邂逅輪廻



「難しい話でしたわ」
「ああ、俺もさっぱり分からん」
 試験も無事終わり、開放感に浸ろうと屋上へやってきた時のことだった。俺はいつもの様に綾女ちゃんに会い、いつもの様に話し込んでいた。
「『一つの勝利には幾十、幾百もの負けが絡み付いている。だが、そちらの方が人として正しい』、か」
「お爺様も、どういうつもりで言ったのか分かりませんわ」
 綾女ちゃんの父方の祖父は、国会議事堂の妖怪と揶揄される一柳正剛だ。本人は何年か前に引退しているのだけれど、いわゆる票田である地盤は未だ宙に浮いている状態で、綾女ちゃんが跡目を継ぐかどうかを学園在籍中に結論を出すという約束らしい。そんなお爺さんに、生徒会長選挙の結果を報告に行ったところ、さっきの言葉が返ってきたらしい。
「単に慰めてるにしちゃ、なぁ」
 言い回しが意味深だ。
「或いは、特に考え無く言ったのかも知れませんわね」
「何も考えずに与党三役になれるもんなのか?」
 まあ、頭空っぽのまんま、テレビに映ってる様な政治家はゴロゴロしてるけど。
「お爺様は、自分が政界で生き延びられたのは、運が太かったからだと良く言っておられますわ」
 それはちょこっと分かる。直接本人は知らないし、謙遜は多分にあるにしても、少なくても綾女ちゃんは、幸運の女神に好かれてるし。
「お姉様に負けた話をしましたら、随分と興味を持って下さいましたわ。『あの桜井の御嬢がそこまで育っているとはの』でしたかしら」
 もしや、政治業界って、物凄く狭い世界なんじゃなかろうか。
「何にせよ、俺達は負けた訳だからな。事実は事実として変わりは無い」
 千織と茜さんが勝った裏には、俺らみたいに幾多の敗北者が居る。高校野球だって、甲子園で優勝するチームがあれば、四千校にも及ぶチームが負けている訳で。正剛氏が言いたかったのは、そんなところなんだろうか。
「勝ち続けることは容易くない。けれど勝ち続けるだけでは見えないものもある。ならば、今、負けることも大したことではないと言いたかったのかも知れませんわね」
 この世に生を受け、天寿を全うするまでに一度も負けない人間など殆ど居ないだろう。例え居たとしても、それは極めて稀有な存在で、世の大勢ではない。この国を動かそうというのであれば、そちらの世界だけに浸かってはいけないってことなのかね。
「大物の言うことは、やっぱり分からん」
 目先の心配事である定期試験が終わってしまうと、何も考えることが無くなってしまう俺如きに、国政の中枢にまで食い込んだ人の考えが分かる訳無い。そう思って、不貞腐れるようにして横になった。
「綾女ちゃんと公康君、見っけ」
 良い歳して一人かくれんぼですか、茜さん。
「こんなところで何してるの?」
「普通に駄弁ってただけですよ」
 詳細を喋ろうかとも思うけど、人生連勝街道驀進中の茜さんに俺達の気持ちは分からないだろう。この人が負ける時はきっと、この国が終わる時だ。少なくても俺はそう信じてる。
「負けたことの無いお姉様には、関係の無い話ですわ」
 どうやら、綾女ちゃんも心中は同じ様な感じらしい。
「あら〜。私も負けたことくらいあるわよ。二年位前、小選挙区で参謀をやったんだけど、五百票差くらいまで迫られて大変だったんだから」
「それは負けた内に入るんですか?」
 ってか、高一の頃から国政選挙で働いてるのか、この人は。
「公康君、分かってないな〜。桜井家の参謀職は、信用第一、お客様に安心と御満足がモットーなんだよ。劣勢だったならともかく、勝てる選挙で不安を感じさせちゃったら、それだけで負けみたいなものなんだから」
 何か、さりげに消費者金融みたいなこと言ってないか、茜さん。
「でもまあ、参謀職は勝つことだけが御仕事だから、そこまで大変なことでも無いのよ。二流どころの政治家はレベルが低いから、議席の確保が最終目標みたいになってるけど、結局、稼いだ議席で何を成すかが本道でしょ?」
 嗚呼。この人の話は、何か俺とは次元が違う。内容そのものは井戸端会議に毛が生えた程度なのに、全てが実体験に基づいてるというのがタチ悪い。こんな、そんじょそこらの小物にそういう話をされても、頭が疲れるだけで、有効な答は返ってきませんよ。
「お姉様の言うことは、至極、尤もですわ」
 そんじょそこらの小物じゃないのも居たか。
「政治家とは、何かを成す為の存在ですもの。何が正しく、何が間違っているかは私には分かりませんけど、道をキチンと歩んでいる方には敬意を表しますわ」
「綾女ちゃんは、政治家志望なの?」
「まだ分かりませんわ。余りにことが大き過ぎまして、見えるものが朧すぎますもの。ですので、たかが生徒会長選挙と言えど、長になることに意味がありますの。自分の力で勝ち得た上からの視点は、中学の頃とは違う何かを感じさせてくれると信じていますわ」
 もしや俺は今、将来、とんでもない大物になる二人の会話を聞いてるんじゃないだろうか。今からでも携帯で録音しとけば、いずれ値が付かないだろうか。こういう辺りが、俺が小物たる由縁なんだろうなぁ。
「綾女ちゃんが本気になるんだったら、私も全力でフォローしたいけどね。お姉さんに全部を任せちゃって、って感じ?」
 ごめんなさい。ちょこっとだけ、エロティックなことを想像しました。
「それはこちらからお願いしたいくらいですわ。とりあえずは秋の選挙戦、私の参謀について頂けませんこと」
 ぐげ。考え得る中で、最悪のケースじゃないか。西ノ宮辺りが聞いたら、卒倒するぞ。
「ん〜。それに関してはもうちょっと考えさせてね。まだ、綾女ちゃんがどれだけの覚悟かが分からないから。千織君のフォローもあるし、もうちょっと見極めさせて貰うね」
 そういや、茜さんが綾女ちゃんに付くと、千織は御役御免で御払い箱なのか。世の中は世知辛いなぁ。極めて局所的な話の気もするけど。
「了解致しましたわ。私も少し、考える時間が欲しいと思いますの。学園の為、この国の為に何かをしたいという気持ちに偽りはありませんけど、色々と思うことはありますもの」
 言っても、綾女ちゃんは中学を出たばかりの高校一年生だ。人並から見ればしっかりしている部類だけれど、それでも、時たま年齢相応の脆さも見せる。この歳で殆ど完成品の様な茜さんの方が異常と言えるのだろう。
「それじゃ、私は失礼するね。千織君と打ち合わせがあるから」
 あ〜、そういやそろそろ、千織が正式に生徒会長になるんだったなぁ。良い感じの傀儡政権だけど、実権を誰が握っているのか分かり易いのは良いことだ。
「公康君、岬ちゃんのこと宜しくね。それと、岬ちゃんに飽きたら私がいつでも代わってあげるから」
「何で、俺が極悪人みたいな扱いをするんですか」
 今日も今日とて、茜さんは茜さんだった。
「はぁ……茜さんと喋るのは疲れる……」
 俺も大概、世間からズレてるとは思うんだが、あの人は格が違う。将来、ちゃんと結婚とか出来るんだろうかと、他人事ながら気になって仕方ない。
「綾女ちゃん。本気で茜さんと組む気なの?」
 味方につけると、これ以上に頼もしい人もそうは居ないのだろうけど。同時に、一番、身近に置くということだ。千織は殆どカメレオンみたいなもんだから、どうとでもなるんだろうけど、綾女ちゃんみたいなのと個性がぶつかり合うと、エネルギーの消耗度が半端無い気がする。
「何かを成すということは、そういうことですわ」
 ふと綾女ちゃんは空を見上げると、再び俺の方に視線を戻してきた。
「勝つ為に必要だと判断すれば、それが信念に反しない限り最善を尽くすべきですわ。そこに個人の感情が入る余地は無く、私自身が、只、成すことを成す為の一部になりますの。と言っても勘違いしないで下さいまし。私はお姉様のことを嫌っている訳でも、疎んでいる訳でもありませんわ。あくまで、例えの一つとして言ったまでですの」
 何だか、重い話になってしまったけど、そういうものなんだろうか。たしかに、勝つ為に最善を尽くすのは義務に近いものがあるけど、自分であることを押し殺すってのは、信念を捨てるのと大差無い様な気がする。信念なんて所詮、数える位しか種類が無いし、自己が無かったら結局、誰がやったところで大差無いってことなんじゃないだろうか。それだったら別に、俺や綾女ちゃんじゃなくても良いっていう話になり、最前線で戦う価値が減る気もする。かと言って、茜さんみたいに自分を全開にしてる様なのもどうかと思わなくも無い。ここら辺は実に難しい話で、はいそうですかと答が出せるものでも無さそうだ。
「何にせよ、私は私に出来る最良を以って選挙戦に勝つだけですわ。あくまでそこが出発点で、それまでの時は止まった様なものですもの」
 たしかに、そういう考え方もあるのかも知れない。政治家は、選挙落ちれば、只の人、というありがたい格言がある以上、負けるということは存在意義を失うと同義なのだ。生徒会長戦くらいならどうとでも生きようがあるんだろうけど、綾女ちゃんにとっては前哨戦というか、仮想国政選挙なのだ。浪人中の今という時は、謹慎や休養に近いものに違いない。俺なんかは能天気というか、変わり身が早いから執行部で仕事をしようなんて思うんだけど、綾女ちゃんはどうなのかね。何か、このまま残りの五ヶ月、ずっと冬眠したまんまの気がしないでもない。
「どうせだったら、一緒に執行部に入らないか?」
 執行部メンバーの募集は、次期生徒会長、要は千織が就任した直後に行われる。体裁上は一応、立候補した人材の中から生徒会長が選任することになっているのだけど、人数に制限がある訳では無いので、手さえ挙げれば大抵は採用される。そしてその面子は大概、生徒会長戦にも立候補しているか、その関係者だ。その為か、色々とドス黒い人間関係もあったりして、足の引っ張り合いとかもあるらしい。あくまで噂だけど。
「綾女ちゃんとなら、面白い仕事が出来ると思うんだけど」
「お誘い頂き光栄ですわ。ですが、出来ましたら当日まで考えさせて頂きたく思いますの」
 即断即決の猪武者みたいな綾女ちゃんがこれほど悩んでいるとは、やっぱ相当にショックだったんだなぁ。って、俺、相当に失礼なこと考えてないか。
「最近、考えますの」
 綾女ちゃんは立ち上がり、静かにそう言うと、こちらから視線を外してフェンスに手を掛けた。
「私は今まで、一柳正剛の孫娘であることは私自身の極一部で、直接は関係無いことと思っていましたの」
 どこか遠くを見る様に、ピクリとも身体を動かさない綾女ちゃん。その為、風がそっと髪や服を靡かせるだけのことが、必要以上に目に付いた。
「ですが選挙が終わって、私は何処までも一柳正剛の孫娘であると思い知らされますの」
 ゆっくりとした挙動で、再び身体をこちらに向ける綾女ちゃん。何処と無く普段の覇気を感じさせない、優しい瞳になっていた様に思えた。
「この意味を、お分かり頂けます?」
「……うんにゃ」
 偉大な血縁を持たないからと言うよりは、あまり考えたことが無かった。誰もが、生まれた時の家族は選べない。それが何処まで人生に関わってくるのか、深く考えてみようと思っても、どうにもピンと来なかった。
「宜しいですわ。次に会う時までの宿題ということに致しますから」
「次って……俺ら、誘い合わせて待ち合わせなんて殆ど無い訳だが」
 偶発的に会った時、互いに暇であれば語り合う関係というのも、よくよく考えてみるとスリリングだ。
「それでは、御機嫌良う」
 髪をそっと掻き揚げて、ゆるりとした歩調で綾女ちゃんは立ち去った。その後姿が何処と無く寂しげで、俺は何とはなしに、彼女を見詰め続けていた。





次回予告

朋友――それは得難き生涯の至宝。
突然の別離も又、絆を弱まらせるものではない。
友はその時、何を思い何を考えたのか。
心の扉に今、ゆるりと手を掛ける。
次回、七原公康流王道的ラブコメ之日々、延長戦・参、
祝福するのって、意外と難しいかも』乞う御期待。





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