邂逅輪廻



 学園祭初日、午後五時二十五分、東校舎二階。
 一般客の退園時間である五時も三十分近く過ぎると、園内は大分平穏な空気を取り戻していた。俺はというと三つ子との死闘を何とか切り抜け、執行部員として見回り任務という名の休憩時間を貰っている。あの後、知った顔に祝福されると思いきや、『運だけで生き残ったまぐれ当たり野郎』だの、『勝負に負けてルールに掬い上げられると白ける』だの、中々手荒い言葉を投げ掛けられた。いいんだよ、あいつら相手に生き残ったという事実が大事なんだ。そのことを俺だけが分かってればいいんだよ、ふーんだ。
「ん?」
 後片付けや雑談をしている生徒達を横目に廊下を歩いていると、年配の男性が紛れ込んでいるのに気付いた。年の頃で言うと、七十は過ぎてるだろうか。一般的な成人男性から見ればやや小柄な体躯と、刻まれた深い皺は人生の年輪を感じさせてくれる。とはいえ背筋はピンと伸びているし、目の光もそれほど衰えていない為、老人感で一杯という訳でもない。どうやら、何人かの男女と会話してるみたいだけど、どうしたものか。一応は巡回中だし、声くらいは掛けなきゃならんのだろうな。
「お爺さん、五時で外来のお客さんは退園ってことになってるから、悪いけど今日のところはこれくらいにしてくれないか」
「ほむ」
 残念そうに、という訳でもなく、爺さんはすっと俺の方に向き直った。あれ、どこかで会ったことがあるような――。
「君は、七原君か」
「はい?」
 いきなり名前を呼ばれ、頓狂な声を上げてしまった。考えてみれば討論祭二戦に演劇と、思いっきり顔を晒してるんだから知っていても不思議じゃないんだけどさ。
「話は綾女から聞いているよ。中々に、愉快な子だそうだな」
「綾女ちゃん……」
 チックタックチックタック、チーン。俺のハイエンドの振りをしたローエンドなブレインコンピューターは、結論を出すのにいささかの猶予を必要とするのだ。
「一柳正剛(せいごう)!?」
 そう、その人は綾女ちゃんの祖父であり、少し前まで国会で確たる地位を保持していた重鎮、一柳正剛だった。
「ほっほぅ、初対面の、仮にも目上を呼び捨てにするとは、期待通りの少年の様だね」
「どうもすいませんでした」
 うむ、自分が悪い時は素直に謝る。これが日本社会の、正しい処世術だよ。悪くなくても謝っておけば何とかなってしまうこともあるのが、ちょっと問題って意見もあるけど。
「老人の軽口じゃ、気にするな。それよりも、少し話をする暇はあるかね」
「いえ、だからもう退園時間が――」
 反射的に返答しかけたけど、これほどの人物と話を出来る機会なんか滅多にあるもんじゃない。超法規的措置という適当な言い訳で脳内の整合を取って、お誘いに乗ることにした。


 学園祭初日、午後五時三十分、東校舎二階某教室。
「私事で高校に来るのは久方振りじゃが、若さ故の熱気があってええもんじゃの」
 これだけを切り取って聞くと只のエロジジィにも思えるけど、いい方向に解釈をしておこう。
「空哉さんの時は来なかったんですか」
「その頃は、まだ現役じゃったからな」
「あ、そりゃ無理ですね」
「尤も、時間が取れたとしても、あのバカ孫の為に動いたかと言われると微妙なところではある」
 孫は無条件で可愛いと言われる世の中で、こんなにもダイレクトな評価をされてる空哉さんは只者ではないな。
「ところで、綾女をどう思うかね」
「はい?」
 質問の意図を把握しかね、様々なパターンを脳内で想定してしまった。
「頭のいい子ですよね」
 そして出てきたのが、一番どうでもいいと思える部分だったのが俺らしい話だ。
「たしかに、それは間違ってないじゃろうな」
「そのせいか分かりませんが、同年代と比べて見え過ぎてる分、冷めた振る舞いをする傾向がある感じですか。反動なのか、テンション高い時はやたらと高いですけど」
「面白い子じゃろ」
「孫バカですか?」
「やも知れんな」
 この、空哉さんとの扱いの違いが面白いと言ってしまっては、あまりに残酷な話になってしまうのだろうか。
「それにしても、何で綾女ちゃんなんですか」
「うむ?」
「いや、空哉さんは綾女ちゃん以上に奇行が目立ちますけど、頭自体はいいですし、素材としては悪くない気もするんですが、後継者候補の一番手が綾女ちゃんなのはどうしてかなって」
 前々から気になっていた疑問だ。折角だし消化しておきたい部分ではある。
「ふぅむ――」
 俺の素朴な問いに対して、正剛さんは眉根を寄せて真剣に思案を始めた。そこまで本気になられると少し気恥ずかしいけど、嬉しい部分もあった。
「主義の問題かのぉ」
「主義、ですか」
 数十秒の間の後に出てきた言葉は、僅か二文字の熟語に圧縮されていた。
「知っての通り、儂は総理にはならなんだ。なれなかった訳ではない。幾度か党の代表として推されることがあり、勝てたであろう機会もあった。だが、固辞し続けた。国政に携わるからには総理を目指すのは当然という輩もおるが、儂は必ずしもそうは思わん。人にはそれぞれ、分というものがある。直接的に指導するより調整役の方が向いていたと、今でも思っておる」
 その言葉は、テレビか何かで聞いたことがあるものだった。言うは容易いが、権力欲に溺れず補佐役に徹するのは並大抵の話じゃないと思う。
「綾女は、そういった意味で儂に似ておる。まだ子供じゃから無理をして派手を装っておるが、あのままではいずれ潰れるであろう。賢い子じゃから、言わずともその内に理解してくれるじゃろうが」
「空哉さんは違うんですか」
「あれはなんと言うか、特大の不発弾に近いものの気がしている。百年放っておいても何も起こらない屑鉄かも知れぬし、ちょっとした衝撃で近隣を吹き飛ばす可能性もある。とにかく扱いづらいことこの上ない。動乱期にでも生まれておれば英傑になったかも知れんだけに、中途半端な時代に生を受けたものだと思うわい」
 評価が高いんだか低いんだか分からんな。万馬券とか宝クジみたいに、当たればでかいけど、その確率は限りなくゼロに近いという風にもとれたんだがどうなんだろう。
「綾女ちゃんの本質が、調整役、ね」
 独りごちて、少し思案を巡らせてみた。成程、言われてみればパフォーマーとしての彼女は充分に際立っているけど、裏方をやらせてる時も活き活きしている感じはある。付き合いの短い俺に、どっちが本来の姿と問われても答は出せないが、解釈はそこそこ割れるだろう。
「ところで、七原君は政界や政治家というものをどう考えているかね」
「話の規模がでかい上に漠然としすぎていて、返答の方向性が見えないのですが」
 綾女ちゃんの時もそうだったけど、この人は俺に禅問答でも仕掛けてきているんだろうか。
「一人の高校生として、思ったことを素直にで構わんよ。儂はこの世界を引退した身で、これからは若いもんが動かしていくべきだとは思っているが、興味を持つくらいはいいと思わんかね」
「と言われましても、ね」
 生徒会長選挙に出たことと桜井姉妹辺りに関わったことで、一般的な高校生よりは政治に興味を持っているものの、所詮、この数カ月のことだ。知識や見識に自信がある訳でもない。それでも、何か言うことがあるとすれば――。
「やっぱ選挙に受からないと、政治家としては無能なんですかね」
 選挙絡みになってしまうのは、必然というものではなかろうか。
「中々に、面白いところに目を付けたものじゃの」
「いや、テレビとか見てて思ったんですけどね。実績や能力で明らかな差があるにも関わらず、時の政権に対する風当たりが強いこととか、派手な演出で着飾ってるだけの無能が受かることもある現実は、どうなのかなぁって」
「悪くない感性と言えるな。たしかに民主主義というのは、政治的知識が乏しい者も少なくない民衆に主権があるが故に、そういった紛れが生じ得る。何処へ出しても恥ずかしくない立派な志を持った者達が、少しばかり口下手というだけで落選する様を歯痒く思ったのは、一度や二度では無かった」
「やっぱり、そういうことはありますか」
 ぶっちゃけた話、俺はともかくとして、純粋な実務能力なら千織より綾女ちゃんや西ノ宮の方が上だもんな。それでも、選挙を勝ったのは茜さんを後ろ盾とした舞浜千織だ。規模の大小だけで、こういった事情は何処も似たようなものの様だ。
「だがな、七原君。政界という魑魅魍魎が跋扈する化け物屋敷では、血みどろの主導権争いが繰り広げられるのは必定というものなのだ。その中で誰に従って動くかを、国民という一種の第三者の手に委ねるのは、比較的合理的という解釈も出来んかね」
「……成程」
 政治家は国民の代表であると同時に、国民に監視されて働かされる奴隷という物の考え方でいいんだろうか。まあ理想論であって、現実の国会議員様がお高くとまってるのは防ぎようがないのかも知れないけど。
「それらを鑑みて、儂の考えはこう纏まった。成したい事柄があるのなら、選挙如き勝ち抜けんでどうするのかと、の。無論、その後の運営も考えず数を集めるだけの烏合の衆を是とする訳でも無いのは、分かってもらえると思うが」
「政策に折り合いを付けられるからこその政党なのに、全く真逆の連中が寄り集まってるのは、俺ですら何がしたいんだと思ってる訳でして」
「議員となり、多数派となって与党となるのは、あくまでも免許や資格を得たということに過ぎん。国としてモグリの医師に医療行為を許すことはできんが、国家試験に受かったというだけで難易度の高い手術を任せられるという訳でもない。簡単な理屈のはずなのじゃが、誰もが真に理解しているという訳でもないのが、厄介なところではある」
 うーむ、岬ちゃんなんかと似たような話をすることはあるが、これだけの大物に言われると説得力が違うなと思う辺り、俺も小市民だな。
「勝つ為に最善の手段を尽くすと言えば、選挙参謀の類も含まれるんですよね」
「桜井のお嬢ちゃんの話かいの。あれも面白い素材ではあるが、国政が舞台となるとまだまだ若いと言わざるを得ん。今のところ両親が手綱を握っているようじゃから、しばらくは地方選で下積みといったところであろうな」
 茜さんでさえ小娘扱いされるとか、何て恐ろしい業界だ。俺には務まらんな、間違いない。
「それで、七原君はこちらの世界に興味は無いのかね」
「へ?」
 自分で無理だと判断した直後の問いだっただけに、間の抜けた声を漏らしてしまった。この爺さん、少し耄碌が始まってんじゃないかと思ったのは、俺の心の中にだけ留めておくことにしようじゃないか。

次回予告
※莉:椎名莉以 麗:西ノ宮麗

麗:前回に引き続き、この次回予告の裏話なのですが――。
莉:ちょっと待って。それって、本当に語るべきことなの?
  もっと他に、有意義なスペースの埋め方ってものがあるんじゃないのかな。
麗:具体的には、どのようなものが。
莉:え、えーと……犬と猫、どっちが好きか、とか。
麗:本当に、それは語られるに値するものなのですか。
莉:うん、裏話っていうのも、悪くない気がしてきたから聞かせてよ。
麗:この枠を作るにあたって、一番悩むのは誰を起用するかであって、
 それさえ決まればあっさりと書き上がるそうです。
  七原さんを過剰起用しすぎていないか、レギュラー格なのに御無沙汰な方は居ないだろうか、
 たまにはマイナーキャラを使うべきではないかと色々なことを考慮した末に、
 面倒くさくなって物凄い適当に選出されるのが常なのだとか。
莉:やっぱり、だからどうした感が拭えないのは、仕様なのかなぁ。
麗:では次回、不埒な奴らの祭り事 学園祭本編第二十八話
 『お好み焼きなのに本場がどうとか言い出すのって、自由帳に罫線を入れるようなもんだよな』です。
莉:杓子定規じゃ面白みが無いってのは分かるけど、
 公康や三つ子ちゃんを相手にしてると、奔放過ぎるのもどうかって意見も出ると思うんだけど。




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