「お、終わった……」 期末考査最終科目である化学の答案が回収され、俺は机に突っ伏す形でそんな声を漏らした。これが、『結果はさておき日程的にテストが終わった』なのか、或いは『学生的な意味で終わった』なのかについては、想像にお任せする。 「何にしても、この開放感、素晴らしいな。人は束縛から解き放たれる一瞬の為に生きていると言っても過言ではないだろう。どうだい、舞浜君。これから一杯、飲みに行かないか――」 「缶ジュース一本を飲みに行く位の自由は、認めても良いですかね」 うわーい、思ったより早く、新たな束縛がやってきたぞー。ってか、岬ちゃん。一年のクラスからなのに、湧いてくるのがいつもはえーよ。 「うるうる……この一週間、真面目に勉強してきたんだから、今日の放課後くらいは許して」 「先輩が媚びを売っても、全く可愛く無いですよね」 ええい、自覚してることをわざわざ口に出して言うな。 「仕方無い。腹を括ってスケジュールを受け入れよう。今日の予定は何だ」 「クラスの出し物である『ラブラブ☆本音でトーク(仮称)』の準備は、プロデューサーさんに一任することでケリがついたので先輩の仕事は特にありません。『せいぜい、本番に向けてテンションを高めておきなさい』という捨て台詞が印象的でした」 「軍曹、その何ともむず痒いネーミングのせいで、士気が凄い勢いで下がりましたであります!」 と言うか、岬ちゃん、あいつを全力で言い負かしたんだな。我が参謀ながら、恐ろしい話だ。 「生徒会特別企画である討論バトル(名称未設定)も、応募者がそれなりに集まったので形になりそうです。この方々をコンピューターでも使って対戦者を割り振り掲示する訳ですが、これは何人か居れば当日には間に合うでしょう。勝者を決定する集計は、思い切って電子ボタン方式を採用しました。パネルだと、観客席からは分かりづらいですからね」 「技術的に可能なのか?」 仕組みは簡単な気もするけど、何しろ数が多い。何百人も居る客席からコードを引くとなると、楽じゃないだろう。 「それは電子工学研究会の協力を得て何とかなりました。一種の技術提携と言って良いでしょう。その対価として、同研究会の全面広告というか、開催中、至るところで宣伝をすることになりましたけどね」 「バーター取引って奴か」 こういう利が絡んだ根回しは、本当に得意そうだ。そういう意味では選挙参謀バンザーイ。 「と言っても、このシステムは他団体の『本日決定! 真のお笑い王バトル』や『あなたの心をト・キ・メ・キ美少女決定戦』等でも流用できるので、研究会にとっても割が良い話ではあるんです。ちゃんと保管しておけば来年以降も使えますしね」 「それよりも、名前が痛々しいのは芸風か何かなんですか」 一般開放して、父兄とかも来るんだが、こんな企画を晒して良いのか。 「当日飛び込み参加の処理ですが、シード枠を幾つか用意しておいて、そこに至るには、飛び込み同士で予備選を戦ってもらうという形態でいこうと思います。どれだけの人数が申し込んでくるか分かりませんけど、それは何とか適当に調整しましょう」 一般のお父さんとかも申し込んでくれると面白いんだがなぁ。そして父娘で恥ずかしい話の押収なんかになったら、盛り上がることは間違いない。 「あ、それと先輩の名前もエントリーしておきましたから」 「何、そのさりげない強制性」 出ないっていう選択肢は最初から無いとか、人としてどうなんだろう。 「こうなったら、岬ちゃんの名前も書き込んでくれる!」 ガハハ。人を呪わば穴二つ。人にやられて嫌なことは人にやってはいけませんよ! 「私は、最初から出るつもりでしたよ? 何というかストレス溜まりそうなので、相手を泣かすくらいの勢いでいびり倒そうかなと」 「目的が変わってますから」 長生きしたいなら、桜井姉妹、どちらも敵に回すべきでは無い気がしてしょうがないのですが、どうでしょう。 「まあ、企画モノは当日の状況次第で冷静に乗り切ることを主眼に置いておけば、何とかなるということにしましょう。問題はやっぱり、準備が明らかに不足している演劇ですよね」 「そもそも、胡散臭い園内テレビしか経験ないからなぁ……」 あれ、出来はチープだし、凄い冗長だけど、NGだらけで放送時間の何倍、何十倍も時間掛かってるんだぜ。一発勝負の舞台の上で、形に出来るのかがそもそも大疑問だ。 「今からでもコントに変更しないか? 永遠のアマチュアコメディアンとして、そっちならアドリブも利くんだが」 「先輩に、あの面子、全てのボケを拾う覚悟があるとは知りませんでした」 「……ゴメンナサイ。そりゃ、無理ってもんです」 こんな暑い季節に、毛穴全てが引き締まる程の悪寒を感じるとは思わなかったぜ。 「いや〜、岬ちゃんは本当に有能だよね〜」 不意に、今までクラゲか何かの様に、机でテロンとしていた千織がそんなことを口走った。 「演劇はともかく、討論会は生徒会長であるお前の仕事だろうが!」 或いは誰もが忘れ去ってる恐れがあるので、ここで蒸し返してくれるわ。 「何言ってるんだい、公康。若輩の将軍や若旦那、それに若大将だって、皆の支えがあってこそ成り立つものなんだよ」 「微妙に、間違ったものが入ってるぞ」 いっそ、青大将でも良いんじゃないかってレベルの大雑把さだ。 「何か釈然としないな」 「何が?」 「ここで俺らが努力をすればする程、手柄は千織にいくということではないか」 「いきなり、随分と器の小さい話ですね」 自慢ではないが、狭量さに掛けては超凡人レベルであると自負しているぞ。 「たしかに、千織自身は作られた生徒会長だ。その任を単独で達成できるかについては怪しいものがある。本体である茜さんが居ない今、その真価が問われていると言っても良いだろう」 「本体――うくく」 西ノ宮ー。たまたま聞こえる位置にいて、会話に参加してないからって、面白い時は素直に笑って良いんだぞー。そんな噛み殺す様に笑うと、健康に悪いし、何より余計に目立つぞー。 「まあ、結論を言えば、だ。俺達は仮にも執行部の面々として、舞浜生徒会長様を面白おかしく弄る――鍛え上げる義務があるのではなかろうかと」 「御約束の本音漏らしはさておきましょう。と言うか、後、三日も無いので、こんなことしてる場合じゃ――」 「よぉし、千織ー、体育館行くぞ、体育館」 目の前の現実から逃げる行為というのは、何ゆえにここまで甘美なのか。永遠の命題に心を痛めつつ、俺はすたこらさっさと教室を後にするのであった。 「よぉし、とりあえずはスクワット百回だ」 「一回も出来ないよ?」 どのレベルで体力が無いんだよ。体育の授業で命が危ないんじゃないのか。 「もしや腕立てや腹筋も出来ないと言うのではあるまいな」 肥満児や虚弱小学生じゃあるまいしとも思うのだが、千織なら、或いは千織ならありそうで困る。 「バカにしないでよ。腕立てだけは得意なんだ」 「筋トレはあくまで筋力増強が目的で、それだけが得意になるのもどうなのかと思うんだが」 「まあ、それはそれとして」 千織如きに捨て置かれた。何か悔しい。 「うーんしょ……と」 「それは出来る内に入ってるのか」 普通、腕立て伏せというと、二、三秒に一回、肘を九十度以上に曲げ、顎を地面に付ける程に伏せった後、腕を伸ばしきるものだと思っていた。しかし千織ルールでは、申し訳程度に曲げた肘と、大仰なまでに落とされた腰で誤魔化したものでもオーケーらしい。何か、友人として割と本気で悲しくなってきたぞ。 「次は腹筋だね」 「先んじて言っておくが、反動を使って、腹以外の筋肉を使うのは腹筋運動とは呼ばないからな」 「え――?」 やはりそういうことか。こやつ、体力が無いのであれば無いなりに、この類のスキルで体育の授業を乗り切ってきたらしい。世の中、こういう処世術を持った奴が出世すると言うが、まさか学園生活でも目の当たりに出来るとは思わなかったぜ。 「無性に腹が立つ」 「僕、何かした?」 無自覚なのか、計算なのか。どちらにしても神経を逆撫でさせられたのは間違いないので、軽く発散はしておこう。 「とりあえず、俺が良いと言うまで体育館内をひたすらに走り回るが良い。部活してる奴に迷惑掛けるなよ」 隅っことはいえ、チョロチョロしてるだけで充分に迷惑であろうという声は聞こえない。 「ら、ランニングは一番苦手なのに……」 真面目な話、千織の走行ペースは歩くのと大差無いジョギング程度で、しかも両足が同時に離れることはほぼ無いから、厳密に言えばウォーキングに過ぎない。 「男二人で、何をしておりますの?」 聞き慣れたソプラノの声にちょっとばかり反応しつつ、最も適切と思われる言葉を選んで返答した。 「千織弄り」 当然なことながら、性的な意味合いは無い。 「思春期只中の男子でしたら、致し方の無いことかも知れませんわね」 そして、このちびっこいお嬢様は、一体、何を言っておられるのでしょうか。 「それで、綾女ちゃん。やっぱこれから劇の練習ってこと?」 「時間がありませんもの。あなたも、現実逃避は程々になさいまし。学業の優劣だけが、人格の全てではありませんことよ」 「失敗したことを前提にした物言いはおやめになって下さい」 くそぅ。テストの可否くらいで見下しおってからに。単に俺の被害妄想なだけって気もするけど、深く考えてはいけない。 「き、公康……宇宙って、何でこんなに冷たいの……?」 「そしてお前は一周で限界かよ!」 本当、ここまでの人生、どうやって生き抜いてきたのか、そこからして怪しくなってきた。 「オラァ! そんな所でヘタれてる場合じゃない。時間も無いし、とっとと練習するぞ、ボケェ」 「あぁん、公康、もっと優しくぅ」 「この方達を、園法で取り締まることは出来ませんの」 残念ながら、建前上、法の最終認可は千織の仕事な訳で、自ら不利になるようなものを通す訳が無い。 「バカは死ななければ治らないと言うだろう?」 「何の話ですの」 「余り知られてはいないんだが、バカは不治の病であるばかりでなく、年々進行していくんだ」 「頭がクラクラしてきましたわ」 「あぁ、この真実は俺にとっても余りに衝撃的だった」 しかしありのままを受け入れることが人生に於いては大事なことではないかね。 「先輩達って、本当に自由ですよね。枠が無いと言いますか」 とここで、俺達に追い付く形で湧いて出た岬ちゃんが、呆れた声色で言葉を漏らした。 「要約すると、大化けする可能性を秘めているということだな」 「堕ちる時は、止め処無く堕ちるということでもありますわよ」 ふっ、それも男の生き様。ドドンと掛かってこいというものだぜ。 「うおぉぉりゃぁ! 気合が入ってきたぜ!」 我ながら、スイッチが何処にあるのかさっぱりだけど、何となくやる気が湧いてきた。残り数日、一気に駆け抜けてみますかね。 だけどまあ、後ちょっとだけ千織弄りは続けることにしようっと。 ――学園祭開催まで、残り三日。 岬:私達って、序盤から居る一年生二人なのに、 意外と絡みがありませんよね。 綾:絡みとは、随分と大胆な表現ですわね。 岬:一柳さんも、先輩に染められつつありません? 綾:染めるというのも、際どいですわよ。 岬:――わざとですね? 綾:こういった会話も又、楽しいものですわ。 岬:という訳で次回、『不埒な奴らの祭り事 十三』です。 綾:不吉な数だとしても、何も起こらないと思われますわよ。
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