学園祭初日、午後四時五十四分、第二講堂舞台上。 何事も、何かを競い合う場合には、勝利条件を設定しなければならない。生徒会長選に限らず、選挙であれば当選すれば勝ちだ。極端な話、一票足りなくての落選も、次回へ繋がるという意味での価値はあっても、その選挙での敗北に変わりはない。他に球技であれば、規定の回や時間が終了した時、得点で上回ったチームや個人が勝利者になることが多い。ヒットの多さ、投手の好調さ、支配率の高さ、シュートの多さ、ブロック率の高さ、サービスエースの多寡などは試合を優位に運ぶのに重要なものだが、それだけで勝負は決まらない。勝利に向けて必要なものは不足していないか、敵の弱点はどこか、弄せる策はないか、その成功率はどれくらいか、デメリットはどの程度か、などなど、勝つということに費やせる労力は少なくない。そして全てを実行することは難しい為、優先順位を付けなくてはいけないから更に話は大変だ。もし仮に、全ての情報を的確に処理し、その対策を完璧に実行することができれば、百戦百勝の名将となれるだろう。孫子の兵法にも、『敵を知り己を知れば百戦危うからず』って書いてあるしな。 そして、この討論祭は観客の支持を得ることが勝利条件であることは言うまでもない。細かいルールは何回戦かで変わっても、その本質は一緒だ。問題は、一回戦と戦いの質が違いすぎる点だ。前回は二位までに入ることを目標としていたから、若菜先輩を主たる敵と認定して構築をした。結果として北島先輩に一杯食わされた訳だが、抜けたは抜けたんだから、勝者であることに間違いはない。だけどこの二回戦、三つ子を相手取った勝負は、何をどうすれば勝ちに近づけるかが分かりづらすぎる。スポーツで例えると、ルールはあくまで人類を想定して作られているものなんだから、ライオンや熊に出てこられたら破綻するのに似ている。こいつらを、いい意味でも、悪い意味でも甘く見てはいけない。盆や正月に引っ掻き回すだけ引っ掻き回す親戚のヤンチャーズのやかましさと、破綻しているはずの論理を雰囲気だけで押し通す詐欺師の能力を兼ね備えている。その上で、たまに大当たりの理屈を紡ぎ出すからタチが悪い。俺に限らず、こんなのに対処する引き出しを持つ人類は、数少ないことだろう。西ノ宮がどうやってあの弁舌能力を身に付けたかの秘密は、こんなところに隠れていたのか。まあその結果、妹達は姉を騙くらかす幻惑術を練磨し、それを説き伏せる為に姉が更なるという、よく分からない無限ループに入ってしまってる感はあるのだが。最近は俺もその濁流に巻き込まれてる気もするが、まだまだ経験値が足りない。いや、別に修練したいという訳でも無いんだが、この場を切り抜ける為には必要なんだし、しょうがないじゃないか。 「話を、大本に戻すぞ。将棋の駒の、どれになりたいか、だからな」 この討論祭、発案者は俺だが、規則や段取りを決めたのは岬ちゃんと有志のスタッフだ。だから、細かいところについては把握してない部分も多い。もしかしたら、あまりにも議論と呼べないものになった場合、全員失格にして、どこかから補充するって規定があるかも知れない。それは地味に嫌すぎるので、最低でも体裁を整えることだけはしておかないとな。 「まあ、あれですよね。逆に将棋の駒になんかなって、どうしようって言うんですかね」 ほっほぉ、今度は、そういうちゃぶ台のひっくり返し方で来たか。 「そもそも、どうして争い合わなければいけないのでしょうか」 「最終的に戦いになってしまうのは人の業として、やむを得ない面もありますが」 「それまで、最大限の外交努力を重ねてきたと言えるのでしょうか」 「総理、お答え下さい」 「誰が、内閣府の長やねん」 落ち着け、俺。どんな状況でも、活路は絶対にある。それが人間という器の限界を超えている可能性はあるにせよ、だ。 「でもまあ、将棋にしても他のゲームにしても」 「事前に話し合いをしておくっていうのは、面白い着眼点だと思うんですよ」 「孫氏の兵法にも、『敵を知り己を知れば百戦危うからず』ってありますしね」 こいつらと思考が微妙に被ると、実に残念な気分になるのは何故であろうか。 「例えばプロの棋士なんかだと、事前にプレッシャーを掛けたりなんかするそうですし」 「格上の先輩に『今日はよろしくお願いしますよ』なんて言われたら、そりゃ若造は一溜まりもありません」 「私らでしたらとりあえず、『いやー、ついに小生も先輩と同じ土俵に上がっちゃいましたね』って煽り返しますが」 「長い棋士人生を考えると、メリット、デメリット、両面から考えないといけない荒業やも知れません」 「おい、ちょっとマイク止めろ」 このネタっぽくツッコミを入れるのも、本来ならメリット、デメリット両面から考えないといけないのだが、本能的に行動しちゃったんだからしょうがない。 「ま、それはそれとしまして」 これで話題をブッツリ断ち切れるのって、一種の才能だと思う。俺がやると逃避っぽいけど、こいつらだと只の一区切りなんだもの。 「更に視点を変えてみましょう」 「駒になるとは、一体どういうことなのですかね」 「無論、人が駒になりえるはずが無いなどと野暮なことを言うつもりはありませんが」 「彼がその決断をした背景には、色々な苦悩が垣間見えます」 「ドキュメンタリータッチで、特番を組んでもいいのではないでしょうか」 「駒とは即ち馬のこと」 「馬面がコンプレックスとなり、いっそのこと馬になってやろうと考えたのか」 「或いは、騎馬民族への憧れが過ぎて、一体化を目論んだのか」 「人生って、人それぞれ、万華鏡の様に彩りを変えて輝くものなのやも知れません」 「綺麗にまとめたつもりなのかどうかは知らないが、駒が馬にすり替わったことで、話の意味合いが全く変わってるからな」 揚げ足取りは順調だが、何かが進展しているという訳でもないのが実にもどかしい。 「しかし、そろそろ残り時間も差し迫ってきている気がしますことですし」 「まとめに行くというのも、合理的な判断やも知れません」 それをお前らだけは口にする資格が無いような気もするんだが、拗ねられても困るし、聞き流しておこう。 「では、七原先輩にお伺いする」 「結局のところ、貴方は一体、どの駒になりたいのか」 「言い出しっぺとして、先に答えるのは責務というものですよね」 こんにゃろめ。四人全員に出されたお題なのに、俺が振ったことを利用して手札を先に切らせる気だな。この最終局面で後出しジャンケンされるというのは、割と致命傷になりかねない。 「もしそれが嫌だと言うのであれば」 「誰が本命であるのか、この際、ズバッと言ってしまうというので」 「許して差しあげないこともやぶさかではありません」 「仮に本命とやらが居るとして、この場所で言う根性のある奴が存在するなら連れて来いや!」 推定観客数が五百を超えてんだぞ。告白が通ればまだしも、断られた場合のダメージは、一般的な人類が耐え得る限界値を、軽く破ってくるものと推察される。 「では致し方ありません」 「駒の件について速やかに返答頂くということで勘弁しましょう」 「ハッ!?」 こいつら、何かを要求する際、他の選択肢のハードルを上げまくることで目的とするものを通しやすくする、交渉事の基本テクニックを使ってきやがった。計算して出来るタイプとは思えないので、本能でそうしてきたのだろう。西ノ宮の血脈、恐るべし。 「……」 事実上の最終決断を迫られ、数秒だけ間を取った。何を選んだとしても、こいつらはそれに被せる格好で三つを埋めてくるだろう。何をどうすれば有利になるかはデータが少なくて分からないが、勘のいい奴らだけに侮れない。 「桂馬、だな」 講堂全体が俺の発言に注目して沈黙する中、発声が悪かったのか、キーンというハウリング音が響き渡ってしまい、実にバツが悪い。 「ほっほぉ。我らの代名詞とまで言われる桂馬を選ぶとは」 「虎穴に入らずんば虎児を得ずの精神なのでしょうか」 「子猫三匹大集合とまで言われる私達にとって、虎の子も猫の子も大差ない気がしますけど」 「馬なのに虎なのかと言われると、捕食されるするの関係で」 「立ち位置的には全くの真逆の気もしないでもないですが」 「そこはそれ、宇宙規模で見れば地球に存在する生き物の差異なんて無いも同然で」 「更に同じ哺乳類と来た日には、最早三つ子の存在と等価とすら言えるのでは無いでしょうか」 「ところで、そろそろ本題を進めてもいいですかね」 「言っててマズいと思うなら、最初からするな!」 これ、本当にどうしようもなくキリの悪いタイミングでタイムアップになったらどうするんだろう。サッカーのアディショナルタイムみたいに、司会という名の審判が匙加減してくれることを祈るしかないな。 「で、だ」 頭の中で色々なことがグルグルと巡った結果、口をついて出たのが桂馬だったのだが、本当にこれでよかったのだろうか。要約すると、全くのノープランである。こいつらが絶対選ばないものということで意表をつけるんじゃないかと思ったんだが、今にして思うと、だからどうしたって気になってきたぞ。 「それでは、桂馬を選んだ理由を述べてもらいましょうか」 「その前に、君らも最終決定してくれ」 「ふむ?」 「俺が喋ってる間に適当な駒を選んで、それっぽい理由をこじつけるの得意だろ。それは、フェアじゃない」 もちろん、今言った部分もあるんだが、本音としては時間稼ぎの比重が高かったりする。いや、サクサクと喋られたら十秒程度しかもたないんだけどさ。何もしないよりはいいじゃない。 「ほむ、我らがそういったせせこましいことをすると思われるのは心外ですが」 「それで気が済むというのであれば、受け入れてやらないこともありません」 その上から目線をジョークとして受け入れてもらえるかは、さりげに微妙なところだと思うぞ。俺にとって大して損もないし黙ってるけど。 『銀将』 目線を合わせることも、何かしら発声をしてタイミングを整えることもせず、三人が三人、俺を見詰めたまま同時に言い放った。相変わらず、地味に超常的な力を使いこなしおってからに。 「一つでいいのか?」 「正直なところ、再び三つを提示して徹底的にやりあいたい気持ちもあるのですが」 「時間的に無理でしょう?」 「まあな」 誰のせいなのかについては、何割かが俺に返ってくるので触れないでおく。 「それで、銀将、か」 何の意図を持ってそれを選んだのか精査したいところだが、時間的、精神的な余裕はない。これを以って、最終決戦の火蓋は切って落とされるのだ。 岬:えー、先輩が逃げ出した為、急遽、私が学園長の相手をすることになりましたが――。 学:ふぅん? 岬:上官が敵前逃亡した場合、下が逃げても軍法会議ものでしたっけ。 学:ハッハッハ、教育者とは生徒に嫌われてナンボという自説を持つボクにとって、 それはむしろ褒め言葉というものだよ。 岬:相変わらず、反面教師としては質が高すぎて、 むしろ狙ってるんじゃないか説を推したくなります。 学:人という生き物は、不思議に惹かれるものだ。 その点、ボクは謎に満ち満ちているとよく言われることだし、 魅力的という意味では、他の追随を許さない領域と言えるだろうな。 岬:不思議って、ちゃん付けするだけで意味合いが全く変わるから日本語って奥深いですよね。 学:それじゃ次回、不埒な奴らの祭り事 学園祭本編第二十六話、 『作者が物語は折り返しに差し掛かったくらいだと言い出しても、実際は三割ってところだ』だな。 岬:え、ようやく第一日が終わりそうなこの話、最終的に八十話くらいやるんですか?
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