カリカリカリ。 「……」 カリカリカリ。 何と言うか、図書館で勉強すると、声もあんま出せないし、面白味に欠けるよな。いや、効率が良いんだから問題は無いんだが、色々と釈然としない。 「なー、綾女ちゃん」 「なんですの?」 いきなりだが、本日、日曜日の御目付け役は綾女ちゃんだ。この際、幸いなことにと言ってしまうが、岬ちゃんは茜さん達の仕事に駆り出されたので、今日の俺は自由だ。嗚呼、何という甘美な響き。フリーダムバンザーイ。 「顔付きが、アホの子になっておられますわよ」 「それはもう、俺の個性だからしょうがない」 「使いどころを、確実に間違っておりますわ」 この言葉って、応用性高いから便利だよね。 「ん?」 不意に、違和を感じた。 「そんな髪留め、してたっけ?」 綾女ちゃんはストレートのボブヘアーだから、必要が無いと言えば無いものなんだけど、アクセントとして鎮座していた。だけど、俺の記憶を漁る限り、見たことが無い。日曜だから、ちょっとめかし込んだんだろうか。ここは学校の図書館だから、俺達、制服着てる訳だけど。 「数日前、何を思ったか、お兄様が誕生日祝いに送ってくれましたのよ。あの様な兄でも、誠意は嬉しいものですわ」 「へー……」 あれ? 軽く流したけど、何か聞き過ごしてはいけない台詞が無かったか? 「えぇー!?」 「図書館で叫ばないで下さいまし」 いやいやいや。そんな些細なことは、この際どうでもいい。 「最近、誕生日だったのかよ!?」 「七月五日ですわ。クローン羊のドリーが生まれた日ですわね」 何というマニアックな知識。一生の内で、使う機会がねぇ。 「と、ところで、綾女ちゃんって、飛び級なんてしてないよな」 「そんな特例を受けなければならない程、生き急いでいませんわ」 「つまり、つまり、十六歳になったってことになる」 「あなたは、足し算が出来ない程、脳が膿んでおられますの」 衝撃の本質は、そこには無いんですけど。ってか、恐ろしいまでに酷い言われ様だ。 「あ、綾女ちゃんが同い年とか、アイデンティティが、アイデンティティが崩壊する」 「最近憶えた言葉を使いたがる、小中学生みたいな真似はやめて下さいまし」 「そんな淡々としてて、ツッコミ疲れしない?」 「どなたのせいですの」 甘いぞ、綾女ちゃん。俺はツッコミを気遣ってブレーキを掛ける程、弱気なボケをする温い根性は持ち合わせていないんだ! 「どーすんだよ、俺のモットーとして、同い年は呼び捨て、年下は女の子ならちゃん付け、男なら君付けか呼び捨て、年上は男女問わずさん付けという、親愛の情ルールがあってだな――いきなり『綾女』とか呼び出したら、違和感が凄いんだが。ってか、付き合いだしたみたいじゃないか」 「知ったことではありませんわよ」 一瞬で切り捨てられたけど、僕、めげない。 「ちなみに、りぃに関しては、脳内漢字変換の都合上、平仮名で『り』と小さい『ぃ』で発音している」 「もっと知ったことではありませんわ」 うん、俺もちょっとそう思うよ。 「しかし十六歳だぜ。原付や普通二輪の免許取れるじゃない」 「運動部に入っていないのですから、健康の為には極力歩くべきですわよ」 うわ、爺むさいけど確実に正論。千織君に聞かせてやりたい。 「たしかに、綾女ちゃんに合うバイクは、相当、選択肢が狭まりそうだ。自転車とか、小児用で間に合ったり――」 「何でその妄想力を、勉学一点に集中出来ませんの」 その件に関しては、母親に始まり、小中学校の担任を経て、岬ちゃんに至るまで、色々な奴に言われている。結論は一切、出てないけど、まあ、これも個性ということで。 「しかし、その気になれば、結婚出来るってことだしなぁ」 未だに、綾女ちゃん同い年ショックが抜けきらなかった。俺の記憶に間違いが無ければ、男の結婚最低年齢は十八で、女が十六だったはずだ。まあ、この理屈で言うと遊那や茜さんも可能な訳だが、あの二人だけは出荷してはいけないと思えてしょうがない。 「そうなりますわね。尤も、相手が居ませんわ」 「仮にも大政治家の孫なんだから、生まれた瞬間には許婚が決まってるとか御約束の展開が――」 「どんな偏見を持って生きておりますの」 斜め上からの視点は、ある意味に於いて人生最大のスパイスだとは思わんかね。 「と言うか、生まれが数ヶ月しか違わなかったことが、俺の中では衝撃的すぎたのだ」 相当に驚いていますから、必要以上の説明口調も必然というものです。 「学年での区分けが、ここまではっきりしているこの国ならではのことですわ。四月の一日と二日の差で、先輩と後輩に分かれてしまいますもの」 たしかに、体育会系なら、それで上下関係成立だものなぁ。同時に、似た様な成長をしても、二日生まれは一年早く社会に放り出される訳だから、不公平と言えば不公平な気がしないでもない。 「ちなみにあなたは、いつの生まれですの」 「さ、三月十三日」 今でこそそうでも無いけど、幼少の頃は、この数ヶ月から一年近い差が結構なハンデだったんだぜ。 「旧暦で、古事記が元明天皇に献上された日ですわね」 そして、何でそんなマニアックな知識がありやがりますかね。しかも、一瞬で旧暦換算とか、どういう頭をしてますのや。 「いやぁ、普通は、ホワイトデーの前日って答えるのが、年頃の女の子の発想でしょうが」 「生憎、我が家は一応、仏教を信仰しておりますの」 いえいえ。聖バレンタインの処刑と、日本のバレンタインデーは、もう、名前以外、何の繋がりもありませんから。 「しかしホワイトデーってのが面白くないよな。バレンタインデー前後なら、『こ、これはあくまで誕生日のついでなんだから!』ってことで、自然に貰えただろうに」 「やはり、あなたの脳構造は、一度、生理学者に見て貰うべきですわね」 あれ? 俺、褒められた? 「だけど、若干の違和感が」 「どうしましたの?」 「花のアヤメが一番咲くのって、五月末くらいじゃなかったっけ? ってことは全く関係無し?」 七月頭生まれだと外れて……いやいや、もしや旧暦を当て嵌めればピッタリ――。 「予定日が、アヤメが見頃の時期だったからだそうですわ。綾女というのは当て字ですわよ」 「左様で御座いますか。結構、粘ったんですね」 考えてみれば、今の五月末は、旧暦では、四月頭くらいだ。どうにも俺は、この手の換算が苦手でしょうがない。 「それにしても、明日から定期考査だねぇ」 「何の為に勉強をしておりますの」 「うむ、その通りだ。たまに確認せねば、忘れてしまいそうでな」 「あなたの海馬は、トコロテンか何かで出来てますの?」 「一つを憶えれば、一つを忘れる。だからこそ、人は生きていけると思わぬかね」 「この場合、その貯蔵量が極端に少ない気がしてなりませんわ」 たしかに、三つ以上のことは同時に考えられないし、五つくらい記憶を溜め込むと古い方から消えていく気がしてならない。お、俺の脳は、フロッピー並だとでも言うのか。 「生きていく為に必要な物は意外と多くない……つまりは、そういうことさ」 「何ゆえに、涙目ですの」 「これは、心の体液だ」 「涙も、体液の一部ですわよ」 あれ? そう言えばそういうことになるのかな? 「いや、そーじゃなくて。今回も勉強しないで良いのかと。それ、演劇脚本の直しだろ?」 「皆さんが試験勉強をしている時にしか、出来ない作業ですわよ」 それは、一理あるけどさぁ。 「西ノ宮みたいに、学年一位目指したりしないのか?」 「順位を幾つか上げる為に血眼になるくらいでしたら、他にやることが幾らでもありますわ。あの方の様に官僚を目指すというのでしたらまだしも、私の場合、それなりの大学で充分ですことよ」 俺の勝手な推察だが、この場合の『それなり』は一般の感覚とは掛け離れていると思う。恐らく、私立のツートップクラスか、五指に入る国立大レベルだろう。赤くなければ大学じゃない西ノ宮よりは低い目標だろうけど、俺から見れば、どっちも軽く雲の上だ。 「ちなみに中間考査は、七位でしたわ」 「軽く自慢してんのか、そりゃ」 ケーッ、茜さんといい、綾女ちゃんといい、そこそこの努力で結果を残しやがって。ツブツブジュースを振っても、混ざらない呪いでも掛かってしまえ。 「しっかし、良いよなぁ」 「何がですの?」 「何をやっても、結果が残せるってのはさ。俺なんか典型的凡人だから、すげー憧れる」 「生憎、この身体では運動全般はハンデを背負ってますわよ」 「大丈夫。ジョッキーや体操は小柄が有利だ」 話の本質は、そこに無かった気がしないでもないけど、まあ良いや。 「情報処理能力に優れて、弁が立って、人を惹き付ける魅力があれば、大抵の業界ではそれなり以上になれるだろ。まあ、目付きが悪いのはちょっと減点要素だけど」 「持ち上げるか、粗を探すのかどっちかにして下さいまし」 どんなに能力があろうと、意に沿わなければ強引に弱点を探すマスコミさんの真似をしてみただけじゃないか。 「そういう人間だからこそ、政治の道を進む資格があるんだろうなぁと、ちょっと思う今日この頃な訳よ」 頭が悪くは無いけど良くもない。身体能力も極めて普通。強いて長所を挙げれば、延々と取り留めの無いことを喋り続けられることくらいの俺から見れば、羨ましい限りなのさ。 「あなたは、何も分かっていませんわ」 不意に、綾女ちゃんが小さく呟いた。 「やりたいことが多く、何でも出来るからこそ、政治の道を志すことに躊躇いが生じるのですわよ」 「そういうものか?」 「そういうものですわ。大体、何事も思う様にはいきませんわよ。私、五期連続で生徒会長をするつもりでしたもの」 な、何という尊大さ。というか、再選の連続記録ってどんなもんなんだ。爆笑――もとい、悲運の連続記録なら、矢上先輩が一番なんだろうけどさ。 「でさ、次はどうすんだ」 「次、ですの?」 「そ、十一月期選挙。学園祭が終われば夏休みで、特に出来ることも無いし、そう考えると準備期間は九月と十月の二ヶ月ってことになる。そろそろ動き出した方が有利だろうなって」 と、岬ちゃんに言われた訳だ。曰く、『決断は早ければ早い方が良い』らしい。俺の方の最終結論は二学期初日って猶予を貰ったから、まだまだ悩むけどさ。 「まだ……分かりませんわ」 「五期連続とか言ったのに?」 「それは勝った場合の話ですもの」 ふと、一つの疑問が脳内に浮かんだ。 「もしかして綾女ちゃん……中学まで、全力で何かをして負けたことが無かった?」 「――!」 図星かよ。 「そ、そんなことはありませんわよ。持久走では、大概、そこそこの成績しか残せませんでしたわ」 「あんなん、陸上部かサッカー部の為の戦いだろ……」 年がら年中走り込んでる奴らと戦うなんて、行政問題について高級官僚と議論するみたいなもんだぜ。 「はは〜ん」 「な、何をニヤついておりますの」 「いや、一度の敗戦をここまで引き摺る綾女ちゃんが、愛しく思えたところだ」 「お、仰っておられることが分かりませんわね」 耳まで真っ赤にして、そっぽを向く綾女ちゃん。うぃうぃ、御主、ほんに愛い奴よのぉ。 あ、それと、十六歳の誕生日、おめでとな。 ――学園祭開催まで、残り六日。 舞:しょぼーり……。 海:らぴおーり……。 莉:ど、どうしたの? 何か元気無いみたいだけど。 舞:だって、一人足りないし。 海:大事なものが欠けてる感じ? 莉:でも、先週のこのコーナーでは、結ちゃん、一人で元気じゃなかった? 舞:一人だと、逆に大丈夫なんだよね。 海:だけど、二人だと何か凄い中途半端感があるのよ。 舞:これを私達は、奇数理論って呼んでるんだ。 莉:へー、そういうものなの? 海:ま、嘘なんだけどね。 莉:えー!? 舞:という訳で次回、『不埒な奴らの祭り事 十一』だよ。 海:言ってみるだけなら、只だよね〜。 莉:な、何かこの子達、凄い疲れるなぁ……
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