学園祭初日、午後四時五十九分、第二講堂舞台上。 争いごとが起きた時、本当に大事なのはその後の処理だと、人は言う。成程、一般論としては及第点の解答と言えるだろう。国家規模の戦争から、クラスレベルでの男子女子の対立まで、ぶつかりあったことそのものより、後始末の方が遥かに難題だ。と言うより、遺恨は基本的に無くならない。戦争の話なのか、男子女子の話なのかは、御想像にお任せするとして。 そういった意味で、大会というのは構図が単純でいいのかも知れない。建前上、勝負が終わったらラグビーで言うところのノーサイド、恨みっこ無しで爽やかにハグしあうくらいの仲となるのだ。腹の中で、どんな毒が蓄積しているかは考慮しないでおく。何だか、物理の問題で摩擦を無視したりするのと似た感じがしてきたのは気のせいだろうか。 何にしても、この勝負に限って言えば、後腐れを考慮しなくていいという部分が、割と気楽だ。何しろ、相手があの三つ子だ。猫と女の辞書に禊を済ますという言葉はないと、綾女ちゃんと大村先輩の時に実況が言っていたけど、その二つの特性を併せ持ちながら粘着質とは程遠いのは奇跡の領域と言えるだろう。マイナスにマイナスを掛けたらプラスになるみたいなもんなのかも知れないけどさ。 「桂馬ってのは、他の駒とは違って動きが特殊だからな。今の時代、人真似をして無個性になるよりも、一点だけでも誰にも負けない強みを持つべきだと思うんだ」 俺なりに精一杯考えた末の小理屈がこれだ。何か三つ子が散々語ったことの焼き直しっぽいけど、今更余白なんて見当たらないんだよ。 「ほむほむ、それが桂馬を選んだ理由ですか」 「何だか、我らのことを褒めて頂いてるようでむず痒いものがありますな」 君らはオンリーワンを通り越した、物の怪の類では無かろうかと一部で噂だがな。 「それでは、銀将の説明に移らせて貰いましょう」 「銀将とは、前方三マスと後ろ斜め二マスの計五マスに動ける駒」 「つまり、頭に銀将を置かれると、桂馬はどう足掻こうとやられてしまうのです」 「こんなにも恐ろしい存在があるでしょうか」 「玉将は持ち駒に成り得ないので、まさに随一の桂馬キラー」 「対桂馬の極意を学ぶべく、師事したいと考える所存です」 ぐぬ。おそらくは即興だろうが、それっぽい感じにまとめてきやがった。だから先に言うの嫌だったんだよ。 「だが少し待ってもらおう。今は持ち駒としての話をしていたが、桂馬は銀将とは違い、二マス先まで進める能力を持っている。一対一ならともかくとして、複数対複数で陣形を組む場合は、桂馬の方が壁を作れるとも言えるのではないか」 どんな競技だよと自分でも思わなくもないが、横一陣に並んだ桂馬は、地味に防御力が凄い。香車、角行、飛車の飛び道具に対して無力なのは、とりあえず目を瞑っておこう。 「成程、たしかにその様な状況では銀将の不利は否めませんな」 「ですが、先も述べた通り桂馬とは懐に入られた時に弱いもの」 「第一陣の銀将を倒したところで、第二第三の波状攻撃に耐え切れるのでしょうか」 「いくら自分達が普段から物量に任せてるからって、銀将でもそれを持ち込むのは如何なものかと思うぞ」 大駒の大量投入が許された日には、それは既に争いではなく虐殺の類なんじゃなかろうか。近代戦なんて大体そんなもんだろうと言われると、それも正しい気もするけどな。 チーン、ベルの音がした。感覚的な話をすれば十五分を遥かにオーバーしている気がする。だけど実際は、ほぼぴったりか、せいぜいが一分程度の超過だろう。この三人を相手取るのがどれだけの苦労なのか、少しでも伝わったなら幸いだ。いや、これをキッカケとして西ノ宮みたいに、俺へのぶん投げが増える方が現実的な読みなんだけどさ。 「さぁ、白熱した議論、のような、何だかよく分からない喋り合いも、一先ずの決着と相成りました」 畜生、無茶苦茶言ってるようでいて、大体合ってるから反論の余地がねぇ。 「ではでは、ぶっちゃけた話、退園時間である午後五時をちょびーっとオーバーしてますので、さくっと投票して頂きましょう。一回戦と違って一人一票ですので、最初に入力した分しか反映されません。一番が七原公康さんで、二番、西ノ宮結さん、三番、西ノ宮舞さん、四番、西ノ宮海さんです。最も説得力のある発言が出来たと思う方にスイッチをどうぞ」 少しばかり精神的余裕が出来たので時計を見遣ってみたら、五時二分を指し示していた。全体の段取りとしては五時ちょうどに退園を促す放送が流れる予定だった気がするけど、討論の腰を折るから融通してくれたんだろうか。第二講堂だけ切っていた可能性もあるかも知れないなと、集計の間にとりとめのないことを考えていた。 「はいはーい、結果が出ました。準決勝進出の栄冠は誰の頭上に輝くのか。上方のカウンターに御注目下さい」 座ったままなのに、頭を左上に向けるだけで、少しクラっとした。一日の疲労がまとめてきたのか、こいつらを相手取ったからか、はたまた緊張のせいなのか。答が出ないまま、デジタル表示計がランダムに回り出した。百票を分配する訳だから、三十四票あれば、確実に二位に入ることができる。今回は三つ子が、二人に票を集中させるよう要請したので、この数字に達しないと厳しいやも知れない。 「――!」 声にならない悲鳴のようなものを押し殺し、七本の棒で構築される数字を見詰めた。俺の数字である左端は二十九だ。やられたかという思いと共に視線を右に移すと、順に三十五、二十六、八となっていた。えーっと、つまるところどういうことかってぇと――。 「はい、御覧の通り、一位の西ノ宮結さんと二位の七原公康さんが準決勝の切符を手にしました」 だな。あ、緊張の糸が切れたのか、またちょっとクラっと来たぞ。 「舞さんと海さんは残念でした。ぶっちゃけ、未だにどれがどれなのか分かってないので、胸番号を抜きにしたら誰に視線を合わせていいものなのか分からないのが難点なのですけど」 この言いたい放題っぷりにちょっとした安堵感を覚えるようになってきた俺は、少しヤバいのではなかろうか。 「な――」 「な?」 そんな中、三番札をつけた、つまりは舞ちゃんが声をわななかせながら言葉を漏らした。 「なんですか、この結果!」 いきなり大声を出したことで、キーンというハウリング音が体育館内に響き渡った。 「なんですかと言われましても、厳正な投票の結果です。装置の不調は確認されていませんし、誰が何番を押したかはコンピューターで管理されています。もうちょっとすれば担当が目視でのチェックを済ませて最終結果となりますが、一回戦全戦と二回戦の二戦で不備は無かったので、ここから覆ることはほぼ無いかと思われますね」 意外とハイテクなんだな。小学生が遊びでプログラムを組む時代に何言ってんだと思われるかも知れないが、とことんまでにアナログ体質なんだからしょうがないじゃないか。 「個々の票数に関しては、それでいいとしましょう」 「ですが他にも幾つか問い質したいことがあります」 「まず、全部を足しても九十八にしかならないこと」 「これはどういったことでしょうか」 あ、本当だ。票数順に並べ替えることしか考えてなかったから、完全に意識の外だった。 「これに関しては、ある種やむを得ない面があると思われます。百人も人が集まれば、何となく気分が乗らず押さない方も居れば、悩んでる間にタイムアップとなってしまう方も居るでしょう。むしろあんなグダグダな内容でほぼ全員押して頂いたことを感謝しなさいと言いたいくらいです」 すいませんでした。ってか、この延長戦みたいな押し問答の方がよっぽど討論してるなって思ってはいけないぞ。 「それはそれでいいとしましょうか」 「次は、結と舞の票数にちょっと開きがある点です」 「確率的に言って、六十回位コイントスをすれば、大体、表裏が三十近辺に収まるはずですよね」 「十近くも開くっていうのは、ちょっとおかしくないですか」 「もちろん確率論ですから無いとは言いませんが」 「あー、まあ最初に二人に票を入れてくれって言われた時から危惧はしてたんですよね。観客の皆さんが意思の疎通をしてる訳でもないんで、人間心理としては先に名前が上がった結さんに入れる人が多いんじゃないかなぁって。かといってそれを事前に通達すると、意識しすぎて舞さんが投票過多になるかも知れないとも思いました」 「そこがおかしいんですよ」 「人間、根性出せば言葉を使わず、アイコンタクトもせずに他の人が何番を考えてるかくらい分かるでしょう」 おかしいのはお前らだと、もうツッコむ気力すら無い。 「納得はいきませんが、とりあえずは置いておくとしまして」 「最後は、海に八票も入ってる点です」 「あ、それは簡単です。世の中、どんなアナウンスしようと人の話なんて全く聞いてない人が一定数いるもんです」 「バッサリと、切り捨てられました」 「討論後に要請するのは、むしろイラッとさせると思って控えた結果がこれだとは」 「海の半分の四票が舞に入ってれば、ギリギリ抑えられてるじゃないですか、これ」 「結と舞の票が半々に分かれてても三十と三十一で勝ってますし」 「二倍以上の票を取って負けたというのは、納得がいかない次第です」 いかないと言われても、事前に決めたルールに則っての結果なんだから諦めてくれ。かくいう俺も、一回戦に引き続き、すげーモヤモヤが残ってるんだけどさ。 「そういや票が半々で気になったんだが、仮に二位と三位が同じだった場合はどうすんだ?」 後で岬ちゃんにでも聞けば済む話なんだが、何となく場の勢いで質問してしまった。 「時間の都合もありますし、二回戦まではクジということになってます。参加者が納得するならジャンケンでも何でもいいんですけどね」 「ふむ」 「ちなみに準決勝からは五分のエクストララウンドを予定しています。もちろん一対一の直接対決ですので、好きなだけ優劣を競い合ってください」 怖い、怖い。二位通過が続いてるだけに他人事じゃないんだが、そうそう起こることじゃないだろうし、想定からは外しておくという名の現実逃避をしておこう。 「ではでは、御来場の皆さん、本日は御足労ありがとうございました。明日も当会場にて二回戦第四試合以降を開催しますので、御時間に余裕がある方は是非どうぞ」 そういや明日のトップバッターは西ノ宮姉だっけか。時間が取れるようだったら来てみようかね。よっぽどのことがない限り負けないだろうし、こっちが生き残る限り、どこかでぶつかるのが濃厚だしな。 「それにしても――」 またしても、二位抜けか。生徒会長選挙の時も最下位の六位抜けだったし、何か呪いの類でも掛かってるんだろうか。考えように依っては、死線ギリギリをくぐり抜ける、スリリングな生き様と言えるかも知れないけどな。 「全くもって、納得がいかぬ」 「運営の不備と言っても、過言では無いのではなかろうか」 「その皺寄せをまともに食らうとは、まさに社会の犠牲者」 「こうなったら革命を起こしてくれるわ」 決着のついたことだというのに何やら物騒なことを言ってる連中が居るけど、明日になれば忘れてるだろうからノータッチが正解だぞ。 麗:物凄くどうでもいい話なのですが、この次回予告のクレジットは、 特別の理由が無い限り、作中での登場順に並べているのだそうです。 莉:本当、驚くくらいにどうでもいい話だね。 麗:そう考えると椎名さんって七原さんの次に登場してますから、 相当に有利な立ち位置ですよね。 莉:え、何、通し番号付けるとしたら二番だっていうのに、 それに見合った扱いは受けてませんよねみたいな後輩アイドルのいびり的な? 麗:いえ、単に私は、主要人物の中では後発なので、 後ろになることも多いというだけの話です。 もっとどうでもいいのですけど、いびるって英語のイービルに似ていて、 どっちにしても負のイメージがあるのが面白いですよね。 莉:西ノ宮さんって、話せば話す程、何考えてるのか分からない辺り、 あの妹さん達の姉って感じがするよ、本当。 麗:それでは次回、不埒な奴らの祭り事 学園祭本編第二十七話 『俺達の戦いはこれからだエンドって、意外と良心的な方という解釈もあるよな』です。 莉:いや、いつまで経っても連載再開しないよりマシってだけで、 完全に感覚がおかしくなってるよね。
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