邂逅輪廻



 学園祭初日、午前八時二十五分、音響室。
「挨拶の順番は、学園長、千織、俺、か」
 学園祭開幕を間近に控えて、俺と千織は音響室の控えで待機していた。挨拶は一人につき一、二分の簡素なもので、前後の紹介やらを含めても、十分程度で終了する予定だ。
「そういや千織、学園長の顔って憶えてるか? ってか、生徒会長になってから、一度でも会ったか?」
 前にも触れたが、とにかくうちの学園長は公の場に姿を現さない。噂によると、五十ちょっと前くらいのオッサンらしいのだが、体型やら、頭髪の具合やら、ヒゲの有無についてなんかの情報は極めて曖昧だ。入学式の時に見掛けた気もするんだが、一年以上前の話だし、そもそも新生活に浮かれてクラスメートの方ばかり気に掛けてたもんだから、よく憶えちゃいない。
「言われてみれば、無いね。生徒会長就任の時も、大村先輩から引き継ぐ形だったし」
「思い出した、あの時お前、女子制服着て、全部持ってっただろ」
「僕だって、全部が全部、公康や茜さんの後塵を拝するって訳じゃないんだよ」
 女装ネタについては、去年の学園祭の二番煎じだがな。あの場で発想して実行できる根性はちょっと凄いと思うけど。
「生徒会長になって一月以上経つのに、学園長と一回も会ってないってのもどうなんだ」
 もっともあのオッサンに関しては、教師ですら数ヶ月会わないことがあるって話も聞く訳だが。
「究極的に有能な大将とは、本人が居なくても回る組織を作り上げることだっていう意見もあるよね」
「カリスマ経営者全否定だな」
 あれはあれでフットワーク軽い代わりに、社長が体調崩しただけで右往左往するんだから、何事も一長一短だな。まあそれは、政治家も似たようなもんか。
「やぁやぁ、諸君、待たせたね」
 そんな与太話を遮るように、一人の中年男が入室してきた。
「あ、どうも」
 こいつが、学園長か。口ヒゲと顎ヒゲを短く刈り揃えているものの、全体的な印象は若々しく、不惑を少し回った程度、或いは三十代でも通じるんじゃなかろうか。やや高めの上背によく締まった身体は、スーツ姿を映えさせてくれる。そういや、こんな感じのオッサンだったような。それなりに偉いくせに、仕事を部下に投げっぱなしてるから保てる若さなんだろうなと、他人事ながら思ってみたりもする。
 まあ、顔自体は割と整ってるから、見る人によってはダンディで通る気はする。半分くらいは胡散臭さで構成されてるけど。
「おぉ、これは我が愛しき学園生達よ。どうだい、人生、エンジョイしてるかい?」
 訂正、胡散臭さは、八割くらいある。
「ふふぅん、このボクの御尊顔を拝めるだなんて、君達はツイてるねぇ。何しろ、一時は存在しない学園長として、七不思議にノミネートされたことがあるくらいさ」
 ここで、一つの問題が生じる。言うまでもなく、このオッサンは学園長だ。つまり、名目上は学園で一番の責任者で、教師よりも目上の存在だ。そんなのを相手に、ツッコミを入れていいものなんだろうか。だけど、これはどう考えても、誘ってるよなぁ。もしやツッコまない方が失礼なのではないか。社会人のお兄様、お姉様、こういう時はどうするのが正解なのか、教えて、プリーズ。
「それで、ボクのインタレスティングトークにはどれ程の時間を使っていいんだい? できることなら、激熱の青春編から始めて、苦難の若人編へと続けて、如何にしてボクが学園長になったかを熱く、小一時間程は語りたいところなんだけど――え、時間押してるから、一、二分で簡潔に? あと、最近、というか、昔から学生は学園長がどんな生き方してたかなんて、これっぽっちも興味ないから、触れんじゃねーぞ? 言うねぇ、君、気に入ったよ」
 俺の心の機微を感じ取ってくれたのか、打ち合わせをしていた放送部員が先にたしなめてくれていた。何にしても、とてつもなく扱いづらいオッサンであるのは、間違いないようだ。
「じゃあ、しょうがない。ここは大人として、そして学園長として、短くも心に残る、素晴らしいスピーチを披露することにしよう」
 あ、この勢いだけで中身の無い雰囲気、どこかで感じたことある気がしたけど、三つ子の奴らだ。
「流石に、父親ってオチはねーだろうけど、伯父とかはありえそうで怖い」
 深く考えるのはやめにしておこう。俺には関わりないってことにして、精神の安定を保つんだ。
「あーあー、テステス、聞こえるかね、我が愛しき学園生諸君。諸君らも薄々感付いているだろうが、ここは敢えて言葉にさせてもらおう。学園長であるボクを筆頭に、教師達は君らの人生に何の興味もない。時たま、そんな素振りを見せるようなこともあるだろうが、あくまでも仕事でやっているか、そんな自分に酔っているだけだ。まあ人生経験が浅い若造である君達にそれを読み切るのは難しいから、ウィンウィンの関係ではあるのだがね」
 何言い出しやがってんだ、このオヤジ。
「あ、大丈夫です、ちゃんとスイッチ切ってありますから」
「ボクも、知ってて敢えて喋ってみた」
「万一流れたら、放送事故ってレベルじゃねーぞ! 折角の学園祭を、出だしから台無しにする気か!」
 もう、コイツが父親に近いくらいの年齢であることとか、どうでもよくなってきたわ。
「ふふぅん、知ってるかい、坊や。世の中、大体の無礼やなんかは、『なーんちゃって』って言えば許されるんだ」
「それで乗り切ってきたのは、あなただけだと思いますよ」
 一応、敬語的な言葉を使っているが、敬っていないのは言うまでもない。
「仕方ない、面白みは格段に減るけど、無難な方のコメントでお茶を濁すか」
「こんなにも堂々とお茶を濁すとか言い出す大人に、今後会える気がしないのです」
 この学園のバカ密度が異様に高いのは、これのせいの気がしてきたぞ。こう、ブラックホールとかアリジゴク的な吸引力で周辺から集まってくるんじゃなかろうか。
「大人で肩書があるからって立派な人ばかりとは限らない。それを身をもって示してくれるなんて、学園長は教育者の鑑だと思うよ」
「千織も、その場の勢いで適当なこと言うのはやめてくれ」
 あ、ダメだ。挨拶の為に作ってきた緊張感というか気分が、ツッコみすぎてどっか行っちまった。
『あー、さて親愛なる学園生達よ、ボクが、学園長だ。と言いたいところだが、君達の中でボクの声を正確に憶えている人がどれだけ居るかな。そう、もしかしたらボクはそこらを歩いていただけのダンディ・ダディなのかも知れない』
 もうやだ、このオッサン。
『だがまあ安心してくれ。一応、ボクは本物だ、ということにはなっている。というより、仮に偽物だったとしても、本物として扱った方がいいだろう。部外者が園内に入り込んで我が物顔で挨拶なんてしたとしたら、問題だからね』
 まさか、現実に『おい、マイク止めろ』って言いたくなるとは思わなかったなぁ。ここまで来たら、もう放送部員の裁量に任すしかないけど。
『そんなボクだけど、今回の学園祭を楽しみにしていたのは事実だ。今までの、そしてこれからの長かろう人生の中でも、この学園祭はこれ一度きり。精一杯、エンジョイしようじゃないか』
 ふぅ、ともあれ、最低限の形だけは作ってくれたか。他人の挨拶で、これだけ疲れることは、もう無いんじゃないかな。
『まあ、実のところ、今朝、教頭経由でスピーチ頼まれるまで、学園祭のことなんかすっかり忘れてたんだけどね、ハッハ』
「……」
 これで終わりだと思えば、なんでもいいです、ハイ。
「おや、どうしたんだね、若人よ。生気がすっかり抜けたような顔をして」
「あれを聞いて神経削られない奴は、俺は人間として認めません」
 続いて千織がコメントしてるところだが、あの後じゃ、何喋っても、誰の記憶にも残らねーよ。俺も関係者と思われたくないから、形式文の方を読むことにするわ。
「俺の持つ世界は、まだまだ狭い。当然のことではあるのだが、こいつからだけは確認したくなかった」
「ほぅ?」
 しかし、このオッサンの情報を事前に岬ちゃん辺りから入手しておかなかったのは、不覚の一言だな。
「ああ、そうそう。ボク、この二日間、園内のどこかにいる予定だから、また会うようなことがあったらよろしくね」
「……」
 全力で奇声を上げたくなる衝動をすんでのところで抑え込んで、目の前の机に突っ伏した。
 俺は、明日の夕方が終わった時、今の人格を維持できているだろうか。洒落や冗談を抜きにして、これは深刻な問題ですよ。


 学園祭初日、午前八時四十五分、二年三組教室。
「まあ、色々と言いたいことはあるが、とりあえずアレだ。何で一回目の開演を十時二十分に設定した。俺、十時から討論祭だって、岬ちゃんから通達あったはずなんだが」
 一応、責任者であろうはずの本邑に問うてみた。
「一回戦って、十分で終わりなんでしょ? だったらこっちに五分で戻ってくるとして、五分も余裕があるじゃない」
「最初の組だからって、遅れないとは限らないだろうが!」
 大体、討論前後のロスや、心の準備に掛ける時間は全くの無視か。
「その時は、三分とか、五分で論破して、とっとと帰ってくれば問題なしでしょ」
「クラス裁判じゃあるまいし、一方的に言い負かせばいい勝負じゃねーんだが」
 大体、あの岬ちゃんがオープニングに、そんなヌルい面子を揃えてくれるはずがない。四天王を全て倒した末にようやく相まみえられる、魔王的な仕込みをしてくれる人だ。岬ちゃんが全ての組み合わせ決めてるかは知らんけど、そういうことにしておけば丸く収まるはずだ。
「他のとこのスケジュール一通りチェックして、一番穴になりそうな時間選んだからしょうがないでしょ。やっぱりやるからには、お客さんには来てもらいたいし」
「……」
「何よ、そのチュパカプラが職務質問を受けたみたいな目は」
 見たことあんのか、そんなもん。
「いや、意外とちゃんと考えてたんだなぁって」
「私としては、不満で一杯なんだけどね。何で桜井妹さんが優先的に七原君のスケジュール抑えてんのよ」
「何なら、今からでもまた打ち合せという名の交渉を――」
「それは、嫌。こんな時間じゃ、どこの洋菓子店も開いてないしね」
 そういや俺、昨日シュークリーム六個で売り渡されたんだっけ。それからこっちの一日が濃すぎたせいで、大分、忘却の彼方だな。
「七原君、本邑さん、ちょっといいかな?」
 そう声を掛けてきたのは、平山彩菜(ひらやまあやな)先生だった。担当は数学で、若さと美貌、そして少しばかりの儚げな弱々しさで、一部生徒に結構な人気がある人だ。同じメガネ族でも、目付きが優しい影響で本邑とは大分印象が違ったりする。元は俺ら二年三組の副担任だったのだが、今は正規の担任がのっぴきならない理由で休職していることもあり、担任代理を務めている。いくらか病弱でたまに授業を休むことすらあるのに、このバカクラスをまとめるのは荷が重いと思うのだが、本人は割とやる気があるらしい。まあ、バカは風邪ひかないとも言うし、多少の感染なら、抵抗力の強化が望めるかもな。バカに本体が乗っ取られるリスクがある荒業の気もするけど。
「先生、私の前に七原君を呼ぶのはやめてください。格下として扱われているようで、心外です」
「お前、そういう細かいこと言ってると、アラを探すしかできない、残念な大人になるぞ」
 真っ先に遊那を連想した奴は、中々、このクラスの認識力が高いと言えよう。
「出席番号順だから、しょうがないよね」
 ちなみにうちの学園の出席番号は、男女混合の五十音順だ。ナナハラとモトムラじゃ、致し方ないな。
「それで、何の用です?」
「あのね。私としては、みんなのこと信用してるし、人の道を踏み外さなければ大抵のことは許容するつもりなのよ」
 生憎、先生の上司である学園長は、色々と踏み外してますけどね。
「だけど何をするのか、この段階になっても報告が無いってのはどうなのかな、って」
「……」
 さぁて、状況を整理する為、少し考えさせてもらおうか。
「本邑、お前、何も伝えてないの?」
「何か、問題が?」
 この状況で居直ったぞ、おい。
「まあたしかに、ちょうど何やるか決める頃に本来の担任が休んだもんだから、引き継ぎが曖昧な部分があった面は認める」
 そうでもなければ、企画の一次締め切りが過ぎるまで、誰も気付かないなんてことある訳ないよな、ハッハッハ。
「まあ、先生。七原君もこう言ってることだし、大目に見てあげてください」
「アハハ……」
「俺と岬ちゃんのことどうこう言うけど、お前も大概凄いよな」
 これはもしや、いかに自国に非があろうとも決して謝ることはなく、むしろ逆ギレしてくる大国を揶揄しているのではなかろうか。そして、日本国もこの様な図太さを持ち合わせなければ、今後の混迷する国際情勢を乗りきれないというメッセージを、暗に発しているのではなかろうか。
 そういうことにでもしておかないと、本邑とは、割と本気で付き合えないんじゃないかなぁ。


次回予告
※公:七原公康 岬:桜井岬

岬:しかし、本編開始早々、新キャラの先生が二名も登場ですか。
公:ん? 学園長はともかく、平山先生は初出じゃないぞ。
岬:そうでしたっけ。
公:本編六話の冒頭を見てみるがよい。まあ、逆にここだけのはずではあるんだが。
岬:こんなの、誰が憶えてるっていうんですか。っていうか、これを登場と言い張る気ですか。
公:少なくても作者は、出す機会を虎視眈々と伺っていたらしい。
  実はさりげに、キャラデザもある。根性の出し方次第で、発見も可能のはずだ。
岬:何か、堂々と公開した方が早い気もしてきましたが。
公:ともあれ次回、不埒な奴らの祭り事 学園祭本編第二話、
 『正ヒロインまで鈍感だとラブコメって転がらないんじゃないか』だ。
岬:はて、一体、どういった意味なんでしょうかね。




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