学園祭初日、午前十時六分、第二講堂舞台上。 よくも悪くも、今、俺が座っている席は、討論祭第一戦のものだ。それゆえに、勝利条件が曖昧な部分が多い。もちろん討論なんだから完膚なきまでに言い負かせば文句は無いのだけれど、相手があることだけに、そう簡単でもない。自分では互角と思える切り返しをできたと思っていても、聴衆がそう取ってくれるか分からないというのは、意外と始末が悪い。暗闇の中、手探りで行動範囲を確保しているような、そんな心持ちだ。 「そういえば、春は青春、思春期と、十代の代名詞に使われるよね。高校生である私達には、ピッタリなんじゃないかな?」 「同時に、性的な意味合いも含まれているがな。頭の中が春と表現したら、とてもいい意味には取られまい。若菜さんには、お似合いと言えるやも知れんが」 「個人攻撃はマナー違反だよ!」 若菜先輩と北島先輩のキャットファイト、的なものは、壇上に移っても続いているように思えた。一周して、すごく仲良く見えてきたのはさておいて、これにどう絡むかの判断が難しい。このやりとりで地味に両者のイメージを損なっているようでいて、目立っていることに変わりはない。二人共、容貌が特徴的だしな。 今後を考えて若菜先輩を叩き落としたいのは山々なんだが、どう攻め込んだものか。あんまし強圧的にやりすぎて嘘泣きでもされたら、一転して悪者はこっちだからな。学級裁判の封建っぷりを糧にする俺、マジ学習能力の高い子。 「でも、人生を季節に喩えると、秋ってもう終わりが見えてきて、総決算に入る人って感じはするかな」 うげ、様子見してたら、矛先がこっち向いてきたぞ。 「いや、今時の中年なんてものはむしろ若々しくエネルギッシュで、バリバリ仕事してるぞ。円熟期が長く続くと言い換えてもいいな」 「ふふぅん」 そこの舞台袖でドヤ顔してるオッサンは大人しくしてろ! 「昨今は一線を退いた御年配も活き活きとしてるし、それまでに培った経験を軽んじる訳にもいかないから、冬だからといって否定的に捉えるのもどうだろうか」 「そうであろう、そうであろう」 何で俺が北条先輩のフォローまでしてるんだろうか。この人、使えるんだか使えないんだか、判断に困るな。 「話は変わるけど、四神と呼ばれる四匹の聖獣のこと知ってる?」 ん? 若菜先輩、いきなり何の話ですか。 「青龍、白虎、朱雀、玄武と呼ばれる、東西南北を守護する聖獣だな。東側に川、西側に道、北側に山、南側に湖や海を配置した都は栄えるという陰陽五行思想、一般的に言うところの風水に基いていて、それぞれが対応している。平安京や、江戸の都が、これを一つの指針として町作りをしたと言われているな。ちなみに五番目の聖獣として中央は黄龍がいるのだが、日本ではほぼ知名度がない。僕は好きなのに、実に残念だ」 おー、北条先輩すっげー、流石は学力一点特化だ、この人間百科事典め。もしかしたら、解説の専門家として生き残る道があるかも知れないぞ。 「で、その四神がどうしたと言うんだ?」 「陰陽五行思想っていうのは、四季にも対応していてね。青龍が春、白虎が秋、朱雀が夏、玄武が冬なんだよ。黄龍はお正月だった気もするけど、中国のお正月は日本とはちょっと意味合いが違うみたいだから置いておいて」 言って若菜先輩は、ニンマリと笑みを見せた。 「四神の長は、青龍なんだよねー」 うげっ、そうなのか。だからどうしたと言えばそれまでだけど、相手から解説を引き出して持ってくるのは、なんか得も言われぬ説得力があるぞ。 「それに青龍って、当然の話だけどドラゴンだから。嫌いな人がどれくらい居るかは分からないけど、基本的に大人気の種族らしいよ」 「い、いやー、白虎だって中々どうしてってもんだぞ。だって白い虎だぞ、白い虎。神々しさが一味違う」 「動物園とかで、たまに見掛けるよね?」 そこには触れないで欲しい。何で白虎だけ限りなく現実的な生き物なんだよ、おかしいだろ。 「そういった意味では、朱雀も中々のものだな。鳳凰の一族にして、鳥類の長とでもいうべき地位を持ち、燃え盛る炎は煉獄をも連想させる。いやはや、全くもって優雅だとは思わんかね」 あ、北島先輩ズルい。共闘宣言はどこに行ったんですか。 「となると、やっぱり問題は玄武だな。地味な上、蛇と亀という、謎の生態。偉い立ち位置なのに優柔不断な設定はいかがなものかと」 やむを得ない、ここは一つ、北条先輩を生贄に捧げて難を逃れよう。こういう時の為に養っていたのだよ。議員がヤバイ状況になると逮捕される秘書のように、俺の為の血路を開いてもらおうか。 「玄武を、バカにするなあァ!!」 何だよ、北条先輩、そのいきなりなキレっぷり。黄龍とかいう聞いたことすら無いもの好きだとか言ってたし、マイナーなものに只ならぬ執着でもあるのか。自分の境遇に重ね合わせてるのだとしたら、ちょっと泣けてくるな。何にしても、少し押され気味な空気を有耶無耶にできたという点ではよくやったぞ、褒めてつかわす。 しかし、時間にして半分くらいは経っただろうけど、状況は芳しくないな。全体的に見て、俺、若菜先輩、北島先輩の三人はそこまで差はついていないだろう。ただ厳密なところは分からないが、順番をつけるとしたら、微差で若菜先輩、北島先輩、俺になるんじゃなかろうか。若菜先輩には更に組織票が上乗せされることを考えると、このままじゃどう足掻いても勝ち目がない。ここは二位狙いに徹して北島先輩に照準を合わせるという手もあるにはあるんだが――何か岬ちゃんには、戦略的撤退じゃなくて、敵前逃亡と解釈されそうな気がする。それは色々な意味で宜しくないし、俺としても面白味に欠ける。もうちょっと、やれるだけのことはやってみますか。 「そういえば俺、果物とか結構好きなんだけど、やっぱりフルーツといえば秋だよなぁ。梨、葡萄、栗、柿と、代表的なのだけでこんなにもある。いやはや、まったくもって素晴らしい季節だよ」 春に弱点があるとすれば、それは始まりの季節ということだ。もちろん作物によって差は出るけど、春に作付して、夏秋に収穫するものは多い。特に果物は日光で蓄えたエネルギーを甘さに転化してる訳だから、どうしてもピークは夏を終えた秋に集中するって寸法だ。 「日本人なら、夏に西瓜は欠かせまい。祖父母の家の縁側で麦わら帽子を被り、虫取り網を脇に置いて真っ赤な果実を頬張る小学生は、実に情緒的だ」 そんな典型的日本の風景、もはやドラマやマンガの中ですら絶滅危惧種ですけどね。 「いやいや、日本人的と言うのなら、コタツに蜜柑は外せまい。テレビを見ながら林檎の皮を剥くというのも捨てがたいな」 おお、北条先輩がちゃんと歩調を合わせてきた。空気を読むとか、そんな機能付いてたんですね。たまたまの可能性も無い訳じゃないけど。 「で、春はどうかね?」 「う、うーん……」 さしもの若菜先輩も、狙い撃ちに近い格好で示された話題には対応しきれないようだ。営業スマイルは崩してないけど、困った感じはありありとにじみ出ている。 「さ、サクランボ、とか?」 「梅雨時の六月を春に含めるなら、な」 「メロンなんかは……」 「春先に出荷されるものもあるようだが、季節感が高い果物かと言われると、違うと思うがね」 ふっふっふ、計算通り! どう足掻いてもこの話題で優位性を確保することなど出来ないのだよ。さぁ、逆襲という名の集中砲火を受けるがいい。 「や、野菜なら、キャベツとか筍とかあるし」 苦し紛れに話題を少しズラそうとしてきたけど、それは悪手だ。野菜の話になるなら、北島先輩が黙っていようはずがない。 「ああ、そうだな。夏は枝豆、キュウリ、ピーマン、トマト、ナス、カボチャ、ジャガイモ、トウモロコシなんかが穫れるが、春野菜も悪くはない」 「うぬ」 この底意地の悪い言い回しを、踏襲すべきかどうかが問題だ。 「でも、考え方を変えれば、春に植えるっていう縁の下の力持ちがあるから、夏に色々穫れるんだよね」 「下働きの貴賎を論じるつもりは無いが、少なくても『偉く』は無いと思うが」 「うぬぬ」 「……」 あれ、ちょっと待て。よかれと思って若菜先輩への攻撃を後押ししてきたが、これだと一番印象稼いだの、北島先輩にならないか。発案者の俺、埋もれてる気がしてきたぞ。まずい、少しでも盛り返していかないと。 「秋野菜だって中々のものだぞ。特に根菜がいい。サツマイモ、サトイモ、ニンジン、ゴボウ、レンコン、他にも長ネギなんかと、主食にも鍋のお供にもなる、優秀な奴らだ」 「根菜が太くなるのは冬を乗り越える栄養を蓄える為だろうから、何という人でなしだという考え方もあるがな」 あぁ! 北島先輩ってば手柄を独り占めする気だな。体重は岬ちゃん二人分くらいあるくせに、何て器が小さいんだ。『私さえ勝ち残ればいいのだ、フワハハハ』って心の声が聞こえてきそうだぜ。間違いなく俺の幻聴だけど。 「いや、秋といえば大豆が収穫されるのを忘れてはいけない。豆腐、納豆、味噌、醤油、日本人の食生活は、大豆に依って成立していると言っても過言では無いのは、御存知の通りだ」 「ん」 よし、反論を思い付く前に畳み込むぞ。 「それと最初に触れたけど、やっぱり日本人の魂が詰まっているのは米だろう。米で武士に給料払ってそれなりに経済が成り立つような先進国は、他にもあるかも知れないけど、とりあえず俺は聞いたことがない」 単に世界の過去の経済事情に疎いだけの部分は否定しない。だけど、よくよく考えてみると無茶苦茶なシステムだよな、石高が実質的な経済力として示されるって。 「お米は、美味しい。そろそろ、早めに収穫される新米が出回る季節だな。全くもって楽しみだね」 清川庄司、居たのか。俺と同じ秋を選んだことすら忘れるほどに、存在感がないな。事実上、一人一つの季節で割り振られて、やりやすい部分は否定出来ないんだけど。 「ふむ」 さしもの北島先輩も、米を出されると分が悪いのか、少し考え込むように間を取った。フワハハハ、これは結構ポイントを稼げたんじゃないか。流石は、母親に小学校くらいまではやれば出来る子と言われただけのことはあるぜ。中学に上がったくらいから諦められたような気がしないでもないけど。 何にしても、多少の活路は開けたものの、まだまだ安全圏とは言い難い。このまま押して、決め手を作っていきたいものだ。 庄:影が薄い、存在感が無い、言葉にすれば簡単だけど、それがどれ程のことか分かるかい? 莉:え、ちょっと何、この空気。 庄:小学二年の遠足で山に行った時、ちょっとした隙に、みんな先に帰ってしまった。 陽が落ちかけた紫色の帳を、あれほど恐怖に感じたことはないね。 莉:あのー。 庄:先の生徒会長選挙で、僕には三人のスタッフが居た。つまり僕を含めて四人だ。 だというのに僕が得た票数は三。後で聞いてみたら、一人は僕のことをすっかり忘れていたそうだ。 笑っていいんだよ? 莉:そういう無茶な振りは、やめてくれるとうれしいかな、って。 庄:一番面白かったのは、中学を卒業する日かな。 担任が一人一人に別れの挨拶を告げたんだけど、僕の時だけ言葉に詰まったんだ。 何一つ、記憶に思い当たることがなかったんだろうね。 莉:この場から、ものすっごく逃げ出したい。 庄:では次回、不埒な奴らの祭り事 学園祭本編第六話、 『おい、討論祭一戦一話で終わるだろうって言ってたヤツ出てこい』だ。 莉:いや、短くまとめる技術が無いのを、サブタイトルに八つ当たりされても。
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