「師匠、こいつぁ強敵だ。逃げ出しても恥じゃないと思うぜ」 「誰が師匠なんですか」 この際、そういう細かい言葉尻は気にしないで頂きたい。 「生憎、私、バックギアなどという言葉は知りませんの」 綾女ちゃん、目がマジ過ぎます。もう少し、大人の対応をすべきかと思われます。 「仮にも学年一の論客を自負する身として、例え余興であろうと、易々と負ける訳にはいきません」 そして西ノ宮も、何でそんなに本気なのよ。これはお遊び。祭りの余興の更に予行演習なんですよー。まあ、避難訓練とか真面目にやらないと意味無いだろと言われると、反論が難しいけど。 「つうか、何でわざわざ講堂でやるんだよ」 せめて、せめて緞帳を下げて欲しい。嗚呼、女子バレー部員の視線が妙に痛々しい。だけど、それが逆に良いかもなんて、思ってみても口には出せない。 「良いじゃないですか。生徒会選挙二、三、四位が一堂に会して模擬討論なんて、贅沢な趣きですよ」 「贅沢、かなぁ?」 単に、選挙で知り合ってズルズルと仲良くなっただけの様な。末尾とは言え、五位の二階堂先輩が一緒じゃないのは、まあ察してくれ。 「それじゃ、最初の議題行きますね」 言って岬ちゃんは、箱に手を突っ込み、ゴソゴソと一枚の紙片を選び出した。 「えっと、犬と猫、どちらがペットとして素晴らしいか、ですね」 「うぬぬ」 予め言っておく。基本的に、『そんなの個人の好みだろ』というのは、ノーグッドなツッコミだ。それを言い出したら、議論の九割は議論にすらならない。如何に論理的っぽく屁理屈を構築し、相手を言い負かすか。そして観客の心を掴むかを競う争いなのだ、これは。 「始めに言っておきますわ。私、どちらかと言うと猫が好きですの」 口火を切ったのは、綾女ちゃんだった。 「そうですか。私は、犬ですね」 相対する形で、西ノ宮が言い放つ。ところでこれ、今回は割れたから良いけど、全員被ったら議論にならないんじゃなかろうか。これはちょっとした課題だな。 「それで、七原さんはどうですか」 「あぁ、俺は――」 ここは、一つの分岐点だぞ。どちらに付いても、二対一で数的優位に立てる。しかし同時に、組む相手に依っては、サブキャラ的と言うか、陰に隠れて補欠に成り下がって、印象が薄れるリスクもある。正直、犬も猫も好きな俺にとって、どちらを選ぶかはさして問題で無い。大事なのは、パートナーとして綾女ちゃんと西ノ宮が良いかということだ。そんなに多くない脳神経系を駆使し、俺が出した結論は――。 「犬、だな」 西ノ宮に乗っかることだった。選んだ理由は幾つかあるが、最大のものは人気だ。正直、四月に入学して、その後、一月半程度で生徒会選挙二位を勝ち取った綾女ちゃんのカリスマ性は、かなりのレベルだ。アシストに徹して西ノ宮を言い負かしたところで、おまけ程度の印象しか残さないだろう。その点、西ノ宮は正論を言い切るから票を集められるけど、言い方のキツさもあって、個人の人気は微妙なはずだ。ここは、打算全開でタッグを組ませて貰うことにするぜ。 「では、御二方に問わせて頂きますわ。ペットとは、何ですの?」 「ん……」 こりゃ又、随分と根源的な問いを持ってきたものだぜ。 「家族です」 「だな。分かち難く離れ難い。時には腹が立つこともあるけれど、それでも居なくなると心に穴が開いた様になる。それはまさに、家族と表現する他無い」 ここは、西ノ宮に追従する形で、様子を見ておこう。 「つまりは、一個の独立した意思生命体ということですわ」 何だ。一体、どういう方向に持っていくつもりだ。 「ここで論じるべきは、犬は家族を順位付けして見るという周知の事実ですわ。家族とは、言うなれば運命共同体。それは一つのものとして認識されるべきで、内部に序列を付けるなどということは、ナンセンスですことよ」 「それは、詭弁です。たしかに、犬は個人を格付けすると言われています。ですがそれは、組織として系統を認識する為のものであって、貴賤を付けるものではありません」 「ですが、人を下と断じた犬は、命令に従わないと聞きますわ。何処まで行っても従属させるというプロセスが組み込まれる限り、純然たる家族と言うには問題があるんじゃありませんこと」 うーわ。女のバトル、熱気がすげぇ。どっちに付くとか関係無く、どうしようもなく影が薄い俺が居る。 「――ん?」 舞台袖に居る岬ちゃんが、スケッチブックを手にしているのが目に入った。えっと、何々。『七原先輩。もっと積極的に発言してください』だと? 簡単に言うな。全力の本気を出したところで、勝てる気がしない相手なんだよ。ってか、千織、『ここでボケて』とか余計なことを書き込むな。芸人の本能が疼くだろうが。 「七原さんは、どうお思いですか」 ぐはっ。考えが纏まる前に、西ノ宮がお鉢を回してきやがった。 「あ、あー。まあ、犬は素晴らしい。毎日散歩をしなければならないし、粗相の世話もある。好きな人でないと務まらないよ、全く」 「その物言いだと、犬を貶めてる様にしか聞こえませんわ」 「……」 その通りですね。 「言葉が足りなかったので、私から説明させて頂きますわ。つまり七原さんは、犬とは過剰にさえ思える程の愛情を注いでも受け止めてくれる存在であると言いたかったんです」 おぉ、良いぞ西ノ宮、ナイスフォロー。だけど、俺そのものが既に減点されてるから、何の意味も無い気がしないでもない。 「愛情とは、一方通行のものではありませんわ。その理屈だと、ストーカーでさえ家族の一員ということになりかねませんもの」 「ほぅ、その物の考え方は斬新だな」 「七原さん、貴方は、どちらの味方なんですか」 いや、どうにもスイッチが入りきらなくて、自分でも何が何やら。 「猫は人ではなく、家に付くと言います。つまり、限りなく共同生活者に近い存在であり、家族と断ずるには無理があるのでは無いでしょうか」 たしかに、あいつらの自由奔放ぷりは、時たま、驚愕にさえ値する。 「あら。人が人と住むにせよ、思い通りになることなど稀ですわよ。赤子の夜泣きを止めることは出来ませんわ。反抗期に於ける口の悪さを改めさせるのは困難ですわ。旦那の浪費癖を改善させるのは難題ですわ。従順なだけの存在は部下に過ぎず、別種のものであると言わざるを得ませんことよ」 立て板に水、とはまさにこのことか。綾女ちゃんは、嵩にかかって次から次へと舌を動かし続けた。まるで、生徒会選挙で負けた鬱憤を今更ながら発散させるかの様で、今一つ乗り切れてない俺はタジタジになってしまう。 「とりあえず、こんなものですかね」 一つの区切りと見たのか、岬ちゃんが割って入ってきた。 「皆さん、やってみた感触はどうでしたか?」 「発言にさして責任が無いので、随分と気分が良いですわ」 成程、そういう物の考え方もあるのか。 「誰かさんは、数的優位に立って勝てると踏んだのでしょうけれど、付け焼き刃の連携など、そうそう形になどなりませんわ」 「ええ。正直、七原さんには失望しました。一柳さんが仕込んだ埋伏の毒と仮定したとしても、お粗末過ぎます」 わーい。物凄く、好感度が落ちてる〜。 「あくまで模擬ですから自分以外の誰かを絡めるというのを試してみましたけど、大事な局面でこれを使うのは難しそうですね」 「西ノ宮。人間、誰かを信じられなくなったら終わりだよ」 「七原さんが言うことではありません」 全くの正論、ありがとう。 「先輩は何かありませんか?」 「あー、そのカンペって言うか、指示出しは良い案かもな。議論が硬直化したり、只の罵り合いになった時とか、最低限に抑える前提だけど」 「そういう微妙な空気を演出する為に、わざとスペックを落としてたんですよね?」 「も、もちろんだとも」 うわ、何か岬ちゃん、ニヤニヤとこっち見てるし。良い感じで意地が悪いなぁ、この子は。 「それじゃ、第二部行ってみましょうかね。遊那ちゃん、椎名先輩、舞浜先輩で、論戦力未知数トリオです」 「ふっ、能ある鷹は爪を隠すという諺は、私の為にあるということを証明させて貰うかな」 おぉ、流石は遊那。実力を伴いそうもない大言壮語だけは定評があるぜ。 「ふぅ。本気を出した生徒会長が、どれ程のものか思い知らせてあげるよ」 一方の千織も負けちゃいねぇ。ってかこれはプロレスの遺恨試合か何かか。ポイントが何処なのか、今一つ見えてこねぇ。 「わ、私も、頑張るよ。二人とも宜しく」 そして、りぃは哀れだな。戦場で、無抵抗の平和主義者が生き残る術は無い。如何に最強の、いや最凶の拳を持ち合わせていようと、餓えたピラニアの前では無力だ。食い散らかされる様を楽しませて貰おう。五分前の俺の姿だろうなんて言うな。 「それじゃ先輩。議題を選んで下さい」 「おう」 岬ちゃんが差し出した箱に手を突っ込み、中をまさぐる。うおぉぉ。俺の黄金の拳が、火を吹くぜ。 「『秒針と短針と長針、一番偉いのはだーれだ?』」 これを書いた奴、ちょっと出て来い、コラ。 「中々の、難題だな」 「今日は、リミッターを外させて貰うよ」 「そ、それじゃ、私も」 こいつらは、人として何処までも遣る瀬無い。 「言うまでもないことだが、一番働いてるのは秒針だ。これは議論の余地があるまい」 「だけど、世間的な意見を言うなら、どっしり構えてる短針こそ上司じゃないかな」 「ちょっと待って。組織って考えるんだったら、一番苦労してるのは中間管理職の長針って感じもしない?」 「兵は神速を尊ぶ。速度に勝る武器などあるか」 「パワーは大事だよ。ギアの構造的に、どう考えても最強って感じでしょ」 「どっちのバランスも良いってのは、大事じゃないかなぁ」 負に負を掛け合わせると正になるが、無茶な議題に無茶な面子を掛け合わせると、一回りして噛み合うのかも知れない。 「――!」 不意に、千織が表情を綻ばせた。 「長針と秒針には、致命的な欠陥があるよ」 「ほぅ?」 「短針はそれだけあれば大体の時間が分かるけど、他の二つは無理だよね」 「ヌ――」 「う……」 ち、千織の分際で、中々に的確なところを突くじゃねーか。これは、決定的かも知れないぞ。 「だ、だけど、長針が無かったら、ドラマ観るの勇気が要るよ?」 りぃ。君にとって時計は、ドラマ鑑賞の為だけのものか。たしかに、五分遅れは致命的なシーンを見逃すという失態に繋がりかねないけれどもな。 「ちっ、貴様ら。それ以上言うと、ストライキを起こすぞ。秒針を止めれば、他の二つも動くまい」 時計って、そういう構造だっけか。もちろん、モノにも依るんだろうけど。 「綾女ちゃんは、この戦いを見て、何か感想は?」 「――疼きますわ」 「……」 この子は今、妙なことを口走らなかっただろうか。 「血が騒ぎますわ! 心が疼きますわ! 本能が蠢きますわ! 私、学園祭を待ちきれませんので、今すぐ開催して下さいまし!」 「無茶を言うなぁ!」 あ、綾女ちゃん。選挙で負けて、バーンアウトしてた期間がおよそ一月程。その後、立ち直ったのは良いんだが、ここのところエネルギーが暴走を始めてる。こ、これはいかん。対応策を講じなくては――。 「岬ちゃん。一年生同士、ここは宜しく」 「はい?」 「俺は失礼する。ジュワッ」 「あっ――」 俺はまさしく、脱兎の如き健脚でその場から逃げ出した。ふわはっはっは。この軽やかな風と見紛わんばかりの足捌きを見たか! 五秒後、転がってきたバレーボールに蹴躓いて、顔面から激突したのは余談ということにしてくれ。 ――学園祭開催まで、残り十五日。 遊:ふむ。討論というのは、存外、面白いものだな。 麗:あれを議論と呼ぶのは、幾らか無理がありますけど。 遊:要は、舌先で丸め込めば良いのだろう。高尚ぶったところで、本質は変わるものか。 麗:舌先で丸め込むなんて、随分といやらしいですね。 遊:お前も、七原に感化されてる気がするな。 麗:では次回、『不埒な奴らの祭り事 四』です。 遊:秋には、私も戯れてみるかな。
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