学園祭初日、午前十一時十五分、二年八組、模擬喫茶室。 教室に残ったままでは精神力の回復を図れないと判断した俺は、この模擬店に逃げ込んでいた。幸い、クラスの方は俺が居なくても何とかなるということが発覚したからな。午後の演劇に向けて、できればゲージを満タンに近付けておきたい。ついでに、さっき丸山さんが食べてたかき氷が美味しそうに見えたのもある。やっぱり夏は、ブルーハワイだよな。沖縄行った時に食べた気もするから、二ヶ月ぶりくらいの再会だ。 「おっまたせしました〜」 ちなみにこのクラスは、安易にメイド喫茶などを催している訳ではない。給仕は男女両方が行っていて、着ているものも高校の制服という、言葉にすれば極々普通の模擬店だ。但し、どこで調達してきたのか、全て他校のものなのだが。見慣れない制服の面々が店内を所狭しと動き回る絵図は、新鮮と言うか、居心地が悪いと言うか、何とも言えない気分にしてくれる。うん、やっぱり、俺らのクラスだけじゃなくて、うちの学園、全体的にアホだ。 「先輩、何やってるんですか」 不意に、聞き慣れた声を耳にした。 「やぁ、岬ちゃん。何かすっごい久々な気分だけど、元気してた?」 「二時間くらい前に会いましたよね」 「あれからが割と濃くて、その記憶が洪水の様に流されて消えそうな勢いなんだ」 「何で微妙に文学的なんですか」 「男の生き様ってのは、つまるところハードボイルドって文学なのさ」 「まあ、そうだって自認するのは自由ですよね」 この、常に毒が混じる相槌すらも懐かしく思えてくる訳で。 「座ってく? ちょうど前の席空いてるけど」 「お誘いってことは奢ってくれるんですね。では遠慮なく、アイスティーお願いします」 この抜け目が無い商人体質の俺の生き馬の目を抜いて、ちゃっかりとまあ。 「で、最初の質問に戻りますけど、何してたんです」 「普通に休憩。討論祭で大分削られたのに、クラス戻ったら、別方向で同じくらい無駄な消耗したんで、癒やしを求めてフラフラとしてただけだな」 「制服喫茶で、癒やされますか?」 「この際、制服はどうでもいい。見たまえ、白の下地に染め上げられる、このわざとらしいまでの紺碧を。これを見ないと、夏が来た気がしないな」 「そこのところは今一つ分からないですけど、見ることで満足なら、それ、私が食べてもいいですか?」 「なんでやねんな」 いきなりの略奪発言に、胡散臭い関西風ツッコミになってしまったじゃないか。 「それはそれとして、私、ここに居ていいんですかね」 「なにそれ」 「いや、休むのが目的なら、一人の方がいいんじゃないかなぁって」 「岬ちゃんなら問題なし。むしろ一人よりいいくらいに分類できる」 このどうしようもない遣り取りが、俺のささくれだった心を戻してくれる気さえするのだ。 「その言い方だと、今のシチュエーションだと、勘弁して欲しい人が居るように聞こえるんですが」 「それ聞いちゃうかー」 「興味はそそられますよね」 「茜さん、三つ子、あと本邑に学園長辺りだな」 本当、この四組は、エンカウントするだけで身構えちゃうからな。 「お姉ちゃん、そんなに疲れますかね。生まれてからずっとの付き合いのせいか、私はそれほどでもないんですが」 「西ノ宮の、三つ子に対する意見に似てるな、それ」 「十年以上の経験を積むことで、精神の防壁が局所的に厚くなるのかも知れません」 「嫌な仮説が出てきたなぁ」 あー、本当、この中身の無い会話は癒やされるなぁ。 「茜さんで思い出したけど、あの人、本当に色んな爆弾バラ撒いてるよな。討論祭で一緒だった北島先輩って二年前の選挙で負けてたらしくて、一泡吹かせたいとか言ってたぞ」 「そう言えば、北条先輩も一緒でしたっけ。結局、あの時の勝負は不成立でしたけど、お姉ちゃんの期末テストは三位で、北条先輩が五位だったらしいですよ」 「いっそ茜さんも、綾女ちゃんや西ノ宮みたいに一位とっちゃえばいいのに」 そうすれば、三学年丸々、俺の知り合いで埋まるという快挙が達成される。それで俺の成績が上がる訳でもないのにちょっと誇らしげに思える辺りが、どうしようもないなと思わんでもない。 「一柳さんのテストの話は、やめませんかね」 あ、そういえばこの子も、挑んで負けたちょっと切ない過去があったっけか。 「まあ、お姉ちゃんが定期テストで一位を取れないのは、底意地の悪い教師が授業を聞いてない限り絶対に答えられないような問題を出すからに過ぎませんからね。仮に教科書の範囲内だけでの得点なら、多分、何度か一位になってます」 「つくづく、何で高校来てるか分からん人だな」 高校卒業資格とか試験でも取れるし、そもそも学歴とか必要なんだろうか。 「女子高生として認められるのは、この三年間だけとか言ってたことはある気がしますけど。あと、何かしらの選挙で勝たないと一人前として認められない家庭内ルールもありますから、うちの学園に来るのが一番手っ取り早いというのもあるとか何とか」 そういやそんなもんもあったなぁ。 「ってかさ、今更なんだけど、その家庭内ルールって奴、別にうちの学園でなくてもいいんだろ。極端なこと言えば、二人立候補者がいれば選挙は成り立つのに、何でまた、姉妹揃って競争率高いここを選んだんだ」 「二人しか立候補が出ないようなところは、下手をすれば無投票で信任されて選挙が行われない可能性ありますし、その点、うちなら半年に一回確実に選挙が執り行われますから」 選挙が飯の種だけあって、勝てるかどうかよりも、まず戦場があるかどうかが大事ってことか。 「あとは、ありきたりな物言いになりますけど、プライドの問題ですよ。仮にもプロの選挙参謀になろうっていう人が、ちょっとやそっとの逆境で逃げ出すようじゃ頼りなさすぎですよね」 「仰る通りで」 「でもまあ、何やかんや理屈付けてみましたけど、私達、このお陰で仲良くなれた訳ですし、どうでもいいんじゃないかなぁって思わなくもないんですが」 「……」 「……」 「いや、目を逸らすくらい照れるなら言うなよ」 「て、照れてなんかいませんよ。こっちを飛んでいた羽虫が、何か心惹かれる造形をしていただけです」 「どんな言い訳だ!」 まーったくもう、この子ってば、たまに本格的に面白いんだから。 この直後、店員さんに『イチャつくんならよそ行ってやれ』と追いだされたんだけど、全くもって理不尽な話だと思う次第です。 学園祭初日、午前十一時四十五分、第二講堂内立ち見観客席。 討論祭は、第一部最終組に突入していた。議題は、『アリとキリギリス、人間社会で考えた時、偉いのはどっち?』だ。論者五人の中に、俺がある程度知っているのは三人ばかし居る。一柳綾女、西ノ宮舞、そして前生徒会長の大村聡、だ。今期二位の次期有力候補と前会長が最終組に入ってるとか、やっぱり作為を感じる。盛り上がってるし、討論と投票自体は公正の範疇だから、いいっちゃいいんだけど。 「組織として見た場合、アリほど完成されたものはない。働きアリ達は女王に絶対的な忠誠を誓い、実直に職務をこなす。何よりも優先すべきは組織の存続。人の社会を種の単位で見るのであらば、参考にすべきものが多いのはアリの方であろう」 「勤勉は美徳と言いますが、それは価値観の押し付けというものですわ。現代はキリギリスの様に、個の幸福を追求しつつ、社会を発展させる段階に入っていますの。大体、組織作りを前提として社会を構築することは困難であると、旧共産圏が証明していますことよ」 「あれは一部の権力志向の持ち主が、分かり易いイデオロギーとして利用しただけのこと。究極の人間社会は、限りなく社会主義に近いものになるはずだ」 「生憎と、人はまだ、そこまで成熟してはおりませんの。欲を満たすことで快感を得られる生物としての根源を克服する手立てを確立しない限り、何度でも同じ過ちを繰り返しますわ」 チーン、ベルの音が響き渡った。 『さぁ〜て、討論祭第一部最終組も、白熱した議論となりましたが、これにてタイムアップ。何か途中から社会構造論に転換してなかったかと思わなくもありませんが、分かる気がしないでもありません。アリとキリギリスは、社会主義と自由主義を暗喩したものだったのかも知れませんね』 いや、キリギリスが飢え死にエンドを迎えてるのに、それはないと思う。 『ともあれ、投票権を持つ皆様、最も納得できた意見を語っていたと思う方に、スイッチをオンです』 実況の号令と共に、論客五名の頭上にあるデジタルカウンターがランダムに動き始めた。そして一分後、得票数が同時に表示される。結果は、綾女ちゃんが五十八票、大村先輩が二十二票、舞ちゃんが二十四票、その他二名が二十票を少し割る程度だった。 『お〜っと、前生徒会長大村氏、意外と票が伸びない! やはり女性問題での失脚は痛かったか。猫と女の辞書に禊を済ますとか、水に流すなんて言葉は無かったぞ!』 この実況、言いたい放題である。 『そして、その間隙を縫うようにして二位に滑り込んだのは有名三つ子の……真ん中だっけ? 西ノ宮舞さんだー!』 自信ないなら無理に触れるこたぁないだろと思うのだが、どうなんだろうか。 「それにしても、だ」 途中からだったけど、ざっと見る限り綾女ちゃんと大村先輩の一騎打ちの様相を呈していた。少し綾女ちゃんが押し気味だったかなという感じはあるけど、これだけの差が付く程ではなかったはずだ。つまり、大村先輩個人の人気の無さが招いた事態だと言えるだろう。そして棚からぼた餅で勝ち抜いたのは、それなりの有名人である三つ子の一人、と。ひょっとしてこれ、感情的に票を入れても罪悪感が少ない分、生徒会長選よりタチ悪くないか。現実の選挙により近付いたと言えなくもないけど。 「いやー、妹が勝手に応募したんですが、何とか勝ててよかったと思います」 一昔前のアイドルオーディションか何かか! 「舞ちゃんの妹っていうと、生まれた順番で海ちゃんのこと……あれ?」 そういや、あそこにいるのが本当に舞ちゃんなのか、誰にも断言できないよな。そんなことするメリットが思いつかないけど、だからといってやらないと言い切れる連中じゃないし。 「あれは、舞よ。今日の感じからして、ほぼ間違いないわね」 不意に、声を掛けられた。 「あ、どうも」 向き直ってみると、そこには一人の女性が立っていた。年齢でいうと、二十代の後半くらいだろうか。艶やかな長い黒髪と物腰の柔らかさから、ややもするとおっとりという印象を受けるんだけど、目からは強い意志の力を感じた。 「どこかで、会いましたっけ?」 随分と気安く話しかけられたけど、面識があった記憶はない。うちの教員ではないはずだから、よその学校か、生徒の関係者か――。 「あ」 そこまで考えを巡らせたところで、思い出した。現状、三つ子を最も高確率で見分けられる人物、西ノ宮母の存在を。そういう風に考えてみれば、目元とかちょっと似てる気がしてきたぞ。 「いやいやいや」 西ノ宮シスターズが幾つの時の子供かまでは知らないけど、どう考えてもこんなに若い訳がない。実は母方の叔母とか、そういう展開であるはずだ。 「あなた、七原君でしょ? 娘達から話は聞いてるわ。母親の、西ノ宮涙(るい)よ」 俺が持つ淡い期待は、常に最高火力でもって打ち破られるのさ! 麗:二回連続、裏方での登場です。本編では、未だに出番がありません。 それは私に限ったことではないのですが、あの子達ならいざ知らず、 母が先にお目見えするとは、誰が思ったでしょうか。 公:地味にキレてないか、これ。 麗:そんなことはありません、私なんて元を正せばモブに近い一候補でした。 若菜先輩や二階堂先輩とダークヒーローズを結成した過去だってあります。 それを思えば、この様に配慮して頂けるだけ、なんと素晴らしい待遇かと。 公:確実に頭に血が上ってるわー。まさか、こんな怒り方するタイプだったとは。 麗:大体、登場人物を増やせば、一人当たりに割ける分量が減るのは、 中学生でも分かる理屈じゃないですか。 その上で、何でこう次から次へと色々出てくるんでしょうか。 公:え、何、それ昨今の少年マンガやライトノベルに対する批判? そういうのは、討論祭にとっておいた方が面白くなるんじゃないか。 麗:何にしましても次回、不埒な奴らの祭り事 学園祭本編第十話、 『アニメキャラの母親が異様に若く見えるのって、得も言われぬ感じがあるよね』です。 公:この微妙にボカした言い回しが、逆にモヤモヤしてしょうがない。
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