「ねぇ、公康君。アルバイトしない?」 「は?」 とある日の昼休み。俺は岬ちゃんが組んだスケジュール通り勉学に勤しんでいると、姉が湧いて、こんなことをのたまった。 「見ての通り、俺、忙しいんですけど」 誰かさんが色々と押し付けたせいだと、言外に含めておく。 「そんなに時間は取らせないよ。放課後、三十分から一時間付き合ってくれれば、図書券にお弁当を付けちゃうから」 「それ、バイトですか?」 ボランティアにしては厚遇だけど、現金が介入しない時点でバイトでは無い様な――。 「ま、肉体労働じゃないなら良いですよ」 岬ちゃんが組む日程表は、ちょっと人間離れした奴を対象にしていると言うか、ゆとりが足りない。姉貴の申し出なら断りきれないだろうし、息抜きにちょうど良い。後がキツくなるとか、そういう可能性については深く考えないでおこう。 「それじゃ、放課後、駅前でね。そうそう。大事なことなんだけど、出来るだけたくさんの友達連れてきてね」 「ん?」 何だか、嫌な予感がした。 「まさかとは思いますけど、素敵な浄水器を販売するバイトじゃないですよね?」 「公康君って、本当、面白いこと言うよね」 「そう言う割に、目が一切、笑ってない茜さんが恐ろしいんですが」 何はともあれ、少し早まったかななどと思いつつ、茜さんの申し出を受ける俺なのであった。 「さて、俺は一体、何をしているんだろうか」 自分で言っておいて何だけど、随分と哲学的な問いだと思う。 「七原ー。てめぇ、茜さんと御近づきになれるって言うから来てやったんだぞ。いつまで待たせんだ」 一応言っておくが、俺は茜さんの依頼と言っただけだ。そんな危険な約束をする程、無責任じゃない。 「正直、茜の依頼というのが気になって仕方無いのだが」 隣に佇む遊那が、腕組みなんぞで気取りつつ、そんなことを口走った。 「昼飯代を使い込んで、空腹に耐えかねたのは何処のどちらさんでしたかね」 「あぁ……後悔している。こんなことなら、お前にたかっておけば良かった」 「そっちかよ」 遊那は、いつまで経っても遊那だった。 「皆、お待たせ〜」 満を持してと言うか、雇い主様がおっとりとした感じで登場した。尚、岬ちゃんにもこの話はしたのだが、何故だか随分と素直に送り出してくれた。唯、一緒には来てくれなかった。『私が居ると、不都合なこともありますから。頑張って、勉強してきて下さいね』とか言ってたんだが、何のことやら。 「ひぃふぅみぃ――うん、七人か。このくらいなら充分かな」 「はぁ。とりあえず、世間様に出しても恥なだけですが、逆にどうとでも使い潰せる面子で構成してみました」 「てめぇ、言いたい放題言ってんじゃねーぞ」 「ダメだよ。今はまだ良いけど、作業に入ったらもうちょっと品良くしてね」 「は、はい……」 何故、千織といい、男達は茜さんの前で借りてきた猫の様になるのか。様々な学説が発表されているが、最も有力視されているのは食物連鎖理論だ。つまり、蛇に睨まれた蛙と言うか、獅子に追い詰められたインパラと言うか。俺達人類なのに、完全に蟷螂状態だな、こりゃ。 「それじゃ、皆、れっつご〜」 「お、おぉー」 何だか良く分からない号令と共に、俺達はゾロゾロと茜さんに付いていくのだった。 「それじゃ、ここから私達、他人だから。公康君、あと宜しく」 「ちょっと待って下さい、茜さん」 色々と、過程をすっ飛ばしすぎです。 「何をすれば良いのか、聞いてませんけど」 「特に何もしなくて良いよ」 「……」 ん? 「いやいや。こんな人通りが少ない裏道で放置されても、困る以外の何者でも無いんですが」 「ここはそうかも知れないけど、ちょっと歩くとホームセンターがあるよ」 いつものことだが、会話が微妙に成立してないと思うんだ。 「そこに、私が支援する市議候補が演説に来るのよ」 チックチックチック……チーン。 「サクラをやれと?」 俺のハイスペックブレインは、結論を瞬時に導き出した。 「バイトを受けた時に気付いたと思ってたけど」 「生憎、俺は何処までもしがないパンピーなもので」 この人は、俺に一体、何の期待をしてるんだろうか。 「ま、分かりました。おい、てめーら。とっとと行くぞ」 「んだと、七原。おめーに指図されるいわれはねーぞ」 「生憎だが、茜さんは俺、七原公康に対して宜しくと言った。即ち、俺の言葉は茜さんの言葉なのだ。逆らうと言うのなら帰りたまえ」 正直、全員に帰られると、困ると言えば困る。だけどまあ、こいつら、腹を満たしたいとか、茜さんに好かれたいとかいう目的がある訳で、簡単には引き下がらないだろう。案の定、愚痴愚痴と不平不満を漏らしつつも、彼らは俺の後を歩いてきた。 「ここら辺……かな」 学生選挙とはいえ、その道の経験者だ。人が多く集まることが出来、同時に、屯してもさして迷惑にならない場所の見極めくらいは出来る。ホームセンターで言うと、さして混み合ってない駐車場辺りだ。平日ということもあって、人々が集まっても余りあるスペースがそこにはあった。 「佐藤七衛門、佐藤七衛門をどうぞ宜しくお願い致します」 案の定、ものの三分もしない内に、けたたましい音を立てて車が入ってきた。まあ、時期が時期だけに、何の関係も無い人の可能性もゼロではないけど、それは名前を伝えなかった茜さんのミスだ。俺の知ったこっちゃない。 「高いところから、失礼致します。えー、この度、民敬党の推薦を受け、立候補させて頂きました佐藤七衛門です。会社経営をしております私が立ち上がったのは、何よりも皆さんの生活を案じてのことであり――」 群集心理というのは、至極単純だ。人は、人の集まる場所に興味を示す。俺達は僅か七人であるが、それが数人を呼び、膨れ上がった人波が更に人を集める。そこに、下手な相槌や賞賛の声は要らない。無限連鎖商法や宗教の勧誘ならいざ知らず、これは民主主義による選挙戦だ。集めた人の心に響かせるか否かは、候補者の舌先に掛かっている。特定の支持政党を持たない浮動票が過半数に達しようかというこの現代社会、巡り巡って、民主主義は本来の姿に立ち返ろうとしているのかも知れない。 「よっ、大統領。あんたこそ、この市を救うに相応しい人物だ」 「……」 まあ、所詮は俺の友達な訳で。レベルの低いサクラを演じてしまうのは、しょうがないことなのかも知れない。 「どうもありがとう。君達が成人になる次の選挙では、どうぞこの佐藤七衛門のことを憶えておいてやって下さい」 ここで、佐藤候補が観衆をドッと沸かせる。ほぅ。只の禿げあがった中年オヤジかと思ってたけど、結構、頭の回転が速いな。茜さんの仕込みに依るものか、地力なのか。いずれにしても、五十人近くとなった聴衆の受けは悪くなさそうだ。 「七原――」 ふと、隣に居た遊那が、神妙な顔をして耳打ちした。 「腹が、減った」 「知るか」 この状況で言い切るとは、小学生か、貴様。 「ん?」 振動着信にしておいた携帯に気付き、こっそりと覗き見る。おっと、茜さんからメールか。何々、『引き上げて良いよ〜。さっきの裏通りで待ってるから』か。俺は遊那を含めた六人に画面をチラ見させると、こっそり、その場を離れるのだった。 「お疲れ様〜」 茜さんが出迎えた先には、十人程が乗れそうなマイクロバスが待機していた。窓の殆どがカーテンで隠されているのは素性を隠す為か。何にせよ、俺達は促されるまま、それに乗り込んだ。 「はい、それじゃこれ、約束のもの」 言って差し出したのは茶封筒が一つと、次いで弁当の山だ。いや、車内で纏めて渡されると、身動きが取れないのですけど。 「あー、僕、弁当は良いです。茜さんに会いたかっただけですから」 「ならば、私が頂く」 遊那、お前、養豚場の豚じゃあるまいし、そんながっつくな。晩飯が入らなくなっても知らんぞ。 「ところで茜さん、根源的な質問なんですけど」 「うん?」 「これって、公選法に引っ掛からないんですか?」 いや、俺達をボランティアとするにしても、弁当出すのさえアウトって聞いたことがある様な。詳しくは無いんだけどさ。 「ものすごーく厳密な話をすれば、違反だよ」 「認めるのかよ!」 この人の腹黒さは、既に俺の常識の範疇に無い。 「だけど、高校生は選挙権無いし、最初に言ったでしょ。他人ってことにするって」 あー、成程、そういう話だったのか。 「あと、余り知られてないんだけど、二十歳未満って、選挙活動しちゃいけないことになってるからね。私は本当、影の存在なの」 「この前、テレビに出てた人が言う台詞ですか」 「あれは、冗談みたいなものだもん。あの後、結構叩かれたりもしてたんだけど、表向きは全部、お父さんかお母さんのサポートを受けてることになってるんだよ」 怖い。選挙関係者、本当に怖い。 「選挙管理委員会が茜の家に乗り込むことは茶飯事だ。もちろん、証拠を残す様な真似を、あの一家がするはずも無いのだがな」 「今でも、すごーく仲が悪いままだよね。永遠のライバルって奴かな」 それは違う、絶対に違う。 「だから、ここで見聞きしたことを垂れ込むのは勝手だけど、痛くも痒くも無いよ。それと、私達を敵に回すことも忘れないでね」 「イエッサーッ! 決して、逆らいません!」 「ダメだよ。サーは男性に対する敬称なんだからね」 そこは話の肝ではない様な気もしつつ、この掴みどころの無さが桜井茜選挙参謀の一番怖いところだ。差し当たり、一人暮らし故に賄いきれていない栄養分を、補うことにしよう。 「七原」 「今度は何だ」 「食い過ぎて、微妙に気分が悪い」 「知るか!」 予想通りのバカをやらかした遊那は捨て置いて、俺は黙々と箸を進めることに専念した。 「お帰りなさい」 「ただいま」 サクラとして集まった七人の殆どが現地で解散したのだけれど、俺は学園に戻ってきた。岬ちゃんに、定期入りの財布を質に取られたから仕方無しの行動だ。でなければ、勉強を継続させられると分かって逃げ出さない訳が無い。 「何だか、色々と考えさせられたよ」 「どうしました?」 「未成年が選挙活動しちゃいけないこととか、さ」 ふと思ったのは、茜さんがテレビに出たのは、それを訴える意味もあったのでは無かろうか。茜さんも言っていた通り、二十歳未満がボランティアさえ公認出来ない法律は、案外、知られていない。選挙権の引き下げも検討されているが、支援活動さえ制限させるのは是か非か。一石だけでも、投じたかったのかも知れない。 「岬ちゃんは、何でこんな法律があると思う?」 「一つは、扶養する両親に強要されることを防ぐ為でしょうね」 「それは、たしかに」 俺達の世代は、経済的に自立していない奴が殆どだ。狂信的な両親であれば、本人の意志に反してでも手伝わせるだろう。 「もう一つは、プロパガンダに使われることを抑制する為では無いかと」 「成程」 市民団体や慈善団体は、良く学生を全面に押し出す。時間があるというのも一因だが、まだ考えが固まってない子供を一つの方向に染めるのは容易い。清廉な印象を持つ高校生などは、使い勝手の良いコマだ。 「だけど高校生ともなれば、早熟な奴なら政治に関心を持って行動したい奴が幾らでも居るはずだ。それを一概に、年齢で区切って良いものなのか」 「私とお姉ちゃんは、あと数年で二十歳になります。だけど、私達の後の世代の為にも、この件に関してはずっと戦っていかないといけないのかも知れませんね」 「ああ……そうだな」 民主主義は、神の制度ではない。あくまでも、究極の現実主義に根付いた枠組みだ。その事実に目を背けず、何を吟味するのか。俺達国民に求められているのは、そういうリアリズムなのだ。 ――学園祭開催まで、残り十一日。 公:あの、根本的な質問なんですけど。 空:何だね? 公:イギリスに帰ったんじゃ――? 空:はっはっは。そういう細かい大人の事情に触れるとは、 まだまだ政治の世界で生きていく心構えが出来ていないね。 公:いえ、俺はそっちで食ってくつもりはさして。 空:何? 義弟となって、綾女と三人、永田町を席巻するというあの誓いを忘れたと言うのか。 公:誰がそんなことを言い放ったんですか!? 空:では次回、『不埒な奴らの祭り事 六』だぞ。 公:ったく。政界の一族は、どこまでも変人だらけだぜ。
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