学園祭初日、午後一時七分、演劇部部室練習用舞台上。 「違いますわ、そのシーンは次のものですことよ。やっていて、話が繋がらないことに気付きませんの」 「あ、え、おう」 最終リハーサルの最中、衣装に場所を取られて、さして広くない演劇部の部室内に綾女ちゃんの声が響いていた。 「えーっと……」 「また台詞が飛びましたの? これでもう三回目ですわよ」 そして、その声を張り上げさせている張本人が、他ならぬ俺、七原公康な訳で。 「一体、どういうことですの。昨日はそれなりに出来ていたじゃありませんこと」 「言わせてもらうのであれば、やっぱり練習と本番直前の今回では緊張感が違うと言いますか――」 「この期に及んで、言い訳は聞きたくありませんわ」 トチったのはたしかに俺だが、問い質しておいてシャットアウトは、流石にどうかと思うのですが。 「このまま本番の幕が上がったら、どうなると思いますの」 「やっぱり、相当恥ずかしい思いをするだろうな」 「選挙前に行われた、演説会の悪夢再来ですわね」 「それはもう、本気で掘り起こすのやめようぜ」 いくら俺が美味しいの大好きといっても、アレを持ちネタにする根性は持ってない。ソフト部の丸山さんに言ってたことはどこ行ったとツッコまれそうだが、よそはよそ、うちはうちなのです。 「あなたが幾ら本番に強いと言っても、この調子では話になりませんわ」 「お褒め頂き、恐縮の至りです」 「ツッコみませんわよ」 綾女ちゃんが目を細めると、目線はやたらと低いのに物凄く見下されてる感じがするから不思議だ。 「ともあれ、今の心理状態では舞台に上げる訳にはいきませんわ。一時半まで、外で頭を冷やしてきてくださいまし」 「割と本気で時間無いんだが」 「魂が浮ついた状態では、いくら時間を掛けようと無駄以外の何物でもないですわよ」 「はい」 正論すぎて、反論の余地がねぇ。 「戻ってきた時も同じ様な面構えをしていましたら、処置も考えさせて頂きますわ」 「処置?」 「舞浜さんと、差し替えですの」 「それはマジで勘弁してください。アイデンティティが崩壊の危機なんです」 努力してきたことが無になる三途の川状態と、お前の代わりなんていくらでもいるんだよって社会の歯車状態のダブルパンチだからな。 「でしたら、きっちり切り替えてきてくださいな」 「ふぁい」 ここで噛んでしまう辺り、集中しきれてないことがありありだ。ダメだ、俺。討論祭の初戦が終わって一度切れた糸が、三時間くらい経ってるのに、全然、戻ってねーぞ。 学園祭初日、午後一時十三分、学園中庭。 「あーあ……」 喧騒が学園全体を覆う中、ロの字型に校舎が取り囲むこの中庭は、台風の目の様に穏やかな空気が満ちていた。ここには俺の他にも何人か息抜きに寄った生徒が見られるだけで、ベンチで天を仰ぎ見て呆然とするにはいい場所だ。 「何やってんだろうなぁ」 これで俺は、腹を括るまでの時間が意外と長い。綾女ちゃんが言う本番に強いというのは表現の問題で、今までは居直ってこれたから何とか形になってきたっていうだけだ。今回は色んなことがありすぎて、切り替えが本当に難しい。その中でも濃い人に立て続けに会ってきたのが一番でかいな。毒気に当てられたっていうのは、こういう時に使う言葉なんだっけか。 「ししょおぉぉ!!」 少し、落ち着こうか。何か聞こえてはいけないものが耳に入ってきた気がするけど、幻聴に違いない。こんなにもハッキリ認識する方がヤバイって事実は、この際だから無視するとして。 「師匠、綾女から聞いたぜ。何やら思い詰めてるみたいだな」 そのままドリフトで方向転換できるんじゃないかってくらいの勢いで飛び込んできた男に、毒気に当てられた。 「空哉さん、何やってるんですか」 一柳空哉、たしか二十歳くらい。綾女ちゃんの、実の兄に当たる人だ。まあ、この僅かな遣り取りでも分かって貰えると思うが、俺を師匠と慕う、筋金入りのバカだ。 「何って、生徒の父兄、そして卒業生として学園祭見物をしているに決まってるだろ」 「そりゃまあ、そうなんでしょうけど」 そういうことを聞いてるんじゃないって、分かってもらえないのが地味に辛い。 「ともあれ俺が困ってるってのは事実ですが、それに対して空哉さんは何をしてくれるんです」 「ふはは、俺は師匠の、弟子だぜ」 「微妙に、安定感に欠ける発言ですね」 そりゃ、人を師匠なんて呼ぶ奴は、ほぼ百パーセントの確率で弟子だろう。 「それで、師匠と弟子だからってなんなんですか」 「弟子が登場したとなれば、師匠は『まだまだ若いもんには負けられんわい』と言って虚勢を張るもんだろ」 な、学年で三つも上とは思えない程にバカだろ。 「ん、そういや今まで気付かなかったけど、兄貴と一緒ってことか」 茜さんが一年の時にどっちも三年だった訳だから、同級生ってことになるな。 「七原……ああ、師匠は、久信(ひさのぶ)君の弟なのか」 「交友あったんですか?」 「一期だけとはいえ生徒会長だったからな。当時の在校生は、顔込みで全員憶えているぞ」 だから、兄妹揃ってハイスペックすぎるだろ。うちの学園、千八百人くらい居るんだが。十分の一でいいから寄越しやがれ。 「一年の時にクラスが一緒だったが、それ程に親しかった訳では無いな。もちろん、それなりに雑談くらいならしたことはあるが、言われるまで思い出せない点から、どの程度の間柄かは推察してもらえるだろう」 「これほどのバカ二人がシンパシィを感じなかったとか、あり得ることなのだろうか」 或いは、空哉さん達の学年が、俺達以上にバカが揃った魔窟だった可能性もある。運動部なら黄金世代と呼んでもいいに違いない。別に俺らの学年のバカっぷりの影を薄くしたい訳じゃないからな。 「あ、でも一つだけ一生忘れないだろう思い出があったな」 「何やらかしたんだ、てめーら」 これが他所様の家の子だけなら笑って誤魔化すのだけど、二親等の身内が含まれてるとなると、正直、聞きたくない。 「大したことではないよ。こう、体育祭に猫が乱入してきたんだ」 「この時点で、相当珍しい事案だと思う」 「大体三十匹くらいだったかな」 「既に事件の領域ではないですかね」 何だ、猫の業界にも、運動会なんてものがあるというのか。 「そこで、当時の生徒会長だった俺は閃いたね。クラス代表を選抜して、猫を捕獲するエクストラゲームを開催しよう、と」 「バカに権力を持たせるなという、典型的な事例だなぁ」 勢いに任せてとはいえ、それを受け入れてしまう周囲にも問題を感じる次第だけど。 「それで優勝したのが、五匹を捕まえた七原久信君という訳なんだ」 「あのバカ兄貴、そんなことしてやがったのか」 「猫の動きを読みきった上で追い込む判断力と、手中に収めた時の至福の表情は芸術点を与えたくなるくらいだったね」 「身内の微妙な武勇伝という奴は、どうしてこうもむず痒い気持ちになるのか」 やっぱり聞かない方が精神安定の上でよかった気がしてならない。自慢気に語れる西ノ宮辺りが、ちょっと凄い人に思えてきたぞ。逆にこの兄を封印したがる綾女ちゃんや、伯父がアレなりぃには、シンパシィを感じるな。 「まあ、兄貴の話は、こんくらいにしておきましょう。今度会う機会があったら、よろしくしてやってください」 これ以上、何か掘り起こされたら、ただでさえ動揺してる心の中が、マッサージ器のように高速振動を始めてしまう。 「そういや空哉さん、明日は来るんですか」 出来れば、今日の劇は華麗に見逃してもらって、多少は修正できそうな明日にしてもらえると嬉しい。 「明日かぁ」 「何か御予定でも」 「いや、その、あれだ。明日は茜君が来るんだろ? できれば顔を合わせたくは無いなぁって」 「どんだけ怯えてんだ!」 ついこないだ、打倒桜井茜を掲げて再起したはずなんだけどな。男の決心とは、かくも儚く脆いものなのか。 「そんなことでどうするんですか。たしかにあれはトリックスターとラスボスを合体させたかのような異様な風格ですが、生物学的には多分、同じ人間のはずです」 言っていて、段々と俺の方が自信なくなってきた件についてはさておくとして。 「テレビゲームなら、どんな設定の強さだろうと、大体、勝ち方あるんですけどねー。学習型の上、同世代だから成長速度も大して違わないだろうという理不尽さ加減が問題ですな」 「ゲームだって、倒し方考えてないだろうって裏ボスは結構居るらしいぞ。一回で数百しかダメージ与えられないのに、体力が億近いロープレとか、人間の反射速度では対応しきれずパターンを完全に計算し尽くさないと即撃墜されるシューティングゲームとか」 「そういう、頭おかしい話でしたっけ」 「茜君の話なら、間違ってはいないだろう?」 そー言われればそんな気もしてくるけど、何だか話が噛み合ってないような。 「何にしても、明日来るかどうかは、起きた時の体調次第だな」 「南の国の王様か何かだろうか」 どっちにしても、今日見てくことに変わりはなさそうだ。腹は括らんといけないらしい。 「相も変わらず、愉快な師弟ですわね」 「……」 綾女ちゃんが湧いてきたことで、最新鋭スパコンに勝るとも劣らない俺の頭脳は高速で動き出した。 「あー! 綾女ちゃん、空哉さんの相手押し付けたな!!」 「そういう捻くれた発想は、どこから出てきますの」 「いや、西ノ宮って居るじゃん、西ノ宮麗、二年生。あの子、隙あらば俺に三つ子の妹の世話をさせようとするからさ」 「一応はこれ、私の四つも上の兄ですわよ」 「男女の精神年齢って、女性の方が五つくらい上って意見もあるから、実質弟って考え方もあるんじゃないか」 「これは一般男子より、相当下を行っていますから、言うなればヤンチャ坊主といったところやも知れませんわね」 「これこれ連呼された上、小学生みたいな扱いをされている俺の立場はどこにあるんだ」 頭脳はズバ抜けてるんだろうけど、人間としてのレベルはそんなもんじゃないのか。 「人にキチンと扱われたいのでしたら、それ相応の振舞いをしないといけませんのよ」 「四つ下の妹にこれを諭されてしまう兄ってどうなんだろう」 それが一柳空哉という男だと言われると、反論のしようがないんだけど。弟子の人格責任は師匠にあるという意見も無い訳じゃないけど、それはそれとしようじゃないか。 「ともあれ気持ちの切り替えは済んだのでしょう。一時半は過ぎていますの。最後の詰めを、残りの時間に詰め込みますわよ」 「ほぉ、詰めを詰め込むとは、中々言ってくれるな」 「実の兄であるからこそ、この右拳で殴り倒したいですわ」 そういや、綾女ちゃんって、メロンがどうしたって拳法修めてたような。この身長と腕の長さで、どうして打撃系を選択したのかが、未だにさっぱり分からんのだけれども。 「何をしておりますの、行きますわよ」 「へーい」 何にしても、空哉さんの乱入で腐っていた気持ちが霧散したのは事実なんだろう。認めたくはないけど、年長者の貫禄ということにしておこう。 うし、俺は七原公康。やろうとすれば、何とかする男だ。 綾:兄の保護者として、二回連続、こちらも出させて頂きますわ。 空:ハッハッハ、綾女の冗談は面白いなぁ。 綾:冗談で済んだら、どれだけよかったことかと思っておりますの。 空:物事を悲観的に考えるのはよくないことだぞ。 どんな状況でも、希望を見出してこその人生じゃないか。 綾:お兄様程、その言葉が似合わない方はおりませんわね。 茜お姉様に麻雀に負けたくらいで、 人格崩壊寸前まで至ったのは、どこのどなたでしたかしら。 空:冷静に考えろ、綾女。あの桜井茜と遣り合って正気を取り戻しただけでも、 相当に幸運な出来事だったと思わないか。 綾:それ、前向きと言えるんですの? 空:何にせよ、次回、不埒な奴らの祭り事 学園祭本編第十三話、 『さあ舞台の幕は開いたと言うけど、舞台演劇の九割は駄作という予防線』だ。 綾:もう、全てにおいて、ダメかも分かりませんわね。
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