「公康君、凄い凄い。テストでまた、百点取ったんだって」 「俺くらいになると、ちょっと勉強しただけでこんなものよ」 今にして思うと、この幼い時分に勉強というものを舐めてしまったのが全ての元凶だったような気もする。何だか、一つ位、持病を持ってる奴の方が身体を気遣って長生きするのに、通じるものがあるなぁ。 「私も頑張ったんだけどね。八十点が精一杯だったよ〜」 「はっはっは。君も頑張って、早く俺の領域に到達したまえ」 うーむ。我がことながら、何て恥ずかしいガキだ。俺の息子だったら、窘めてしまいそうだ。 「ま、テストなんてのは人の能力の一端しか測れやしないからな。大した問題じゃないって」 この点は、今の俺と言ってることが変わらないんだな。成績優秀者の余裕に負け惜しみと、意味合いにはかなりの隔たりがある訳だけど。 「私、それでも公康君みたいになりたいなぁ。だって公康君のこと大好きだから」 特に深い意味は無いはずのその言葉に、何だか俺の方が気恥ずかしくなり、逃げる様にしてその場から立ち去った。 「ふむう」 「どうした、七原」 「いや、俺も昔は優等生だったことを思い出してな」 「冗談というのは、あまりに突拍子無さ過ぎても、つまらぬものだぞ」 問答無用で全否定と来たか、遊那。 「まあ、神童も、大人になれば只の人と言いますから」 「西ノ宮君、それはフォローになってないですよ」 こんちきしょう。何て失礼な人達だ。 「では問うが、今日の試験結果はどうだったと言うんだ」 「ごめんなさい。自己採点は、中の下くらいに落ち着いています」 ここまでのところ、特訓の成果は出ている様な、そうでも無い様な。まあ、最低ラインの赤点回避に関しては何とかなりそうだから、悪くないとは思うけど。 「しかし、遊那、俺は知っているぞ。お前の成績は俺と大差無いのだろう?」 別に他人の粗を探したところで俺の地位が向上する訳でも無いのだが、それでもやってしまう辺りに人間としての器が滲み出るぜ。 「今の言動は聞き捨てならないな。岬に聞いて知ったのだが、お前が成績順位で私の上になったのは、五回の内、僅か二回だぞ」 見事なまでにドングリの背比べだった。 「面白い。そこまで言うなら勝負してくれる。方式は、成績順位に準拠して、主要八教科の合計点で良いな」 「良かろう。お前とはいずれ雌雄を決しなければならないと思っていたところだ」 生物学的に、俺が雄で遊那が雌なのは生涯揺らがない気もするんだが、まあ良いか。 「何だか、楽しそうですね」 不意に、西ノ宮が会話に割って入ってきた。 「私も参加して良いですか?」 「……」 ハハハ。西ノ宮さんってば面白い冗談を仰いますね。 「西ノ宮。勝負ってのは、ある程度、実力が拮抗して始めて成り立つものってのは分かってるよな。学年で屈指のお前と、平均に達するので精一杯の俺らでは、言うなればメジャーリーグとルーキーリーグ位の開きがあるのだよ」 事実だというのに、喋っていて段々と心が寒々しくなるのは何故だろうか。 「もちろん、ハンデは付けますよ。そうですね。お二方は八教科の合計で、私は上位五教科の合計ということでどうでしょう」 割り算すると、一教科平均で六十三点以上を取ると五百点を越え、自動的に俺らの勝ちとなる。学年平均点も大体、それくらいな訳だから、畜生め。何て的確な勝負を持ち込んでくるんだ。 「そんな勝っても虚しい勝負を受けられるか。俺はあくまで、遊那との一騎討ちを所望する」 「残念です」 言葉とは裏腹に、それほどに気落ちした感じではない。西ノ宮流のジョークだったのかね。気持ち悪趣味だけど。 「まあ、せいぜい足掻くが良い。私はその様を眺めて、楽しませて頂くとしよう」 こいつ、本当に俺と同じで勉強しないタイプなんだな。賭けが成立しそうなこの状況で、まるで焦る気配を見せないとは、ある意味で大物なのかも知れない。学生としてはどうかと思うけど。 「んで、何を賭ける?」 「そうだな。夏服と冬服をわざと間違えて登校するというのを考えたんだが、衣替え直後のこの時期では興を削ぐな」 いや、それはそれで、充分に罰ゲームとして成立してると思うが。 「良し。靴下を左右で、白黒互い違いにしてくるということにするか」 うわ、地味に嫌過ぎるぞ。次の日からあだ名が、オセロ君か、パンダ君に確定するじゃないか。 「遊那もこっちの条件を飲むんだな」 「ああ。実現することが無いだけに、聞くだけ時間の無駄だが、一応、言うだけ言え」 こいつ、俺とトントンの成績で、どうしてここまで自信に満ち溢れてるんだ。 「こっちもシンプルなのにするか。橙色の大型リボンを頭に着けて登校、だな」 この台詞を口にした途端、遊那のコメカミがひくついたのを、俺は見逃さなかった。 「ま、まあ良いだろう。要は負けなければ良い訳だからな」 「そうそう。負けなければ良いのさ」 互いに、乾いた笑いを漏らしつつ、意地の張り合いで引くに引けない状態になってしまっていた。 「ところで、引き分けた場合はどうするんですか」 西ノ宮の素朴な疑問の声に、俺と遊那は見合ったまま、間の抜けた顔をしてしまう。 「もちろん、その場合はお二方が罰ゲームを実施するんですよね?」 何と言うか、流石、西ノ宮は天性の論客だ。空気の読み方が、並の女子高生とは一線を画している。この状況では俺も遊那も、出された提案を拒まないことを分かっているのだ。伊達に学園内、敵に回したくないランキング十傑入りして無いぜ。 「さ、さて、七原に西ノ宮。少しお喋りが過ぎたようだ。試験期間はまだ残っているのだし、私は帰ることにする」 さっきまでの余裕は何処へやら。遊那は明日の分の教科書とノートを鞄に詰め込むと、そそくさと教室から出て行ってしまう。そこまでリボンで登校が嫌だとは思わなかったな。今度、ネタとして使ってやろ。 「ほいじゃ、俺も帰るわ。また明日な、西ノ宮」 「はい、七原さん。結果を楽しみにしています」 結局、事の顛末を一番楽しむのは、傍観者の西ノ宮か。何処と無く理不尽なこの展開に、俺は遣る瀬無くなり、小さく溜め息を吐いた。 「お、終わった……」 三日に渡って繰り広げられた、主要八教科に他三教科を加えた十一時限に及ぶ試験期間は、今、このチャイムを以って終わりの時を迎えた。やるべきことは全てやった。後は座して結果を待つことにしよう。 「公康、どうだった?」 「まあ、赤点は無いだろうな」 りぃに問い掛けられ、とりあえずは最低限のノルマ分だけ答えておいた。 「ふーん。良かったじゃん」 「ところが、そうでもない」 「どういうこと?」 何だか成り行きで、遊那と賭けが成立してしまったことを説明した。 「あ〜、それであんな必死の顔してたんだ」 こいつ、人を観察する余裕があったというのか。優等生は、時としてさりげに嫌味だ。 「でも、折角の賭けなのに靴下とリボンだけっていうのも、何か微妙だよね」 「いや、当事者としてみればそうでも無いぞ」 特に、遊那の嫌がり方は尋常じゃなかった。何が何でも勝ってやりたいところだが、こればかりは相手もあることで思い通りにはいかない。 「そうだ。折角だからトータルコーディネイトして、お披露目会をやろうか。公康は左右が白黒の服で、遊那ちゃんはフリフリのお姫様ドレス辺りでさ」 「……」 ナンデスト? 「そうと決まったら、早速、用意しないとね。あ、準備は心配しないで良いよ。私、洋裁部に友達居るから」 「おい、りぃ。勝手に話を進め――」 俺が声を掛ける隙も無く、りぃはあっというまに教室を飛び出してしまった。おいおいおい。どうすんだよ、俺。 「さて、七原。釈明の権利を行使させてやると同時に、説明責任を果たして貰おうか」 いつだって、据わっているというか、柔和とは言い難い遊那の目付きだけれども、今日に限ってはオーラが見える程の鋭さだった。嗚呼、何もかも放り出して帰りたいぜ。いや、マジで。 「た、大したことじゃないさ。俺らの熱いバトルに、たくさんのギャラリーが付いたってだけのことだ」 自分でも白々しい言い訳を口にしていると思う。俺達は講堂の上にポツンと立たされ、目の前には、百人は下らない観客が集まっていた。テストが終わったということで、皆、微妙に暇なんだろうが、後ろではバレー部員がウザったそうな目でこちらを睨みつけてくれている。な、何だか諸悪の根源が俺みたいになってませんか。 「さて皆さん、お待たせ致しました。これより、七原公康と浅見遊那に依る、第一回学力試験対決の結果を発表したいと思います」 第二回以降もやる気か、岬ちゃん。 「さて、それでは、お二方に成績表をお返し致します」 試験結果は、教師陣総掛かりで即日処理され、翌日の放課後には全生徒に渡される。学年毎に上位百名までは貼り出されるが、そんなところに俺らが入っているはずも無く、答案用紙とセットで渡された成績表が勝負の判断材料だ。そして、肝心の中身は俺らもまだ見ていない。まあ、やるだけはやったけど、勝敗は兵法家の常だからなぁ。 「先に言っておくが、万に一つ、私が負ける様なことがあれば、身体の何処かにピアス穴をこしらえてやるからな」 んな、無茶苦茶な。 「賭けに関しては、キチンと同意しただろ」 「私が認めたのは、リボン一つと、せいぜいが見知った面子へのお披露目程度だ。こんな、誰とも知れぬ連中に醜態を晒す義理は無い」 う〜む。案外、理に適ってるぜ。だけど、どちらかと言うと俺も被害者な訳だが、この状況じゃ何を言っても無駄だろうなぁ。 「ほいで、俺の成績は、と――」 四つに折られた紙片を開け、恐る恐る覗き込んだ。八教科八百点満点で、合計、五百二点。多少のバラつきはあるが、一教科平均六十三点弱か。俺としてはまあまあの方かな。一番低いのも、物理の五十一点で、補習の圏外だ。さて、それで肝心の遊那は、と。 「……」 「どうした? 石膏像みたいに固まって?」 こりゃ、相当良かったか、悪かったかだな。僅差での決着は無さそうだ。 「七原。死んで貰うっ!」 うわっ、ちょ、待て。お前、これだけの人が居る前で発砲する気か。 「椎名先輩っ!」 遊那の手が、モデルガンを収めている内ポケットに掛かったところで、舞台袖に控えたりぃが網を投げ付けた。用具を片付けて仕切る為の大型網で、重りを付けて投げやすくしたものだ。当然、遊那も、もがいて逃れようとするのだが、その隙にりぃが周囲をぐるぐる回って、巻き取ってしまう。哀れ、遊那の巻き物、一丁上がりって感じだ。 「実力行使はダメだよ、遊那ちゃん」 「岬、お前最近、茜に似てきたな」 それは褒め言葉なのかどうなのか、物凄く微妙な気がする。 「それで、点数は、と」 床に落ちた成績表を拾い、数字の羅列を確認した。八教科合計、四百二十三点。特に数学が酷く、最低点の二十五点だった。 「お前、良くこの成績であれだけのことを言えたな」 国語、英語関連は人並なのだけど、理数系が壊滅状態に近かった。ほんの数日の集中特訓だったけど、その差が如実に出たのかね。感性だけで生きてる人間が、特に努力をしなかったら、こんなもんだよな、普通。 「笑いたくば笑え」 「本当に笑って良いのか?」 「その時は七代祟るがな」 なら始めから言うなよ。 「それでは皆さん。これより浅見遊那さんのお色直しを致しますので少々お待ち下さい」 如何に遊那とはいえ、武器を奪われた状態でりぃを相手には出来ないだろう。折角だから、携帯にでも収めて取引の材料にでもするかな。そんな呑気なことを思ってみた。 宿命――それは意思に関わらず逃れえぬもの。 生まれし時、親は選べぬ。祖父母は選べぬ。縁者は選べぬ。 少女がこの家に生を受けしことは、果たして、幸か、不幸か。 そのことを知る者は、全知全能の存在に他ならない。 次回、七原公康流王道的ラブコメ之日々、延長戦・弐、 『詰まるところ生きるって何なんだ』乞う御期待。
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