学園祭初日、午前九時五十分、第二講堂舞台袖。 討論祭に出場する為、俺は他の参加者と共に待機していた。今、ここに居るのは、俺を含めて六人ほど。第一組と二組で出る人なんだろうと思う。この段階になってようやく対戦相手のリストをもらったものの、ここには面識がない奴しか居なくて、誰がそうなのかは判別がつかない。 その中で、一際目立つ容姿の女性が居た。ネクタイを見るに、三年生だろう。身長は俺よりもやや大きいから、百八十程度か。一見すると太ましいように見えるのだけど、その身体につけているのは恐らく極厚の筋肉だ。無造作に伸ばした黒髪を首の後ろでまとめて、化粧っ気もない簡素な風体なのだけれど、意外と顔の造形は整っていて、否が応でも目を引く。ってか、この人、どこかで見たことあるような――。 「君は、七原君か」 そんな俺の視線に気付いたのか、彼女はこちらに向き直って声を掛けてきた。 「俺のこと、知ってるんですか?」 「ああ、二年に世界を狙えるアホがいると、噂に聞いている」 「生徒会長選挙とか、実行委員長の方じゃないんですかい」 ちょっと有名人を気取って、照れた素振りを見せようかと思ったのに台無しだ。 「私は、北島涼(きたじまりょう)、君と同じ一組目で出場する。厳密には初対面ではないが、言葉を交わした訳でもないし、憶えていなくても仕方ないだろうな」 「北島、涼?」 あれ、どっかで聞いたことあるような。 「ひょっとして、前にりぃがアームレスリング大会出た時に――」 「思い出してくれたか」 「見掛け倒しで瞬殺された人」 「アホと言ったことへの、意趣返しのつもりかい?」 いや、他の印象がなかっただけで、別に他意はないのです。 「君は、椎名君の友人なのだろ。彼女の腕力は凄いな。私もそれなりに鍛えてるつもりだが、まるで歯が立たなかった。参考までに、どんな鍛錬を積んでいるか聞いてみたいところだ」 「どんなって……家帰ってからのことまで知りませんけど、あいつが筋トレ的なことしてるのなんて見たことないですよ」 「マジでか」 あ、今、割と素で反応しましたよね。 「彼女は、本当にホモ・サピエンス、現生人類なのか?」 「これから人前で討論しようって人が、何言っちゃってるんですか」 「お笑いの世界が階級制なら、既に二つはベルトを巻いているとまで言われる君にしては、冗談が通じないな」 この人、割かしズレてんな。 「しかし、先輩ってそういうキャラだったんですか。アームレスリングの時、何か吼えてませんでしたっけ」 「君は、バカか。あれは作ったに決まってるだろう。あんな脳筋野獣みたいな人間に、実際に会ったことがあるとでも言うのか」 「正直、先輩の体格だと違和感ゼロなのが凄いっす」 女子としては長身の遊那より十センチ以上も高く、更には相撲部員顔負けの筋肉を蓄えているのだ。どうして女の子に生まれたんだと、悔しがる業界は少なからずあるだろう。 「そういや思い出しましたけど、女子プロレスから誘いが来てるんですっけ?」 「まあな。鍛えるのが楽しすぎてついついこれだけになってしまったが、活かせる道ではあると思う」 ついついでその高身長、高筋量を得られるって、重量級の格闘家とか、バスケット辺りやってる人には妬まれてもおかしくないと思う。 「だがプロレスどころか、あんなに勢いのあった総合格闘技も今では下火だからな。業界のトップを獲る自信はあるが、生活していけるのかどうかすら怪しい。無難に大学へ行って、最低限の学識を身に付けることにするよ」 「先輩が、業界を盛り上げればいいじゃないですか」 「ほほぉ、中々に安い挑発をしてくれるじゃないか」 勝負は舞台の上だけで決するものじゃないし、煽って探りを入れてみるのも悪くない。 「あ、だけどりぃが参戦したら、やられ役になっちゃう可能性はありますか」 「そんなことを言ってたのか?」 「あの年で、将来の夢はお嫁さんとか言い出す奴ですから、何とも」 「三十歳近くになると切実度が桁外れになるから、早い内に見据えておいた方がいいかも知れんがな」 何その生々しい話。 「お待たせしました〜。これより、討論祭第一部を開幕致します。我らが学園といえば、生徒会長選挙戦。そのエッセンスをふんだんに盛り込んだ、論客達による、舌戦、論戦、アーギュメントを、その眼と耳に焼き付けていってください。父兄さんの飛び入り参加枠も設けておりますので、我こそはと思う者は、舞台端の担当者にお申し付けくださいね」 ちなみに、舌戦、論戦、アーギュメントは、意味合いとしては議論をする程度で、どれも大差がない。 「遅れちゃってゴメンね〜」 開始時間ギリギリになって飛び込んできたのは、若菜由夢(わかなゆめ)先輩だった。先の生徒会長選挙において、猫被りだけで七位になった、考えようによっては恐ろしい人材である。 「あれ」 リストを見た時には、若菜先輩が第一組に入ってることを深く考えなかったけど、ちょっと待てよ。ぶっちゃけた話、若菜先輩はその男受けする容姿と、やや古典的なアイドル的愛嬌でそこそこの票を得た人だ。正確な数は忘れたが、一次投票六位だった俺と、大差はない。選挙戦という、他の要素も加味されるはずのものとは違って、こういう余興に近いものだと、この人、メチャクチャ強いんじゃ。何せ、そんなことを知らない外来のお兄様、お父様方には、只の人懐っこくて可愛い女の子だし。ちょっとあざといけど。 「いやいや」 一般論として、こういう女の子は同性に嫌われると聞く。うちの学園は女子の方が多いし、観客の男女比を見てから考えても遅くは――。 『ゆっめちゃ〜〜ん♪』 こっそりと聴衆席を覗くまでもなく、ダミ声と言うか、とにかく濃い男達の声が和音していた。ちくしょう、ファンが陣取るとか有りかよ。あいつら、討論の内容とか関係なく若菜先輩に入れるだろ。二つしか無い枠が、実質的に一つ埋まってるじゃねーか。 「いきなりブツブツ言ってどうした」 「選挙と組織票の問題を、まじまじと考えさせられました」 たしか、俺が一次投票で獲得したのは百二十六票だった。若菜先輩はそれよりやや少ないくらいだから、百票ちょっとだろう。全生徒、千八百人くらいから見れば、五パーセントを少し上回る数字だ。一方で、この会場で投票権を持っているのはスイッチを用意できた、前方に座っている百人のみ。仮に一次で票を入れた人の三割がその席に座っていれば、それだけで占有率は三十パーセントだ。他の論者には入れてくれないだろうことや、一般観衆からも票を得られることを考えると、相当ボコボコに叩きのめさない限り勝ち目はない。いや、この一回戦に限れば、一人で叩きのめしても二位通過が余裕なのか。正直、これに近しいことが現実の選挙でも行われているのは、公然の秘密だ。 「由夢は一部に狂信的な人気があるからな。少し八方美人で流されやすいところはあるが、悪意を持って仕込んだ訳じゃないのは信じてやってくれ」 「お知り合いなんですか」 「まあ、友人と呼べる程度ではある」 「涼ちゃ〜ん、今日はよろしくね」 人の交友関係って、パッと見じゃ分からないよなぁ。 「しかし難儀な話ではある。仮に三十人が由夢の信奉者だとすると、残り七十票を分けあう勘定になる。由夢を負かそうと思ったら、二人が三十五票ずつを分け合うという、神がかりの票調整をしなくてはいけない訳だが、不確定要素が多すぎるこの大会では、不可能に近いだろう」 「ですよねー」 二回戦以降の規定がどうなってるか確認してないけど、こんな調子じゃ、楽々上位に食い込んでしまうぞ。一応は俺が発案しただけに、そんな白けかねない展開は御免被りたい。 「但し今のは、一人一票である場合の話だがな」 少し、北島先輩が笑みを見せたように思えた。 「幸いなことに、一回戦は複数投票制だ。究極的に言えば四人が七十票を獲得して由夢を最下位にすることだってできる」 「まあ、それはそうなんですが」 机上の空論とか、理屈の上ではという言葉が頭をよぎる次第です。 「そこでだ、七原君。私と組まないか?」 「はい?」 いきなりすぎて、反射的な言葉しか返せなかったじゃないか。 「仮にここを勝ち抜けたとしても、由夢も残ることになれば今後、同じ不安を残すことになる。しかも後になればなるほど他の論者は強力になる公算が高い。ならば一回戦の今回が、最も高い確率で由夢を叩き落とせる場になるだろう」 当然のことながら北島先輩の声は、他の人達には聞こえない程度に絞られている。ヒソヒソと内緒話をするのは悪印象だろうが、この内容を聞かれるよりはマシだ。 「いいんですか、友達なんじゃ」 「友達だからこそ、可愛いだけで世の中渡ろうとするなんて甘い考えは矯正してあげるべきじゃないか」 「なるほど」 「という建前を、今作った」 この人も、いい性格してるわ。 「了解、その話、乗ります」 「意外と、素直だな」 「こっちにも、色々と都合がありまして」 北島先輩の実力がどれほどか正確には分からないが、今までの喋りからして、頭の回転と構築力が低いということはない。一つしかない椅子を奪い合うくらいなら、若菜先輩や、他の論者に的を絞った方が得策だろう。集中砲火を浴びせるにしても、一人より二人の方が効率いいのは間違いないしな。 「あっれー、お二人さん、何か仲良しだね〜」 そんな中、若菜先輩が、俺達の間に割って入ってきた。 「ああ、噂されるだけあって、中々のバカだな。ボケとツッコミのバランスが絶妙だ」 それ、実質初対面の人を紹介する文言じゃねーよな。 「ねぇ、涼ちゃん」 「どうした」 若菜先輩の声色は、周囲の気温を数度は下げてしまうかのように、冷たいものだった。 「涼ちゃんってさぁ、私が男に媚びるしか能がないって、ちょっと思ってるよね」 「違うのか?」 こういうやり取りを聞いてると、男同士と、女同士の友達関係って違うよなと思い知らされる。 「甘く見ないでよね。私だって、魑魅魍魎が巣食う生徒会長選挙で戦ってきた一人なんだよ」 無邪気に戯れていた猫が狩猟本能を目覚めさせたかの様に、若菜先輩はその瞳を豹変させた。そういや、こっちが本性なのは勘付いてたけど、直接討論する機会はなかったから、どれほどのものかは知らないんだよな。 「そうは言うが、一次通過は常連だったお前が落選したってことは、一柳君や西ノ宮君に票を食われたと見るのが妥当だろう。可愛いだけの女は、時が経つにつれ、若い女に取って代わられてしまう。もっと自身の内面を磨くことを考えるべきじゃないか」 「うぬ」 あのですね。本議論が始まる前に、そんなバチバチやるのも如何なんでしょうか。俺を含めた他三名、居場所が無くて実に気まずい状況なのですが。 「そういう涼ちゃんだって、私と方向性違うにしても、外装鍛えまくってるじゃん。男に媚びてるのと、自分に酔ってるの、本質的にどれだけ違うって言うのさ」 「ふむ」 矛先がこっちに向くのが嫌だから止めに入らないけど、これ、本番だったらどうしたらいいんだ。このまま二人が一騎打ちしてたら、俺ら男三人、影が薄すぎてそのまま敗退が濃厚になるんじゃないか。さすがにそれはちょっと、なぁ。 「はいはーい、では準備も整いましたので、第一組の五名は壇上へどうぞ」 司会進行の言葉で、女性二人は一先ず休戦といった感じで向かい合うのをやめた。うわっ、若菜先輩、もうニッコニコの笑顔作っちゃって、あなた、かなりのプロフェッショナルですね。 「ふぃぃ」 本当、初っ端から随分と濃い組に入れられてしまったけど、こうなったら致し方ない。腹を括って、挑むしかないな。 公:それで、女性にこういうことを聞くのはどうかという意見もあるのですが、 どうしてそんなに筋肉を付けようと思ったんですか? 涼:ダイレクトに聞いてくるな。 公:何かこう、解決しておかないと心にモヤモヤが残りそうで。 涼:そんなに難しい話でもないがな。私は中学の頃、この長身がコンプレックスでね。 成長期に筋肉を付けると身長が伸び悩むという噂があっただろ? それで始めてみたら、思いの外、面白かったというだけだ。 公:參考までに、成果があったのかを伺っても。 涼:百七十が百八十に育ったのが、抑制された結果なのか、促進されたのか、さっぱり分からん。 公:数年がかりの話で実験もできないんで、都市伝説に近いですよね。 涼:若気の至りの様なものだか、今ではこれも私だと納得しているよ。 公:えらく悟ったお答えが返って参りました、とさ。 涼:では次回、不埒な奴らの祭り事 学園祭本編第四話、 『信じられるか、この司会って名無しのモブなんだぜ』だな。 公:生徒会長選の時といい、この学園の実況能力は、何かおかしいものがある。
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