君達、知ってるか。人間、予期せぬ出来事に遭遇すると思考が停止するんだぜ。 「こんにちは」 始めに出会ったのは、廊下で歩いている時だった。通りすがりの女の子が、会釈と挨拶をしてきたのだ。 「あ、ああ。こんちは」 はて、誰だったろうか。平均的な身長で、くりくり目玉と、やや色の抜けたボーイッシュなショートヘアーが目を惹く。風体からして多分、一年生だろうけど、記憶にあるような、無いような。或いは、選挙の時に顔を知り合ったか……いや、俺が女の子の見忘れるだろうか。一度二度会っただけならいざ知らず、挨拶をしてくるからにはそれなりの知り合いな訳で。うぅむ、だけど何処かで会った気がするんだよなぁ。 「こんにちは」 「……はい?」 そんなことを考えながら歩いていると、さっきの女の子とまた擦れ違った。当然のことながら、同じ人と擦れ違おうと思ったら、どちらかが引き返すか、ぐるりと大回りして来ないといけない。俺の方はまっすぐ歩いてきただけだから、女の子の方がしたことになる。しかし、そんなことをする理由が何処にあるんだろうか。 「――ん?」 ははぁん、見えてきたぞ。これはつまり、俺にホの字だな。何とか話すきっかけは欲しいが、その一歩を踏み出せないのだろう。うい奴、うい奴。余は満足ぞ。 「あ、こんにちは」 ほっほっほ。しかし三度目はちとまずいのではないかね。如何に俺が極めて大物で、些事に拘らないといっても、気付く頃合だぜよ。 「あれ?」 ふと、一つのことが頭をよぎった。簡単にぐるりと回ってくるなんて言ってみたけど、冷静に考えるとかなりの時間が掛かる。この短い合間に、服や息を乱さず、そんなことが出来るのだろうか。 「ん? こんなところで何してるの?」 不意に、背後から声がした。 「いや、別に。単にプラプラと」 目の前の女の子が、後ろに居るであろう女の子に声を掛けた。だけど、そこには違和感があった。その原因を論理的に突き詰めていくと、一つの結論に至った。その二つの声は、まるで同じものだったのだ。有りそうで中々無い現象に混乱しながらも、俺は恐る恐る振り向いた。 そこに居たのは、同じ顔をした女の子だった。そればかりか、身長、服装、立ち振る舞いも変わらない。強いて言えば、髪の長さがほんの少し違う気もするけど、並んで見ない限り、普通は気付かないだろう。 「七原さん、何で固まってんの」 「何処かで、お会いしましたっけ?」 年下と思しき相手に敬語もなんだけど、記憶から引きずり出せない負い目がある。ここは丁寧に聞いておくべきだろう。 「あ、そういや、まともに話すのは初めてかも」 「そうだっけ?」 「うんうん。お姉ちゃんに話を聞いたり、演説聞いたりしてるから勘違いしてたけど、会うのは初めてだよ」 女の子の片割れが、俺にビシィッと指を突き付けてきた。この行為は、お国に依っては、物凄い失礼にあたることがあるから気を付けろよ。 それにしても、段々と状況が掴めてきたぞ。どうやらこの双子は、お姉ちゃんとやらを経由して俺のことを知ったらしい。なるほど、それならば納得だ。この俺が、女の子情報を欠落させる訳が無いからな。ハッハッハ。少し千織チックになってる気もするが、深くは考えないぞ。 「ねえねえ。二人して何してんの?」 再び、背後から声がした。 「……」 その声を聞いた瞬間、俺の背筋はピーンと張り、全身が硬直した。頭の方も、朧げには状況を把握してるものの、明確な答を出すには至らず、霞掛かった様な状態だった。 それでも俺は何とか首を動かし、視界を後方へと向けた。そして、当然のことの様に置かれる三つ目の顔に、俺の思考の濁流は決壊し、軽く卒倒なんかしちゃったんだぜ。 「三つ子なら三つ子って、最初に言ってくれ」 鍛え上げられた強靭な精神力に依って、何とか長期の現世離脱を回避した俺は、そう問い掛けた。あ、だけどまだちょっと世界がクラクラしてる。 「いや〜。知ってるかなって思って」 「たしかに、一卵性で三つ子というのは相当にインパクトが強いけどな」 とは言え、うちの学園は二千人近くも居る、そこそこのマンモス校だ。有名人だけとっても百人単位で居る訳で。ましてや一年生となると、完全に把握するのは困難だ。 「それで、俺が七原公康ってのは知ってるんだな」 とりあえず、話の取っ掛かりとして、自己紹介っぽいことをしてみた。 「名字の七原は知ってるんだけど、名前、公康って言うんだ」 「私は知ってるよ。前の選挙で投票したからね」 「えー、ちょっと趣味悪いんじゃない?」 それにしても、同じ顔と声で三人が同時に喋りだすと、やかましいことこの上ない。と言うか、本人を目の前にして否定すんじゃない! 「あ、でも、きみやすをどう書くかは知らないかも。選挙の時は開いてた気がするし」 「そっか」 選挙の際、候補者が一般的に使うテクニックとして、名字か名前を平仮名にすることが多い。これは憶え易く且つ、書き易くする為で、このことを、名前を開くと表現するらしい。俺の場合、七原姓が憶え易く且つ、割とレアなものだったりするので、公康の方を開いた。 「ちなみに、公正明大の公に、家康の康な」 「えー、そんな大物には見えないなぁ」 名前だけで、そこまで過剰評価されても困るんだがなぁ。 「んで、そっちは名前、何て言うんだ?」 「私は 「同じく、 「 「――ん?」 もしかしなくても、引っ掛かった。 「西ノ宮?」 「うん。二年の西ノ宮麗は、私達のお姉ちゃんだよ」 何という世間の狭さ。俺は驚嘆を覚えざるを得ないぜ。 「ってか、さっき……え〜と、海ちゃん、俺に投票したって言わなかったか?」 「私、舞だよ」 恐ろしく基本的な罠に陥ってるぜ。 「あ、もしかして何でお姉ちゃんに入れなかったか? 七原さん、甘いよ。例え血を分けた姉妹であっても、票は自力で勝ち取らなきゃならないんだからね」 桜井さんのところの姉妹みたいに骨肉な話ですね。そういや俺も遊那に似たことを言われたなぁ。まあぶっちゃけ、義理の票であっても嬉しいことこの上無いんだけどな。 「おっと」 途端、チャイムが鳴り響いた。そういや教室に戻ろうとしてるとこだったっけ。さっさとしないと、化学の皆川が怖いぜ。 「んじゃ、また機会があったらな」 「はいはい〜」 言って三姉妹は、それぞれの方向に足を向けた。三人共、クラスは違うっぽいな。まあ、十何クラスもあるうちの学園では、一緒になるなんてかなりの低確率だし、教師の方も扱いに困るだろう。そんなことを思いつつ、俺は自分のクラスへと急ぐのだった。 「妹達に会ったのですか?」 「ああ、会った」 何故だか、横柄な態度で臨んでみた。 「騒々しかったでしょう」 「まあな。だけど、いつの間にやら一人暮らしになっちまった俺から見ると、ちょっと羨ましい気もするな」 本当、気付いたら一人だもんな。世の中ってのは想像以上に恐ろしいものだと痛感させられたものだ。 「だけど、ちょっと思ったんだけどさ」 「はい?」 「年子で三つ子が産まれたってことは、赤ん坊が四人も居た時期があるってことだよな」 幾ら女の子が少し育て易いといっても、あのパワフルベイビーがそれだけ居るとなると恐ろしささえ感じる。 「七原さん……まだ本当の脅威を理解しておられないようですね」 「な、何か?」 何だか、西ノ宮の目が、随分とマジになってる様に思えた。 「考えてみて下さい。年が一つしか違わなかろうと、私は姉なんです。問題が起こる度、両親は伝家の宝刀、『お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい』を抜くんです。しかも頻度が二百パーセントアップの三倍です。五歳や六歳の子供に、それは酷だと思いませんか」 「僕、二人兄弟の次男坊だから分かんにゃーい」 可愛く発言しても、誤魔化せた訳では無いかも知れない。 「はぁ、成程ねぇ」 西ノ宮が年齢に見合わずしっかりしてるのと、教育関連に並々ならぬ情熱を持ってるのは、或いは、ここら辺にルーツがあるのかも知れない。 「仮にと言うか、妄想の領域なんだが、立場が逆だったらどうなったんだろうな」 「あの子達が、一つ上の姉だったらですか?」 「そうそう」 たったそれだけのことの様に思えて、人格形成には絶対的な差を生じさせる気がしてならない。 「どうでしょうか。一人では何も決められない甘えん坊になったか、もしくは変なコンプレックスで捻くれるか。考えたことはありませんね」 「そりゃ、随分と豪快に別人だな」 「褒め言葉として受け止めさせて貰いますね」 俺としては、概ね持ち上げてるつもりだ。西ノ宮はモードを変えるとかなり攻撃的だが、性格そのものはさっぱりしてる部類だと思う。遺恨なんかを残さないのは、今、俺と喋ってることでも分かるだろう。 「そうですか。七原さんは次男ですか。ふふふ。長子連合の一員として、記憶させて貰いますね」 「み、岬ちゃんも次女だったりするんだなぁ」 あそこの場合、長女がやたらと自由過ぎる訳だけどな。 「ところで、基本的な質問なんだが」 「なんですか?」 「妹さん達の見分け方を教えてくれ」 「勘です」 即断で、えらく割り切った答が返ってきた。 「えっと、マジっすか」 「マジっすよ」 おとぼけた西ノ宮は、かなりレアな気がしないでもない。 「ほら、マンガとかではアレじゃん。利き手が逆とか、ホクロの位置が違うとか」 「三人共右利きですし、見える位置のホクロは、全部同じ場所にあります」 わっほう。こりゃ参ったぜ。 「強いて言えば、髪の長さが少し違いますが、それは散髪した方の腕が未熟でバラついたというだけの話で、絶対の指針にはなりません。本気で騙そうと思ったら、私でさえ百パーセント見抜く自信はありませんから」 「むしろ、結が海、舞を判別できるか知りたくなってきたな」 海が、舞、結、或いは、舞が海、結でも可である。 「それは分かるみたいですね。一卵性ゆえのシンパシィなのか、間違われ続けたが為の経験なのかは判断しかねますが」 「本気で間違われたくなかったら、髪型変えるなり、アクセント付けるなりするだろうから、楽しんでそうだけどな」 「ええ、恐らくは」 その短い言葉の中に、岬ちゃんの姉に対するものにも似た、諦めの感情が漏れ出た様に思えた。 「そーいや、あいつら、彼氏は居ないのか?」 「狙ってるんですか」 「いや、デートに行った時シャッフルして、気付くかどうか試してみたいなと。いっそ双子か三つ子の男の子を連れてきて、エンドレスシャッフルとか――」 「物凄い悪趣味ですね」 「本物の愛情があれば、見分けられると信じているぞ」 間違えた場合の惨劇については、余り触れたくない。 「今のところ、三人で居るのが楽しいみたいですから、そういう話は聞きませんね。ですが、いつかは結婚するのかと思うと、姉としては寂しい限りです」 何故に、こんなしんみりとした話になっているのだろうか。 「ま、何にしても今度は時間を掛けて喋ってみたいね」 「女性に囲まれた七原さんでも、扱いには梃子摺ると思いますよ」 「褒め言葉として受け取らせて貰うわ」 そう言って俺達は笑い合うと、夕刻の陽が差し込む教室を後にするのだった。 岬:西ノ宮三姉妹のコンセプトは、騒がしさらしいんですよ。 莉:へー、そういや女三つで姦しいだもんね。 岬:うちも両親とお姉ちゃんが一緒に住んでますけど、三人揃うと、お父さんの立つ瀬が無くなります。 莉:これって、そういう切ない話だっけ? 岬:何にしましても、次回、『西ノ宮一族の野望 中編』をお楽しみに、です。 莉:ところで、最近、私達、影薄いよね。 岬:それは言わない約束です……。
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