邂逅輪廻



「今回の一件で、俺は正義というものは何なのか、深く考えさせられたよ」
「何を大層なことを言っておられますの」
「言ってはみたものの、俺も良く分からん」
 しかし、茜さんが空哉さんを叩きのめしたのは、あくまで真剣勝負の結果だ。それを誰が責めることが出来ようか。されど同時に、勝負が持つ重みに、決定的な差があったのも事実だ。茜さんにとってみれば、いわば路傍の石に過ぎないが、空哉さんにとっては、人生を左右するものであったに違いない。人が生きるとはこういうものなのかも知れないが、やっぱり釈然としない。
「俺は……負けたのか?」
「だから、何でこのタイミングなんですか」
 既に日は赤いものへと変容している。放心状態の空哉さんをバス停まで運び、不審の目で見られつつも帰宅させるのは苦労した。遊那が居なかったら多分、無理だっただろう。何とかとハサミは使いようだとは良く言ったもんだと思うよ。
「何か、不穏当なことを考えているな」
 女の子の心眼っぷりは、たまに卑怯であるとさえ思う訳で。
「まあ、折角ここまで付き合ったんだ。一局、打っていくか」
「何をどうしたらそういう結論に至るんだ」
 だけど、ここで帰るのも微妙な時間だしな。俺、遊那、岬ちゃんと綾女ちゃんで、サクサクっと東風戦だけでもやってこうかね。
「仕方ありませんわね」
「はいはい。拒否する権利は無いんですよね」
 俺達のルールを良く理解した発言だと思いつつ、四人でマットをテーブルに移した。うーん。茜さんが居ないと思うだけで、楽しいゲームになりそうだなぁ。
「ジャラジャラ、と」
 それにしても、連日連夜、雀牌の音がするこの家、御近所ではどう思われてるんだろうか。他人事なんだけど、気になって仕方が無い。
「やめろ……」
「ん? 誰か何か言った?」
「やめろと言ってるんだぁぁ!!」
 突然、空哉さんが絶叫した。
「な、何すか、いきなり」
「う、うわわあぁぁ!!」
 まるで物の怪でも見たかの様に恐怖の感情に支配されていた。空哉さんは部屋の隅で丸くなったまま、ガクガクと震え、怯えた眼でこちらを覗いている。
「トラウマですね」
「タイガーホース?」
「そのギャグ、前世紀に死滅したと思ってました」
 可愛い顔して、言うことキツいぜ、岬ちゃん。
「茜と知り合った頃には良くある話だ」
「良くあって溜まるか」
 俺や千織辺りはどうなるんだ。ピンピンと生きてるぞ。
「貴方は、良くも悪くも規格外ですものね」
「ナンバーワンよりも、あなたの為のオンリーワンになりたい、ってやかましいわい!」
 話を、元に戻そう。
「んで、治療法は?」
「時間が解決してくれる」
「却下」
 それは世間的に、無為無策と言う。
「逆に、あれ以上の衝撃を与えてみるっていうのはどうですかね」
「却下」
 更にややこしい状態へ陥ること間違い無しじゃないか。
「ここは、原点に立ち返るのが常道ですわ」
「と言うと?」
 綾女ちゃんは、目一杯に背伸びをすると、耳打ちを促してきた。
「つまり、自信を取り戻させれば良いんですわ」
「ヤラセで負けてあげるのか。だけど、それって、結局、元に戻るだけなんじゃないか?」
 折角、自信を無くしてるんだから、巧いこと利用して、雀士になることを諦めさせるのが最良の道じゃないかと思う。
「お兄様があのままよりはマシですわ」
「オーケー。了解した」
 たしかに、こんな兄貴が部屋に転がったまんまじゃ、後が面倒すぎる。三時間前の状態でも、妥協点としては悪くない。
「空哉さん。麻雀しましょう」
「あぅあぅあぅ」
 ブルブルと、首を振って否定の意を示す。お願いだ、日本語で喋ってくれ。この際、クイーンズイングリッシュでも良いから。
「雀士は、毎日、牌に触ってないといけないんでしょ。今日のノルマは、まだ達成して無いと思いますよ」
「あぅ……?」
 何だか、年端もいかない幼児を相手してる気分になってきたな。これはもう、末期で如何ともしがたいのかも知れない。
「さて、と」
 強制的にテーブルの前に座らせて、山から牌を手繰り寄せさせる。しかし、考えてみると、わざと負けるって難しく無いだろうか。不自然な闘牌をせず、かつ相手の点棒だけを着々と積み重ねさせる。悪いけど、俺は空哉さんが惨敗する姿しか見たことがない。こんな力量の人を相手にして、本当にそんな器用な真似が出来るんだろうか。将来、接待麻雀をすることを想定すれば、良い予行演習だけどさ。
「ロン……」
「は、はい?」
 何と言うか、神速だった。
「あ、それで上がり……」
 みるみる内に、俺達の点棒は削られていった。東二局で親となったまま、それは貼り付いて動かず、あっという間に遊那がハコテンになって決着した。
「この人って、難しく考えない方が強いんじゃないか?」
「そうかも知れませんわね」
 何だかんだ言ったって、頭は相当に良い人が四六時中努力していた訳だから、地力はかなりあるのだろう。喜ばしいことかはさて置き。
「だけど、あの嬢ちゃんには勝てない……あぁぁ! こんな力、何の意味も無いんだ!!」
 ええい、厄介な。こりゃ、本当に茜さんに勝たせるしか無いのかも知れんな。しかし、どうやってだ。
「茜さんを三日三晩くらい徹夜させて、判断力を限りなくゼロにするっていうのはどうだ?」
「お姉ちゃん、一週間までなら、殆ど睡眠無しで稼動できますよ」
「巨大ロボットみたいな人だな」
 不眠不休で動き続ける原子炉に比べれば、まだまだなのかも知れないけど。
「だったら、長距離走に付き合わせて、ヘロヘロになったところを――」
「この前、アイアンマンレース、トライアスロンに完走して帰ってきました」
 常識的思考が、何一つ通用しねぇ。
「逆に、苦手なものは無いのか」
「前にも触れたらしいですけど、高飛びが少し」
「それは不思議とイメージ出来る」
「後は、タコの吸盤が引っ付いてくる感じが何とも言い難いそうです」
「それを、どう有効活用しろと」
 何の役にも立たない情報だった。
「次、遊那」
「コヨリを鼻に入れても、くしゃみを一切しないな」
「それは弱点なのか?」
 長所かと言われると、たしかに微妙極まりないけど。
「或いは、足の裏を羽でくすぐっても微動だにしない」
「だから、それは弱点なのかと」
 話が進むにつれ、情報の重要度が下がる一方の気がしてならない。
「遊那ちゃんは、凄くくすぐりに弱いもんね」
「岬!」
「ほほぅ」
 それは良い情報を仕入れたぜ。実行すると命が危険そうなので、覚悟が必要だけど。
「ですが、思いますわ」
「どーした、綾女ちゃん」
「どんなに策を弄して勝ちを収めたところで、お姉様には何のショックもありませんわ」
「いきなり面倒になるなよ」
 たしかにその通りなんだけどさ。
「政治か、それにまつわることで勝たないと、あの人の鼻を明かしたことにはならないよなぁ」
 中間試験の時に、そんな感じの展開になったことがある。もちろん、それなりにヘコんだ素振りは見せるだろうけど、心の底からの敗北感を覚えるのは、政治と法学関連だけだろう。
「あの嬢ちゃんは……そういう奴なのか?」
「ん?」
 何か、久々に人間らしい反応があった。
「多分ですが。何やってもそつなくこなす人ですけど、極めて飽きっぽく、人生で命を張ってると言えるのは政治だけだと思いますよ」
「そうか……そういうことなのか」
 言って空哉さんは俯くと、何やらブツブツと意味の分からない言葉を喋り始めた。症状が一段階進んだのかなぁ。
「そろそろ飽きてきたし、空輸でイギリスに送り返したらどうだ」
「人の兄だと思って、簡単に言わないで下さいまし」
 ちょっと遊那に同意しかけたのは内緒だ。
「よし、決めたぞ!」
「わ!」
 いきなり、空哉さんが立ち上がった。
「俺は、政治家になる!」
「……」
 ナント仰いました?
「えー。誠にすいませんが、その結論に至った経緯を簡潔かつ、漏れが無いよう説明願います」
 自分でも、慇懃無礼というのは、こういう時に使う言葉なんだと思う。
「あの嬢ちゃんに屈辱感を与えるには、それが一番だと判断した」
 うわっ、マジで簡素だ。議論とかが入る余地すらねぇ。
「お姉様にその道で勝つというのは、大変なことですわよ」
「そうそう。生半可な気持ちじゃ無理ですって」
 実際に負けた俺らが言うんだから間違いない。
「ならば、今ここで天に誓おう。神よ。我に七難八苦を与え、願わくば、打倒桜井茜の野望を叶えたまえ」
 この盟約に、どれ程の価値があるのか、俺には分からない。
 ともあれ、ここにまた、茜さんを宿敵と見なす将星が一人、立ち上がったのだった。


「んで、空哉さんは今、何してんだ?」
 あれから数日、俺は綾女ちゃんと甘味屋でまったりとしていた。平和な日々を貪り食らっているのは良いんだが、その平穏さに不穏を感じてしまう体質になってしまったのはどうなんだろう。
「憑かれた様に学術書を読み漁ってますわ。先ずは弁護士資格を取得すると息巻いてますの」
「司法試験って、日本最難関の国家資格の一つだぞ」
 何でそう、極端から極端へ走るのだろうか。性質というか、体質なのかも知れないけど、理解し難かった。
「お爺さんは何て言ってるんだ?」
「あのコロコロ変わる性格を良く知っていますもの。暫くは様子を見るそうですわ」
 お爺さん、分かってるなぁ。
「でもまあ、何だな。空哉さんは陽の当たる道に戻り、万々歳のはずなんだが、心に引っ掛かるものがあるのは何故だろう」
「全て、お姉様の掌という雰囲気があるからじゃ御座いませんこと」
 やっぱりそこか。
「まさかとは思うが、ここまで全て計算通りだったなんてことは無いよな」
 形として、自分が発端で起こったことに落とし前をつけた様にも見える。
「さしものお姉様も、それは無いと思いますわ。ですが、故意に負けたところで何の解決にもならないことは予見していたかも知れませんわね」
 たしかに、最高に好転しても、自信を取り戻させて、雀士への道に一つの区切りが付くくらいだ。また、いつ変な方向に落ち込んで帰って来ないか分かったものじゃない。人間を立ち直らせる為には、怒りや対抗意識がぴったりだと聞いたことがあるけど、こういうことなんだろうか。しかし、そうなるとやっぱり、計算の匂いが残るよなぁ。ここまで読み切られたんじゃ、どう足掻いたって勝ち目が無いぜ。
「ですが、何やかんやと言いましても、私としては喜ばしいことですわ」
 ほほぅ。流石の綾女ちゃんにも、兄を思う、人並の感情があったのか。
「私の前を歩いてくれますと、立候補する時、参考になりますものね」
「空哉さんは弾除けか」
 何処まで本気なのか、微笑みに隠されて分かりゃしねぇ。
「というか、お爺さんの後を継ぐって決めたの?」
「まだですわ。唯、お兄様が先んじて進んでくれますと、期待を一身に背負わなくて良いお陰で気楽なのは本音ですの」
 傍から見ると、何でも一人で出来る完璧の申し子みたいな綾女ちゃんだけど、精神的な意味では脆い部分もある。考え込むと、釣り糸を引き絞ったかのように張り詰めてしまうタチだ。茜さんみたく、生きること自体に緩急をつけられるタイプじゃないから、たまにはこう、緩むことがあっても良いよな。
「ところで、ここの代金は持って頂けるんですわよね」
「……ナンデスト?」
 いきなり伝票を押し付けられ、俺は露骨に動揺した。
「あら、兄の師匠と言えば、最早、父祖と言っても過言ではないものですわ」
「そ、そう来たか」
 これは完全に想定の外だ。反論の余地がねぇ。
「それでは、御馳走になりますわ」
 綾女ちゃんは、まるで仔猫の様に楽しげな表情を見せる。ええい、そんな顔されたら理屈を捏ねてゴネられないだろうが。
 俺は完全にしてやられたことを理解し、諦めの感情と共に会計所へと向かうのだった。


  了




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