それは、とある日の夜のことだった。 俺は親父とお袋、それに兄貴も居ないガランとした自宅で、いつも通り一人寂しく夕食を終え、惰性でテレビジョンを堪能していた。本来、高校二年生であり、青春真っ盛りであるはずの俺がこんなことで良いのかという疑問が頭を掠めたりするが、深くは考えず一蹴する。どうにも、ここのところ俺の周りはドタバタし過ぎだ。たまには一般人らしく、愚鈍な大衆と同化するのも悪くないだろう。そんなことを思いつつ、観客の笑いに合わせて空笑いなんかをしてみた。 異変は、次の番組が始まった時に起こった。最近、地味な人気を誇る政治バラエティという奴で、社会問題をおもしろおかしく取り上げて、適当なことを言うだけ言って終える、ありがちな構成になっている。まあ、余り詳しくない人が取っ掛かりとして見るか、或いは政治家先生の本音がポロリと漏れるのを期待するのが正しい視聴姿勢なのだろう。大人の事情で、本当に危ないのは編集されてるんだろうけど。 そんな中、進行役の女性アナウンサーが初登場の面々を紹介していた。おぉ。あの噂の失言大魔神が出演すると言うのか。これは、実に期待が高まるぜ。 『そして、現役女子高生でありながら、フリーの選挙参謀を生業とされてる、桜井茜さんです。作家業も、されておられるんですよね?』 『はい〜』 「……」 思考が、凍り付いた。とりあえず俺はスタスタと流し場に足を運ぶと、コップに一杯、水を注ぎ、ゴクゴクと飲み込んだ。ふぅ、喉越し爽やか。ということは、夢ではないな。 頭の中がゴチャゴチャになったまま、何とかソファーに舞い戻った。画面の中では、初出演ということで、早々と司会者の一人が茜さんに絡んでいた。 『いや〜。女子高生なのに選挙参謀って凄いね〜。オジサン、興奮しちゃうよ』 『うちは代々、これが御仕事ですから。私の場合は、御手伝いした仕事がたまたま巧くいっただけです』 いつも通りの笑みを絶やさぬまま、軽くジャブを躱した。ちなみに、謙遜はしてるが、あの人は絶対にそんなことは思っちゃいない。キングオブ自分大好きな人だからなぁ。やっぱり、本音を隠してナンボの政治が天職なのかも知れない。人としてどうなのかはさておいて。 『だけど、君みたいな若い子だと、現場の先生は言うこと聞いてくれないんじゃないの』 『たしかにそれはありますね。父と母も同じ職業なんですが、その代わりだと思われるようです。ですが、始まってしまえば実力を御覧頂けると思っていますので』 『ほほぅ、言いますねぇ』 『弁士の皆さん。選挙の際は、どうぞ、桜井総合選挙対策事務所を宜しく御願いします』 すかさず、冗談めかした宣伝を入れて場の笑いを誘う。こ、この人、本当に何をやらせても巧いでやんの。神様の不平等さに嫉妬しつつ、この番組自体は話のネタになりそうなので見続けることにした。 ルンララルララ〜♪ 不意に、携帯の着信音が鳴り響いた。何だよ、折角、盛り上がりそうだってのに。そう思ってみたが、逆に知り合いがこのことを報告してきた可能性もある。面倒に思いながら、二つ折りの携帯を開き、通話ボタンを押すと、耳に押し当てた。 『やっほ〜、公康君、見てる〜?』 「本人かよ!?」 受話器の向こう側で、能天気な顔をしている茜さんが目に浮かぶようである。とても今、テレビの中で政策論争している人と同一人物には思えない。 どうでも良いけど、録画放送と分かっていても、若干、不可思議な気分になるのは何でなんだろうなぁ。 「つうか、何で俺が自宅に居るって知ってるんです。よしんば居たとしても、この番組を見てるとは限らないでしょ」 『う〜ん。でも、公康君、今、一人暮らしだし、テレビ見るくらいしかやること無いかなって』 うわ。何か凄い偏見が入った。だけど、当たってるだけに反論出来やしねぇ。 「んで」 『うん?』 「いや、うんじゃなくて。何でテレビなんて出てるんですか?」 『あー、そのこと。公康君は、私が本を書いてることは知ってるでしょ』 「一応。ってか、どちらかと言うと、ファン的な気持ちが無い訳でも無いです」 直接、本人を知ってしまうと認めたくないのだけど、茜さんの書いた文章はとてつもなく分かり易い。かと言って中身が薄い訳でもない。程よい密度と平易さを併せ持った、新書に相応しい内容なのだ。とは言え、やっぱり、あの脳天お気楽お姉さんの何処ら辺にこんな世界があるのかと、認めたくない気持ちは何処までも残る。 『それでね。その出版社の編集さんと、この番組のお偉いさんが同じ大学の友達らしいのよ』 「はぁ?」 な、何だか、物凄く浅い結論が導き出されそうなんですが。 『で、出演予定だった政治家先生にどうしても外せない仕事が出来たから、代打として私にお鉢が回ってきたの』 「軽っ!? そ、そんな簡単な話で良いんですか?」 『まあ、所詮、バラエティだから』 出演者がそう、あっさり裏事情を暴露して良いんだろうか。ある意味、生粋の芸能人でも、政治家でもない茜さんだから出来る捨て身技って感じもする。 「ってか、茜さんちの御両親でも良かったんじゃないですか?」 茜さんのことだから、『出たかったから』の一言で済まされそうだけどな。 『ちっちっち。公康君は分かってないなぁ。女子高生である私だから採用されたんだよ。四十をちょっと過ぎたパパとママが出たって、テレビ的に何のインパクトも無いでしょ』 「そ、そうですね」 ここまで明確に制作意図を把握してる人って、テレビを作る側にしてみれば使い易いだろうけど、一視聴者としては嫌な客なんだろうなぁ。 『じゃあね、公康君。後、十人くらいに自慢して回らないといけないから』 「はぁ、分かりました。その内、ギャラで何か奢って下さいね」 『公康君も出れば良いのに』 「無茶言わないで下さい。俺には、何の芸もありませんから」 何やかんやで、会話はそれでお開きとなった。テレビの方の茜さんは、今尚、熱いんだか、演技なんだか良く分からない討論を続けている。しかし、あの茜さんがこんな世界に手を出すとはねぇ。変人もここまで来ると清々しく見えてくるから厄介だ。そんなことを思いながら、俺は番組を最後まで視聴した。自分が出ている訳でもないのに、何故だか若干の高揚感があった。だけど、それも一時のものだろう。風呂に入って寝れば忘れるさ。そう、思っていた。 だけど、事態はそう簡単に収拾しなかったのだ。 「ちぃっす、おはようごぜぇまぁす」 今日も今日とて、学生としてとても由緒正しい挨拶を学友達と交わし、自分の席に着いた。 ふぅ。始業まで、微妙に時間があるな。よしよし。りぃの相手でもして間を潰すことにするか。 「よぉ、りぃ。昨日のテレビ見たか?」 「ん? あの人気ドラマ? 公康、本当にベタベタな学園物、好きだよね〜」 「……」 はぅ! しまった、茜さんの件で心が浮ついて、見るのを忘れていたぞ! うぅぅ。先週は大財閥の御嬢様がようやく打ち解けて、さぁ、これからというところで終わったというのに。 諦めきれぬ。誰か録画した奴を探しだしてくれるわ。 「公康〜? どしたの?」 「ふふふ……俺のブロークンハートに触れるんじゃねぇ。奴が、奴が目覚めだすぞ」 「何か良く分からないけど、とりあえず、会話は噛み合ってないよね」 そこのところは俺も同意しておく。 「そうじゃなくて、その前に政治バラエティがあるだろ」 「あー、あったね。私も、公康の秘書として二回に一回くらいは見てるよ」 この反応からして、どうやら昨日は、その二回の内の一回から外れていたようだ。 「茜さんが出てたんだ」 「……」 仮に、今のりぃにピッタリの擬音を探すとすれば、パチクリというのが何より的確だろう。ふっふっふ。このリアクションを引き出せただけでも、この話題を振った価値があるというものだぜ。 「それでさぁ。ドラマ、来週はどんな展開になるんだろうね」 「聞かなかったことにするな。いじけるぞ」 実際にいじけたら、それはそれで慌てふためくりぃが見られて面白そうなのだけど、話が進みそうも無いのでやめておいた。 「え〜と、冗談じゃない、よね。全然、面白いところが無いし」 「その通りだ」 「あ〜、でも公康、たまに全然面白くないこと堂々と言うし、ありえないことじゃないかな」 「とりあえず、お前が俺のことをどういう風に思ってるかは理解した」 畜生。いじける振りだけで済ますつもりが、本気でいじけてしまいそうだぜ。 「へー、茜さんがねぇ。でも、あの人なら別に驚かないかな。だって、物凄い変人だけど、同時に天才なのもたしかだし」 「まあ、それはそうなんだが、人間的な問題を加味すると、どうしても胸にモヤモヤが残ってしまうんだ」 この心のざわめき、もしやこれが恋!? 勢いでそんなことを考えてみたものの、まるで野党が提出した法案の如く、即行で棄却された。 「ん? そういや、千織が居ないな」 はて。あいつは割と規則正しい生活をしているはずなんだが。傀儡とはいえ生徒会長だけに、やることが多いのだろうか。だけどカバンも無いし、まだ来てないと考えるべきかなぁ。 「七原! 居るか!?」 不意に、喧騒を切り裂く形で、女性の声が教室中に響いた。 「浅見遊那君。それが人に物を問い掛ける態度かね」 別段、後ろめたいこともないので、余裕綽々で返答してやる。流石は俺。何という大物の風格。伊達に生徒会長選で最終候補に残ってないぜ。結果は下から二番目だったけど。 「御託は良い! ちょっと来い!」 遊那はズカズカとこちらまで歩み寄ると、俺の首根っこを掴んで椅子から引き摺り下ろした。 「椎名。七原を借りるぞ」 「利子は良いけど、出来れば傷付けずに返してね」 うわ。完全に物品扱いだ。生き物を相手にした言い回しじゃねぇ。 「何だよ。何がどうしたか、ちゃんと説明しろ。人間というのは、コミュニケーションを通して理解しあう動物だ。それが本当に高尚なことであるかという議論はさておき、今の我々には必要なことではないかね」 最近、選挙演説の後遺症か、こういった台詞がスラスラと出るようになった気がしてならない。 「昨日、茜がテレビ番組に出演した」 「ああ、俺もたまたま見てた」 な、何だ? それが何か関係あるのか? 「あれで意外と人気番組らしくてな。しかも宣伝用に『現役女子高生が生の現場を赤裸々告白!』と煽ったらしく、最高水準の視聴率を獲得する見込みだそうだ」 いつものことながら、何でテレビ番組の煽り文はこう詐欺的なんだろうか。 「必然的に、茜に纏わり付く輩が増える。言うなれば、瞬間湯沸しアイドルだ。尤も、茜はそういうのを扱うのに慣れているから、そのこと自体はどうということはないがな」 「はぁ」 何だか、話が全然、見えてこない。 「えっと、別にそういう奴らを追い払えって話では無さそうだな。ってか、そういうのは遊那の方が得意だろうし」 あくまで、手段を選ばなければの話だけど。幾ら鬱陶しくても、街中でエアガンを乱射する訳にはいかないからなぁ。 「問題は茜じゃない。私の方だ」 「どういうことだよ」 「それは、こっちの台詞だ。どういうことか知らんが、膨れ上がった人波から溢れた奴が、幼馴染みであるというだけの私に向かってきた。もちろん、妹である岬も然りだ。今朝だけでもう、何人を相手にしたか分からん。いい加減、うんざりだ」 「なに、岬ちゃんも被害を受けていると言うのか。それは立ち上がらざるをえんな」 「貴様、私と岬で、随分と対応が違わないか?」 「そんなことナイデス。私はハクアイシュギシャですから」 若干、棒読みになった気もするけど、俺は気にしない。 「何にせよ、私個人がもてはやされるならともかく、人のお零れを貰っても嬉しくない」 自分のことだったら良いのかよと、基本的なことを思ってしまったぜ。 「んで、俺にどうしろと」 「なぁに。誰にでも出来ることをやって貰うだけで良い」 「はい?」 遊那は俺を廊下まで引き摺り出すと、足を止めた。 ん? 何か、怒号にも似た轟音が近付いて来ているような? 「って、あんなに居るのかよ!?」 それはまさしく、人という波が押し寄せてくる感じだった。さほど広くない廊下のせいで、密度が高くさえ感じる。一部は只の野次馬も居るだろうけど、経験上、これを捌き切るのはそう楽な話ではない。 「ふうぅぅ」 途端、遊那が大きく息を吸った。 「盾となれ、七原ぁ!」 その瞬間、遊那は突き飛ばす格好で俺を群衆の前に放り込んだ。そして自身は、すたこらと反対方向へ逃げ出してしまう。 「ちょっと待て! 俺は捨石かよ!?」 まるで、本物の政治家がやるかのような尻尾切りをその身に受け、俺は唯、濁流に飲み込まれるのであった。 続く
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