「ほら、たまに聞くじゃないか。通勤中のサラリーマンが、いつもと逆方向の電車に同じ時間乗ったら、何処に着くのかって。俺なんか学園まで二駅だから大したこと無いけど、一時間以上掛けてる方々は相当なところまで行けるらしいな。海が見れたり、山奥に迷い込んだり、県を跨いでみたり。もちろん、無断欠勤ないしは遅刻で大目玉食らうんだけどさ、通勤というものの業の深さを感じさせる、重々しい話だとは思わないかね」 「先輩って、テストが近付けば近付く程、口が良く回る様になりますよね」 「こいつの場合、脳で使うべき栄養を、舌で消化してるとしか思えん」 ちょっと待て、遊那。するってぇと、何かい。俺の舌は頭脳様の命令無しで動く新種のクリーチャーか何かですかい。それはそれで何だか実用性を感じるので、良いかもなぁ。 「そんなことはどうでも良いんです。今回も先輩の為に監査役を仰せつかったんですから、最低限の成績は残して貰います」 「ほぅ。で、何で私もここに居るんだ?」 「余りに無残な中間考査での結果を受けて、遊那ちゃんのお母さんに頼まれたんだよ」 「ちっ……余計な真似を……!」 諦めろ。岬ちゃんは一見すると茜さんより組し易いが、こういうスケジュール管理を実行させることに関しては相当の才覚を持ち合わせてる。俺やお前程度では太刀打ち出来ないぞ、と。 「土日挟んで、あと三日だもんな。流石に足掻かないとダメか」 日程的には、週末休み明けの月・火・水が期末考査となっている。そして、木・金はテスト考察など、形骸的な授業で、実質的には学園祭の準備期間だ。今は金曜の放課後だから、ここから月曜の朝までどれ程に詰め込めるか、そこが勝負の分かれ目だ。 「それで、どういった理屈で私まで付き合わされているんですか」 対面に座る西ノ宮が、嘆息を漏らしかねない勢いで問い掛けてきた。 「もちろん、二人の自尊心を守る為です。如何に御二人が下三分の一から抜け出せない下位学生と言っても、一年生の私に勉強を教えられる様では立つ瀬というものがありません。ええ、お菓子に使われるオブラートより薄っぺらいプライドですけど、守らせてあげたくなるじゃないですか」 「それを、俺達の目の前で言うな!」 こ、このサディスティックシスターズめ、二人揃って俺をオモチャにしやがって。だけど、言葉とは裏腹に、ちょっと嬉しいと思ってる部分があるのは内緒だ。 「利用できるものは何でも利用する選挙参謀の性は、参考にすべきかも分かりませんね。何にしましても、お引き受けしましょう。たまには他の方の勉強を見るのも良い経験になるかも知れません。それにあなた方に貸しを作るというのも、悪いことでは無いでしょうから」 「あれ? 西ノ宮って二度も学年一位になったくらいだから、引っ張り凧じゃないのか?」 「先輩、先輩。この前の中間考査で一位になりましたから、正しくは三度です」 にゃんだと。御主、選挙もあったというのに、何でそんな真似が出来る。つうか、一位取れるくらい勉強してた奴に、選挙順位で負けた俺ってどうよ。 「最近は、余り頼まれなくなりましたね。一年の頃はそれなりにあったんですけど、ここのところはサッパリです」 それは多分、自分のレベルでしか解説してないからだと思う。名選手、必ずしも名監督に非ずの格言通り、勉強が出来ることと教師としての資質は、大して関係ないんだろうなぁ。 「これは、政治の世界にも通じる問題だとは思わんかね。有能な人材が、政界の中枢に入れるとは限らんという、無言の上に成り立つ雄弁なメッセージ――」 「そういう屁理屈を捏ねる前に、三権分立を唱えた人でも憶えることを優先させて下さいね」 やっぱり、今の学校教育は間違ってる気がするなぁ。大事なのは、誰がいつ言ったかじゃなく、理念と時代背景だろうに。ここは、教育改革を目標に掲げる西ノ宮をひっそり応援させて貰おう。本当、邪魔になると悪いから、物影からこっそり覗く位で。 「何を気持ち悪い目で見ているんですか」 わーい、俺の純情な感情を、にべもなく一刀両断されたぞー。 「何にしても、自前の頭を使って考えることを忘れないで下さい。何が分からないのかさえ分からない状態で私に聞いてくるのであれば、容赦はしませんよ」 み、岬ちゃん。これは人選を誤っていませんかね。たしかに一年生の岬ちゃんが俺達の試験範囲までフォローするのは無理があるけど、他にもうちょっと良い方は居なかったんですかね。 「今回は、私も本気を出してみようと思っています。順位で一柳さんの上に行けば、精神的な面で風上に立てるかも知れませんし」 一方で、一年生は一年生で紛争が勃発する空気だ。うん、俺は俺で遊那と低レベルな争いを繰り広げることにするよ。それが健康に何より良さそうだ。 「短歌を見る度に思うんだけどな。百人一首ってあるじゃないか? あれってキッチリ百になってるけど、百一番目の歌人の切なさはどれ程のものだったのかなぁ、と。或いは実は九十五くらいが限界で、数合わせの為に無理矢理何人か引っ張ってきたのだとすると、それはそれで切ない――」 「そんなことはどうでも良いですから、手と目と頭を動かして下さい」 わーい、岬ちゃん。ちょっと目が本気モードだぞぉ。 「しかし、試験勉強中に於ける現実逃避の楽しさは尋常ではないな。これは確実に、小論文くらいなら書けると思うんだ」 「シャープペンで手の甲を刺されるのと、肘のビリッて来る部分をゴリゴリし続けるの、どっちをお望みですか?」 ぼ、暴力はいかん、暴力は。日本国では、殴られるその一瞬まではどんなに脅されても手を出してはいけないと憲法に明記されてるんだぞ。 「微分積分など、人生に於いて、一体、何の役に立つと言うんだ。私達は、もっと有意義なことに時間を割くべきでは無いのかね」 一方、エセ反体制派の遊那は、御約束の現実逃避を繰り広げていた。 「速度と移動距離の関係を、数学的に求めるのに役立ちます。新幹線など、最高速は三百キロ近くになりますが、あくまでそれは加速しきった状態での数字です。目的地に到達するまでの時間を求める際に必要な学問で、他の追随を許さない日本の正確なダイヤは、この二つ無くして成り立たないと言って良いでしょう」 「……」 そして、論理的に説明されてる遊那さんに乾杯。考えてみれば、官僚志望の西ノ宮と、落ち零れ界のリーサルウェポンである遊那が同じ席に座ってるって、絵的に凄いよな。 「植物は、光と水と二酸化炭素を元に炭水化物と酸素を生み出す。このことを光合成と呼ぶ……か。納得いかん。この名前だと、光を合成してるみたいじゃないか。植物が苦労して生み出した炭水化物の立場を考えてやれ」 「七原、それについては、炭酸同化作用という名前が過去にはあったらしい。だが何故だか光合成という名称が定着した……何者かの陰謀があったと考えるのが妥当な線だろうな」 「お二人共、それ位にしないと、私の前に桜井さんの雷が落ちますよ」 「怒りボルテージなるものが視覚化出来るとしたら、かなり前に振り切れてる自信がありますね」 い、いやぁ、何て言うか、ビバ雑談? 中身の無い会話を延々と繰り広げるのって、こう、かなり快感だよね? 「ここから、先輩と遊那ちゃんは一切の会話を禁止します。私達に話し掛けるのも、勉強に関係無いことでしたら、後で罰を受けて貰います」 「先生、御手洗い等、生理的必然現象に付きましては――」 「――!」 「スイマセン、こんな小学生みたいな発言、もうしません」 今、マジ睨みされた。本気で怖い。心底怖い。 「だけど、茜さんに西ノ宮、綾女ちゃんと岬ちゃん辺りが見下す写真を揃えれば、それはそれで需要があるような――」 「独白も禁止です。と言うか、どうしてそう集中力が無いんですか。脳レベルで脇道に逸れる様に構築されてるんですか」 「ダーウィンの進化論という奴を知っているだろう。環境に適応出来なかった個体が淘汰され、結果として順応した奴のみ生き残るというアレだ。恐らく俺の家系も、紐解いてみれば、『アホなことを考えなければ死んでしまう』状況に在り続けたんだろうと確信している」 嗚呼、御先祖様。お陰様で公康は、日々平穏、無事に毎日を過ごせております。現状のところ、受け継いだ才覚を発揮する機会はありませんが、不慮の事態に備え、日々、磨いていくことを忘れずにいようと思います。 「岬さん――そのビニールテープで、一体、何の奇術を見せてくれるんですか?」 「とりあえず、猿ぐつわを噛まして、左腕は椅子に括り付けようかなと。右腕と頭だけ動けば上等ですよね」 無機質な表情って、ある意味、睨み付けられるより威圧感があるんですね、勉強になりました。 「今回は、何でそう落ち着きが無いんですか! 中間考査の時は言うこと聞いてたじゃないですか!」 「え、えーと、前は何とかなったし、今回はちょっとくらい抜いても、慣れてる分、大丈夫かなぁって……」 「それは、典型的転落人生を送る人の発想です」 客観的に見て、俺自身もそう思わないことも無い。 「あの、痴話喧嘩を続けるんでしたら、私は場所を変えますが宜しいですか?」 「誰が夫婦やねん」 「誰が夫婦なんですか」 「とりあえず、お前らの息がピッタリなことは把握した」 遊那の奴に言われると、何故だか底抜けに悔しい。 「何と言いますか……人間行動学的に考えると楽しい環境ですよね」 「西ノ宮、無理に褒めなくて良いぞ」 そもそも、今のは褒めている内に入るのか、果てしなく謎である。 「あったま来ました! こうなったら、何が何でも次のテストで、先輩を学年百番台まで押し上げてみせます!」 「――ん?」 何か、妙な論理展開が無かっただろうか。 「えっと、怒ったんなら、俺の補佐から降りるというのが普通じゃ――ってか、前回そこそこだったけど、所詮は二百番台のケツの方だった訳で」 一学年六百人のこの学園で、百番台って上位層だぞ。プチ優等生レベルと言っても過言じゃない。実際、千織やりぃを優等生と呼んでるのは、そのクラスであることを根拠にしている訳で。 「お姉ちゃんみたいに五指の常連とまではいきませんが、私だって五十位程度なら滑り込めるんです。先輩にも、それなりに結果を残して貰います。それに、補佐を降りるどうこう言ってましたが、参謀なんてワガママばかり言う候補者をコントロールするのも仕事の内ですから。この程度でしたら、むしろ気合が入るってものです」 恐るべし、参謀の血脈。本来のサディスティックな気質が、チャレンジャースピリッツで上塗りされているとは。これは抗い難いかも分からんな。 「という訳で、土日は先輩の家で勉強会です。遊那ちゃんと西ノ宮先輩も強制参加です。拒否権はありません!」 「いえ、何故、私まで――」 「何か問題でも?」 「――そうですね。たまには、こういうイレギュラーバウンドも、楽しいかも知れませんね」 うわ、あの西ノ宮が一瞬、視線を逸らしたぞ。岬ちゃん、やたらめったにつえー。 かくして、予定調和の如く、俺の家での勉強会が決定した。うぅ……平均割らなきゃ大満足な俺なのに、何でこんなことに……。 ところで、学園祭準備はどうなった? ――学園祭開催まで、残り八日。 綾:定期考査くらいであたふたする方の気持ちがサッパリ理解出来ませんわ。 遊:貴様、今、全国二千万人の低学力児を敵に回したぞ。 仮にも政治の道を志す者として、今の失言は致命傷だろう。 綾:その様なこと、日頃の努力が足りないだけじゃありませんこと。 八つ当たりは見苦しいですわよ。 遊:くっ……心が傷付いた! 今日は不貞寝してやる! 綾:こうやって、差はドンドンと開いていくという御話でしたわ。 遊:という訳で、次回、『不埒な奴らの祭り事 九』だ 綾:貴女が私に学年順位で勝てましたら、どんな命令でも聞いて差し上げてよ。 遊:この上から目線、茜に通じる物がある……!
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