学園祭初日、午後三時五十一分、第二講堂内観客席。 一日近くを費やして行われた討論祭第一回戦も、最終十四組目に突入していた。議題は『ジャンケン界最強は、グーチョキパーのいずれか』だ。その中で顔見知りと言えるのは、矢上春樹(やがみはるき)、二階堂優哉(にかいどうゆうや)、本邑まともの三名といったところか。あんまし大きな声では言えないけど、この討論祭、掴みをしっかりとする為、派手な人材は午前の部に集中させたらしい。この時間帯は第一講堂で若菜先輩を始めとした学内の有名人がライブを行っていることもあって、午前に比べて閑散としている事実は否めない。かくいう俺もちょっと前まであっちで劇を披露してたんだけどさ。矢上先輩は、とことん持っていないというか、不遇な運命にあるのだろうか。緊張しすぎの寝不足でぶっ倒れるくらいだし、これくらいがちょうどいいという説もあるが、せめてここを勝ち抜いて、二回戦はもうちょっと目立てる状況になればなと、判官贔屓的に思ってもしまう。 「言うまでもないけど、グーは石、チョキはハサミ、パーは紙でしょ。人間の歴史を見ると、石は石器時代って言われるくらい昔から使われてて、紙も何かを書く薄いものと考えたら相当に古い。でもハサミは刃物を作る技術と、それを重ねることで切りやすくするっていう発想が合わさらないと生まれないことから考えても、この中の三つで最新鋭のサイエンスと言えるものよ」 「石が古いというだけで劣るという発言はいただけないね。石器時代が、どれだけの長さか知っているのかね。短く見積もっても数万年、単なる鈍器として使われていたのも含めれば、百万年以上とも言われている。人類にとって、或いは火以上の相棒と言えるだろう。現代に於いても、鉄や銅といった主要鉱物から、最先端の工学に欠かせないレアメタル、それに宝石の類も、岩山から精製するのだよ」 「紙は、神に通じる。即ち一番偉いのは、語るまでもないことであろう」 しかし、二階堂先輩の独特な空気感は相変わらず誰にも真似できないな。したくないだけというのは、皆が気付いてるから黙っておいてあげてくれ。 『さぁ、白熱した議論もこれにて終結! 二回戦へ向けて、最後の二枚の切符を掴むのは一体誰か!? それでは審査員の皆さん、スイッチをどうぞ!』 例によって、実況の掛け声と共に論者上方のカウンターが、ランダムに動き出した。俺の適当な査定だと、本邑と矢上先輩がそこそこ押していたように見えた。だけど二階堂先輩には謎の集票力とイロモノとしてのインパクトがあるからな。読みきれない部分があるのは否定しない。 『ん〜〜、一位は割と開いて五十票の絹山氏、二位は僅差ながらも三十二票の本邑氏、三位は三十票の矢上氏となった〜!! 勝敗は兵法家の常とはいえ、ここで落選してしまうのが矢上氏が生まれ持ったものなのか〜! いや、逆に卒業後の人生に幸運が散りばめられてるやも知れないし、あんまし落ち込まないでくださいね〜!』 「……」 あれ、これひょっとして、俺が死亡フラグなるものを立てたせいでしょうか。いえ、そんなもので運命が決まるなら、俺は逆に立てまくりますよ。ああいうのって、一つ二つならダメかも知れない感じがするけど、十や二十といった数が集まれば打ち砕ける気がしますし。 「にしても、絹山?」 一位通過を果たした絹山夏南(きぬやまかなん)を、俺は全く知らなかった。一年生の女の子で、パッと見た感じ、地味な印象が先にくるタイプだ。実際、今の討論でも、派手に言い負かしたという訳ではない。どちらかと言えば、喋ってない方に分類されるくらいだ。可愛いっちゃ可愛い子だから、そのアドバンテージで一位になったのかも知れないけど、何だか釈然としないものは残る。 「ともあれ、これで二回戦の二十八人が出揃ったのか」 二回戦は四人七組に再編されて、今日の午後四時から五時まで、三組だけ執り行われる。予定としては、時間キッチリに近いな。俺は三組目で出場予定なのだが、対戦相手は直前になるまで教えてもらえない。そりゃ本気になって調査すれば何かしらの手段で知ることはできるんだろうけど、気力を割く気になれない。岬ちゃん、綾女ちゃん、西ノ宮辺りとまとめて一緒の組になったら敵前逃亡を考えてしまいかねないからな。知らないことで人は幸せに生きられるっていう人生の極意に通じるものがあると思うのだ。 『ではでは〜、五分の休憩を挟みまして、二回戦第一組へと移行させて頂きます。審査席にお座りの皆さんは、離席をお願い致します』 今まで触れる機会が無かったが、投票権を持つ席に連続して座ることはできない。もちろんその気になれば可能ではあるんだが、変なところは律儀で礼儀正しい日本人だからなのか、とりあえず一度席を離れるくらいの素振りは見せる。全員が全員座りたがってる訳じゃないし、今みたいに人が少なめの時間帯だと席が余って、結局戻ることもあるんだけどな。ちなみに俺は、参加者としての打算でセコい票の入れ方をして自己嫌悪に陥りそうなので、いつも立ち見で済ませている。 「さて、俺の番までちょいあるし、もう少し園内回ってみるかな」 一回戦っただけの俺だが、討論祭の極意は、気合入れるところは入れて、抜くところは抜くところだと気付きつつある。あれだけ精神を消耗する戦いだもの。癒しの時は必要だよな。 学園祭初日、午後四時三分、西校舎一階一年生エリア。 「そういや忘れてた。俺、腹が減ってたんだ」 朝は大分早起きさせられたのにコンビニのおにぎりで済ませたし、それ以降、口にした真っ当な固形物は、昼の甘味だけだ。かき氷と飲み物で多少の糖分補給はしたが、これまでのハードワークっぷりを考えたら、足りているはずがない。実際、身体に力が入らなくなりつつあるし、キュルキュルと腹部から変な音が漏れ聞こえてきそうだ。この後の予定もあるし、あんま時間は無いが、何かしら入れておきたいところだな。 「時間も時間だし、大したものは残ってないだろうけど、そこは仕方ないな」 この一角には、一年生がクラスで出す店が連なっている。そういや岬ちゃんのとこが恐怖屋敷、綾女ちゃんのところが激辛喫茶やるって言ってたな。辛いものへの耐性が人類の限界値を超えてると噂のりぃがそこそこ刺激的と評する激辛喫茶はやめておこう。マンガみたいに、一瞬にしてタラコ唇になってしまいかねない。皆のアイドル公康君は、そんな無様な姿を人前に晒してはいけないのだ。 「フンギャー!?」 喧騒に包まれた廊下でもハッキリと聞こえる程の悲鳴が、空間を切り裂いた。 「どうした、殺人事件か!? 高校生探偵を名乗る輩が出てきても、絶対に入れるんじゃないぞ。あいつら最終的に事件を解決してくれるものの、その過程で無駄に犠牲者を増やすからな!」 勢い込んで発生源である教室に飛び入ると、そこに居たのは二つの机に対峙する格好で座る二人の女子だった。俺から見て左側はりぃだ。何やらコッペパンみたいに細長いものをモグモグと食べている。そして、その向かい側の子は、机に突っ伏して痙攣していた。何か、どこかで見たことある気がするような――。 「丸山さんじゃねーか」 それは数時間前、りぃに勝負を挑んで無残に散ったソフト部次期キャプテン候補だった。 「よし、何も無かったな。俺は、これで撤収させてもらう」 りぃと丸山さんが揃っていて導き出される結論は一つしかない。俺は高校生探偵ではないが、その程度のことは余裕で推察可能だ。 「まあそう言わず、少し付き合っていってくださいまし」 更に、綾女ちゃんまで湧いたとあっては、確証を上乗せするだけではないか。 「エプロンドレス、似合ってんな」 「お褒め頂き、光栄ですわ」 そう、ここは一部で噂の激辛喫茶だ。店内では、黒地に白のフリルというクラシックなエプロンドレスを身に纏った女の子が数名、接客に勤しんでいる。若干一名程、どう見ても男だろうというのが混じってるけど、悪ノリとその場の勢いが主たる行動原理の高校生としては珍しいことじゃない。実際俺らも、去年は千織を生贄に捧げたしな。 「それでだ」 悲鳴に釣られて入店してしまったものの、さっきも言った通り、ここで何かを食すつもりはない。適当にお茶を濁して、去ろうと思うのだ。 「あれだろ。どうせ丸山さんがりぃに突っ掛かって、ホットドッグの早食いをしようって流れになったけど、あまりに刺激的なチリソースに悶絶してぶっ倒れた、と」 「よく分かるね、見てたの?」 りぃは、ホットドッグ最後の一欠片を飲み込むと、呑気にそんなことをのたまいやがった。 「これだけの情報があって分からない奴が居たら、お目に掛かってみたいわ」 特に丸山さんは、行動パターンが遊那並に単純だからな。 「いや、正直、もう飽きてるから相手したくなかったんだけどさ。しつっこいから私が勝負の内容選ぶってことで納得してもらって、こんな感じに」 「それを受ける方にも多大な問題を感じるが、ケンカ売った方としては引き下がれないか」 人は身の程を知るのが一番の難敵という、なんとも深い話になっているではないか。 「それで、お客様は何を食べていきますの」 「ナヌ?」 「当店は、冷やかし厳禁ですわよ」 いい笑顔で、恐ろしいことを言い出す子だ。 「い、いやー、残念だなー。俺、満腹でさー。軽く飲み物でも貰えたらなーって思う訳だ」 グキュルルル。 「……」 「……」 立ち尽くしたまま見詰め合うのって、とてもロマンチックな局面か、或いはとんでもなく気まずい時だよな。今回が後者であることは言うまでもないとして。 「俺、お約束ってすげー大事だと思うんだが、まさか自分の腹が体現するとは思わなかった」 「身体が正直だというのは、一種の美徳だと思いますわよ」 すげー適当なこと言ってることくらい、俺にだって分かるぜ。 「では改めて、御注文をお聞きしますわ」 「じゃあ、カレーで」 激辛食品の定番と言えるものだけに、注文の数も多いだろう。そこに規格外の爆弾は仕込むまい。 「残り時間も少ないですし、二人前分の特盛りをサービス致しますわ。この場で食べきれなくても、日程終了後に時間と場所を用意して差し上げますから、安心してくださいまし」 この瞬間、俺の晩飯まで確定してしまった訳だ。男を籠絡するには胃袋を攻めろとはよく言われるけど、この場合がそれに該当するかは、専門家の見解を待ちたいところだ。 「では、いただきましょうか」 見た目と匂いは、給食に出てくるような割と普通のカレーだ。そうだよな。インパクト重視してるってだけで、たかが学祭の飲食店で、そこまで常識外れのものが出てくる訳が――。 「フンギャー!?」 たったの、一すくいだ。中型のスプーンに乗る程度のルーと御飯を口に運んだだけで、丸山さんと同じ悲鳴を上げてしまった。ふっふっふ。悶絶して倒れなかった分、彼女には勝利したぜ。 「大袈裟ですわね」 「はひひへんは。ほんはほははふへーひひゃへーは」 「生憎と私、日本語と英語以外で意思の疎通は困難ですの」 帰国子女でもないくせに、さらっとバイリンガルだと暴露しやがった。底知れない子だ。 「ふひぃ」 一口で済ませたおかげか、何とか即座に回復した。 「何者も恐れず、手心を加えることも知らずに突っ走ってしまう。これが若さというものか」 「私達、満年齢で言えば同い年でしたわよね」 その事実は、フィルターを掛けてボカして処理してるから問題はない。 「いくら激辛が売りだからといって、これはないだろ」 「あら、店の看板と品書きをちゃんと見て下さいまし。『当店のメニューはエキスパートモードに設定されています。辛味に耐性が無い方は御遠慮下さい』と書かれてますわ」 「通販番組で、『個人の感想です』って入れれば何言っても許されるみたいな逃げ口上はやめなさい!」 大体、こんな書き方されたら、むしろ興味を惹くじゃないか。絶対、そこまで計算してる。何て恐ろしい人達だ。 「俺、討論祭出ないといけないから行くわ。さすがにもったいないから、残りは後でなんとかするってことでとっといて」 「私が食べたげようか」 「今回の一件で、お前の味覚を心底尊敬したのはたしかだが、喋る心配がない状態でもう一度挑んでみたいからパスだ」 「それ、病みつきになりかけじゃない?」 りぃの発言の真偽はともあれ、逃げたような気分になるのはたしかだな。つーか、未だに机に突っ伏してる丸山さんのホットドッグがいつの間にか消えてるけど、りぃが食べたんだろうか。世の中には、人が触れることさえはばかられる魔境がある。そんなことを実感した。 本:七原君って、結局、今日ほとんどクラスに顔出してないよね? 公:ぶっちゃけよう。やっぱり、スケジュールに無理があった。 となると、私よりも公を優先させるのが正しい選択ではなかろうか。 公康だけに。 本:それ、言っちゃったことに後悔とか無いの? 公:男ってのはな、やらかしてしまうことを恐れて何もしないことより、 やってしまったことを誇りに思うよう、本能に組み込まれているんだ。 本:歴史を見ると、そのせいで退くに退けなくなって、小火が大火事になったりしてるよね。 公:それが男の、生き様なのさ。 本:涙目になって、軽くプルプル震えてるのが生き様、ねぇ。 公:ほいじゃ次回、不埒な奴らの祭り事 学園祭本編第二十一話、 『少年マンガに於いて幼馴染みヒロインは強キャラだけど、この作品には居ないから特に関係が無いな』だ。 本:ラブコメ重視の作品だと一気に弱キャラになるんだから、分かんないもんよねぇ。
|