学園祭初日、午後四時二十二分、第二講堂壁際。 二日掛かりの討論祭も、初日の大詰めを迎えようとしていた。今行われているのは二回戦第二組だ。俺はこの後の第三組に出場するんで少し早めに来たんだが、ついでだからと観戦している次第だ。テーマは、『虹の七色で最も輝かしいのはどれ』だ。出演者で知っているのは岬ちゃんと本邑の二人くらいだな。つーか本邑って、つい三十分くらい前、一回戦に出てなかったか。同じ対戦者は基本的に決勝まで当たらないというルールを採用した分の歪みがこんなところに出ているような気がしてならない。そういう意味で一回戦を第一組に配置された俺は幸運……なんだろうか。切り込み隊長と殿を任されるだなんて、将軍になんて信頼されてるんだろうと解釈もできるが、とっとと死んでくれって思われてる可能性もあって、判断に困るところだ。 「虹の色って国に依って数が違うらしいけど、七色って言ってるから日本のことでしょうね。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。輝かしい色ってことは一番目にくる色って意味だから、黄色が妥当と言わざるを得ないでしょ」 「輝かしいという言葉の解釈が、少し安直ですね。目に優しくないなんて、人としてと言うより、動物に近いものの見方です。私は、この地球上で最も偉大な存在という意味での輝かしさということで、生命の根源たる海の青を推したいと思います」 相変わらず、本邑はどうにも岬ちゃんとは相性が悪いらしい。まあ、岬ちゃんと口喧嘩の相性がいい奴なんて、学園中探しても何人居るんだって感もあるんだが。 「うん?」 格好付けて壁にもたれながら腕組みなんぞをしていた俺だが、左方向数メートルの場所に、見覚えのある女子が立っているのに気付いた。西ノ宮麗、この大会で一、二を争う優勝候補だ。 「よぉ」 ハードボイルドに決める為には、口数を多くしてはいけない。鉄則は守るべきなのだが、生来の話好きのせいで、早くもちょっとしんどくなってきていたりする。 「七原さん、どうも」 「敵情視察か?」 質問をしていて、ハッと一つの可能性に気付いた。 「まさかとは思うが、次の第三組に出場じゃないよな」 未だ対戦相手を知らない俺にとって、それは想像するだけで身の毛がよだつ話だ。 「いえ、私は明日一番の、四組目です」 ふいぃ、助かったぜ。いくら二人が勝ち抜けるったって、最初から一枠を埋められちゃ溜まったもんじゃないからな。岬ちゃんみたいにうまいこと二番に滑り込めればいいっちゃいいんだが、何かの弾みで集中砲火を食らったら相当にヤバい。強キャラが集まるだろう決勝まで、会わずに済むならそれに越したことはない。 「それじゃ、単純に観戦ってことか」 「七原さんを見に来たと言っては、いけませんかね」 「さらっとそういうこと言わない。これで割りかし、恥ずかしがり屋さんなんだから」 ああもう、顔が軽く火照ってきたじゃないか。 「一回戦で勝負した桜井さんが気になったというのもあるんですけどね」 「そうなのか」 「あまり表に出てくることが無い印象ですけど、彼女も相当の論客ですよね。論理や言い回しの矛盾は理詰めで崩してくるかと思えば、ここぞという場面では直感的に痛いところを突いてくる。他に大した方が居なかったので二人で頭一つ抜けた結果となりましたが、もう少し手強い方が紛れていたらどうなっていたことか。決勝まで残って、再戦したいところですね」 たしか、一緒の組に千織の奴も居たって聞いたような記憶があるんだが、認識すらされてなかったのか。 「どうして七原さんの参謀などをされているのか、分からないくらいです」 「はい! そういうことは、思っていても言わないのが、人としてのルールです!」 「冗談ですよ?」 最近の西ノ宮は、素が出てきたのか何なのか、砕けすぎて扱い方が分かりづらい。 「あら、公康君と麗じゃない」 不意に、聞き覚えのある声を耳にした。目線をそちらに向けてみると、西ノ宮一族の元締めである涙さんが笑みを浮かべていた。 「……」 「何で壁に寄り掛かるのやめて、身構えたの?」 「それはむしろ、俺が聞きたいくらいです」 完全に、意識なしでの行動だった。本能レベルで恐れている部分があるのかも知れない。 「ああ、そういえば今朝会ったって話でしたね」 「三つ子経由で、情報ダダ漏れだよな」 西ノ宮の呟きに、プライバシーというものの存在について考えさせられた。 「何でも、義父になる可能性があるだとか。今の内に、お父さんと呼ぶ練習をしておいた方がいいでしょうか」 「もう、そのネタはいい」 どこまでもボケしか居ない世界が、世界として成立しているというのは大変なことだと思うんですよ。 「一夫多妻は今でも採用してる地方が結構あるけど、一妻多夫は珍しいわよね」 「そういった時、子供は複数の父をどう呼ぶべきなのでしょうか」 「お父さん、親父、父上、ダディみたいに、呼称をそれぞれに対応させるとかどうかしら」 「中々の、妙案ですね」 「ああ、もう。西ノ宮は複数揃えば、誰だろうとボケマシンガンに変わりは無いのか」 台本書いてる奴出てこいと言いたくなるくらい、三つ子とパターンがそっくりだ。 「極端な話だけど、ボケしかない会話と、ツッコミしかない会話だったら、ボケだけの方が随分とマシだと思わない?」 「そういうのを、詭弁って言うと俺は思うのですが」 「私の職業を忘れたのかしら。理路整然と無茶苦茶を言うのが仕事の、弁護士よ。テレビに出てくる人達を見れば察せるでしょ」 「風説の流布ってか、風評被害はやめましょう。大半の弁護士は真面目に擁護してるはずですから、多分」 しかし、いわれのない悪評や噂話はどうして風なのだろうか。もしや風属性の魔法使いは、極めれば情報操作を得意技にできるのかも知れない。選挙戦略には欠かせない存在だな。 「しかし――」 改めて西ノ宮母と姉を並べて見比べてみても、母娘には見えない。それどころか、顔立ちや雰囲気が似てるせいで年の近い姉にすら思えてきた。人間の脳って奴は経験から勝手に誤作動を起こすものと聞いているが、その類なんだろうな。俺の引き出しにねーもん、こんなに若々しい同級生のお母様って。 「マジマジと母を見詰めておられますが、七原さんは本当に年上がお好みですか?」 「一点の曇りもない真剣な眼差しで聞くな。慣れてはきたが、それでも冗談だと理解するのに何秒か掛かるんだ」 毎回毎回判断するのは大変だから、三つ子辺りが後ろでおちゃらけモードなのか、真面目モードなのかボードで解説してくれると割と助かる。 「いや、単に若く見えるなぁって思ってさ」 「あの子達の世話を私に投げるような人ですから、大体は察して頂けるかと」 「あらやだ、麗ってば遅れてきた反抗期?」 こうやって、すぐさま茶化せる辺りに、西ノ宮一族の親玉としての風格が感じられる。 「と言っても、母と私が姉妹のように言われるようになったのは、ここ数年のことのような気がしますね」 「そりゃ、いくらなんでも、小学生と並んで誤認はされないだろ」 小学生の西ノ宮がイメージしづらいのはさておき、三つ子の方は何も変わってねーんだろうなと容易に推察できるから困ったもんだ。 「二人共、まだまだ甘ちゃんね。私の夢は、五人で歩いて、麗の方が三人の母親って認識されることよ」 「それに、何の意味があるというのですか」 「麗もおっきくなったものよねーって、うちの人と酒の肴にしようかなって」 一つ違いの姉が母と間違われるのは成長に分類していいのだろうか。人が重ねてきた年輪は顔に出るとも言うから、三つ子はいつまで経っても老けない気もするが。 「あ、うちの人で思い出したけど、あの話ってしたことある?」 「あの話?」 「……」 話を振られて、西ノ宮は少し表情と身体を強張らせた。 「親戚が集まった時なんかは、大爆笑間違いなしのエピソードなんだけど」 「それ、俺もちゃんと笑えますか」 身内に大受けするネタというのは、得てして赤の他人には全く通用しないから困ったものだ。 「いえ、うちの父って今はラジオのパーソナリティが主な仕事なんですが、昔はどちらかというと芸人寄りのマルチタレントとでも称すべき立ち位置だったんですよ」 「はぁ」 拒んだところで涙さんが語ると判断したのか、西ノ宮は諦めたかのように口を開いた。 「それで小さかった頃、『お父さんって、何が面白いの?』と聞いてしまったことがありまして」 「悪魔か何かか、てめーは」 幾つか返しを想定してみたが、これ以上に心を抉れる言葉を思い付くことはできなかった。 「小学校低学年でしたから、セーフですよね?」 「むしろ中高生の方が反抗期ってことで処理できて、救いがある気がする」 「あの日の夜は大変だったわよー。さめざめと泣きながら、ヤケ酒ガブ飲みしてたから」 「父の芸風が感覚的なものではなく、少し頭を使わないと分からないのが悪いんです。今尚、微妙にメジャーになりきれず、知る人ぞ知る扱いなのも、そのせいです」 「言いたい放題だ、この娘さん」 これ聞かれたら、また泣き出すぞ。四十歳くらいになって娘の言葉に傷付くとか、ある意味物凄くありがちな話ではあるんだけど。 『さぁ〜てさて、二回戦二組の戦いもこれにてジ・エンド! 準決勝に進む二名は一体誰なのか!? ともあれ、勝ったと思う方に、スイッチをどうぞ!!』 おっといけねぇ。西ノ宮母娘とグダってる間に終わってしまっていた。でもまあ、岬ちゃんは当確だろ。本邑以外に大した奴は居なかったし、その本邑を徹底してやり込めてたからな。岬ちゃんの立場だと、案外、相性がいいのかも知れない。この場合、いじりやすくて重宝するって意味だが。 「人数も絞られてくるし、次辺り、どっちかと当たるかもな」 「七原さんが勝ち残れればの話ですよね?」 そこら辺は分かっちゃいるけど、前向きに勝てるって思っておこうぜ。 『おぉっと、思ったより票数が開いて、桜井氏がトップ、二番手は本邑氏に決まったぁ! 他二名は険悪な二人に入り込む度胸が無かったように見受けられるのが敗因か! これを計算してたとしたら、凄い演技力だぞ!』 妥当な結果といったところだな。さて、二回戦は一回戦よりインターバルに余裕があると言っても、そろそろ行くとするか。 「公康君、公康君」 「どうしました?」 涙さんに呼び止められ、半身だけそちらに向けた。 「この勝負に勝ったら、親として麗とのデートを許してあげるから頑張って」 「なんです、その唐突すぎる発言は」 大体、西ノ宮本人が許可しなきゃ、空手形以外の何物でもないのはどうしてくれようか。 「男の子を奮起させる人参としては、最良に近いものだと自負してるんだけど」 「筋金入りの親バカですよね、本当に」 スマして返答してみたものの、西ノ宮の反応が気になってチラ見してしまった。母親に呆れる方が先立っているらしく、大した表情の変化は読み取れなかったがな。 「いずれにしても、だ」 西ノ宮の女傑は、どれを混ぜようとも厄介な化学反応を起こす。洗剤だって酸性と塩素系という限定的な話なのに、これは凄いことなのではなかろうか。そんなしょうもないことを考えつつ、俺は朝以来、久々に第二講堂の舞台上へと向かうのだった。 涙:せっかくだから、麗の面白エピソードをもう一つ二つくらい公開していきましょうか。 麗:それ、私に何の得が? 涙:親にとってはね。子供のどんなささやかな話でも宝石みたいに大事な思い出なのよ。 麗:なんでしょう、この全く信用してはいけない空気感は。 涙:弁護士が口にする言葉は何であろうと疑って掛かるべきという鉄則に気付くとは、 さすがは私の娘ということにしておくわね。 麗:この場合、母親として疑惑の眼差しを向けられている訳なのですが、それはいいのでしょうか。 涙:まあ、親なんて、両親のどっちかが嫌われ役を引き受けるべきなんでしょうし、 そこらへんは適当でいいんじゃないのかしら。 ってか、昔の話を語らずに済ませようとしてるわよね、これって。 麗:何にしましても次回、不埒な奴らの祭り事 学園祭本編第二十二話、 『大抵の言葉は末尾に甲子園を付けておけば、高校生の全国大会に聞こえてくるから不思議だな』です。 涙:アサリの味噌汁甲子園……本当にそうかしら?
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