「弟子が出来ました」 「はい?」 「お前はいきなり、何を言い出すんだ」 事実を事実のまま述べただけなのに、岬ちゃんと遊那は冷たかった。 「いや、そこの点に関しては、正直、俺も良く分からんのだが」 「バカ男子連合の代表に収まったとでも言うのか」 あながち、外れてないところが恐ろしい。 「だけど、物は考えようかも知れないな」 お兄さんを弟子に抱えたということは、即ち綾女ちゃんから見て俺は義兄も同然。一人っ子と兄弟しか居ないものから見れば垂涎の、義妹が出来たということになる。ムッハー。これは、よもやすると、もしかするかも知れないね。 「邪な妄想が、口の端から零れてますわよ」 「残念ながら真の大物というやつは、感情を押し隠すのが苦手なものなのさ」 誰が言ったかは知らない。俺が勝手にそう思ってるだけだ。 「一柳さん。先輩は何を言ってるんです?」 「端的に纏めますと、バカにバカが寄り添った、ということですわね」 「何だ。つまりは、いつも通りということか」 これだけ言われても、眉根一つしか動かない俺。何と度量の大きいことか。 「シショォォ!」 眉根一つどころでは済まない悪寒が、全身に走った。窓の下の物体を横目で見遣り確認を取ると、視線だけ元に戻す。 「綾女ちゃん」 「何ですの」 「何であの人が、ここに居るんだい」 「卒業生ですもの」 それは、答になってるようでなってないぞ。 「なるほど。あれが弟子か」 「牛は牛連れ、馬は馬連れとは、よく言ったもんです」 意味合い的には、類友とほぼ一緒だ。 「ちなみに校則では、当園関係者であることを明確にし、事務室での許可さえとれば、校舎内への立ち入りも可能ってことになっていたと思います」 卒業生であり、実の妹が居る空哉さんを止める術は無いということかよ。 「よし、逃げよう」 爽やかな笑みが漏れた。 「無駄ですわよ」 「何でだよ?」 「貴方は、私の兄であるということを甘くみていますわ」 「あ」 そ、そうだ。綾女ちゃんが聡明だと認めるってことは、手際が相当に良いということだろう。恐らく、声を聞いた瞬間に足が動いているくらいの速度で逃げ出さないと――。 「師匠!」 「……」 やはり、手遅れだったか。 「分かった。俺は師匠だ」 こうなったら、そこの部分を認めてしまおう。 「師匠の命令は絶対だよな? だから、一般生徒の迷惑にならないよう、君は帰りたまえ」 「ハハハ。師匠、何を言ってるんですか。師匠と弟子は、一心同体じゃないですか」 「……」 しまった。師弟であるという言質を取られただけで、一方的に俺が損してる。 「岬ちゃん、パス」 「何で私なんですか」 「選挙参謀としての業務だと思ってくれ」 「プライベートにまでは干渉しないのが、真のプロフェッショナルだと思うんですけど」 この際、理想論と建前は、何処かに放り捨ててくれい。 「選挙参謀……だと?」 空哉さんの目付きが変わった。 「ウワォォォォン」 「な、何だ?」 いきなり、狼のそれにも似た遠吠えを上げた。 「お兄様は、こう見えて五年前、生徒会長をされましたの」 肉親に、こう見えてとか言われるのって、本気で切ない気がする。 「つうか、それと遠吠えに何の関係が?」 「血が騒ぐんじゃありませんこと」 良く分からん理屈だ。 「つうか五年前?」 たしか、空哉さんは現役で合格して、今は二回生だと聞いた。えっと、イギリスでは九月に入学式だったはずだから、そこから逆算すると――。 「一年生で勝ったのかよ」 「それも、入学したての五月期ですわ」 それがどれだけ大変なことか、選挙を戦った俺達なら分かってるはずだ。 「麻雀プロになるより、ぶん殴ってでも政治に目覚めさせた方が、世の為、人の為になるんじゃないか?」 後ろめたいことも無いのに、何故か声を潜めてしまった。 「それはそうかも知れませんが、それに消耗するエネルギーがあるなら、自分で立ち上がった方が楽ですわ」 何という切実なリアリティ。たしかに、この人を覚醒させるのは、並大抵の努力では無理な気がする。 「こういう時は、茜に相談だな」 「お姉様にですの?」 「ああ。私達の中学では、困った時は茜に頼めが合言葉だった」 何という、プチ君主制。一柳一族と桜井一族が本気で結託したら、日本は乗っ取られるんじゃ無いかと思ってしまったぜ。 「何にしても、行きますわよ、お兄様」 「ウルァァァォォン」 未だ良く分からない雄叫びを上げる空哉さんを四人掛かりで引き摺り、俺達は学園のリーサルウェポンの下へ向かうのだった。 「あら、空哉君。お久し振り〜」 「知り合いっすか、茜さん」 「うん。だって、お爺さんには色々お世話になったもん」 そういや、そんな話があった気がしないでもない。 「ふぅぅ、誰かと思えば、桜井のお嬢ちゃんか。全く、世間って奴は狭いぜ」 「私も一応、桜井のお嬢ちゃんなんですけど」 「岬ちゃん。空哉さんがパニクっちゃうから、黙ってあげるのが優しさだよ」 この場合、逆に辛辣さって感じがしないでも無いけど。 「嬢ちゃんよぉ。俺はあんたに負けて、全てのプライドを打ち砕かれた。今でも、あんたに勝つことが最終目標の一つなんだぜ」 「――ん?」 何か、聞き捨てならない部分が無かったか。 「え〜と。つかぬことを伺いますが、空哉さんが麻雀プロを目指すことになったきっかけって――」 「この嬢ちゃんに負けたこと以外、何があると言うんだ」 「また、あんたが元凶か」 この人は一体、世にどれだけの厄災を振り撒いて生きているのだろうか。 「う〜ん、そう言われても、困っちゃうな〜」 「可愛く言って誤魔化せるなら、証人喚問は要りません」 現実には、割と似たことが横行してる気がしないでもないけどな。 「そんなこと言われてもな〜。役満二回直撃させて、点棒を頂戴しただけなんだけど」 俺以外にもそんなことしまくってたんかい。 「空哉さん、空哉さん、お聞きになったでしょう。この人は底が無いくらい、色々な意味でおかしいのです。それに役満二回だなんて、腕以前の運が問題であったと考えるのが妥当です。即ち、雄大な人生から見れば、軽く蹴つまずいたようなもの。それほど気に病むことではありますまいて」 何で年上に対して税客みたいな真似をしているのかは、俺も良く分からない。 「でも、年下の女の子に負けたままじゃ、男の面子が立たないよね?」 「茜さん! 綺麗に纏めようとしてるんですから、掻き回さないで下さい!」 ああ、もう、この人のカオスメイカーっぷりは本当に!! 「だから、もう一回やって、白黒はっきり付けちゃえば良いんでしょ」 「――ん?」 茜さんが何を言っているか頭の方が処理しきれず、俺は間の抜けた声を上げてしまうのだった。 えー、何度も言うようだが、うちの学園は二千人近くの学生を抱えるマンモス校だ。当然のことながら、部活、同好会の種類も多く、異彩を放つものも少なくない。その内の一つが、麻雀部だ。世間的な人気を鑑みればあってもおかしくないけれど、ギャンブル性が高いので、公には認めたくないのが本音だろう。だが、『人生を切り開くのは、状況判断力と心理戦に打ち勝つ力、そして最後は運と勘である』という、強引な理屈で設立されたらしい。これを認めると、競艇部だろうが、パチスロ部だろうが通ってしまいそうな気もするけれど、現在のところ、派生していない。 そんな微妙な伝統を持つ麻雀部の一卓を借り、雌雄を決することとなった。冷静に考えると、俺は完全に巻き込まれただけなのだけれど、世間はきっと、一緒くたに見ているに違いない。 「ところで茜さん」 耳打ちに近い形で語りかけた。 「うん?」 「もちろん、負けてあげるんですよね?」 「ふえ?」 いや、素でそんな呆けた顔をされましても。 「公康君。勝負事っていうのはね、何があっても手を抜いちゃダメなんだよ? 相手に対して失礼だし、何より、そんな心持ちじゃ、ここ一番って時に力を発揮しきれないんだから」 何でそう、無駄に強固な信念をお持ちですかね。完全にそのつもりだった俺の方が動揺してしまうではないですか。 「ふうぅぅ。この空気、久し振りだな」 「ん?」 空哉さんの方も、妙なことを言ってやしないか。 「もしかして、空哉さんの出身クラブって――」 「この麻雀部だぜ、師匠」 世間が狭いんじゃなくて、自分達で無理矢理に狭くしてるんじゃなかろうか。 「ちなみに、設立者が俺自身なんだ」 「こっちの元凶はあんたか!」 そろそろこの人達は、お遍路さんっぽく、罪を犯した場所を、一つ一つ懺悔して回るべきなんじゃないかと思う。 「生徒会長特権って奴は、想像以上に強力なもんだよな」 「しかも権力を、私欲の為に使うんじゃない!」 ああ、もう、始まる前からこんな状態ってのはどうなんだよ。 「ま、とりあえず座ってよ、公康君」 「拒否権は無いんですよね」 「何でも言うこと聞く券使おうか?」 ちっ、やっぱり憶えてやがったか。あとどれだけこの人の支配下に置かれるのか、考えると眩暈がするから思考を放棄しよう。ジャラジャラと牌を鳴らして、目の前に山を積む。高校二年生でこの作業に慣れてるってだけで不健全の匂いがするのは何故なんだろうね。 「では、入ります」 「それは丁半博打ではなかろうか」 ツッコミを意に介することなく茜さんはサイコロを振った。その数字は、岬ちゃんが仮親であると指し示す。 「よっと」 次いで岬ちゃんが振ったサイコロは、俺が親であると示した。最初の親か。こりゃ、初っ端から飛ばせってことなのかね。 「ほい、ほい、ほいっと」 二×二で、四牌ずつ手元に持ってきて、配牌を理牌する。うむうむ。これは軽めの良い手だ。機先を制する為にも、オーソドックスに攻めるかね。 「ほらよ」 とりあえずセオリー通り、揃えても役にならない西を切り捨てた。席順は、俺から見て反時計回りに、空哉さん、岬ちゃん、茜さんだ。オーラスの親が茜さんだけに、少しは引き離しておかないとな。 「うぅん、師匠! ギンギンに来やがってますよ!」 尚、この戦いはあくまで個人戦で、コンビ打ちなどは禁止されている。なのにこの馴れ馴れしさ。ある意味に於いて恐ろしい。 「ウィリィィ。これを俺の博徒伝説の幕開けとしてやるぜ」 「あ、それ、ロン」 場の空気と時間が、凍り付いた。 「はい?」 ワタシ、イッテルコト、ワカラナイ。 「私達のルールだと、人和は役満扱いだったよね」 尚、人和とは、子が最初のツモの前にロンを宣言することで役扱いとするローカルルールである。満貫、倍満扱いするルールもあるが、どうせ出やしないというアバウトな考え方の下、役満扱いにしていた。やばい、茜さんの運を甘く見過ぎていたのは、俺自身だったか。 「これで空哉くんから三万二千点貰って、私の勝ちだね」 え、これで終わりかよ、と突っ込みたい気分だったが、点棒が底を尽いたら負けのルールなんだから抗いようがない。しかし、綺麗に介錯をしてくれたはずなのに、何でこんなにもモヤモヤが残るのであろうか。 「あ、あう、あう……」 「お兄様ったら、死んだ魚の様な目をして、楽しそうですわね」 「いや、これは確実に、興奮しすぎての過呼吸だろうが!」 保健室、保健室。いや、その前にビニール袋か。ええい、誰か冷静な処置を施してくれよ! 何にしても、一柳空哉と桜井茜に依る因縁の対決は、僅か二回の打牌で、一人の男が玉砕した。 茜:ろんららる〜♪ 麗:それは、何ですか? 茜:ちょっと時間があったから、作曲でもしてみようかなって。 麗:学園祭で発表でも? 茜:ううん、そうじゃないけど。 麗:けど? 茜:印税って言葉、素敵じゃない。 麗:作家でもあるあなたが言うと、何かリアルですね……。 茜:という訳で次回、『瞼の裏のお兄様 後編』をお楽しみにね〜。 麗:何故だか、この人とは長い付き合いになる気がします。
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