十日くらい前、演劇部のクラスメートに舞台劇をする上でのコツを聞いたことがある。 「へー、裏であたしらをコスプレ部とか言ってるあんたがそんな話を、ねぇ」 「失敬な。俺は目を見て、堂々と真正面から言い放てるぞ」 「なおさら悪いわよ!」 とまあ、こんな感じで軽口を言い合える程度の仲ではある。 「で、劇のコツとか言われてもね〜。学園祭まであと十日くらいしかないのに台本がようやくできたってとこなんでしょ。しかも間に期末テスト挟んでるとか、あたしら本職でもちょっとキツイものがあるよ」 「それはまあ、色々と複雑なようでいて簡単な気もする問題が絡み合ってるんで、今更踏み込むのはやめてくれ」 こんな状況にあっても、これ以上に事態がややこしくならないように尽力してるつもりなんだ。あくまで、つもりだけど。 「大体さぁ、その上オリジナル脚本とか、正直、無謀を通り越した何かってもんだよ」 「やっぱり?」 だって綾女ちゃんが、物凄いやる気に満ち溢れちゃってるんだもん。あれに水さしたら面倒なことになりそうじゃない。それはそれで可愛い気もするけど。 「あのさ、物凄く根本的な話なんだけど、何で初心者は、よく知られた原作付きのものをやった方がいいか分かる?」 「えっと、台詞とか、筋書きとか比較的憶えやすいから?」 クイズみたいに問われたせいで、半疑問形で返しちゃったよ。 「もちろん、それもあるんだけどさ。そこは努力次第でどうとでもなる訳じゃない。問題は、演出とか表現力が未熟なことも相まって、観てる方が置いてけぼりになるリスクが高まるのよ」 あ、そっちもあるのか。 「アマチュアって言っても、相手にされないのは惨めなもんだよー。タダってことと、同じ高校生ってことで大分、甘めに観てはくれるんだけどさ。それでも途中退席が続く辛さときたら」 「経験あるのか」 「あくまでも、他校と交流した時に聞いた話だから」 友達の話で始まる相談事は、十中八九、本人のものであるという法則を適用させてもらおうと思う。 「恥を掻くのはあんたらだからいいんだけど、具体的にどれだけ無茶な行為かを例えるとしたら、そうだなぁ。キーとかコードすらよく分かってないド素人が何故か一念発起して、一、二週間後の学祭で自作の曲を披露しようっていうくらいかも」 「そこは流石に、カバー曲にしておけよと言いたくなるな」 それでも、色んな意味で大概ではあるんだが。 「ま、一応、舞台劇に関しちゃ先輩だから耳が痛いことも言ってみたけどさ。別に失敗して二度と立ち直れない程の傷を負ってしまえって思ってる訳じゃないからね」 「さすがに、そこまで酷い奴だとは認識していない」 但し、この劇の発案者である、どっかのお姉さんに関しては、その限りではない。 「その上で劇のコツって言われたら、あれだね。役を一から創造するんじゃなくて、自分の延長上で構築してみるみたいな」 「ん?」 何を言ってるんだ、こやつは。 「とりあえず、あんた、七原公康じゃん?」 「そういう説が、有力らしいな」 「何でそう、微妙に確信に欠けてるのさ」 「誰だって、自分が自分である自信なんて無いままに生きているのだ」 後に西ノ宮母から三つ子の話を聞いて、更にグラグラ揺れ動くことになろうとは思わなかったけど。 「それはそれとして、あんたの役の菊人だっけ。色々と設定あると思うけど、七原本人と何が違うの?」 「何って、とりあえず俺は、あんなにアホじゃない」 「世迷い事はいいから」 もう少し、手心ってもんがあってもいいんじゃないかしら。 「奴には、義理の妹がいるな。りぃがやる理沙って子だけど、これはでかい。俺にはバカ兄貴しか居ないというのに、何という理不尽さだ、おのれ菊人め」 「その、設定に感情移入できるところは、意外といい役者になれる素質あるかもね。内容はともかくとして」 正直、嫁さんの妹と、弟の嫁という意味以外での義妹という言葉に強い情熱を持つ男子は、全国に八百万人くらい居ると踏んでいる。実妹派は、血で血を洗う抗争を繰り広げた末に分かり合えなかった、永遠の宿敵だ。 「でさ、仮にあんたに義理の妹ができたとしたら、それは菊人なの?」 「そんな訳ないだろ」 「じゃあ、そうやって一つずつ七原の環境とか、人格とか、記憶とかを菊人のものにすり替えていった場合、一体、どこらへんから七原公康は菊人になっちゃうのかな」 「ナヌ?」 ちょ、ちょっと待て。話が大分、ややこしくなってきたぞ。 「百パーセント菊人分で構成されてるなら、それは完全に菊人、そこんところは、納得してもらえるよね」 「うむ?」 そろそろ、俺の凡庸すぎるドドメ色の脳細胞ではついていけていない面は否定しない。 「七十が菊人で、三十が七原だったら? 二倍以上は菊人なんだし、ほぼ菊人? それとも、本来の人格が少しでもあれば本人って言ってもいいの? 逆に、二十、八十になったら? それは菊人の成分が混じってるだけであって、本人とは関係ない気がするでしょ」 「つまり、どういうことだ」 相手が何を言っているか分からない時は、素直に教えを請うのが賢者の所業だ。決して、考えるのを放棄してる訳ではない。 「結局のところ、役を演じるなんて行為は、そんだけ境界線が曖昧ってこと。プロの役者も、極まると自分なんだが、演技なんだかよく分からなくなるって言う訳よ。意識して役を作らなきゃって思っても、いい結果にはならない可能性が高いから、自然体で行こうって話かな」 「分かったような分からんような」 ぶっちゃけ、分からん比率が九割を超えていたりもするけど。 「じゃ、クラスメートとしての責任は果たしたから、せいぜい頑張ってね〜。できれば、微妙に見れないこともないレベルでやってもらって、私達演劇部を引き立ててくれると嬉しいんだけど」 「本職食ってやるから、覚悟してろや」 売り言葉に買い言葉みたいな感じで返してはみたものの、致命傷にさえならなければいいなと思ってたりもする訳で。何にしても、参考になったかどうかは、今になってもよく分からない問答だった。 学園祭初日、午後二時五分、第一講堂舞台上。 この演目、『神々への栄達』は仰々しいタイトルの割に、構成は普通のラブコメっぽかったりする。そういう単純なものじゃないと、とてもじゃないが憶えきれないという理由で選んだのだけど、この名前だけは綾女ちゃんが一歩も退かなかった。あの子の脳内は謎に満ち溢れてるけど、知り合いの大半はそうだから、深く考えるのはやめることにしている。 物語は、俺こと菊人と、りぃ演じる義理の妹の理沙が登校するシーンから始まる。 「ね、お兄ちゃん、今度の週末、何か予定ある?」 「ああ、今までやったゲームを、面白かった順にランキングする予定さ」 キャラクターの印象は第一声で決まる部分が大きいのに、こんなので本当にいいのか今更ながら疑問に思ってしまう。 「要するに、やることないってことでしょ」 「何を言うんだ。順位付けをキッチリすることによって、俺の趣味嗜好をはっきりとさせ、次に何を遊べばいいかを決める重要な判断材料にするんだ」 言っていることは論理的なのに、行為自体は限りなく不毛な辺りに、人生の悲喜こもごもを感じるな。 「どうせ暇なんだったら、どっか遊びに行かない?」 「お前は、人の話を聞いとらんのかーい」 オーバーリアクション気味に、手の甲でツッコミを入れた。俺のお笑いスタイルには無い行動を取るというのは、むず痒いような新鮮なような、不可思議な心持ちだ。 「そうは、させない」 ここで岬ちゃん演じる雅が割って入ってきた。 「菊人先輩は、私と水族館に、深海魚を見に行くのだから」 「狭いなー、見物対象。水族館なら、もうちょっと見るものあるんじゃないかなー」 聞くところによると、深海魚専門の水族館もあるらしいから、世の中ってやつは奥が深い。 「こうなったら、勝負で決めるしかないね」 「望むところ」 世の常とはいえ、この手の修羅場の際、男に自由意志など存在しないのだ。 「それで、種目は」 「ババ抜きでどう」 「それじゃ、購買だね」 「菊人先輩、行こう」 我らがギャンブル学院では、勝負事のルールが幾つか浸透している。その一つが、トランプの様なカードゲームをする時は、未開封の新品で行なうことというものだ。イカサマ防止の措置として、賭博を嗜む者には常識的なことらしいけど、こんなにも自然に行動に移す学生はそう居ないだろう。ちなみに学割が利いて、トランプ一組が缶コーヒー一本分くらいで買えるという、活きてるんだか死んでるんだか分からない設定があったりする。 「待ってくれよよよーい」 しかし、流れでならともかく、意識して道化を演じるっていうのは、やっぱり俺の主義には合わないな。 「一体、どうしたって言うんだ」 場面は購買へと移った。そこには、大村先輩を始めとして、登場人物がほぼ全員、掲示板の前に集結している。 「なんでも、学院をあげて、大賭博大会が開かれるんだそうだ」 「優秀な成績を残した者には、生徒会への入会資格が与えられるらしい」 「この学院において、ゲームマスターも同然の生徒会役員は、神に最も近しい存在」 「これは、荒れるな」 皆が思い思いの意見を口にする中、岬ちゃんは掲示板を見上げて、何やら考え込む仕草をした。 「この大会、開催は木曜と金曜の放課後」 「あ」 「理沙。この大会で上位に入った方が、週末、先輩を拘束する権利を得るということでどう?」 「悪くないね。ババ抜きだけで決めるっていうのも、味気ない感じするし」 「相も変わらず、俺の意見は無視かーい。こうなったら俺が二人の上に立って、一人で過ごす自由を獲得してくれるわ!」 言うまでもないことかも知れないが、この学院の公式大会で勝利するということは、身分制度の階級で上回るに近しい程の影響力を持つ。欲するのであらば、戦い、そして勝て。理想論の博愛平等主義を唱えるよりは現実を教えてくれると言えるのかも知れない。ちょっと綾女ちゃん流で過激だけど。 「ハハハ、本気でそんなことを言っているなら、まずは理沙と二人がかりで先輩を潰すから」 「目的を達成できる確率が三分の一より、二分の一に近い方を選ぶのが合理的ってのは理解してもらえるよね」 「本当にたくましいなぁ、君達はー」 お子様の教育に並々ならぬ情熱をお持ちのあなた。この学院に入学することで、偏差値偏重教育などでは得られない、真に生き抜く力というものを手にできるかも知れませんよ。 ま、それは俺らの選挙大好き学園でも、似たようなものかも知れないけどな。 莉:結局、どういう心構えで役を演じたらいいんだろう。 公:二、三回考え直してみたんだが、頭空っぽにしろってことじゃないかな。 禅問答に没頭することで、悟りに近付くみたいな。 莉:そこまで壮大な話だったの、アレ。 公:そういうことにして、全部ぶん投げた面は否定しないでおく。 莉:私の考えだと、自分と役って延長線上っていうより、共有するものなんじゃないかな。 円と円の重なってる部分みたいな感じで。 公:りぃが演劇論を語ることに、色々と疑問を覚える次第です。 莉:どういう意味? 公:そのままの意味なんだがなぁ。 莉:何にしても次回、不埒な奴らの祭り事 学園祭本編第十五話、 『茶番だって勢いというスパイスを加える事で謎の感動を与える可能性を秘めている』だね。 公:そもそも物語なんて、よっぽどの完成度じゃない限り茶番だから問題はないな。
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