に当選しただけにも関わらず伝説という冠を付けることとなった一柳氏がどれほどに図抜けているか、想像するに容易いことだろう」 「何を成し遂げたんだ、というより、何をしでかしたんだって表現の方がしっくり来る辺り、大概、アレだよな」 聞きたいという訳でも無いのに、茜さん共々、色々な逸話が耳に入ってきてるからなぁ。 「という訳だ、七原。一人ずつ助言を聞いていけ」 ああ、そういえば話の目的はそこでしたっけね。あっちこっちに振られたせいで、もう訳が分からないのですよ。 「若い順でいいだろう。舞浜、行け」 「公康のこと、陰ながら応援させてもらうよ」 「いや、別に陰ながらでなくてもいいんだが。つーか仮にも現役の生徒会長なんだし、動員できる組織票とか具体的なものが――」 「察して視線を逸らすのって、凄い残酷なことだからね」 「茜さん抜きでそんなことが出来ようものなら、四位落ちなんてしてないよな、悪かった」 「素直に謝られても、それはそれで傷付くから!」 じゃあ、どうしろと言うのだ。地味に面倒くさいやつである。 「次は俺だな。まあ、その、なんだ。一柳妹を叩きのめしてくれれば、不満はない」 「完全無欠に私怨じゃねーか。しかもそれを、空哉さんの前で言うか」 「ハッハッハ、師匠が綾女をどうこう出来るかは分からないけど、そういった展開になるのは、それはそれで熱血っぽくていいじゃないか」 この人、俺を師匠と呼ぶ割に、評価が高いんだか低いんだか分からんのだよな。 「ってか、空哉さんの中で綾女ちゃんってどういう扱いなんですか」 綾女ちゃんから見ると、兄の奇行に悩まされつつも、なんやかんやで嫌いになりきれない部分があるのは薄々勘付いてる。だけど空哉さん視点ってのは、聞いたこと無い気がするし、そもそもこの人の内面を推し量るというのは難易度が高すぎる。 「一見すると尖ったキャラクターを演じてる常識人――」 「ふむ」 やっぱり、そういう風に捉えてるのか。お爺さんとあんまし変わらんっぽいな。 「に思わせておいて、実は俺以上におかしいものを抱えているな」 「ナヌ?」 もう一枚皮を剥いてきましたよ。タマネギかキャベツ的な話ですかね。 「あれ、空哉さんって、自分の頭がイカれてる自覚あったんですか」 「物凄い、ダイレクトな表現を聞いちゃったよ」 千織が何か言ってるけど、この人相手に婉曲な言い回しが通用する訳ないんだから、俺は間違ってない。 「そりゃ、俺自身がいわゆる『普通』に所属するかと問われれば、違うことくらいは分かるさ」 「いや、それはそうなんですが、何か釈然としないものが残る感じが」 その上で、普通であると偽装しようともしないのは、潔いのか、開き直りなのか。これ以上踏み込むと巻き込まれそうだし、話を綾女ちゃんに戻そうか。 「しかし空哉さんより怪しげなものを抱えてるって、にわかには信じ難いんだが」 「何で今度は、少しオブラートに包んだんだろう」 「そりゃ、空哉さんと綾女ちゃんなら、どっちを雑に扱っていいか言わずもがなだろ」 男と女だからどうこうじゃなくて、単純に空哉さん個人がどのようにされても文句を言えない生き方を選んでるんだからしょうがない。 「ふーむ、まあ、綾女はあれで繊細な子だからねぇ。そもそも、政治家に向いている感じもしない。どれかというと、学者か作家らへんが適職じゃないか」 「そう思うなら、兄である貴方がもっとしっかりして、苦労を掛けないようにすればいいのではないでしょうか」 「正論だねぇ。だが、人の世は正論だけでは回らないものだ。だからこそ政治家が必要だっていうのは、軽いパラドックスかな」 自分の不甲斐なさを、でかい一般論にすり替えて誤魔化してきやがった。この人の詭弁力も大したもんだな。 「おいコラ、七原にエールを送るっていう趣旨は何処に行ったんだ」 大村先輩が割って入ってきたけど、俺は偽らざる本音というやつをぶつけることにした。 「綺麗に忘れてました。が、反省や後悔の類は全くありません」 大体が、ここまで付き合ってやっただけで充分以上に譲歩しているはずだ。よぉし、これでこの話は終わりだ。今度こそめくるめくスリーピングワールドに没入して、見ざる聞かざる言わざるの精神を貫き通すぞ。いやぁ、男同士の友情って、ダイヤモンドより高価な面を持ちながら、シャボン玉より儚い、そんな謎に満ちたものですよね。 遊:これで丸三話、女子の登場がほぼ無しか。 作品的な意味でいいことなのかどうかは精査が必要やも知れんが、 迷走期であることは間違いが無さそうだ。 彩:そういう解釈でいいの? 別に、女の子が出ないくらい大した問題じゃない気もするけど。 遊:何を甘いことを。古来より、ヒロインは作品の存続を左右する程の存在だった。 困った時は新キャラ投入で新たなギクシャクを、或いはサービスカットの乱れ打ちを、とな。 彩:それで、話は本当に面白くなるの? 遊:痛いところをついてくるが、そこに深く立ち入ってはいけない。 食べ物で言うと、塩分と油分を足して刺激を増やすようなものだ。 短期的には美味しく感じるだろうが、すぐさま飽きるし、健康にも悪い。 彩:数学で言うと、公式を使えば簡単に解けるけど、 どうしてそうなるかは分からないから、結局何の理解もしてないのと似た感じかな。 遊:……ま、そんなところだろう。 彩:浅見さんは、正規の補習に加えて、個人的な講義が必要な感じだよね。 遊:では次回、不埒な奴らの祭り事 学園祭本編第三十話 『メガネのくせにツッコミじゃない奴とか、世間の需要というものを分かってないよな』だ。 彩:裸眼視力が低くて、コンタクトも好きじゃないってだけで立ち回りを決められるのって、 先生、ちょっとどうかと思うよ。
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