邂逅輪廻



 やっほう、世間の皆。元気してるかい? 俺の名は、七原公康ってんだ。神奈川県のとある学園に通う、ちょいと陽気な男子高生さ。え、何だって? いつもとキャラが違う? そんなことは無いぜ。俺はいつだって、メキシカンやブラジリアンの様なラテン系のノリを大事にしてるんだ。そりゃ本場の連中には敵わないかも知れないけど、大切なのはソウルさ。そこんところを分かって欲しいものだね。
「先輩。勉強が嫌で現実逃避をするのはやめて下さいね」
「……はい」
 岬ちゃんに窘められ、渋々、園内図書館の机に置かれた教科書とノートに視線を戻した。自慢では無いが、一年生の時に受けた五回の定期試験で、総合点が上位半分に入ったのは一回だけだ。勉学に関して言えば、学年で五位を割ったことの無い茜さんとか、二度も一位になった西ノ宮辺りは別次元の存在で、階級制度が確立してる学校だと、喋ることさえ出来ないかも知れない。
「まさか、先輩の勉強まで参謀としてサポートすることになるとは思いませんでした」
「苦労を掛けるねぇ、岬ちゃん」
「概ね慣れました」
 ひょっとして、俺、今、物凄く情けない?
「それにしても分かりませんわね」
「何がだよ?」
 ついでにと誘った綾女ちゃんが疑問を呈した。
「定期試験なんて、前日に一通り教科書とノートを見れば充分な点数が取れますわ。何で部活を休ませる試験期間がありますの」
 どうやら、天才には凡人の苦労なんて分からないらしい。
「とりあえず、試験範囲は決まってる訳なんですから、要点を踏まえて流れとして憶えるのが基本です。丸暗記は厳禁です。一つ分からなくなるだけで、全部が飛んでしまう可能性がありますから」
 一つ下の一年生に勉強の仕方を教えて貰うのって、本格的にどうなのかとも思わなくも無い。
「私はこの学園に入って二ヶ月ですから、教師の癖とかについては他の先輩に聞いて下さい。幸いに、優秀な人材が揃っているようですから」
 そうだよなぁ。西ノ宮は別格としても、りぃや千織も成績上は優等生だ。むしろ何で俺だけ微妙に落ち零れっぽくなってるのかが疑問だ。
「あれ?」
 誰か一人、ぽっかりと抜け落ちてるような。
「そうだ。遊那って成績どうなんだ?」
 他人の心配を出来る身分でも無いけど、気に掛かることがあっては集中力を欠くというものだ。ここは大目に見て貰おう。
「大体、先輩と同じくらいですかね」
「つまりはあまり良くないな」
「先輩と一緒ですよ。頭は悪くないのに、勉強をしないから点数が取れないだけのことです」
 褒められている様な、虚仮にされている様な。深く考えるのはやめておこう。
「二日や三日、慌てて詰め込んだところで身にはなりませんわよ」
 んなことは、こっちだって分かってるわい。
「赤点なんか取ったら、秋の選挙に響くだろうが」
「出馬することを決めましたの?」
「うんにゃ。でも、可能性がある以上、最低限はやらんとな」
 こういうのも動機が不純と言うんだろうかと、どうでも良いことが気になった。
「何にせよ、恥にならない程度にはなる様、お祈りしていますわ」
「あれ? もう行っちゃうの?」
 そそくさと、教科書と筆記具を片付けてしまう綾女ちゃんに、そう問い掛けた。
「試験範囲は殆ど思い出しましたもの。後は当日、少し早起きすれば充分ですわ」
 この、天才め。いつか呪われてしまえ。
「はいはい。先輩は人のことをどうこう言える立場じゃないんですから、頭と手を動かして下さい」
 極めて正論を吐く岬ちゃんに、否応無く従う俺であった。


「マッスル! マッスル!」
 やばい。大分、壊れてきたぞ、俺。
「少し休憩しますか?」
「うーん。でも、あと三十分で閉館だし」
 図書館は、午後六時で使用時間が終わる。ここで休憩を入れると、何だか中途半端な感じになってしまう。
「集中力が乱れた状態で机に向かっても、何の効果もありません。何事も引く時は引くのが基本ですよ」
 流石は岬ちゃん。人の舵取りを心得てるなぁ。
「ほいじゃ、何か飲みますか。付き合ってくれたことだし、奢るぜ」
「私、紅茶が飲みたいです」
「了解」
 この図書館には、談話室が設けられている。その中では、ある程度の飲食が認められていて、自販機も備え付けられている。俺達はそこへ向かうと、扉を開け――。
「あ〜、岬ちゃんに公康君。奇遇だね」
「……」
 何だろう。学園の内外を問わず、この人に出くわすだけで作為の匂いを感じてしまう俺は、人として間違ってるんだろうか。
「茜さんも試験勉強ですか?」
「ううん。今度、市議会に提出される条例の草案を考えてたの」
 今、さりげに聞き捨てならないことを言わなかったか。
「後はね。プロ野球の主要タイトルホルダー予想」
 何でその二つを、同時進行で考えられるんだ。どういう脳構造をしてるんだ、全く。
「お姉ちゃんが普通に試験勉強をする日が来たら、教師の方が怯えると言われていますから」
 何だか、今更ながら序列がメチャクチャな学園なんだなぁ。
「ところで公康君。何か飲みに来たんだよね」
「そうですけど」
「オススメは、一番上の左から三番目だよ」
 首だけ動かして見てみると、言われたところには、きなこ餅ドリンクと書かれたサンプル缶が――。
「俺はどうやら、この学園のことを甘く見過ぎていた様だ」
 思わず、芝居掛かった口調にもなってしまうってもんだ。
「岬ちゃん、ホットとアイス、どっちが良い?」
「冷たいのでお願いします」
 俺は小銭を入れつつ問い掛け、言われた通りに冷たい方のボタンを押した。この自販機にはストレートティしか置いていない訳だけど、それはきっと、意味不明な物が色々と置いてあるからに違いない。
「それにしても、このきなこ餅ドリンクは、興味が湧いて仕方無いぜ」
 ほぼ確実に、自爆するのは分かっている。それでも、そんな俺を誰が咎められると言うのか。人とは、時として失敗する姿にも畏敬の念を抱く生き物なのだよ。
「うわっ。まるで催眠術を掛けられる様に買っちゃいました」
「素直な子、お姉さん、好きよ」
 ふっ。笑いたくば笑え。俺は全てを守り続けるだけの人生なんて御免なのさ。
「けふっ」
 あの、口内の水分が全て失われていくんですが、本当にこれをドリンクと呼んでいいのでしょうか。
「私としては、その飲料としての流動性を保ちつつ、きなこの触感を失わないって、凄い技術だと思うのよ」
「飲んだんですか?」
「ううん。来る人、来る人に勧めて、感想を集めただけ」
 実にこの人らしい話だと思った。
「桜井茜君は居るかぁ!」
「ふえ?」
 不意に扉が開き、入ってきた一人の男子生徒がそう声を上げた。全体的に痩せ型で、こけた頬と黒縁眼鏡が印象的だ。一昔前なら、青瓢箪とか、うらなりとか言うんだろうか。
北条保ほうじょうたもつ先輩です。学力試験では、三年生で一、二を争う実力の持ち主で、世間ではお姉ちゃんのライバルとされている方です」
 キャラが外見そのまんまってのは、良いんだろうか。
「それで、北条君、何の用?」
「君には失望した!」
「うん?」
 何だか、微妙に会話が噛み合ってなくないか、この二人。
「進路希望書に依ると、君は大学進学をしないそうじゃないか! それ程の学力を持ちながら、何故なんだ!」
「ん〜。別に大学へ行かなくても勉強は出来るし、参謀の仕事もあるから、別に良いかなって」
 世間の受験生に聞かれたら、血祭りにさせられるぞ、茜さん。
「そんな人が良いところの枠を一つ奪うっていうのも、悪い気がするでしょ?」
 そして受けたら受かるのは大前提なんですね。流石です。
「その態度だ! まるで全力を出していないかの様な物言いで、僕が幾ら成績順位で上位につこうと、世間は真の実力者を君だと認識している! 正々堂々と戦いたまえ!」
 殆どやっかみの被害妄想じゃないか。
「別に、そこまで言うなら本気でやっても良いけど」
「い、良いんですか?」
 どうにも、この人の考えることは今一つ分からない。
「でも、私だけ言うことを聞くのも不公平よね」
「何だって?」
「私は、北条君の得意分野で戦う。だったら、北条君も私の得意なフィールドで戦って貰わないと」
 む、無茶苦茶な理屈だ。これも又、茜さんか。
「ち、ちなみに聞くが、桜井君の得意分野とは何なんだね」
「とりあえず政治学は通り一遍学んでるけど、今回は初心者向けに、神奈川県の条例、全部原文で書き出すってことにしようかな」
 何処がどう、初心者向けなんだろうか。まあ、記憶力だけが勝負のポイントで、複雑な駆け引きが無い以上、楽な部類なのかも知れないが。
「実施は、定期試験最終日の放課後に、この図書館で。無いとは思うけど、どっちも私に負けたとなると大変なことだよね」
 何でこの人は、起こること全てを楽しみに転化出来るんだろう。ある意味に於いて、人として究極の生き方なんじゃないだろうか。こうはなりたくないけど。
「ふ、ふう。まあ、そこまで言うのであれば仕方が無い。人にはそれぞれ、自由な生き方を選択する権利がある。それを侵害するのは拙いというものだ」
 先輩、さっきと言ってることが真逆ですよ。
「おぉっと、もうこんな時間ではないか。今日はダディと食事の約束をしているんだった。これで失礼させて貰うよ」
 分かり易い嘘を吐いて、そそくさと逃げ出す北条先輩であった。
「何だったんだ、一体」
「春になると、ああいうのが湧くのよね」
「もうボチボチ梅雨ですけどね」
 良く分からない会話だ。
「って、もう六時じゃないか」
 十分程度の休憩予定が、あっさりと下校時間になってしまった。おのれ、この恨み、誰にぶつけるべきか。
「とりあえず、帰りましょう」
「そうだね」
 うだうだ言っても仕方無いので、再び素直に従う俺であった。


「ふあっ」
 普段、あまり使わない脳の部位を酷使したせいか、妙な疲労感があった。本格的に頭がクラクラするぜ。
「公康君が学年一位を取る日は来そうも無いね」
「あんなもんは、欲しい人が勝手に取り合えば良いんですよ。茜さんもそれと似た感じでしょ」
「そうかもね」
 全力を尽くさなくても生きていける人というのが、幸せであるのかは分からない。いや、だからこそ、茜さんが桜井家に生まれたのは幸運なことなのかも知れない。限りなく深い、選挙、そして政治の世界に幼い頃から触れ、そこで生きると決めている。これ程の人材は、底の無い世界でこそ、本当の意味で生きられるのかも知れない。唯、医者と科学者だけはやめて欲しいけど。
「でも、公康君の場合は、只の負け惜しみだよね」
 人格に多大な問題があるからな。
「偉大な姉を持つというのは大変だね、岬ちゃん」
「大丈夫ですよ。お姉ちゃんのことは尊敬していて目標ですけど、私とは違う人間ですから。無理に気負ったり、考え過ぎたりすることはありません」
「あ〜、もう、岬ちゃんってば何て可愛いこと言うの。頭、撫で撫でしてあげる」
 言って、左手で岬ちゃんの肩を抱くと、本当に頭を撫で出す茜さん。何だか、世間一般の姉妹関係がこうなんじゃないかと、勘違いしてしまいそうだ。
「先輩」
 ふと、岬ちゃんは真摯にこちらを見詰めてきた。
「将来、私が歩く道は、お姉ちゃんとは全く別の物になると思います。それでも、桜井茜の妹であることを生涯の誇りであると思うはずです。私は、お姉ちゃんと同じ親の下に生まれたことを、運命を司る存在に感謝しています」
 何だか、言葉以上の重さを感じた。信頼や畏敬だけでは言い表せない、情愛の類があったように思えた。
「本当、岬ちゃんってば良い子だよね。私も岬ちゃんの姉だってことに感謝してるから、今日は特別に、ぎゅってしてあげる」
「って、お姉ちゃん。皆、見てるから」
 岬ちゃんの言う通り、俺らと同じくギリギリまで残っていた連中が、興味深げにこちらを見遣っていた。だけど、そんな視線は余り気にならなかった。選挙の時は敵として戦ったけど、この二人は何処までも姉妹なんだ。そんな、今まで実感しきれなかった当たり前の事実に、俺は意識しないまま、口の端を緩ませた。





次回予告

試練――それは人に依り、意味と価値が変わる物。
乗り越えるべき巨峰、その名は試験用紙。
戦場に舞い散るは、敗れし者の屍のみ。
学生が生きるということは、全てがここに集約するのか。
次回、七原公康流王道的ラブコメ之日々、延長戦・壱、
いっそのこと逃げちゃえば楽だよね』乞う御期待。





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