あの熱闘と呼ぶべき選挙戦から一月半。カレンダーの日付は、早くも六月の末尾にまで差し掛かっていた。今年の梅雨はさしてジメジメとすることなく、程よい過ごし易さだった。全身に流れる汗はその量を増しつつあり、近く初夏の陽気を終え、本格的な暑さを迎えることになることだろう。しかし学生にとってそれは、一年で最も長い休みに向けての序曲である。もちろん俺も例外ではなく、青春の業火を燃やし上げるべく着々と計画を立てているのだが――。 「はてな?」 何かを忘れている気がして首を傾げてみた。 「そんな落語あったよね」 りぃ。この際、はてな茶碗の物語は、どうでもいい。 「なぁ、何か忘れてる気がしないか?」 「期末試験、近いよね」 「……」 思い出さなければ良かった。気分が沈みきってしまったぜ。 「じゃなくて、もっと学生にとって大事な――」 「勉強以上に重要なものなんてあるの?」 「ふっ。何にだって、本音と建前は存在するのさ。学生の論理では、勉強なんて二の次、三の次で良いのさ」 もしかすると、かなり危ない発言をした気がしないでもない。 「ん?」 ちょっと待て、もうすぐ夏休みだよな。だけど、その前にテスト以外の何かがあったような――。 「あー!?」 「ど、どうしたの、公康? 狂っちゃったの?」 何か、さりげなく酷い台詞があった気がする。 「じゃなくて、学園祭! あと二週間くらいしかないのに、俺達、何の準備もしてねぇ」 「……」 りぃはしばしの間、俺の言葉を受け入れるように硬直したまま沈黙を守り――。 「あー!?」 俺と同じリアクションで、周囲を驚かせた。 「さて、クラスメイトの諸君。いきなりであるが、我々は窮地に立たされている。そう、期末試験を挟んで二週間しか無いというのに、学園祭で何をやるかさえ決まっていないのだ」 帰りのホームルームで、俺は緊急の議題としてこの一件をぶち上げた。何というか、校風がフリーダムすぎる。普通、生徒会から督促が来るものだろう。本当にギリギリまで誰も気付かなかったらどうしろと言うんだろうか。 「七原ー。何でお前が仕切ってんだー」 「文句があるなら、すぐにでもこの教壇に立ってくれ。俺はいつだってこの席を君に譲るよ」 「よし、七原、お前に任せた」 今の遣り取り、何か意味があったんだろうか。 「――」 ふと、廊下側に座る西ノ宮が手を上げているのに気付いた。 「西ノ宮、何か言いたいことが?」 「はい。一応、参考までに私が知る限りの情報を提供したいと思います」 おぉ、流石は園内の理詰め女王。こういう時の役立ち具合は、半端じゃないぜ。 「先ず、御存知だとは思いますが、当園学園祭に於きまして、クラス、文化部、研究会単位での出店は、強制ではありません。但し、クラブ活動、並びにクラスで教室以外の施設を利用する場合、一週間単位で締め切り、配置を決めてしまいますので、早ければ早いほど良い場所を確保できます」 「ちなみに、現状はどうなってるんだ?」 「第二次締め切りが明日ですから、今日中に何をするか纏めて、明日中に企画書を形にすれば、大抵のことは出来ると思います。視聴覚室や講堂といった人気のある場所も、全ての時間枠が埋まってはいないはずですから」 成程、成程。スタートダッシュには失敗したものの、まだ挽回出来る位置に居るということだな。 「他に、注意点は?」 「模擬店に関してですが、法律上の調理をするものの場合、保健所の許可が必要になります。その為、日数に余裕を持たせるという意味で、先週の一次募集でのみ申請が可能でした」 「つまり、ややこしい食品販売は出来ないと?」 「そうなります。とは言え、今日の今日まで綺麗に忘れていた皆さんが、『俺達、私達は魂燃える炎のクッキングバトルがしたいんだ』などと言うとも思えませんし」 全く以って正論だ。ぐぅの音さえ出やしねぇ。 「ほえ〜。西ノ宮さん、何か、凄いねー」 千織。お前には、生徒会トップである自尊心とか無いのか。 「よぉし、という訳だ。先ずはやるかやらないか。そっから行くぞ」 「何を言ってるんだ、七原。高校生にとって、学園祭は夜空の星々の如く煌く珠玉の宝石箱。それをみすみすスルーなんて出来るはずが無かろうて」 「そうよそうよ」 つい五分前まで記憶の片隅にすら無かった奴らの言い様とは思えない。 「とは言え、この国は一応、民主主義が基盤となっている訳なので決を――」 「――」 「オーケー。君達の熱意は分かった。圧倒的多数を以って可決することにしよう」 今の一瞬で、三十数対、七十近くもの瞳がほぼ余すことなく俺のことを睨んだ。正直、神経を切り刻まれるんじゃないかと思うくらい怖かったぜ。 「では、次の議題、何をやるか、だ。めいめいに意見を出してくれ」 「お化け屋敷!」 「演劇発表!」 「ビジュアルバンド結成」 「自主映画制作!」 「コスプレダンスパーティ!」 「等身大ロボット製作!」 段々と、現実味が無くなってる気もするが、発想の制約は議論の硬化を促進させる。ここは、言いたいだけ言わせておく段階なのだ。 「男子限定メイド喫茶!」 「ヒポポタマス研究発表!」 「栄養ドリンク早飲みトーナメント!」 「……」 やっぱり、脊髄反射で物を言うのもどうかなって、ちょっと思うよ。 「そういや去年、舞浜君の女装が随分受けたよね」 「あー、生徒会長が直々にそういうことするのって、宣伝効果的にはバッチリだよね」 「じゃあ、そこら辺から煮詰めてこうぜ」 「あの〜。僕自身の意見は?」 「ハハハ、舞浜。公人たるお前に、アイデンティティとか、個人のプライバシーを語る資格は無い」 若干の勘違いはあるものの、ここまではっきり言い切られると否定しづらいだろうなぁ。 「ここは発想を変えるんだ。舞浜が着て似合うコスチュームは一体、何なのかと」 『おぉ!』 我がクラスながら、何ゆえここまでノリが良いのかは永遠の謎だ。 「ナース服とかはどうかな」 「具体的に、何をするんだよ?」 「園内を回って疲れてる人達に、元気になれる薬の静脈注射とか」 幾ら自由が売りの学園とはいえ、許可が下りようはずがない。 「待て、君達、ここは発想を変えるんだ。女装という固定観念に囚われてはいけない。男装という選択肢もあるのではないかね」 『な、なんですってー!』 ヤバい。そろそろ、俺が収集出来るキャパシティを超えつつある気がする。 「ということは、男子禁制ミュージカル――!!」 「そこまでいったんなら、女人禁制である歌舞伎も捨て難い」 「いや、ここは敢えて大相撲では無かろうか。知事の権力を以ってしても拒否られる職人気質が魅力的だー」 「西ノ宮。悪いが、議長を代わってくれ」 「謹んでお断りします」 畜生、このいけずさん。 「サンタクロース――」 「ん?」 「この暑い最中、敢えてサンタコスを身に纏うというのも、ニュージーランド的で素晴らしくないかね!」 何故に、オーストラリアではなくニュージーランド。と言うか、季節感ゼロにも程があるぞ。 「ここは、クラス委員長として、私が発言させて貰います」 委員長、居たのか。つうか、職務的な話をするなら、最初から仕切るべきではなかろうか。 「夏だからといって、サンタクロースコスチュームのミニスカなど邪道! 膝下まで隠し、歩き様、かすかに除く内股こそ至高且つ究極である!」 『うおぉぉ!』 主として、男子一同の声が和音した。い、委員長、何の役にも立ちやしねぇ。 「七原ー。お前のクラス、何と言うか、個性的だな」 クラス交換で未だ居座っている遊那が、そんなことを言ってきた。本人はオブラートに包んでるつもりなのかも知れないが、かなりの直球だと思う。 「みんな、ちょっと待って。ここは原点に還るべきよ」 「原点?」 「舞浜君を如何に際立たせるか。そこを忘れてはいけないわ」 そこが出発点だったっけか。早くも記憶が曖昧で困る。 「私の見解では、舞浜君には洋装より和装が似合うと思うのよ」 「と、と言うことは、下着はノーグッドですな」 「そうよ。身体のラインがピッチリでなくちゃダメなのよ」 あー、何と言うか、オモチャにされるのが俺で無くて良かったなぁ。 「もちろん、親友である七原君もやるべきだわ」 「……」 飛び火、はえーよ。いや、割とマジで。 「君タチ、少し落ち着くンダ」 「何で片言なんだよ」 それに関しては、むしろ俺が持つべき疑問だと思う。 「ここで、俺の意見を一つ言わせてくれ。たしかに、千織を看板息子として活用する案は実に画期的だ」 「ちょっと待った、公康」 差し当たり、本人の意見は黙殺することにしよう。 「だが、本当にそれだけで良いのだろうか。お客様は神様である経営理念の下、エンターテインメント的に考えて何かが不足しているとは言えないであろうか」 「単に女装したくないだけで詭弁を言ってるんじゃないだろうな」 「文句あるなら、対案を出せ、対案を」 ちっ、流石は俺のクラスメイト。こっちの性格は掴んでやがるな。 「世の中、普遍的に受けるものなど決まりきっている。そう、男は熱き戦い、女は恋愛である!」 ぶっちゃけた話、マンガの素材だろと言われると否定する要素が無い。 「それらを複合的に取り入れた結果、導き出される結論は、コスプレラブバトルトーナメント以外に有り得まい!」 言っておきながら何だが、自分でも何が何やらさっぱりだ。 「な、何ということだ」 「正直、その発想は無かったぜ」 「七原、お前こそ総理になるべき男、いやむしろ漢だ」 このノリが良いクラスメイトも、どう処理して良いかが分からない。 「ここは、学園の総合プロデューサーを自負するこの私が、具体的なプランを提示するわ」 今更ながら、色んな奴が居るよなぁ、このクラス。 「つまり、こういうことよ。我こそは恋愛上級者であると自称する一般参加者を募り、思い思いのコスチュームを身に纏って貰う。そして一対一、もしくはバトルロイヤル形式でテーマに沿ったラブトークをして貰うのよ。それを複数人の審査員でジャッジして、勝ち抜く人を決めるの。これなら細切れにして、ちょっと立ち寄った人にも分かるものになるわよ」 「おぉ、何という完璧なプラン」 「必要なのが、舞台と衣装、そして司会だけという簡素さもまた魅力だ」 何と言うか、適当に言ったことをそこまで組み上げた構築力は大したものだと思う。 「もちろん、この企画に必要不可欠なのはトークを盛り上げる進行役よ。話を上手に引き出し、且つ、阻害しない。そんなプロフェッショナルな仕事人を求めてるの」 ほぅ。そんな奴がこのクラスに居ると言うのか。プライドを捨てて良いなら、外部から引き抜くという手もありなのだろうかね。 「そこで私は、七原君を推薦させて貰うわ」 「……」 待てい。 「異議なし」 「中々に、味のある提案ですね」 「う〜ん。良いこと言うよね〜」 だから、少し待て、貴様ら。 「君タチは、ワタシのことを過大ヒョウカしている」 「だから、何で片言なんだと」 この際、その部分に関してはどうでも良い。 「俺で良いのかよ。スイッチ入ったら何言い出すか分からないの知ってるだろうが」 「あー、大丈夫、大丈夫。ちゃんと桜井の妹さんに打診する予定だから。七原君を操ることに掛けては、天下一品ってことだし」 俺は、猿回しの猿かと。 「それに、司会の方も何が飛び出すか分からない状況ってのが、筋書きの無いドラマっぽくて面白そうじゃない」 こ、こいつ、茜さん程では無いにせよ、そっち系の人間か。よぉく憶えておくことにしよう。 「分かった。こうなったら俺も男だ。横綱襲名の如く、不退転の覚悟を以って望ませて頂こう」 「よく言った」 「それでこそ俺の七原だ」 「折角だから、企画書纏めるのもお願いね〜」 「色々と、不穏当な発言が混じってるぞ」 それにしても、何だかんだ言って、あっという間に方向性が決まるこのクラスは、良いのか悪いのか。神経を直に削ぎとられたかの様に疲弊した俺には分かりませんわい。 何にしても、俺達は次なるお祭りへ向けて始動するのであった。 公:さぁて、ついに始まってしまった学園祭編! 一体、どれ程の話数が消化されるのか。 完全なる見切り発車でのスタートに、何よりも作者がドキドキだ。 莉:ちょ――。 公:それにしても、このエピソード、本当に学園祭の枠だけで収まるのか。 或いは、別の展開が有り得るのか。今後の展開に注目だ。 おっと、お色気があるかは、気分次第になるだろうな。 莉:だから――。 公:という訳で次回、『不埒な奴らの祭り事 壱』だぜ。 莉:私、居る意味無いじゃん!?
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