「うん、うん。お父さんとお母さんにもちゃんと――は無理だろうけど、最低限食べて寝てって言っておいてね。着替えはボランティアの人に持っていってもらうよう頼んだから。うん、それじゃ、また」 何かここにも、おかんっぽい人がいる。 「茜さん、なんだって?」 携帯電話の通話ボタンを押してポケットへとしまう岬ちゃんに、そう声を掛けた。 「明日の土曜は選挙活動最終日でどうにもならないけど、日曜は結果待ちで時間がとれそうだから少し覗いてみるだそうです」 「投票日って、何して過ごすべきなんだろうな」 よその国は知らんが、少なくても日本では投票日に選挙活動を行うことができない。直前に名前を聞かされることでの刷り込みを防ぐためとか聞いたが、当然のことながら候補者は一日中やきもきせざるを得ない。根性座ってたり、最初から勝つ気が無い人は、鬱憤晴らしにパーッと遊んだりするのかしら。逆に神経質だったり当落線ギリギリの人は、もういっそ一思いにトドメを刺してくれくらい思いそうだ。 かく言う俺も生徒会長選経験者だが、当日は何をするでもなくボーッとしてた気がする。大人の選挙だと人生全く変わるだろうし、想像つかねぇなぁ。 「ともあれ、選挙の当落で桜井家の看板に大きな影響を与えるというのに、結果も出ない内から遊ぼうっていう茜さんが恐ろしい」 忘れかけてるけど、あの人、早生まれでまだ十七歳だからな。十八歳まで選挙権を与えようって話もあるけど、それにすら届いちゃいない訳だよ。 「候補者が全滅するようなことがあったら、私の進路希望も大幅に変更せざるを得ませんね」 「それ、絶対的に信頼した上での発言に聞こえるんだが」 「分かりますか?」 「まあ、三ヶ月くらいとはいえ、腹を割った付き合い方してきたし」 人との関係は長さではなく深さと表現する奴もいるけど、結構、的を射ていると思う。 「お姉様には、目に物を見せてくれますわ」 そしてピョコンと湧いたと思ったら、いきなり何ですか、綾女ちゃん。 「舞台演劇とは、観客があってこそ成立するものですわ。お姉様ほどの達人とあらば、観客としても一流は間違いなし。それを満足させてこそ、成功と言えるのではありませんこと」 正直、綾女ちゃんの茜さんに対する根拠の無い信頼には、どう反応していいものか分からない。 「たまに情緒不安定だからなぁ、この子」 話半分に聞いておこう。俺の中でこの舞台は、十年、二十年後に、いい思い出になってればいいと、早くも投げやり気味に思ってることだし。 「しかし、脚本担当として言わせてもらいますわ。あなた方は、キャラクターというものを、全く理解しておりませんの」 「おぉ、何か脚本家っぽい言い回し」 「これは言いたかっただけっぽいですね」 「八割方はそうであると、認めざるを得ませんわね」 認めるんかい。 「脚本にしろ小説にしろ、結局のところ言ってみたい言葉を並べ立てるものですわ」 「だから、微妙に小洒落た言い回しが多いのか」 「高校一年生が書いたものですから、ある程度はそうなるでしょうね」 やめろ、右腕の古傷が疼くじゃねーか。 「たしかに、カッコイイ台詞が多いよね」 りぃの感性が正常かどうかは、中高生のアイデンティティに関わることの様な気がするので、判断しない方向でお願いします。 「そういえば、割とどうでもいいことですが、お兄様が来るそうですわ」 「優先順位、茜さんより下かい」 綾女ちゃんが言うお兄様とは、イギリスに留学中の一柳空哉(くうや)さんだ。四年前だかにうちの生徒会長を一期務めたこともあり、能力という意味では綾女ちゃんに匹敵する優秀な人だ。俺と肩を並べるアホであるという但し書きがつくけど。 「師匠との再会を、心待ちにしているようですわよ」 「何かものすごーく面倒なことになる予感しかしないんだが」 どういった理由か忘れたが、空哉さんは俺の弟子ということになっている。何の弟子かも忘れた。麻雀でいいんだったかなぁ。 「三つ子に引き取ってもらおう。俺が知るかぎり面識ないけど、何かすごい相性いい気がする」 どっちも引っ掻き回すタイプだから、収集つかないだろうことに関しては目を瞑るとしよう。 「いっそのこと、どなたかとくっつけてしまえば後顧の憂いを無くせるやも知れませんわね。三人もいれば、一人くらい気に入る方がいるやも知れませんわ」 「重いんだか軽いんだか分からないジョークを聞いた」 実の姉の西ノ宮でさえほぼ見分けがつかないというのに。 「あいつら、付き合う最低条件は判別が可能なことって言ってるんだが」 「お兄様でしたら、僅かな皮膚感や体臭の違いをも見抜いてくれますわ。私はできませんけども」 これは信頼してるんじゃなくて、完全に投げっぱなしてると言うのだ。 「まあ、あんなんでも元生徒会長だからなぁ。何かに使えるかも」 「猿回しの芸は、高い技術と根気が必要ですのよ」 「あれも動物虐待と言われて、大幅に縮小傾向にあるのが物悲しいところだな」 「人間の就労体制には一向にメスを入れませんのに、不思議な話ですわよね」 さらっと、こっちからもブラックな発言が聞こえてきたのですが。 「たしか、一年で一期やっただけで飽きて投げたんだっけか。三年春に茜さんが入学してきた計算だから、一回真剣勝負させてみたかったカードではある」 「コテンパンにやられて、飼い慣らされる結果しか見えませんわ」 「あ、ひょっとして、茜さんとくっつけた方がいいのか? 年齢的にもそんな離れてないし、面倒なのが二人まとめて片付いて、誰も損しない」 「お姉様が、本当の義姉になるというのは盲点でしたわね」 あの超スペックバカを茜さんがコントロールして、とてつもない戦力として活用する可能性についても、敢えて目を瞑るとして。 「平時において秀才は優秀な手駒ですが、乱世に台頭するのは異才ですわ。そして異才とは、能力の高いバカであることを鑑みるに、お兄様には無限の夢が詰まっていますわね」 「何か、飛距離とか、球速だけはすごい野球選手の話を聞いてるみたいだ」 ロマンの塊の大半は、ロマンのまま終わってしまう現実があるのだ。 「そういった意味では、あなたも夢を見させてくれそうですわね」 「夢にも、色々あることは否定しないでおく」 そういや悪夢っていうけど、良夢とかって言葉はあんま聞かないのは、何でなのかしら。 「一柳さんって凄いよね〜。勉強できるし、脚本も書けるし、選挙じゃ人気あったし、これぞできる女って感じで」 「もっと褒めてくださって構いませんのよ」 そういや、りぃと綾女ちゃんの絡みって、地味にレアだな。大した接点無いからしゃーないんだけど。 「言い方から察するに、りぃは綾女ちゃんみたいになりたいのか?」 「このくらい何でもできたら、人生楽しそうじゃない? あ、身長は、今のままがいいけど」 「ここまでが、様式美というやつですわね」 「何かすいやせん」 俺が謝る筋合いは無い気がしないでもない。 「りぃよ。人並より何かができるというのは、それだけ社会に還元する義務が生じるということなんだぞ。大人がいう普通が一番という言葉を、噛み締めるがいい」 「何でそんな上から目線なのよ」 たまには、こういった立ち位置を経験したいから以外の理由があるなら、俺が聞きたいくらいだ。 「ちなみに、人よりできない場合でも人並を強要するのが、社会とかいう無茶振りシステムなんだがな」 「詭弁ってことじゃん!」 言いながら、そうなんじゃないかって気になってきた。 「ってことは、才能ある奴が能力隠して凡人の振りして、普通にやってくのが一番賢い生き方なのかね」 「人生観は人それぞれですが、それを『生きている』と評したくはありませんわね」 「さすが一柳さんはいいこと言うなぁ」 あれ、りぃの奴、綾女ちゃんの信奉者になってない? 選挙的には、俺の陣営だよね、たしか。 「先輩や遊那ちゃんの様に、中の上くらいの資質があるのに腐らせそうな現状は、緩やかな社会への反逆ですよね」 岬さん、そう自然に釘を刺すのは、やっぱりおかん的資質に依るものですかね。 「あら、岬さんは参謀の割に随分と評価が低いんですのね。私の感覚で言いますと、この手のバカは常に化ける素養を持ち合わせてますのよ。福袋のようなもので、当たりばかりが詰まっているとは限りませんけども」 褒められてるようで褒められてないのか、褒められてないようで褒められてるのかが分からない。 「参謀だからこそ、甘やかしてはいけないんです。こう、ギリギリ届きそうなところに人参をぶら下げるのと同じでですね――」 おいこら、本人の前で堂々とバラすな。 「何かこう、この二人って公康のこと喋る時、楽しそうだよねー」 「言い方に、トゲがないか?」 「べっつに〜」 りぃって、たまに気分屋だよな。 「ところで、一柳さんはクラスや何か、他の活動はするの?」 「よくぞ聞いてくださいましたわ。私のクラスでは、激辛喫茶を催しますの」 「その場の勢いだけで通ったみたいな企画だな」 「あなたにだけは、言われたくありませんわね」 その件に関しましては、お母様の必殺奥義、『よそはよそ、うちはうち』を放たさせていただきたいと思います。 「いいね、それ。私、辛いもの大好きだよ」 「是非おいでくださいまし。飲み物から付け合せに至るまで、全てを辛味で統一した、新機軸の料理を振る舞わせていただきますわ」 典型的な、誰もやったことがないじゃなくて、誰もやろうとしなかったパターンだ、これ。 「岬ちゃんは、何かあるの?」 「恐怖屋敷をやります」 「お化け屋敷じゃなくて?」 「ええ、例えば日本の公債の発行額の累計とか、タバコを吸い続けることによる健康被害とか、少子高齢化が進んだ場合の介護に掛かる負担と生産力の低下なんかを図示します」 「お化けより、よっぽど怖いというツッコミはさておいて、誰だ、そんなの提案したやつ」 微妙に文化的なところが、腹立ってくるな。 「りぃは、どうだ?」 「んー。割と劇の方に集中したい部分があるからなー。あ、でも宣伝になるなら、勝てそうな大会的なものに出てもいいかも」 「だから、何故あの演技力でそれだけの自信を持てる」 俺も大根の枠を出ていないが、りぃは格が違う。どれほどかというと、顔とスタイルしか取り柄がないアイドルの棒読みが、映画史に残る名演に見えるくらいと表現すればお分かり頂けるだろうか。 「まあ、この際、それを掘り返すのはやめておこう」 そもそもが無謀極まる企画だったんだ。深くは考えず、旅の恥はかき捨て的に突っ走ろう。 「ただいまー」 お、この声は、パシられ生徒会長ではないか。 「公康〜、替えの下着とワイシャツ、ここに置いておくね〜。あと、バスタオルも持ってきたから」 「お前は、俺の母親か」 「せめて、メイドと言ってもらいたいね」 「噂とか物語では聞くけど、リアルなメイドがどんなものか、実は全然分からない」 「奇遇だね、僕もだよ。去年の学園祭で、メイド服を着たというのに、ね」 「メイド服はメイドの魂という輩もいるが、魂とは心が伴ってこそのもの。名刀を手にしただけで侍の精神を持てると思ってもらっては困るということだよ」 「仏を彫って魂を入れず――東洋の精神世界観は、中々に奥が深いよね」 「それ故に、俺らの肌に合うとも言える」 「肌に合うと言えば、西洋の産物であるエプロンを素肌に合わせるという発想は特筆すべきものだよね」 「どこが原産であろうと、よいものであれば取り入れ練磨するのは東洋のサガか、人の業か」 「まあ、裸エプロンを日本人が考えたかどうかは知らないんだけどさ」 ふぅ、短い時間とはいえ、何か久々に熱く語り合えた気がするぞ。 「はっきり言って、凄いバカですよね、この二人」 「何、その今更な話」 「私の中での男性像は、お兄様のこともあって、大体こんなものだということでまとまりましたわ」 あれ、もしかして俺、綾女ちゃんの人生観を、変な方向で決定付けてないか。 「うっし、メンバーも一通り揃ったし、もうひと頑張りしてみるか」 七月半ばのこの時期、普段なら下校時刻を過ぎている今となっても陽は落ちきっていない。朱と橙に彩られた陽光は優しいものの、これから訪れる夜の帳を連想させて、物悲しさをも覚えさせてくれた。 そんなセンチメンタルな気分も、この後、岬ちゃんに絞り上げられて、どっかに吹っ飛んだんだがな! 現在時刻、午後六時十五分、学園祭開始まで、残り十三時間四十五分。 続く
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